膨張する中国と日米同盟

慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授 谷口智彦


<梗概>

 東日本大震災で米国が展開した「トモダチ作戦」は日米同盟関係の意義を再確認する役割を果たしたが,日本が同盟関係をいかに深化させられるかは今後の日本の対応にかかっている。一方,ここ数年における中国の急激な膨張と米国の退潮という流れがはっきりする中で,米国のアジア戦略における日米同盟への期待が高まりつつあり,日本としても集団的自衛権行使の問題を始め,しっかりした防衛体制の整備に真剣に取り組むべき時を迎えている。東アジア地域の厳しい現実を直視し,リスク感覚を持った安全保障政策の定立が急務となっている。

東日本大震災における米軍の救助活動

 東日本大震災に際して米軍は,救助活動「トモダチ作戦」の一環として原子力空母ロナルド・レーガンを本州東沖に派遣してくれた。まず,この意味について考えてみたい。
 日米同盟を日米間の「契約」と考えれば,あらゆる契約と同様不断に(契約)更新をしていかなければならない。たとえば,寺に墓を永代供養してもらっていたとする。その場合でも普段から寺の住職と親密な信頼関係を維持していなければ,通り一遍以上の世話をしてくれるとは期待できないだろう。
 日米同盟関係について,日本側には「日本有事の場合に,本当に米軍が駆けつけてくれるのか」という疑念があったと思う。この点について言えば,今回の米軍の救助活動は,そういった疑いをきれいに晴らしてくれるものだった。友情構築のため,過去数十年で最大の材料になったと思う。すなわち,米国との間の「同盟」という名の契約に,もう一度「血肉」がついたという意義のある経験であった。
 実際,米軍は救助活動の最盛期には原子力空母を含む20数隻の艦船,および延べ3万になんなんしようかという兵員を動員した。戦争でない平時における動員としては空前の規模。これは米国人がある種「本能的に」日本を守りにかかったということを,力強く裏書したできごとであった。
 こうした米軍の行動に対して,日本はきちっとした感謝を表すべきであった。しかし,菅政権は謝意を表すべき優先順位がわからず,まず北京に特使を派遣する始末。中国の支援を有難がらないでよいという意味ではない。だが米国の対応・支援は他をはるかに絶する突出したものであっただけに,一層心のこもった謝意を表すべきであった。
 日本政府は支援各国に対し謝意を表すつもりで「絆」広告は出したが,最も現場で尽力した米軍に対する感謝の言葉は誰も口にしなかった。(北沢国防相はそれなりの謝意を述べたが,それは職務上の行為に過ぎないものだ)。
 そこで私は有志とともに民間次元で,米国ワシントンDCにある日刊紙Washington Timesの5月10日付紙面に「Arigato」というタイトルの全面意見広告を出した。その最後を「米兵が流す汗と涙に感謝する。あなた方は私たちの真の友人だ」と結んだ。
 今回の「トモダチ作戦」は,日米同盟が予定していた範囲をはるかに超えて,少なくない士卒が命令も待たず駆けつけた。「契約履行」という以上の,真の友情に基づく行いだった。かつて小泉総理はいみじくも「日本が有事の際に駆けつけてくれる国は米国しかない。だからイラクに派兵するのだ」と言った。この度の米国の行動は,条約の有無に関係なく,目前で倒れた人に対して駆けつける意思と力を米国が持っていることを,日本が国民レベルで深く知る契機になった。このことは,日米同盟(安保条約)の歴史の中で,特筆すべきことだったと言わざるを得ない。ここ数年の日米間において最もよいニュースであった。

