政治的リーダーシップとは何か?

目白大学教授 石井貫太郎


<梗概>

 昨今の日本の政治状況を見ていると,現代の政治家に対してリーダーシップ力の欠如を感じている国民が多いと思われる。経営学や心理学を中心として,行動科学的アプローチによるリーダーシップに関する多くの知見が巷に溢れてはいるが,こと政治的リーダーシップに関する研究についてはまだ不十分である。特に,政治的リーダーの資質に関するより科学的な視点からの資質論的な研究成果が,今こそ求められている時ではないかと思われる。すなわち,政治的リーダーにふさわしい資質とは何かという問題意識に基づく研究である。

1.リーダーシップ研究
(1)リーダーシップとは何か 
 いかなる国家といえども,当該国の命運を担う政治的決定を下すのはその国の政治家という職業の人々である。それゆえ,適切なリーダーシップを発揮できる政治家をどのように選出するかという問題は,現代社会における諸国民の大きな課題の一つである。いわゆる市民社会論の立場からすれば,適格な政治家を選ぶことのできる選挙制度を検討する視点があるだろうが,他方,そうした需要サイドの問題意識にとどまらず,政治家の供給サイドからの視点も考えていく必要があろう。その一つが,ここで提示する政治的リーダーシップ論に他ならない。
 ところで,政治的リーダーシップに限らず,一般にリーダーシップとは,仕事の達成(業績の向上)と人間関係の維持(人的資本の動員)という二つの変数の相関関係で表され(図1),その右上がりのベクトル,すなわち双方の機能の極大化を目指す活動であるとされている。これは,経営学,心理学,社会学,政治学,歴史学など,多くの分野に共通するリーダーシップの原則的な考え方であると言える。
 次に,こうした一般的なリーダーシップに関する先行研究を分類すると,大きく二つに分けられることが広く合意されている。第一に,資質論的アプローチであり,リーダーにふさわしい人間的資質を探求する研究である。そもそもリーダーシップ研究は,人物研究を中心としたこの資質論的アプローチから始まった。その研究成果は,古くは古代ギリシアにおける研究までさかのぼる。ここでは,リーダーの身体的能力,弁舌力,家柄などの第一次要素といわれる要素の探究が行われてきた。とくに,「○○研究」のように歴史上の人物に関する事例研究は伝統的に広く行われてきた手法であり,こうした研究から得られる知見の有効性は現在でも甚大なものがある。ただ,資質論的な研究においては理論的な検討の側面が弱く,あくまでも歴史上の個々の人物的研究に特化する傾向がみられる点が弱点である。
 第二に,行動論的アプローチであり,リーダーにふさわしい行動パターンを探究する研究である。近代に生まれ,現代において広く世界大に浸透した政治的民主主義と平等化の思想は,特定の人物だけではなく誰にでも発揮できるリーダーシップの要素を探究せよという社会的な要請を生起させ,こうしたアプローチが登場させることになった。こうした研究は経営学や心理学を中心に採用されてきた手法であり,現代におけるリーダーシップ研究の主流をなしていると言える。ここでは,リーダーシップの力量を個々人の資質的な要素に還元するのではなく,その人間の行動パターンに求めようとする前提認識があり,換言すれば,どのような資質の人間であろうとも類似の行動様式をとれば一定のリーダーシップを発揮することができると考えるのである(行動論的アプローチはさらに類型論と状況論とに分かれ,前者はリーダー本人の行動原理を探求する研究,後者はリーダーが成功する環境条件を探求する研究である)。
現代においてはこの行動論的アプローチの研究が主流であり,伝統的な資質論的アプローチは色あせてしまった感がある。しかし,政治的リーダーシップに限らず,リーダーシップという問題を考える時に,やはり当該個人の持つ性格や身体的な特徴,また,過去に培われた人生経験などを無視することはできないのではないかとの見方が再認識されつつ,現在に至っている(例えば,カリスマ的リーダーシップ研究の復権など)。

リーダーシップの神話と現実  
そこで次に,行動論的なリーダーシップ研究の中でよく言われている内容の真偽をいくつか検討しながら,政治的リーダーシップ研究における資質論的アプローチの必要性について論じてみよう。換言すれば,それはリーダーシップの神話と現実との対比である。

(神話1)いかなる資質のリーダーであっても,どのようなリーダーシップを発揮するかについての選択肢を有している。換言すれば,いかなる性格のリーダーであろうとも,あらゆる種類の行動を選択することができる。

→ある特定の人間が政治的リーダーになった場合に,その行動の選択肢は意外にも多くはない。なぜなら,リーダーの行動はリーダーの資質によって規定されるものであり,当該人物の性格に依存する傾向が強いからである(行動論的な議論だけが独立してはあり得ない)。

