海洋国家日本の安全保障戦略

東洋大学教授 西川吉光


<梗概>

 昨今の日本を巡る国際情勢は緊張が高まっているが,日本の安保意識はいまだに世界の常識のレベルに達してない。その背景には,とくに戦後70年を通じて日本人の気概がそがれ,内向きの閉鎖性が強まり,目標喪失状態にあることが指摘できる。しかし潜在的な力がある国民性なので,将来に向けたしっかりしたビジョンや目標が設定できれば更なる発展も期待できる。そこで海洋国家日本の特質を活かしつつ,自立性をもった独立国家としての矜持をもてるような日本にむけた安全保障政策を提言する。

1.日本国家・国民・民族レベルの問題点

 世の中には多くの政策提言や日本の将来ビジョンが出されているが,いくら立派な内容であってもそれが実現できなくては意味がない。日本でそれが果たして実現可能なのかについては,私自身少々悲観的な思いを抱いている。そこで後に述べる政策内容が実現できるための前提条件について,まず述べておきたい。

国民性・国民意識のありかた

@自主性の欠如
 2010年12月14日,米国フロリダ州パナマシティの教育委員会で,その会合中に拳銃を持った男が侵入し委員らに向けて発砲した後,自殺するという事件があった。その事件の途中,女性が犯人から銃を奪おうと果敢にもカバンを振り上げながら立ち向かう場面が,米国CNNのテレビで放映されたのを見たことがあった。この場面を見ながら,米国人気質を感じた。米国の開拓史からも分かるように,米国人は自分の命は自分で守るという気概があったが,それが今でも生きている証であろう。
 ところが日本人はどうかというと,戦後の占領政策と日本人自身の無責任さも手伝って,自分のことは自分でやるという気骨がなくなってしまった。戦後直後の戦史を読んでも,戦前のような覇気や気概を感じることができないし,日本人の顔も戦前と戦後では全く変わってしまった。
 一方,北朝鮮は極めて厳しい経済状態で多くの国民が飢えに苦しむような中にあっても,世界の大国米国と渡り合いながら交渉を行なっている。経済力で言えば,日本は北朝鮮の何倍もあるのに,北朝鮮ほどの外交もできない国になっている。これは占領政策云々という以上に,日本人自身の問題であると言いたい。自分のことは自分でしっかりやるという気概がなくては,日本の再生はあり得ないと思う。もちろん足らない部分は,他の国の協力を得る,利用するという考え方が大切であるが,大国だからと相手の国に「あわせる」ことにのみ目が行き,いつしか「合わせる」ことが外交の目的になってしまっている。外交の目的は言うまでもなく,自国の目指す国益の実現であって,他国との友好関係や円滑な同盟関係の維持それ自体が外交に携わる者の究極のゴールではない。この当たり前の事柄が,戦後,良好な日米関係の維持に腐心するあまり,履き違えられるようになってしまったことは誠に残念である。