日米同盟は本質的に進化したのか

 日米関係を「会社」に譬えてみると,今回の「トモダチ作戦」は現預金の増加,すなわち流動資産の増加をもたらしたが,自己資本の増資にはつながらなかったといえる。土台の強化はまだまだだ,むしろ課題を解決していない現状が浮き彫りになったということだ。
 冷戦時代,日米安保条約の抑止対象(目的)は,ソ連を中心とする共産主義陣営であった。しかし,ベルリンの壁崩壊(1989年)とソ連崩壊(1991年)を契機に,日米安保は目的のない同盟になってしまった。北朝鮮がその空隙を埋めてくれるかのようだが,誰もが北朝鮮など正面の対象にはならないとわかっている。本格的抑止の対象となる国がじき現れるだろうと考えてはいたが,それがはっきりせず,一種の目的喪失状態であったといえる。このような状態が,ソ連崩壊後から2000年ごろまで続いたといえるだろう。
 ところがここ数年間で,国際関係が大きく変化し,中国の力が急上昇する一方,米国の力があくまで相対的にはだが下降するという流れがはっきりしてきた。それによって,日米同盟に新しい光があてられることになった。中国の上がり方は,予測されていたペースをはるかに超えており,一方の米国の下がり方は,多くの予測に反してきわめて激しいものがある。米国を中心とする西側経済を襲った累積債務などが重くのしかかり,米国に経済的余裕がなくなり軍事的優位を次第に失っていくことがはっきりしたのである。
 オバマ大統領は11年4月に,ゲーツ国防長官の後任にパネッタCIA長官を起用した。彼は「コスト・カッター」とも呼ばれるほどコスト削減を得意とする人物である。これまで大きなビジョンを語ったことはなく,コスト削減に邁進してきた。彼の人事によって,今後国防総省の予算は伸びることはないだろう。軍産複合体など現場の事情もあるから,予算が簡単に減ることはないだろうが,増えることがないと見ておいたほうがよい。その結果,先端兵器体系の野心的で革新的プログラムは,棚上げになるだろう。現状は維持されるだろうが,たとえ今のまま留まるにせよ,相対的には米軍の力の低下につながる。
 米国一国が世界を制することのできた時代は,急速に遠ざかりつつある。米国といえども,中国に対する抑止力を維持しようとすれば,どこかの国と組まざるを得ない。そこで出てきた新たな対応策が,経済におけるTPPであり,米国の準同盟国を含む各国との同盟強化策である。これらは環太平洋地域を舞台にする。その中で日本の不在は「屋台骨がない」のに等しい。そこで日本に対する期待は一層高まっている。例えば,日米がTPPに入れば,日米のGDPは世界の3割を占めるので,中国のそれを凌駕することになる。
 軍事同盟からいうと,日本の持つ軍事力がない場合には,他の太平洋諸国の軍事力を寄せ集めても,装備の点でものの数にはならない。環太平洋諸国の中で日本以外に一流の潜水艦を配備する国は少なく,海軍も沿岸警備隊程度のものが大半だ。日本は米国に次いでイージス艦6隻を保有する他,ミサイル・ディフェンス能力,練度の高い陸海空軍をもつ。日本を抜きにしては,同盟を組む意味がないといってよい。
 ところが,日米関係における「増資」がなされていない。それに対する米国のいらだち,不満は全く消えていない。現在は地震・津波・原発の三重苦にあるために米国も批判を控えてはいるが,あと数カ月もすれば局面が大きく変化するだろう。「あれだけ援助したことは一体何だったのか。日本からの見返りは何かあったのか」と自問したときに,米国は何もないという現実を目の当たりにして,「いい加減にしてくれ」と言い出すかもしれない。いや,そういう貸し借り勘定などよりも,いつになったら日本は自らを取り巻く現状をリアルに自覚し,必要な「増資」策を打つのかとあきれ果てた目で日本を見るという,その可能性は極めて高い。株価でも国家間関係でも,上がったものは必ず下がる(失望する)。今回「トモダチ作戦」で上がるところまで上がっただけに,日本が何もしないでいると相当下がると見た方がいい。

