ローカル・イニシアティブの時代
―アセアンからみた北東アジアの地域統合

日本大学教授 佐渡友哲


<梗概>

 東アジアという大きな枠組みの中に,北方に北東アジア地域(日・韓・中国東北部・北朝鮮・極東ロシア・モンゴル)があり,南方にASEAN(アセアン=10か国)がある。そしてアセアンの内陸部にGMSとして注目されているメコン流域圏(5か国+中国雲南省)がある。それぞれ地域人口が3億人レベルの北東アジア地域とメコン河流域圏は,サブリージョン(下位地域)とよばれている。北東アジア地域は,経済面での相互関係は緊密化し経済発展を遂げているが,政府間関係や地域統合の観点からみると,世界の他地域の動きと比べ非常に遅れている。一方,アセアン地域は,経済共同体としてのまとまりに加え,サブリージョン・レベルでもメコン河流域圏(GMS)などの開発計画が形成され,開発,交流,貿易など活発な動きを見せている。北東アジア地域は喩えてみれば,「20世紀半ばで足踏みをしている状態」といえるだろう。北東アジアの地域統合は,アセアンのGMSの動きをも参考にしながらも,国家主導ではなくローカルがイニシアティブをとる内発的なやり方で推し進めるのが望ましい。

21世紀の世界は,グローバリゼーションが進展し世界共通市場の動きを示す一方で,地域統合の動きも活発である。欧州の地域統合は,その先端を行くものであろうが,アジア地域は共通性以上に多様性,格差が顕著なために地域統合の進展は緩慢である。国境を隔てた地域に住む人々が,共通のアイデンティティを形成し,国境を超えて新しい広域生活圏を創ろうとする運動は,「リージョナリズム」(地域主義)と呼ばれるが,いまやこの潮流は地域の経済的繁栄と平和を構築していくプロセスであるといえる。
 そこで,アジアで最も地域統合の動きの進むアセアン地域の地域主義の展開について紹介しながら,北東アジアの地域協力や地域統合について展望してみたい。

1.サブリージョンとローカル・イニシアティブ
 かつて国際関係論で「地域主義(regionalism)」という場合は,必ず政府と政府が手を取り合ってトップダウン方式で決めて進めていく地域協力や地域統合の動きとされていた。しかし,近年の地域統合の流れをみると,大きな地域(region)とその下位地域としてのサブリージョン(subregion)とに分けて考える必要がある。東アジアでいえば,北東アジア地域が一つのサブリージョンとなる。
サブリージョンにおける地域同士のつながりを推進していく主体は,政府(国家)ではなく,ローカルが登場して自発的に進めるという特徴がある。アセアンやEUなどのリージョンの地域統合や近年さかんなFTAやEPAは,政府間の条約によって形成されていくが,サブリージョンはローカルな自治体,企業,市民団体が国境を超えて他国のローカルと交流していくプロセスを経て形成されることが多い。そのためこの動きを「ローカル・イニシアティブ」と呼ぶ専門家もいる。私もサブリージョンにおける統合の動きを「地域(ローカル)が作り出す地域主義,あるいは「新しい地域主義」(neo-regionalism)と呼んでいる。ローカルの中には,自治体もあるが,そのほかにも個人,企業,NGOなど,ローカルを基盤とした多様なアクターが含まれる。これは冷戦後の世界秩序の中で登場した新しい動きの一つである。
欧州を例に説明してみよう。EUは拡大して現在27カ国になっているが,「ユーロリージョン」と呼ばれる12のサブリージョン(例えば,バルト海沿岸,北海沿岸など)があり,そこにもEUの予算が配分されるしくみになっている。サブリージョンは,国家が丸ごと地域形成に組み込まれるのではなく,複数国のそれぞれ一部地域(自治体を含む)を束ねている。さらに小さい単位として,国境を接した小さな地域として「クロス・ボーダー地域」という枠組みもある。
このように欧州では国境を接した地域(都市)同士の交流という形で動いている。こうしたきめ細かい取り組みをする背景には,EU内の経済格差解消という目的がある。比較的発展段階の均質なEUにも開発の遅れた地域が存在するので,そのような地域には予算を投入して開発を促進させるのである。

