北朝鮮の現況と日本の対応

日本国際問題研究所シニアフェロー/元日朝国交正常化交渉日本政府代表 遠藤哲也


はじめに

 北朝鮮は日本にとって一衣帯水の隣国であり,歴史的にも深い関係がある「近い」国でありながら,つきあいも薄くよくわからぬ「遠い国」,「近くて遠い国」である。その最大の理由は,北朝鮮がおそらく世界中で最も閉鎖的な国だからであろう。加えて,北朝鮮に関する情報は,先入観に基づいたものや,特定の目的のために解釈や加工されたものが少なくないようにみうけられる。従って,北朝鮮の実態を正確に把握することは容易でなく,北朝鮮ウォッチャーの一人と自負する筆者も,百%の自信をもってかくかくしかじかと断言することは難しい。筆者としては,出来る限り客観的たらんとしているが,ここで述べることはあくまでそのような前提の下での見解であり,読者の方より,是非ご意見なり,コメントを頂きたいと願っている。

北朝鮮の最近の情勢をどうみるか
 ここ一,二年間の北朝鮮は,特に韓国に対して甚だ挑戦的であった。核・長距離弾道ミサイルの実験,黄海での度々の銃撃戦,金剛山での韓国人観光客の射殺,韓国哨戒艦「天安」沈没事件,延坪島砲撃などである。(図表参照)
ところが,今年になってから手のひらを返すように対話姿勢を打ち出して来ている。韓国に対しては,離散家族の再会を扱うための南北赤十字会談の再開協議,金剛山観光事業の再開協議,軍事を含む南北当局者間の協議などを提案して来ている。米国に対しては,これまでも韓国に対するほどには挑戦的でなかったが,一層の対話姿勢を打ち出している。ヘッカー元ロス・アラモス国立原子力研究所長を招聘して寧辺のウラン濃縮施設を見学させたり,朝鮮問題専門家を招聘したり,北朝鮮と関係の深いリチャードソン・ニューメキシコ州知事(元国連大使,元エネルギー省長官)の招聘など対米接近を積極的に進めている。
 しかしながら,このような北朝鮮の硬軟交互の外交姿勢は何ら目新しいものではなく,従来の伝統的なパターンの繰り返しである。これまでの北朝鮮は強硬な姿勢,瀬戸際外交(brinkmanship Diplomacy)をとり,これに対して国際社会特に日米韓が国内政治上,国内世論上耐え切れなくなって宥和政策をとるというパターンを繰り返している。北朝鮮はこのような政策によって,それなりの実利をあげて来たとの自信をもっているようだ。強硬政策の前後には,一見柔軟姿勢を組み合わせるという巧みな戦術である。このパターンは今後も繰り返されると考えておいた方がよい。

南北朝鮮の主な衝突等
1950年 6月  朝鮮戦争始まる(〜53年7月休戦)
 68年 1月  北朝鮮ゲリラ,韓国大統領府を襲撃
 83年10月  ビルマ・ラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)で韓国の
        全斗煥大統領一行を狙った爆弾テロ
 87年11月  大韓航空機爆破事件
 96年9月   韓国東部で北朝鮮の潜水艦が座礁,韓国兵と上陸した北朝鮮
        兵が銃撃戦
 (98年8月   北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン」の発射実験)
 99年6月   黄海で南北艦艇が銃撃戦
2002年6月   黄海で南北艦艇が銃撃戦
(2006年10月  北朝鮮が初の核実験)
 08年7月   北朝鮮の金剛山で北朝鮮兵が韓国人観光客を射殺
 (09年4月   北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2」の発射実験)
 (09年5月   北朝鮮が2度目の核実験)
 09年11月  黄海で南北艦艇が銃撃戦
 10年3月   韓国哨戒艦「天安」沈没事件
    11月  北朝鮮,大延坪島を砲撃