A自覚なき閉鎖性
 日本の国も日本人も,どんどん内向きになっている。特に若い人の内向化は顕著で, 大学生などと話をしても,彼らは外国のことについて関心を示さない。彼らは,就職や日本経済が厳しいことは知っていても,現状にある程度満足しており,いまさら外国に行って見聞を広めたいという意識に乏しい。日本も外国もさして変わりないと一方的に思い込み,外国を知らずして,外国を勝手に値踏みして,日本が世界の国々に優位していると信じている。海外に対する好奇心が極めて乏しいことは,閉鎖社会をさらに助長加速させている。
 日本の歴史を振り返っても,過去,幾度か日本人や日本社会は内向き傾向に陥ってきた。奈良時代から平安時代,江戸時代,昭和の戦前期も,そして冷戦後の平成日本も,物流や経済依存の度合いはともかく,精神的にはまさに内向きの時代に入っている。鎖国時代といわれた江戸時代でさえも,当時の日本には長崎,琉球,松前藩,対馬藩など海外に通じる窓口が四つもあった。ところが現在は,国際化が叫ばれながら,日本を代表する海外への窓口はとみると,他国のハブ空港と比べてあまりにも貧弱な成田空港の姿であり,乗り入れするエアラインも少なく閑古鳥が鳴いている関空の様が目に映る。これは現在の日本の閉鎖性,鎖国性をまざまざと象徴していると思う。
 私が子どものころのテレビ番組といえば米国ドラマの吹き替えが多かったが,今の若い人たちは韓流ドラマだけは見ても,異文化である米国やヨーロッパのドラマや映画には関心を示さない。
 日本の歴史は周期があって,外からの刺激があると外に開かれるが,ある程度発展してうまくいくようになると丸く内に固まり,閉鎖的なミクロコスモスに収まってしまう傾向が強い。高度成長を終えた今の日本がまさにその状況にある。そうであればなおさら,意図的に外に目を向けさせるような教育,取り組みが必要だろう。例えば,外国語教育を強化することなどだ。

B蔓延る草食性
 最近の男子は,まったく覇気が感じられない。戦前の日本人の写真や映像,あるいは予科練,少年航空兵等のりりしい姿等を見ると,何か締りがなくだらっとした今の日本人の姿は,これが同じ民族なのかと疑いたくなるほどだ。目の輝きや緊張感,引き締まった顔立ちの日本人を目にすることは日々少なくなりつつある。今の若者は,何の目標もないまま,なんとなく学校に通う。牙が完全に抜かれてしまい,「草食性男子」といわれるが,私はむしろ「軟体動物」だと思う。サイやカバのような重量感や迫力さえも感じられないからだ。このような国民性では,日本の将来に希望がもてない。

(2)政治力・民族指導力
 戦後の日本では,エリートを育てるという感覚がなくなってしまった。本来は違うのにみな能力は同じだから,同じように扱われるべきだという悪しき平等観念に凝り固まってしまった。これでは皆で沈んでいくだけだ。国を救うためには,優秀なエリートを育てられるような制度が必要である。
 その中でも重要なのが,政治的エリートである。かつては優秀な官僚が政治家となり国を指導したが,自民党の肥大化官僚化が進み,トップに上り詰めるまでの時間があまりに長くなりすぎてしまった。政治の仕事に身を捧げる,国をリードする人材を育てるシステムがないので,その確立が急務である。政治家ばかりでなく,これまで日本を引っぱってきた官僚の育成も厳しくなりつつある。優秀な人材がいても,国会議員や中央官庁をパスして,高額報酬が期待できる外資系企業や国際弁護士,あるいは多くの権限を独占行使できる地方自治体の首長を目指したりする。官僚たたきが蔓延し,かつて優秀さを誇った日本の官僚機構も危機的状況に陥りつつある。人のために仕事をしようとする気概に燃えた青年が輩出されない国に将来はない。
 国の命運を左右する重要な政策決定に携わる政治家の場合,とくに危機に強い人材が必要とされる。知識教育によって定式化された問題を解くのが得意な人材は,官僚ではよくとも,政治家としては不十分だ。修羅場を経てもへこたれず,動乱する事態にも浮つかず,物事に動じない腹が据わった人材をどのようにして育てていくかという問題である。極端なことを言えば,いつでも死ぬ覚悟がある人材,到達した死生観を持っている人物,あるいは我欲にまみれていない人物が求められているのだ。明治の指導者と昭和の指導者の最大の違いは,まさにこのような点にあったのではないか。学校の勉強で学ぶ知識だけではだめで,現場に行って肌で体験した太っ腹の人間である。今日のような国家の大方向転換をやるときには,そのような人材が不可欠である。