2.アセアンにおけるリージョナリズム
(1)アセアンに対する日本の援助
アセアンは国家間の地域共同体である。アセアンにもサブリージョンの動きがあるが,EUのようなきめ細かいメカニズムはまだ形成されていない。例えば,メコン河流域諸国をみても,相当の経済格差があり,開発の遅れた地域に対してアセアンとして補助金を出して開発を促進するというメカニズムはない。その代わりアジア開発銀行,日本や中国のODAなど,域外から資金をもってきて開発を進めている。このような違いは重要な点で,アセアン地域の開発は基本的に外部援助によって促進されてきたといえる。
サブリージョンとしてのメコン河流域圏が,アセアンの中でも遅れた地域であることは共通認識にはなっているが,そこに重点的に援助し開発を進めることが,アセアンとしてできていない。そこでメコン河流域圏に関係する5カ国の中で経済的に最も先進的なタイが兄貴分として協力しながら開発を進めている。
例えば,日本からのODAは,まずタイのTICA(日本のJICAに相当する団体)に資金が流れ,そこから対ラオス,対カンボジアというように2段階で資金が注がれていく。日本政府は,タイを直接的なODA対象国から除外して考えているので,このタイへのODA援助のことを「南南協力」(注1)と呼んでいる。
09年11月に日本政府がイニシアティブを取って,メコン地域諸国(5カ国)の代表を日本に招いて「日本・メコン地域諸国首脳会議」を開いた。その中で鳩山首相(当時)は,メコン地域をわが国ODAの重点地域とし,ODAを拡充し地域全体で今後3年間の合計で5000億円以上の支援を実施することを表明した。この背景には,08年1月に日本で開催された日メコン外相会議において2009年を「日メコン交流年」とするとの合意に基づき,外務省が官民連携した交流を促進するなど相当力を入れてきた経緯がある。
当時私は,在外研究のためにタイに滞在していた。タイでは日本の国際交流基金が資金を提供して,「モノづくりと日本人」「沖縄歌劇団ちゅらメコン公演」など日本・タイの文化交流活動が活発に行なわれていた。それまでの日本のアセアン地域に対するODAは2国間案件が中心であったが,このことを契機にメコン河流域圏開発という枠組みで援助を有機的に進めていく方向が打ち出されるようになった。

(2)拡大する中国の影響
近年,アセアン地域に対する中国の影響力が非常に強まっている。中国南部の雲南省はアセアンにつながるルートに当たっているために,雲南省昆明からラオスを経てバンコクに至る地域に莫大な予算を投じ,南北回廊(経済道路網)の整備を進めている。実際に現地に行ってみると,タイ北部,ラオス,ミャンマーへの中国の影響はすさまじいものがある。日本政府もそのような状況を念頭に置いて,メコン河地域への援助を鮮明にしたものといえる。
南北回廊は中国の援助で整備され,ほぼ完成している。ラオス・中国国境地帯に行ってみると,中国からアセアンに向かうトラックが行列をなしているのが見えた。それらは中国の商品やセメントなどの建設資材を積んだもので,アセアンへの輸出品である。
一方,ミャンマーのモーラミャインからベトナムのダナンにつながる東西回廊,つまり東西をつなぐ道路の舗装・整備が急速に進められほとんど完成しているが,それは日本の援助で整備された。この東西回廊の整備によってトラック輸送が可能となり,物流が非常に活発化した。ラオスには現在,たくさんの工場がつくられ工業生産がさかんになりつつあるが,海のないラオスでも道路網が整備されることによってベトナムのダナン港まで運べば海外輸出が可能となる。
同じ援助でも,中国と日本のやり方に大きな違いがある。日本の投資の場合は,道路や橋梁の整備のために日本から建設労働者を送ることはせず,現地人を日本人が指導しながら進める。一方中国は,自国のODAで現地の政府関係機関の建物建設やスタジアム建設に際し,労働者を中国から送り込むことを協定に盛り込いんでいる。したがって建設作業がそっくり中国人の手によって進められることになる。また,中国国境に近いラオス国内のボーテンに「中国人の町」が作られているが,これは2国間で特別区を定めたことによる。ボーテンでは中国資本のホテルや商店があり,ここでは中国時間が使われている。ホテル内にあるカジノの客はほとんど中国人である。
日本のODAは,日本の技術や作業のノウハウを持ち込むが「労働者」は現地人である。だが中国式ODAは「中国人」の存在感が大きく,地元の人々との間で葛藤を引き起こすこともあるという。このことはラオスに限ったことではない。アフリカへの進出が目覚ましい中国は,アフリカ各国でも「中国人」の存在感を大いに示していることはよく知られている。
09年12月にラオスの首都ビエンチャンで東南アジア・国際スポーツ大会(SEAゲーム)が開かれたが,そのとき使われた3万人収容のスタジアムは中国の金融機関の援助で建設されたものだった。それについてラオス政府関係者の中には諸手を挙げて喜んでいる人ばかりではなかったようだ。
アセアン諸国は中国に対して複雑な感情を持っている。経済面での連携強化の点では対中関係は重要だが,どの程度のつきあいにすべきかと考えている。2010年1月にはアセアン・中国間のFTAが発効した(いわゆるCAFTA)。その結果,従来に増して中国からアセアンへの輸出が増大している。北タイのメコン河にあるチェンセーン港には,中国の貨物船が毎日来航している。ここには中国からのたくさんの日用品,食料品,衣類,玩具などが陸揚げされると同時に,中国へ運ばれる日本製中古車が並んでいた。

