国際人権保障のシステムと信教の自由

(財)世界人権問題研究センター所長・京都大学名誉教授 安藤仁介


<梗概>

 とくに近代社会において大きな発展を見せた人権は,基本的に国家のシステムによって保障される性質のものである。しかし,国家体制の如何によっては人権侵害を招くこともあり得るため,国際社会はそれに対処する方法も整えてきた。その中心的役割を担ってきたのが国連の人権委員会であり,戦後人権保障の基準となる国際条約と国際人権保障のシステムの整備を進めてきた。また地域的な人権保障システムも近年整備されつつあるが,信教の自由は世界の人権問題の中でも重要な問題の一つである。

1.人権概念とその保障システムの出現 
 近代社会において人権は,基本的に国家(国民国家)のシステムに即して保障される性質のものである。日本であれば,日本国憲法第3章(国民の権利及び義務)に記されている諸権利である。日本国憲法には「国民」とあるが,最高裁の判断によってここでいう「国民」とは,国籍要件に限定せず(日本に生活する)すべての人々に適用される人権と解釈されている。自由権についても参政権を除き,ほとんどの人権は国籍と無関係にすべての人々に保障される。日本国憲法第3章は憲法の約三分の一を占める重要な部分であるが,国民,あるいはすべての個人に適用される人権保障であり,これを根拠としてさまざまな行政的施策が行われるようになる。現実に一般国民は,地方自治体の行政措置を通して人権と向き合うことが多い。
 行政機関が法律の趣旨に沿った人権施策を行なっているか,この点について最終的には司法の場を通じて判断を行なうしくみとなっており,制度的には三権分立のしくみによって個々人の人権保障が担保されていく。しかし,世界には北朝鮮のような独裁政権の国では,国民の権利は偏った形でしか保障されない。
日本国憲法第12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない」と記されているように,人権保障は最終的に一人一人の考え方,行動によらざるを得ないのであり,個々人に帰することになる。
 日本は第二次世界大戦のときに,ドイツの緒戦の華々しい成果に惑わされて三国軍事同盟を結んで連合国と戦った。その当時の日本のことを,自分の体験も含めて思い出してみると,国家の力の恐ろしさを感じる。ナチス・ドイツは,シェークスピアの『ベニスの商人』に現れているように,欧州に伝統的に存在してきた「ユダヤ人嫌い」の感情に目をつけて,ユダヤ人ということだけで財産没収,人体実験,ホロコーストなどの迫害を行なった。これらは,当時のドイツでは,「ユダヤ人撲滅法」などの法律をもとにユダヤ人撲滅政策が合法的になされたのであった。
 このような例に見られるように,人権保障について国家にだけすべてを任せておくと人権侵害の病理的現象は避けがたい面がある。また南アフリカ共和国では,少数の白人が自分たちの権力を維持するために同じ国民である有色人種を政治的に差別してきたが,これも国の正式な法律に基づいて行われたことであった。
 人権の保障は,現在の世界システムでは直接的には各国政府によらざるを得ないのだが,そのような国の政策にいき過ぎが合った場合にどうやって国際社会が対処するか。それに関しては,次のような方法がある。
 まず人権の国際基準を明らかにする。しかしたとえ国際基準を設けても現在の世界システムではその保障如何は各国政府によらざるを得ないために,その政府が国際基準を遵守しているかどうかを国際的にチェックする国際監視システムを設ける必要がある。
 国連の設立目的の一つに,「人種,性,言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること」(国連憲章第1条第3項)が挙げられ,そのために国際協力をしていくことが謳われている。ただ国連憲章は,人権の中身について決めなかったので,国連全加盟国の約三分の一の国を選んで経済社会協力について専門に担当することを決め,その専門機関の一つとして「人権の促進に関する委員会」(人権委員会)を設けた。
 この人権委員会の最初の仕事は,人権の基準(何が人権かについて)を明らかにすることであった。具体的には1947年から動き出し,僅かに2年足らずの期間に「世界人権宣言」の草案を作り,1948年12月10日に国連総会で決議された。各国政府はその日を含む期間を中心に人権週間を設けて,人権の広報・普及に努めている。
 ただ「世界人権宣言」は「宣言」とあるように,これはあくまでも国家や個々人が達成すべき将来の目標である。この目標を現実性のあるものにする作業,すなわち「宣言を条約にする作業」は,宣言をつくる期間の十倍費やすことになった。国はいいことに総論では賛成するが,いざ自分が実際の負担を負ってそのための措置を講じる段になると非常に慎重になるものだ。
 「世界人権宣言」にはあらゆる種類の人権について言及していたのだが,それを拘束力ある形にする過程で,どうしても全部をひとまとめにして扱うわけにはいかないことが明らかになった。議論の過程では,世界人権宣言そのものを条約に書き改めて,個々人が直接権利の保障を求めて訴え出られるような「世界人権裁判所」を設けて,それで人権保障を進めようと考えられたこともあった。しかし,これは現実の世界の状況を考えたときに,あまりにも理想主義的であり,現実的には個々の人権保障は各国政府の取り組みによらざるを得ないために,そうすることはできなかった。そこで,人権保障の基準を定めて各国政府がその基準に基づいて人権保障をしているかについて,国際社会が監視システムをつくってチェックしていくしくみにしたのである。