(神話2)政治的リーダーとその他の組織のリーダーには,リーダーとしての同種の能力が要請される。

→政治家であれ,経営者や官僚であれ,あらゆる種類のリーダーに必要とされる共通の資質や行動原理は少なからず存在する。しかし,政治的リーダーには,その他のリーダーとは決定的に異なる能力が要請される場合が多い。例えば,政治的リーダーには理想を現実化する創造性が必要だが,その他のリーダーにとってはむしろ現実を認識する管理力の方が重要である。政治的リーダーには,現実的なリアリズムに手足を縛られてしまっては困る面がある。周囲からは無理だといわれている構想であろうとも,自分の信念に基づき大きなビジョンを実現するような創造力を発揮する必要性に迫られる場合も多い。実現可能性に手足を縛られて大胆な発想と創造力を発揮できずにいる人物が現代日本の政治家には多いが,こうした「夢」のない政治家の多くは,管理力はあっても創造力が欠落している。

(神話3)偉大なリーダーは下層階級からたたき上げた人物に多い。

→実は偉大な政治的リーダーのほとんどすべてが中産階級出身の人物である。この事実は政治学者や歴史学者の言を待つまでもなく,エマソンやアリストテレスなどの哲学者や思想家たちの著作においても論じられている。世界史上に名を遺す偉大な足跡を遺した人物は,ほとんどすべてが中産階級出身の人々なのである。

(神話4)リーダーに必要な資質は知識と行動力である。

→政治的リーダーに必要なのは知識(情報)と行動力(実行力)ではなく,知性(知恵)と徳性(人徳)である。政治的リーダーには,自分の下で働く行動力のある人たちに適格な指令を与える能力が要請されるため,行動力はむしろ政治的リーダー自身に必要な資質というよりも彼の部下が備えるべき資質であると言える。よく選挙期間になると「政治家にとって最も重要な要素は体力だ」などと言う候補者がいるが,明らかに言葉の誤用であるばかりか,残念ながら意味としても本末転倒な愚言と言わざるを得ない。

(神話5)リーダーに必要な知識の育成には社会科学と自然科学,とくに後者の修練が必要であり,行動力の育成には実社会における経験が必要である。

→まず,知識ではなく知性と言うべきである。次に,先述のように政治的リーダーに行動力は不要である。むしろ必要なのは徳性である。さまざまな分野の多くの学者が指摘していることではあるが,現代日本の高等教育では人文科学が非常になおざりにされてしまっている。しかし,人文科学の学習は社会科学の学習と並び,政治的リーダーの徳性を育成するために必要不可欠な修練である。また,知性の育成には社会科学と自然科学の修練が必要であり,日本では政治的リーダーの育成の過程および評価の基準においてこちらの学習経験の有無に偏重する傾向がある。しかし,かのウィンストン・チャーチルもシャルル・ド・ゴールも,文学をはじめとする人文科学の素養を身に付けた政治的リーダーであった。ついでに,政治的リーダーは自己が立てた国家戦略のビジョンに基づいて政治的決定を下すのが役割であって,それを具体的に実現するのは行政家たる官僚の役目なのであるから,実社会における経験,特にサラリーマン経験や現場の経験が豊富である必要性は感じられない。『三国志演義』の最大の英雄たる諸葛亮孔明が,蜀王たる劉備玄徳に見出される以前に別の主君に仕えていたという話は聞いたことがない。

(神話6)偉大なリーダーは偉大なフォロワーによって育成される。

→偉大なリーダーが偉大なフォロワーによって育成されるのではなく,偉大なフォロワーが偉大な政治的リーダーによって育成されなければならない。民度の高い国民は,一方で政治的偉大なリーダーが育てるべきものでもある。例えばマルクス主義歴史学の論者たちは,いかなる人物が政治的リーダーであろうとも歴史はそれ固有の法則によって動いていくものであると主張し,指導的役割を果たす人物のリーダーシップの効用を評価しない。しかし,織田信長なくして日本の近世の扉が開かれたり,アドルフ・ヒトラーなくしてユダヤ人虐殺が行われたり,シャルル・ド・ゴールなくして現在のフランスの世界的地位が築かれたとは考えにくい。

(神話7)リーダーのタイプとリーダーシップのタイプには必ずしも因果関係はなく,いかなる人物でも努力すれば立派なリーダーになることができる。

→政治的リーダーのタイプには,創造型,管理型,象徴型の三つがあり(次節参照),したがって,各リーダーのタイプにはそれぞれ得意な政治的リーダーシップのタイプがある。あらゆる人間が努力のみによってあらゆるタイプの政治的リーダーシップを発揮できるスーパーマンになれるわけではない。