(3)将来に向けた国家ビジョンの作成と提示
 日本人は,ある面で方向さえ示せば(その良し悪しはあるが)一気に走ることができる民族性を持つ。いま日本人に自信を与えなければならない。
 現在の多くの日本人は先行きに対する不安が大きく,それゆえお金を持っている人も使うことができない。それは将来に希望をもてるようなビジョンを与えていないからだ。そうなると内向きにこもってしまう。将来の明るいビジョンを国民に示すことができれば,日本人はやる気を起こして団結,凝集力を発揮して進むことが可能だ。
 それではなぜ,ビジョンを示すことができないのか。これまで日本は,海外のよい先例,経験を引き写してうまく日本に当てはめながら発展の道を歩んできた。過去の歴史の中に,今の日本が置かれているような状況から立ち上がった国があれば,それに倣っていくことも一つの道であろう。
 日本は周辺を海に囲まれた国なので,他国との付き合い(交易)を基盤として国を発展させていく以外に生きる道はないと思う。ゆえに,質の高い海洋国家,交易国家,開放性のある社会としてのビジョンを打ち出していくことが重要だ。
 「質の高い」とは何か。それは自分の民族に対する自信,人に何でも頼ろうとしない自立性,民族の矜持を意味する。ただ仲良く交易をすればいいという発想ではいけない。何かことがあれば,自分の力で自分の交易体制を守護するという気概,誇りを持つ。そして足らない部分については,優秀な血を外から入れる。優秀な血であれば,国籍を問う必要はない。必要とあらば,海外から外国人を教師に招き入れるべきであろうし,向学に燃える日本人は,日本人から口伝えに外国の研究内容を学ぶのではなく,自ら海外に雄飛して,海外の師の門をたたくべきである。
 次に,前述した指摘が改善された日本が誕生したときに,目指すべき安全保障のビジョンを次節以下に示したい。

2.日本の安全保障政策

(1)専守防衛思想からの決別
 日本のような狭い国土で,陸上に攻め込まれてから反撃するというのは,常識ではないと思う。自分の国が置かれた環境条件をうまく使って国を守るという発想は,あたり前ではないか。専守防衛という考え方を止め,「利益線で守る」という考え方に転換する。
 攻め込まれてから防衛する,領土の上で国を守るという考えでは,有効な国防体制は築けない。実際の戦いでは手遅れになってしまう。国土が戦場になることの悲惨さは沖縄戦で経験したはずだ。あの陸軍ですら,本土上での決戦には内心躊躇したのである。国土で守るのではなく,なるべく国土から離れたところで守る体制にすることは軍事の常識だ。日本は幸いなことに島国なので,国境線を越えても侵略にならない。公海部分は侵略にならないという島国の持つ特性を十分に生かすべきである。主権線での国防ではなく,利益線での国防体制に転換しなければならない。これを表現すれば,「戦略的守勢,戦術的攻勢主義」となる。