北朝鮮の外交姿勢の背景をどうみるか。
 このような北朝鮮の外交姿勢には,次のような戦略的,戦術的な目的と理由があるとみられる(順不同)。そのいくつかは最近特に顕著になって来ている。
 その第一は,国内的要因,特に健康不安のある金正日政権の後継体制をすみやかに固めることである。後継者として事実上認知された金正恩氏は未だ20歳代の若輩であり,とりたてた軍歴も党歴もなく,父金正日と違ってこれまで帝王教育を受けたとは思われない。金正恩氏が後継者としての地位を確立するためには,北朝鮮の権力組織では何よりも軍部の支持を得ることが必要であり,そのためには「先軍政治」のスローガンの下での軍事力の強化が不可欠である。もっとも軍事力の強化といっても,経済の逼迫した北朝鮮では通常戦力の強化はできないので,核・ミサイル開発はこのための極めて重要な手段となる。(このようなことから,核・ミサイルの放棄が当面考えられるだろうか。北朝鮮が六カ国協議に復帰しても,それは経済的な理由のためで,核放棄のためではなく,六カ国協議はおそらく「堂々巡り」に陥るのではなかろうか。)又,軍事的な強硬手段も軍の支持を高めるために場合によっては必要かつ効果的かもしれない。
 次いで北朝鮮は,例えば2011年の新年共同社説(労働新聞,朝鮮人民軍及び青年前衛の三紙)にもみられるように,経済再建と人民生活の向上を前面に打ち出している。これは2012年に「強盛大国」入りを目標とする北朝鮮政権にとって国民の支持を得るために必要なのだろう。だが,軍事と民生の二兎を同時に追うことは,現実には至難の業である。
 今一つは,国内の思想の一層の引締めである。北朝鮮は,外交的な孤立と経済困難に直面し,かえって国内の体制引締めを強化せざるを得なくなっているが,他方情報規制は次第に難しくなって来ている。北朝鮮でも携帯電話が普及しつつあり(30万台位との説がある),食料不足のためこれまでは厳しかった人民の地域間の移動もかなり自由になっている。又,公には許されない韓国や米国の北朝鮮向け放送の聴取者も増えているといわれる。最近の中東の動揺にしても,北朝鮮当局は息を殺してみているに違いないが,北朝鮮国内では中東情勢はこれまでのところ直接には報じられていない(2011年3月23日現在)。
 二番目は,北朝鮮と米国及び韓国との関係である。北朝鮮外交の最大の目標は,かねてより米国との関係を調整して現在の休戦協定を平和協定に変えることであった。何故ならば,米国と平和協定を結ぶことによって,在韓米軍の撤退を導き,韓国に対する米国の核の傘(extended deterrence)を除き,北朝鮮の主導による南北統一を進めうると考えているからである。
 韓国との関係は,日韓関係と同様に,所詮米朝関係の従属変数と考えており,とりあえずは経済援助を引出すことを最大の目的としている。他方,韓国の方は歴代の大統領はいずれも大統領在任中の政治的,歴史的「業績」を示すために,南北首脳会談の開催など南北関係の目に見える進展をはかりたいとする傾向があり,北朝鮮はこれを巧みに利用するおそれがある。
 第三番目は,中国との関係である。国連の安保理の経済制裁や日米などの別途の制裁を受け,経済的に圧迫されている北朝鮮にとって,中国との関係は生存のために必要不可欠である。北朝鮮にとっての命綱である食料と石油は中国に依存しているし,北朝鮮への投資も圧倒的に中国からであるし,北朝鮮の対外貿易の6〜7割は中国とである。「中朝蜜月」であり,北朝鮮は表向きはそれを強調するものの,中国への過度の傾斜については北朝鮮内部で懸念の声がないわけではない。
 最後に(四番目に),日本との関係である。北朝鮮の対日外交のとりあえずの最大の狙いは,経済協力の獲得である。小泉総理の訪朝の際(2002年9月)の金正日国防委員長(註:北朝鮮では憲法上,国防委員会が国政の最高機関である)との間の平壌宣言からもわかるとおり,そのために北朝鮮は拉致を認めるという清水の舞台から飛び降りたのであった。しかし,これは全く裏目に出て,拉致問題は日朝国交正常化はいうに及ばず,日朝関係の最大のハードルになってしまった。日朝国交正常化交渉も中断されたまま,再開の目途は全くたっていない。北朝鮮は,前にも述べたとおり,日朝関係の進展は当分棚上げして,米朝関係の調整を第一とし,日朝関係はその後と考えているのではなかろうか。