(神話8)偉大なリーダーとは環境に適応したリーダーシップを発揮するリーダーである。

→環境に適応するだけでは経営者や官僚にも政治家が務まることになる。偉大な政治的リーダーとは,環境に適応した政治的リーダーシップを発揮しつつ,より望ましい新たな環境を創り出す想像力と創造力の双方を有するリーダーであるべきだろう。例えば,フランス第五共和政の初代大統領シャルル・ド・ゴール(1890-1970年)は,当時のフランスに必要だった強力なリーダーシップを発揮しながらも,次の時代の環境を準備した人物でもあった。グローバリズムへの挑戦というド・ゴール主義(ゴーリズム),フランス型政治哲学を築き,次の時代の温床を準備していった点は多くの政治学者たちから高く評価されている。第二次世界大戦後,半世紀以上にわたってフランスが国際政治の中で大きな政治的発言力をもつ国としての地位を保持し続けているのは,すべて彼のおかげである。

2.政治的リーダーのタイプとリーダーシップ
政治的リーダーには,大きく分けて三つのタイプがある(図2)。

Aタイプ:何もないところから新しい組織を生み出す創造力を発揮するタイプ
Bタイプ:ある程度整えられた組織を効率的に管理する能力を発揮するタイプ
Cタイプ:組織が無理なく自然に運営ができるようになった状態で,その構成員の帰属意識を象徴する存在として力量を発揮するタイプ

 Aタイプは,国家や組織が建設されていく段階に適性があり,Bタイプは,既にAタイプによって国家や組織が作られた後にそれを効率的に運営する段階に適性があり,Cタイプは,成熟型社会の中で人々に安心感を与えるとともに,すでに確立したシステムとしての国家や組織を維持していく段階に適性がある。
 米国の歴史社会学者であるウォーラースティン(Immanuel Wallerstein,1930- )の「世界システム論」の論理を参考にしつつ,上記の内容を図解したのが図3である。ここでは,国家の発展段階と政治的リーダーシップの相関関係が表わされており,政治的リーダーのタイプと政治的リーダーシップのタイプには,それぞれの環境の各段階に応じてそれぞれの適性があるということが表わされている。この図が示しているメタファーの意義を言えば,要するに,時空を超えた普遍的なリーダーシップを語ることは科学的でないばかりか,建設的ではないということに他ならない。したがって,政治的リーダーシップの議論においては,それぞれの段階や環境に応じた適切なリーダーの資質を考慮するべきであろう(例えば,ユリウス・カエサルはローマ帝国の時代を通じた最も稀有で偉大なリーダーであったかもしれないが,彼が現れては困る時代や国家もあるはずだと思われる)。
上記の議論で論じてきたように,いかなる資質の人物が政治的リーダーにふさわしいか否かは,当該国家や組織が置かれている状況がどのような段階であるのかという環境的な要素に依存する。したがって,われわれ国民がまずはしなければならない作業は,第一に,現状の国家や組織がどのような段階にあるのかを的確に把握することであり,第二に,その段階に適した政治的リーダーのタイプを特定化することに他ならない。現状の把握が正確にできた上で,はじめて適格な政治的リーダーの資質を見極めることが可能となる。ゆえに,もしも現状を見誤れば不適格な資質のリーダーを選出することになり,創造的リーダーが必要な時に管理型リーダーが登場したり,象徴的リーダーが必要な場所に創造的リーダーが配置されたりなど,社会における不都合な弊害が噴出することになる。

4.政治的リーダーシップのサイクル仮説
 
次に,上記の議論を応用しつつ,政治的リーダーシップの動態論を米ソの政治的リーダーたちを例にとって概観してみよう。
(1)戦後米国の歴代大統領たち
 まず,米国の場合を見てみよう。トルーマンは,トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランなどで名高い冷戦を始めた人物であり,図らずも世界の大きな枠組みを作る役割を果たすことになった政治的リーダーであるゆえAタイプと認識して良さそうである。次に,軍人としての行政官僚出身のアイゼンハワーは,管理能力に長けた典型的なBタイプであろう。次のケネディは,若き新しい時代を象徴する人物であった一方で,公民権法の提案などのニュー・フロンティア政策を推進する側面もあったので,CプラスAタイプの人物であったと言える。続くジョンソンは,議会工作に長じた管理性の強い人物であったのでBタイプ,さらに,ニクソンはデタント時代を切り開いた人物であったのでCプラスAタイプ,そして,フォード,カーターとBタイプが続いたが各々短期政権であり,その後,期待のCプラスAタイプのレーガンが登場,これを受けてBタイプのブッシュ父,クリントン,ブッシュ子,オバマへと続いて現在に至っている。
 このように戦後の米国における歴代大統領たちは,それぞれの時代に適性を有する政治的リーダーたちがA→B→Cの循環どおりに的確に輩出してきたのではないかと考えられる。
(2)ソ連の歴代首脳たち
 一方,ソ連の場合はどうだろうか。まず,建国の父たるレーニンは文句なくAタイプであろう。次のスターリンはBタイプの人物で,管理者としての能力にたけた人物であった。その後,CプラスAタイプのフルシチョフが受け継いだ。ここまでは良かったのであるが,その後,1970〜80年代に管理型の政治的リーダーであったブレジネフ,アンドロポフ,チェルネンコが続き,ソ連は長期間にわたる政治的かつ経済的な停滞期を迎えることとなってしまった。Bタイプの政治的リーダーが統治する時代が長く続き過ぎたのである。そして,残念ながら期待のゴルバチョフがCプラスAタイプの政治的リーダーとして登場した時には時すでに遅く,ソ連はもはや国家システムとしての機能を十分に果たすことができない不全状態に陥っており,最終的には崩壊への道を歩む事となってしまった。もしゴルバチョフがもう少し早く登場していたら,ソ連は現在も存続し続けていたかも知れないのである。
 ソ連崩壊の要因については,ソ連研究者や国際政治学者たちによってさまざまな視点から分析されているが,このように政治的リーダーシップのサイクル仮説からの分析も可能であろう。