2.国際人権規約
(1)国際人権保障システム
 世界人権宣言を条約にした国際人権規約は,自由権規約と社会権規約とに大別される。それらを簡単に説明すると,前者は国家が個人の生活に干渉しないというものであり「国家からの自由」ともいわれ,後者は国家がその権利の実現に必要的措置を講じることによって実現可能なもので「国家への自由」ともいわれる。また前者は国家がこの条約を締結した瞬間から条約を履行する義務を負うが,後者は国家がいろいろな条件を整えた上で初めて実現できるので,段階的にできるところから実施していくとされる(漸進的実施の義務)。
自由権規約には第一選択議定書がついており,その両方を批准した国では,自国民及び自国に在留する外国人が国家の行為によって彼らの人権が侵害されたときに,その被侵害者自身が直接「自由権規約人権委員会」(human rights committee)に訴え出ることが可能だ。
日本はともに二つの国際規約を1979年に批准したものの,自由権規約第一選択議定書は批准していない。社会権に属する権利を国際規約で決めても最後は裁判で争わなければ意味がないとして米国は社会権規約に入っていないし,また中国は自由権規約には入っていない。
 ところで,各国が人権保障をしているかについて,監視する方法は三つある。
 まず自由権規約を批准した国は,1年以内に自国内で自由権規約を国内的にどのように実施しているかに関して国連(自由権規約人権委員会)に報告する義務が課せられる。報告書が提出されると,委員会が審査をする。審査の場には,当該国の関係大臣など政府代表が参加する。審査が終わると会期中に委員会は,報告書に関する評価(よい点,悪い点の指摘と改善勧告)を下す。
 日本は1979年に加入し,80年に第1回報告書を提出した。翌81年に委員会による審査が行われ,そこで日本の国籍法に問題があるとされた。すなわち,国籍法によれば,父親が日本国籍なら子供も日本国籍となるが,父親の国の国籍法に依拠すると子供が無国籍となる場合があった。そのとき初めて母親の日本国籍が考慮されるために,女性の国籍は「二次的」なものということになり,男女同権を定めた国際人権規約に違反するという指摘である。
 それを受けて法務省は審議を始めたが,審議が終わる前に日本は女子差別撤廃条約に加入した(1980年署名,85年国会承認)。そして女性団体が政府に訴えた結果,国籍法は改正された。現在,父または母が日本国籍を持つ子供は日本国籍を持つことができる。拘束力がなくても国民がよくわきまえ,政府が国民の声を取り入れる姿勢があれば,このシステムでもそれなりに機能するという証拠である。
 第二に,政府報告書と並び,国家通報権というものがある。これは加盟国が隣国で人権侵害が行われていると認めた場合,その国を訴えることができる制度である。自由権規約第41条に定められた制度だが,その制度を受け入れる宣言をしている国同士でのみ機能する。わが国はその宣言をしていないので,隣国が日本の人権侵害を通報することはできない。またこの国家間通報制度も発効してすでに30年を超えているが,今まで他の政府の人権侵害を訴えた国は一つもない。政府はお互いにかばい合っており,報復として訴えられることを恐れている。したがって,残念ながらこのシステムは機能していない。
 第三に,個人通報制度である。前述のように,自由権規約そのものと第一選択議定書の両方を受け入れている国であれば,個人が直接,18人の専門家で構成される「自由権規約人権委員会」に訴えることができる。委員会は審査をし,違反があればそれに対する救済措置を勧告することができる。
 これまでに約1000件にのぼる個人通報があった。訴えはさまざまな言語で寄せられるため,国連公用語のいずれかに翻訳するのは大変な作業である。また実際にどの条約のどの条文に違反しているのかを整理しなければならず,委員会においても一つの通報を審査するには非常に時間と手間がかかる。約1000件のうち,4分の1は書類の条件不備で却下されるか,再申請や国内的救済手続き(最高裁での裁判等)を完了するよう促される。そして現在も審査が継続中のものが4分の1程度ある。審査が終了したもののうち,6〜7割は違反を認めて政府に勧告し,それ以外は違反がなかったという結論に至っている。したがって違反の認定率は高いと言える。
 基本的に委員会の決定には勧告的な力しかないが,20年ほど前から委員会の結論を国家がどのように扱っているかを追跡するフォロー・アップの手続きが行われるようになり,一定の効果が見られる。最近では,委員会が年1回国連総会に提出する報告書の中で,規約違反が認められた個人通報を各国がどのように処理しているかを一覧にして,コメントを付けた上で掲載し世界に公表している。
(2)地域的人権保障システム
 地域的な人権保障のシステムについて,一番早く反応したのがヨーロッパである。第一次,第二次大戦はともにヨーロッパではじまり,とくに第二次大戦ではナチス・ドイツのような酷い人権侵害があった。ヨーロッパは過去400〜500年にわたり自分たちが世界を支配してきたという自負があったが,二度の大戦を経て米国やロシアが台頭し,ヨーロッパの影響力は低下した。これを回復する手段として人権の国際保障を掲げたという側面もある。
 1950年には世界人権宣言の地域版である「欧州人権条約」をつくった。加入した国は欧州人権裁判所が下した判決を尊重すると約束している。その意味で自由権規約人権委員会の勧告以上の効力を持つ。またEUの拡大に伴い加入国も増加しており,個人通報の件数も膨大になっている。
 米州はやや遅れて1969年に「米州人権条約」をつくった。「米州」と言っても米国とカナダは含まれていない。アフリカでも1981年に「人および人民の権利に関するバンジュール憲章」が制定された。
 2009年,オーストラリアでアジア版の人権保障制度を検討するシンポジウムが開かれた。しかし三大宗教の発祥地であるアジアは考え方や人種が実に多様で,国の数も多く,規模もまちまちである。そこで無理にアジアで統一しなくとも,例えば,西部のイスラーム圏,中央部のヒンズー教・インド圏,東南アジア,儒教文化が共通する北東アジアなど,分割したシステムにすることも可能である。あるいは全世界的なシステムにすべての国が加入するという選択肢もある。