日本は如何に対応すべきか
 それでは,このような北朝鮮に対し,国際社会特に日本は如何に対処すべきだろうか。以下に順不同だが,私見を述べてみたい。
 第一に,北朝鮮の対話姿勢は額面通り受けとることはできない。対話姿勢には具体的な行動が伴わなければならない。例えば,ウラン濃縮施設の凍結,廃棄,IAEA査察員の復帰,核実験の停止と実験場の閉鎖などがあげられよう。北朝鮮はこれまでも,例えば,非核化(1991年の12月の朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言),ミサイル発射のモラトリアム(2002年9月の日朝平壌宣言)を公言したにもかかわらず,諸々の理由をつけて守っていないことが少なくないので,具体的な行動が必要である。
 北朝鮮の強硬政策に対して,あるいは口先だけの柔軟政策に対しては,決して宥和政策をとるべきではなく,一貫した政策を維持すべきである。
 第二に日米韓の結束の維持,強化,そのための政策,行動の調整である。北朝鮮に対する脅威認識は,日米韓は必ずしも同じではない。例えば,日本全土がすでに北朝鮮の核・ミサイルの射程にほぼ完全に入っており,直接の脅威を感じている。これに対し,米国にとって最大の脅威は北朝鮮による核拡散,核セキュリティであろう。しかしながら,三国は小異はそれはそれとして,大同につくべきである。一国が相談なしに独自の行動をとろうとするべきではない。
 他方,北朝鮮のねらいは,日米韓の分断であるが,自らの武力挑発を契機として日米韓の連携が強化されつつあることに危機感を抱いているようである。
 第三に,日米韓が協調して,あるいは単独にでも北朝鮮にとっての命綱である中国への働きかけを続け,強化することである。中国は,自らの利害関係もあり,言を左右して容易に応じようとはしないだろうが,これは極めて大切かつ効果も期待されることなのでねばり強く働きかけてゆくべきである。
 第四に,以上述べたことは,決して日本が北朝鮮と一切接触を持つべからずということではない。内々の当局間接触などが必要なことは当然であるし,受動的に北朝鮮の出方を待っているのでは,おそらく日朝関係では事態は進まないだろう。むしろ日本がイニシアティブをとって,例えば原爆被爆者支援(現在北朝鮮に300人位いるといわれる),高齢化の進んでいる従軍慰安婦問題など純粋に人道援助を開始し,対話の糸口を作ることで,北朝鮮に拉致再調査を認めさせるといった能動的な動きも考えられるのではないか。これは先に述べた宥和政策とは関係がないし,切り離して考えるべきである。
 最後に,日本独自の情報収集能力の向上が必要である。最近の北朝鮮の外交政策(対外的スタンス)が従来のパターンを踏襲していることは事実であるが,そのことは国内的状況が変化していないことを自動的に意味するものではない。国内情勢と対外的スタンスは(完全にではないにせよ)相関関係にあるものであり,国内的文脈の変化を見落とすことが北朝鮮の外交政策を分析・予測する上での失策につながる可能性は否定できない。よって,「北朝鮮の動きに冷静に対処する」能力に加え,「北朝鮮の動きをより正確に判断する」能力,つまり情報収集・分析機能をさらに強化する必要性があろう。

(2011年4月記)