(3)サブリージョンとしてのメコン河流域圏(The Greater Mekong Subregion=GMS)
 92年にアジア開発銀行(ADB)のイニシアティブにより,大メコン河下位地域(GMS)経済開発プログラムがスタートし,それ以降この地域の開発がGMSとして広く知られるようになった。この動きは,アセアンのサブリージョンとして非常に注目すべきものである。
 かつてこの地域は,麻薬のゴールデン・トライアングル,貧困地域というマイナス・イメージでとらえられていたが,GMSの取り組みをきっかけにだいぶ認識が改善されてきた。タイ,ラオス,ミャンマーを一望できるメコン河の国境地域に行ってみると,そこは一大観光地域に変貌していた。黄金の仏像が立つなどテーマパークも作られ,たくさんの観光客であふれていた。またミャンマー側やラオス側には中国の資本でカジノも作られている。いまではかつての「麻薬王」はいなくなり,かなり安全な地域に変貌している。いい意味で「ゴールデン・トライアングル」という名称を利用して観光開発に力を注いでいるようである。
 GMSには,サブリージョンとしての国際組織がいくつか整備されて機能している。一つは,1995年にカンボジア,ラオス,タイ,ベトナムの4カ国が「メコン河流域の持続可能な開発のための協力協定」に調印して設立された「メコン河委員会」(Mekong River Commission=MRC)である。欧州統合の基礎に国境を超える国際河川の共同管理があったように,アセアンの半数の国々がかかわる国際河川メコン河の保全,水資源利用,開発などの共同管理に向けた経験やノウハウは地域主義形成に大きな貢献をなす。
この組織は政府間国際組織(本部はビエンチャン)で,設立4カ国のほか,中国とミャンマーが対話国(オブザーバー国)となっている。メコン河の共同管理を目的とし,主として水利用(漁業,環境)の利害調整をする。その本部事務局もしっかりとした国際調整機関だが,あくまでも調整機関で政策を打ち出すことはできない。
 またメコン研究所(Mekong Institute=MI)という組織がある。本部はタイ北部のコーンケン大学のキャンパス内に設けられているが,大学の施設ではなくしっかりとした5カ国による政府間国際機関だ。この機関の設立に資金を提供したのはニュージーランドであった。ここでは,農業研修,観光,国境管理法などについて草の根レベルの人材育成を行っており,メコン河流域の地域主義形成に非常に役立っていると思う。
このようにGMSサブリージョンには,政府間国際機関が2つあり,その上位にはアセアンというアンブレラ組織がある。アジア開発銀行や各国のODAなど域外の援助・協力は直接サブリージョンに注がれている。地域には,他にも2国間,数か国間で国際協力の取り決めがあり,多様で重層的な枠組みや対話のスキームが展開されており,「メコン密集(Mekong congestion)」と呼ばれる状況が続いている。