3.信教の自由
 信教の自由については,市民的及び政治的権利に関する国際規約第18条に次のような規定がある。

第十八条
1 すべての者は,思想,良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には,自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに,単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に,礼拝,儀式,行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も,自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
3 宗教又は信念を表明する自由については,法律で定める制限であって公共の安全,公の秩序,公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。
4 この規約の締約国は父母及び場合により法定保護者が,自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。

 いくつか事例を挙げておく。カトリック教会の影響が強いアイルランドでは女性の堕胎を原則禁止している。カトリックの教えでは,人間の生命は母親が妊娠した瞬間から始まる。レイプや近親相姦で妊娠した女性であってもこれを徹底する。母親の母胎に危険が及ぶか,精神錯乱に陥らなければ認められない。海外で堕胎しようとすればパスポートの発行を停止する。これは行き過ぎだとして,自由権規約人権委員会では問題になった。
 アイルランド以外でも,カトリックが国教となっている国についいては,堕胎に関する考え方がしばしば問題になる案件の一つである。さらに,国教を定めている国が税金から国教会に補助金を出す場合がある。これが宗教差別にあたるとしてよく問題になる。
 最後に,欧州人権条約における信教の自由の問題について述べる。モルドバはロシア正教会を国教としているが,それに反発する宗派が団体登録をしようとしたところ,裁判所がそれを認めなかった。欧州人権裁判所はこれが信教の自由に違反すると認定した。モルドバの法律制度そのものに条約違反があるという判断だった。
 もっとも,何を宗教と認めるかは難しい問題である。マリファナを吸っているグループが教団をつくったところ政府が解散命令を出した。これが信教の自由の侵害だとして信者らが訴えた。欧州人権裁判所は,これは宗教と呼ぶに値しないと判断し訴えを退けた例がある。
 また軍隊で上官が信じる宗教を部下に強要した事例があり,部下の一人が欧州人権裁判所に訴えた。これも地位を利用して監督下の人に特定の宗教を強要したということで,信教の自由に反すると認定した。

(2010年10月29日)

(「世界平和研究」No.188,2011年2月1日号より)