日米関係の「自己資本」増強策

 それでは日本は何をすべきか。日本政府は,予算も何もないというが,たった一言を宣言するだけで,「自己資本」を強化する方法がある。それは集団的自衛権を認める政府答弁を行うことだ。これについてはいろいろな学説があるが,ある説によれば,総理大臣の談話すら不要で,外務大臣が衆議院本会議か特別委員会などの国会答弁で,「わが国は集団的自衛権を生得の権利としてもっていたが,これまではその行使を禁止してきた。しかし本日をもってその禁を解く」と述べるだけで済むという。
 日本政府が集団的自衛権の行使を宣言した瞬間,北京政府は何を考えるか。米軍との間で一触即発の有事が,台湾,東シナ海,南シナ海で起きた場合に,中国はその背後に日本の陸海空自衛隊のすべての兵力を計算に入れなければならなくなる。そうしないと中国軍の行動予測が立たなくなる。現況では「どのみち日本は有事になっても最後には何も軍事的行動を取ることができないから,米軍だけをじらせておけばいい」というシナリオが,中国人の中に5割以上の確率で存在している。しかし日本が集団的自衛権の行使を宣言すれば,中国はかなり軍の近代化を行ったといっても,下手に米軍を刺激すればその背後に日本の優秀な兵器や近代的装備があるので,日米両国の軍備を前にしては勝ち目がないと当然考えるだろう。こういう状況が生まれれば,中国は今後5〜10年間くらいは手を出せないことになる。
 いまこそ日本は,増資をしなければいけないときである。それは前述のように政策の転換を宣言するだけでできる。ある時期民主党の一部と自民党の間で,この点での認識の差が縮まっていた。2010年暮に出された新防衛大綱は,集団的自衛権の是認まであと一歩のところまで踏み込んだ記述になっている。ある意味では自民党時代よりも,いい線までいったとさえ言える。それを進めた民主党の議員グループは,自民党の保守派と考えを共有しており,彼らが日本の防衛政策を推進できれば,いい方向に行くのではないかと思っていた。
 しかし,東日本大震災の後,菅政権はTPPや普天間基地移設問題などあらゆる中長期的課題を先送りにし,目先の「政権延命策」にだけ奔走した。まして集団的自衛権など,取り上げる素振りすら見せない。貴重な機会,時間が失われたと思う。日本が大震災で立ちすくんでいる間にも,中国は軍備を着々と増強しており,ミャンマー,パキスタンの衛星国化を前進させるなど,世界は一刻たりとも歩みを止めていない。いまこそ長期的課題に果敢に取り組むべき好機だが,いったいそれを可能とする政権をわれわれはいつもてるのだろうか。暗澹たらざるを得ない。