3.北東アジアの地域統合とその課題
 メコン河流域圏(GMS)と北東アジア地域は同じアジアのサブリージョンであるが,異なる点は,国家の上位に政府間のアンブレラ組織があるか否かである。すなわち,メコン地域はアセアンという10カ国の枠の下にADBのGMS経済開発プログラムがあり,MRCやMIという政府間国際組織がある。北東アジア地域にはこのようなアンブレラ組織がないいわゆる「6カ国協議」が多国間対話の場であるが,これは常設機関ではなく,将来への制度化につながるものではなさそうである。また2国間,多国間FTAも締結されていない。
地域主義の観点からいうと,EUが「21世紀の先端を走るもの」とすれば,アセアンは「20世紀から21世紀へ跨いだ段階」,GMSはアセアンという制度的アンブレラの下にあると同時に,FTAや多国間国際協力の網の目の中にもあり「21世紀の門を叩いている段階」であるということができる。だが北東アジア地域は,依然として「20世紀半ばで足踏みをしている段階」といえる。北東アジア地域の日中韓は,個別に見れば世界をリードする大国なのだが,地域主義という世界の潮流からみると非常に遅れていると言わざるを得ない。
 ここで,今後の北東アジア地域の地域協力や地域統合について展望してみたい。筆者は,北東アジア地域の地域協力は,下からのボトムアップ方式で進めるべきだろうと考えている。つまりローカル・イニシアティブである。それは「内発的な国際協力」と言い換えてもよいであろう。国家主導で進めるのではなく,ローカル,草の根を基盤に進めながら作っていく地域主義である。
 次に,国境を超えた自治体間の「面」的交流の意義である。例えば,1996年に創設された「北東アジア地域自治体連合」は,県レベルでの国境を超える自治体ネットワークである。これは,日本の県,中国の省,韓国の道,ロシアの州などの自治体が連携して交流・協力のネットワークを形成し,信頼関係を構築してこの地域の全体的な発展と国際平和に寄与することを目的として創設された。その後,モンゴルや北朝鮮の自治体も加わり,文字通り北東アジアで最大規模の自治体ネットワークとなった。
 ただ日本では,これに加盟しているのが日本海側の県だけなので,全国的な広がりに欠けるのが課題だ。北東アジアという地域性を考えた時に,太平洋側の都府県も加わっていいと思う。今の状態では,環日本海の交流というイメージに過ぎないが,もし太平洋側の都府県が参加すれば,北東アジア地域という大きな交流圏とそれに伴うアイデンティティが生まれるだろう。
 さらに,領土問題などを抱える北東アジア地域では,国家間の紛争の影響は無視することができない。例えば,竹島問題がクローズアップされると日韓の交流は,自治体間,民間交流が一時的に中止されることが多い。筆者は,自治体は「国家」や「国益」を直接背負っているわけではないので,領土問題や歴史認識問題,首相の靖国参拝問題に振り回されるべきではないと考える。だが,何か問題が起きると,たとえ日本側が交流を継続しようとしても,韓国や中国側が中止・延期を決めることが少なくないようだ。その理由は,韓国の地方自治体は日本のそれと比べると中央政府の影響力を受けやすいからである。中国についてはいうまでもなく,中央政府の政治的決定はローカルに及ぶことが多い。
 そのような状況の中でも,うまくいった例はないかと探してみたところ,川崎市のある高校の中国との交流は,首相の靖国神社訪問の影響に巻き込まれずに継続された。その理由は,交流が単なる形式的な協定に基づくものではなく,教員,生徒が長年にわたり地道な交流を続けてきており,顔の見える草の根の交流だったからである。つまり個人的な友情関係が生まれ根付いていたのである。
 日本側が「政府間はぎくしゃくしても交流は変わらずやりましょう」あるいは「政府間が対立状態にある時こそ民間交流を大切にしましょう」と声をかけることが重要である。自治体の場合も同様だ。自治体同士が長い時間をかけて中身の濃い交流をしていれば,少々の波風があっても交流は切れないと思う。市民団体間,自治体間の交流は,ここが重要な点だ。国家(政府)間でたとえ問題が生じても,自治体同士はしっかりとつながっているというのが,本来の自治体交流の姿ではないかと考える。
今では日本の多くの自治体が韓国や中国の自治体と姉妹提携を結んでいる。線の関係(1対1)の場合は,国益に影響を受けやすい傾向があるが,ネットワークのような面の組織となるとその影響が弱まるように思われる。たとえば「北東アジア地域自治体連合」のようなネットワーク組織では,国家関係が揺れていても,総会を開くときにはいくつかの団体は欠席するかもしれないが,全体としては運営ができる。2010年11月初めに東京で開催された「アジア大都市ネットワーク21」(アジネット21)の総会にも,その少し前に尖閣列島での中国漁船衝突問題や北方領土へのロシア大統領訪問などがあったが,中国やロシアからの参加者があった。