3.政治的リーダーにふさわしい共通のパーソナリティ
 最後に,田尾雅夫教授(京都大学大学院)の著書『成功の技法』に示されている「アントレプレヌアーシップ(進取の気性)」の要素を参考・応用しながら,政治的リーダーにふさわしい普遍的な資質のいくつかを,当該リーダーのパーソナリティという視点からより具体的に検討してみよう。

(1)若過ぎず,年寄り過ぎず(いささか疑問?)
 老年者でも立派な政治的リーダーはいるが,確かに多くは中年・壮年の政治的リーダーに偉大な人物が多い。

(2)両親の初子として紆余曲折を経た育成経験を積んだ男性の長子(いささか疑問?)
 女性でもアウンサン・スーチー,マザー・テレサ,サッチャーなどの女性リーダーたちがいるし,長子以外の出自者にも偉大なリーダーはいるが,やはり比較的長男に偉大な政治的リーダーが多い。

(3)業的社会化が進んだ親族の中にリーダーを輩出した経験のある家庭環境
家庭環境として政治的リーダーシップの資質を有する人物を輩出する仕組みが必要であるという意味である。

(4)上層でも下層でもない境界線の社会階層の出身
ほとんどすべての偉大な政治的リーダーは中産階級から輩出している事実が確認されている。

(5)ある程度の高学歴
 田中角栄氏のような例外もあるが,少なくとも大卒もしくは高卒程度以上は必要であろう。

(6)身体的かつ心理的タフネス
 体力があるという意味ではなく,失敗の繰り返しに耐久性を有する強靭性が必要であるという意味である。

(7)人的ネットワーク作りに前向きな外向性の強さ
人付き合いを面倒くさがらない性格という意味である。

(8)成功や失敗などの結果を自分の努力のいかんに求める統制の中心性(いささか疑問?)
 もちろん,政治的リーダーの場合にはこの要素はほどほどでないと,創造性を喪失した内向き志向の政治的リーダーシップを執る傾向が強くなってしまうであろう。

(9)その場の状況に惑わされない場自立性
他者からの干渉や妨害に屈せずに,信念を持って政治的決定を下す勇気を有しているという意味である。

(10)不屈・頑固さ・執着心に支えられた使命感(いささか疑問?)
 もちろん,政治的リーダーの場合にはこの要素はほどほどでないと,他者の事情を顧みずに一人相撲をしがちな政治的リーダーとなってしまうであろう。

(11)成功へ向けて自己が企画した行動計画を遂行する自己効力感
 願望に向けて試行錯誤しながら思いをめぐらせて考えることが好きな性格という意味である。

(12)欲求の対象としての目標の明確性
政治的リーダーは官僚や経営者ではないのだから,あまり実現可能性という制約にとらわれずに少しぐらい突拍子もないような大風呂敷を広げるほどの「夢」があって欲しいが,それはあくまで万人に理解できる明確なビジョンでなければならないという意味である。

(13)目標を達成しようという達成動機付けの強さ
 政治的決定には交渉や説得などの活動が必要であり,特に時間的なコストがかかる。したがって,障害があろうともそれをあまり気にせず,執拗に取り組む執着心が必要である。ゆうに,どちらかと言えば楽天的な性格の人物の方が政治的リーダーとしては向いている場合が多いであろう。

(2010年11月27日)

<参考文献>
石井貫太郎『リーダーシップの政治学』東信堂,2004年
石井貫太郎『開発途上国の政治的リーダーたち』ミネルヴァ書房,2005年
石井貫太郎『現代世界の女性リーダーたち』ミネルヴァ書房,2008年
田尾雅夫『成功の技法』中公新書,2003年