中国軍の急激な近代化と米国の対応

 ここ半年ほどの間に,米国から重要なレポートがいくつか出されている。その一つは,ブッシュ政権時に国防総省・中国部長を務めたダン・ブルメンソール(Dan Blumenthal)という若手の政策マンが米シンクタンクNBRから出したレポートだ。米中の軍事力を公平に評価して米国が本当に絶対優位なのかを問うたもので,いろいろ考えさせる論点を含んでいた。
 第一に,米国はトータルの軍事力では中国に対して圧倒的な優位を持っているが,西太平洋地域だけを考えるとほぼ互角である。第二に,1991年の湾岸戦争以来,米軍の闘いは砂漠での戦い,テロやゲリラとの戦いなどほとんど陸上戦,非正規戦ばかりで,海上での正規戦は太平洋戦争以来行っていない。一方の中国は台湾併呑に焦点をあわせて作戦を組み訓練を展開してきた。言ってみれば,単一の目的に合目的的な中国と,汎用仕様の米国が戦った場合,勝てるかどうか自信がないというのだ。
さらに予測をはるかに超えるスピードで中国軍が近代化・強化されていることに,米軍事関係者は一様に驚いている。例えば,第5世代戦闘機のプロトタイプ(殲20,J20)が試験飛行をした。
 それ以上に米国を警戒させているのが,対艦弾道ミサイル(DF-21D)だ。中国本土から発射された同ミサイルは,一旦成層圏まであがりその後急角度で落下する。とらえるのは全速前進,時速40キロくらい出して走っている航空母艦で,その飛行甲板へ正確に落ち,突き破って格納庫へ達して爆発する。そういうスペックだというが,まさしくこの対艦弾道ミサイルが,実戦配備され始めたとの報道がこの春出た。
 もちろんこれは中国流のブラフ(はったり)かもしれない。しかし,軍関係者は最悪のケースを想定して対処するものだから,たとえブラフだとしても見過ごすことはできない情報なのである。
 横須賀を拠点とする原子力空母ジョージ・ワシントンは,もう台湾近海までおいそれとは行けなくなっているのではないかと私は見ている。実際,東シナ海から南シナ海にかけて米軍が行動する頻度は低下しているようだ。
 いわゆる不測の事態を恐れるからだ。2001年,4月1日のこと,嘉手納を飛び立ったEP-3哨戒機のプロペラに,突っ込んできた中国空軍戦闘機が接触,中国の機体は墜落,EP-3は海南島へ不時着するしかない事態が起きた。あのときはラムズフェルド国防長官が筋論を主張したのに対し,パウエル国務長官とライス安保担当補佐官が中国に頭を下げるべきだと一方的妥協を主張,ブッシュ大統領はその真ん中からややパウエル・ライス寄りのスタンスを示してまるく収めようとした。
 これが10年前。いまは,中国側はもっと果敢な挑発に出てくる可能性がある。その結果米側がなんらか攻撃を受け,それへのレスポンスをどこまで高めるべきか咄嗟に読めないという事態が大いにあり得る。やられたら倍返ししてやり返すことがいつでもできるなら簡単だが,事はそう単純ではない。ためらっているうち,米国は満座で恥をかかされるようなことにならないとも限らず,いずれにせよ極めてリスキーだ。だとするとうかつに近寄らないに如くはないと,そんな発想になりがちなのだと思う。実はそれこそ中国側の思うつぼで,好ましい展開ではないが,ここへきてDF-21Dは米軍をさらに太平洋側に押し留める効果を発揮するわけである。
 DF-21Dはグアムを含む第二列島線辺りまで到達できる射程距離がある。インド人の専門家などは,制御装置さえ完成すれば,もっと射程の長いミサイルにも載せられるはずだと指摘している。ともかく,ハワイから台湾方面に向かう米空母,機動部隊は,グアム付近まで来ると,下手をすると中国からミサイルが飛んできやしないかと脅威を感じるようになる。DF-21Dはgame changerと呼ばれているが,たしかに試合のありかたを一変させてしまいかねない武器なのである。
このような危機意識が米国側では高まっている。高まった分,日本や韓国,オーストラリアなど同盟国に対してしっかりしてほしいとの思いを抱き始めている。いまや米国一国が世界の海の波濤をコントロールできた時代は終わったと,明白に言うことができる。
 そこで米国は,ブルメンソール論文の結論にもあるが,インドと協力するしかないと考えている。それは日本に対する深い失望の裏返しでもある。インドが中国との間でやむことのないライバル関係を継続しており,インドが今後経済・軍事的に発展していくことを計算して,インド洋のインドと太平洋の米国が協力して,西太平洋からインド洋海域をしっかり防衛しようという考えである。
 言い換えれば,米国側に一種の自信喪失感が生まれていることはやはり指摘せざるを得ない。たとえカラ元気があったとしても,財政赤字の累積によって,ない袖はふれないというジレンマにある。そのような米国の事情を誰よりも心配し,必要な物資をもってしかるべき行動をとるべき立場にある日本が,そうはしてくれない。だからといって他の太平洋諸国に頼んでもたかがしれている。
 ディフェンス・プランナーは,兵器の開発から実戦配備までの時間軸を持って考えるので,少なくとも10〜20年のスパンで将来を見通すものだ。そのころには,もしかするとGDPでも中国が米国を追い抜くかもしれない。そうした全体状況を考慮すると,米国も悲観的にならざるを得ない。
 一方日本は,そのように米国が危機感を募らせているという現実を,マスコミも政治家もおしなべて,自分のこととして全然理解していない。政治家の中でこの事実を理解しているのはほんの僅かな人だけだ。この日本の状況についても,米国はよく知っている。