4.まとめと展望

 北東アジアの地域形成に向かう前に考えておくべきことは,今日の日中韓の首脳同士の関係があまりにも親密感がない点である。ある国際会議でアセアンの研究者が「なぜ北東アジアの首脳は定期的に会談しないのか?」と発言していた。日韓首脳が年に一度「シャトル外交」をする約束をしても,首脳が変わるとその約束は反故にされる。2010年11月の横浜APECやソウルG20のような国際会議の場にあわせて首脳が「ついでに」会う程度である。3カ国の首脳が,二人,三人でじっくり話す機会,対話が余りにも少ない。アセアンの首脳からみると,これは不自然な状況である。
 またEUの研究者は「なぜ,日・韓・中の首脳は互いにハグしないのか?」という。北東アジアでハグするのは,中国と北朝鮮の首脳同士くらいだろう。欧州の首脳は頻繁に会ってハグしている。例えば,英仏首脳はEUやNATOの国際会議を含めてほぼ毎月会っている。こうした点からみても,北東アジア地域は非常に遅れているといえる。
 APECの横浜会議の場でも,日本の菅首相は中国や韓国の首脳に対して「話し合いの場を作りましょう」と積極的に働きかける様子を見せず,「会うかもしれない」というあいまいな表現に終始していた。尖閣諸島の漁船問題など大きな事件が起きるとメディアは短期的な視点から毎日大きく取り上げる。しかし政治家にはより長期的な視点が必要である。かつて搶ャ平が経済発展を重視して島嶼帰属問題を棚上げにしたように,領土問題は時間をかけるべき問題であり,短期的な解決や国益の主張だけに目を奪われるべきではない。
北東アジア地域は,冷戦が終結していない「20世紀半ばで足踏みをしている段階」であり,「政冷経熱」の状態である。そうした状況を「政暖経熱人知」にしなければならない。そのためには第1に,これまで展開されてきた企業,自治体,シンクタンク,学会,市民などの多層な交流をより深くより太いものにし,将来の「政暖」の時代に備えることである。日韓の渡航者訪問は,それぞれ年間240万人前後になった。近年の韓流ブームや年間10万にもなる訪日中国人の数は10年前には想像もできないことであった。
第2に,GMSで展開されている多層なガバナンスは,北東アジアの地域形成にも大いに参考になるものである。北東アジア地域にも,政府と民間が関わった環境協力やFTAを含む経済協力などの機能的連携が期待されている。大学間の単位互換制度(アジア版ERASMUS計画)や共同歴史研究も今後ますます促進されていくだろう。第3に,自治体間のネットワークにより多くの人が関わっていくことが重要であろう。自治体は人々の生活にいちばん近い存在である。環境,下水道処理,公衆衛生,教育,高齢化などの諸問題では,都市間の知恵の交換,協力関係はますます必要になる。
このように多くのチャンネルを持つことが地域形成にとって重要である。北東アジアの地域形成には,政府中心のトップダウンではなく多層な交流を積み上げたボトムアップ型が期待できる。それは,ローカルがイニシアティブを発揮する内発的な地域形成であるといえる。

(2010年11月10日)