第一列島線内の中国支配は確実

 よく中国の意図はどこにあるのかという質問がなされるが,一般に軍事専門家は,「相手の意図を忖度することは無駄だ。相手の裸の力量で考えよ」という。相手が現実にどれだけの手駒を持っているのか,その手駒を実戦に使ったときどの程度の力があるかは考えても,相手の意図や計算についてはあれこれ思わない。意図を推し量るよりは力量をリアルに認識せよというこの尺度を当てると,現在の中国はかなりの脅威になっている。
 それでは中国の意図を全く忖度する必要はないのか。この問題は大きくは二段階に分けて考えるのが適切だと思う。先鋭的軍人やナショナリストなど極端な部類の人はどの社会にも存在するが,彼らの考え方がその社会のコンセンサスになることは,普通はない。左右の両極を取り外して,中国指導部の中間の6〜7割が考える「満足ライン」を実現させること,それが第一段階。第一段階で満足して膨張をやめるか,そこまで達したのだからさらに行くべしと強硬に出るかは,次の段階(第二段階)に入ってみなければわからない。そしていまはっきりいえることは,中国指導部の6〜7割が考える第一段階の「満足ライン」までは,必ず目指すだろうということだ。
 では,第一段階の到達地点はどこか。そのラインがまさに「第一列島線」である。それをどう考えるか,ここが日米の考え方に違いが生まれる分岐点となる。つまり,中国が第一段階の到達地点である「第一列島線」まで支配しようとすることの脅威を知覚する感度において,日米には差が生じ得るからだ。
 第一列島線まで中国の支配が及ぶと,日本のシー・レーンはその中にすっぽり入ってしまう。これは,日本にとっては脅威以外の何ものでもない。この段階まで来ると,台湾は自身の意思で振る舞える自由度をほぼ喪失し,中国の衛星国化してしまう。そうなれば日本はライフ・ラインを中国に握られたも同然になる。
 この場合,いかに日米同盟があり在日米軍が駐屯していると言っても,米海軍は中東やインド洋にはでかけられても第一列島線内深くへは入れないから,日本にとっては役立たずとなってしまう。そうなると日米同盟を破棄する意見,さらには中国との関係親密化を主張する人が出てきて,米国との関係を優先する人々との間で,国論が分裂する可能性がある。日米同盟は事前通告だけで解消可能なので,実際に解消されてしまうかもしれない。それこそは,中国が狙うシナリオだろうと思う。
 防ぐためには,日本は今からでも自国でできる対応策を講じておく必要がある。例えば,ある国会議員が雑誌で提言していたように,原潜を保有するというのも一案だろう。大気に依存しない機関を備えた潜水艦をいくら増やすにしても,長期水中作戦能力では原潜が一番だ。第一列島線内で中国軍が自由に航行できないようにするには,中国軍をどこで誰が監視しているか分からないという状態をつくることが重要だ。それには原潜配備が有効な抑止力となる。中国が第一列島線まで支配することを目指していることが明白な以上,それに対応した対抗策を今から立てておくことは,日本としてやるべき緊急な課題といえる。

米中関係の変遷

 ところで,搶ャ平が唱えた「韜光養晦」政策(注;才能を隠して時期を待つの意)がいつ放棄されたかについて,中国は公式的言明をしていない。私はその分岐点は2001年であったと考える。すなわちこの年,中国はWTOに加盟した。WTOは英米が中心になった西側先進国が主導する組織だが,そこに中国も「新入生」として入ったわけだ。しかし中国は,その中で頭を低くして,英米の言うことをいつまでも聞いているつもりはない。そこでそれに対抗する意味で始めたのが,同年に発足させた上海協力機構であった。つまり,英米中心のWTOの組織に入れてもらったが,上海協力機構を作って簡単には彼らの言うことを聞かないという構えを示した。その後,中国の国力が伸張するに応じて,さらに発言権が増すという傾向にある。
 一方,米政権の対中政策は一般に,政権発足当初は大衆受けを狙って強硬策をとるが,それが次第に軟化して「関与政策」(engagement policy)に変わる。ところがオバマ政権は,逆のパターンをたどった。オバマ政権発足当初は,中国と戦略的対話を呼びかけるなど関与政策をとった。経済・軍事面での交流を進める戦略的対話を通じて,中国をリベラル・インターナショナル・オーダーに組み込むことが可能だと考えた。
 ところが,09〜10年にかけて,中国が極端に強硬な姿勢を見せたために,米国は辟易した。その代表的出来事が,09年12月にコペンハーゲンで開催されたCOP15の会議であった。一介の役人に過ぎない中国の交渉者がオバマ大統領に向かって侮辱するような発言を行い,これでオバマ大統領は心証を害してしまった。そのほか,「南シナ海は中国の核心的利益(core interests)」と発言したことをめぐっての米中間の葛藤もあった。その後,中国も反省したようだが,一度受けた印象はそう簡単に変わらない。
 ただ,こうした流れにもサイクルがあって,ゆりもどし現象もある。米国内の親中勢力の一つが,米国財界,とくにGM,GEである。11年1月に胡錦濤が訪米した際に,GEが対中案件をいくつも成立させた。例えば,巨大な機関車をつくる技術や航空電子装置技術(avionics)の供与契約だ。とくに後者は航空機の制御技術で経験工学の集積であり,実質欧米にしかない。中国は喉から手が出るほど欲しいものだった。この技術が一旦中国に渡れば,中国の軍用機に応用されてしまうのは明らかであり,心配の種は尽きない。このような傾向が,米国の企業や財界には少なくない。
 米国内には,「アジア版NATO」の創設を主張するグループもある。その代表が,キッシンジャー,ブレジンスキー,スコウクロフトらの考え方だ。彼らに共通する発想は,ヨーロッパ主体(Euro-centric)の力の均衡論である。キッシンジャーはその学問的・職業的閲歴からしてどうしてもヨーロッパの文脈からしかものごとを見ることができず,アジア,日本のリアリティにさしたる考慮を払う意義を認めようとしない。欧州から発想するとそうなりがちで,同じ傾向はコンドリーザ・ライス元国務長官にもあった。
 彼らに言わせると,ヨーロッパは戦争や葛藤を経験しながら,軍事や経済など分野ごとに制度化(institutionalization)がなされたために,どこか一国が突出して全体の調和を壊すようなことはできなくなった。しかし,アジアはそうした制度化が全くなされていない。だからダメなんだと,ついそう考えたがる。早くそうした多国間の枠組みをつくり,中国もその中へ取り込んだらいいじゃないかと主張する。
 しかしこの論理には決定的に間違っている点がある。ヨーロッパ諸国は文化,宗教的伝統,国力,民主主義の政治制度など比較的均質な条件がそろっているので,一国が突出することはない。一方,アジア諸国にはそうした均質性がほとんどない。しかも現在のアジアは,定常状態ではなく,あらゆる意味で変化の相の渦中にある。そうした変化の相の中で制度化を進めることは難しい。ヨーロッパでもそうであったが,制度化が進むためにはその地域が定常状態になければならない。アジアは,これから数十年にわたって変化の相にあると思われる。もっと言えば,中国の突出こそが基調となる。そんな中で,下手にマルチの枠組みなどつくってしまおうものなら,北京に好都合なお膳立てをこしらえてやるのと同断なのに,彼らはそんなことすらわからない。
 現在のアジアには定常状態を破壊する存在があることを認識し,来るべき暴風雨に備えどう国の安全保障体制を整備するかが急務なのだ。
 一方,米国防総省などは米国の国益や尊厳に価値を置いて考える勢力であり,親中派(実利派)との間に確執がみられる。悪いシナリオによれば,国防総省など対中警戒派の勢力が,財政困難の中やせ細り,とかくするうち,実利派が,「どのみち中国に押されて放っておいても第一列島線まで中国軍が出てくるのだから・・・」と言い出すのに抗しきれないという,そんな流れもあり得る。そうなったとき,これを日本一国の力で食い止めることは難しいだろう。
 ただし,中国は世界貿易体制のシステムの中に留まらない限り,生きていけない国だ。四方に伸びた海の道,洋上交通路に依存しないでは,片時も生きていけない。その脆弱性があるからこそ,日本,米国,インド,オーストラリアなどが海洋民主主義のリーグを組み対抗する場合,中国の力を掣肘していくことは可能だといえる。

リスク感覚に鋭敏な「小国モデル」

 このような国際環境の中で日本は,もう一度「小国モデル」に戻った方がいいのではないか。世界は危険に満ちており,今後何が起きるか分からない。安心せず気を引き締めてかからなければならない。そのためには,シンガポールのように,いろいろなところに保険をかけて二重三重に準備していくという「リスク感覚」を持てという意味である。
 80年代末から90年代にかけて(とくにベルリンの壁崩壊のころ),日本は世界秩序をつくることができると錯覚した時期があった。経済力,金融力,通貨力などで米国と対等な立場にあると思い上がり,世界秩序をつくることが可能だと考えたのである。いまや日本は,変に空威張りなどしない方がいい。これからは脳漿を絞り,あれやこれやリスクを想定して考えていかないと,生きていけない国であることを自覚すべきだ。まずは米国とのつながりをより強く,太くしていくことが,基本路線である。すべてはそこから始まることをつかまえそこねると,リアルな現実認識さえできず,日本の行く末を漂流に導いてしまうだろう。

(2011年5月10日)