(2)似非平和主義的憲法解釈からの決別
 「平和憲法」「専守防衛」などの特徴を持つ現行憲法についてよく「日本だけは違う」と言う人がいるが,それはある意味で「言葉遊び」「観念論」「うぬぼれ」ではないかと思う。 私の考える「平和国家」は,自分の力でなるべく平和を作り出せる国,平和を作り出そうとする国である。すべてを他国に頼り,「平和」をお経のように唱えていれば平和が実現する,というものではない。
 そこで現実を直視し,集団的自衛権行使を容認するべく,政府の解釈を変更するか,憲法9条の見直しが必要である。自衛のための軍事力行使に制約を与えぬような規定にすべきだし,同9条2項(「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない」)は廃止すべきであろう。
 日本は敗戦後独立してから既に70年近くが経過したのに,憲法の条項について何もしてこなかった。米占領軍が現憲法を押し付けたかもしれないが,本当であれば日本が独立を回復した後でもそれを改めなかったことを考えると,それは日本人自身の責任と言わざるを得ない。
 また核の問題については,非核三原則を見直し,核の持込を認めるようにする。武器輸出三原則,保有戦力の見直しなど,自己拘束を強いてきた不条理な国是,および国会答弁を見直すことが必要だ。
 日本の観念的性向を示す例として,核に対する態度がある。「日本は唯一の被爆国だ」とよく言うが,それならば核廃絶に向けて世界の国と比べてももっと核,放射能や原子力に関する知識があってしかるべきだろう。しかし,現実的には,ドイツやフランス,米国の情報で核問題に対処している。国民も核や放射能の具体的知識に関してほとんど無知に近い。被爆国家,平和国家と念仏を唱えているだけのように思われて仕方ない。今回の東日本大地震による福島原発事故で,日本の核・放射能に対する無知が白日の下にさらけ出されたといえる。
 このような日本の観念的かつ無責任的平和主義の蒙論をなくす意味でも,「常識の回復,中庸の重要性」ということを言いたい。
 この点で英国の国防政策は,極端に偏らない中庸をいくものだ。社会的常識の上に立った現実的防衛政策を遂行している。同じ島国の防衛政策を比べると,日本は他力本願であるとともに,あまりにも観念的で,理想的,非現実的だ。つまり,国際政治における世界の常識や,一見凡庸に見えても中庸であることの重要性というものを正しく認識し,そうした思考を安全保障や国家戦略を考える際の前提に据える必要がある。

(3)日米同盟関係の緊密・活性化
 日米関係を考えるときに重要なことは,米国とただ仲良くすればよいとするのではなく,米国の力を日本の防衛にうまく活用して取り込むことである。そのための前提として,米国人たちと同じ理念(自由民主主義,人権の価値など)を共有することが大切である。それに加えて,そうした理念について若い世代に教育することである。今の若い人たちをはじめ多くの国民の中で,米国と日本が同じ理念の下で動いていると考えている人はそう多くないと思う。そうした理念の共有のない国どうしの間に,健全な同盟関係は育たないものである。例えば,北朝鮮からの脱北者や中国内の人権弾圧を考えるグループは,まず欧米政府や関連団体に相談する。もし日本がそのような理念を重要視しているのであれば,アジアの人たちはまず東京にきて協力を請うはずだ。しかし実際はそうなっていない。周辺のアジア諸国での民主化や人権侵害に対して,この国は全く無反応であり,苦しんでいる周辺諸国の人達のために立ちあがろうともしない。アジアの民主,人権支援の拠点となろうとする意欲もない国が民主大国といえるのか。ODAや技術支援だけが国際協力だと思い込んでいる。国際協力を教える大学が増えているが,すべて技術・環境・経済支援オンリーだ。人権やPKOなどの平和協力や政治協力が完全に抜け落ちている。特異な国と言わざるを得ない。
 メディアの姿勢も日本の閉鎖性を助長している。海外で事故や災害があると日本のメディアは,必ず日本人の被害者・犠牲者の報道を先立たせる。2011年2月に発生したニュージーランド・カンタベリー地震の時,犠牲者の中にアジア系として中国や韓国の人がいたことを私は海外のメディアを通して初めて知った。しかし日本のメディアは,そうした事実をほとんど報道しない。事故や災害の第一報を報道しても,その被災者の中に日本人がいないとなると,その後の報道はなくなってしまう。大リーグの試合そのものを報じるよりも,日本人選手の活躍を優先する姿勢等等,このように日本のメディアも,非常に視野が狭いといわざるを得ない。
 対中政策は,「遠交近攻」という戦略の基本原理で進める。そして,彼我の国力格差をわきまえ,日中という二国間だけの枠組みで考えずに,多国間の枠組みで考え,対処していかねばならない。
 日本は,かつて太平洋戦争のときに「鬼畜米英」と叫んでいながら,戦後は掌を返したように親米に変わってしまった経験がある。それと同様に,中国に対して警戒心を持っていた人も,経済(商売,仕事)のためならある程度日本の主権が制限されても中国と仲良くすることの方がいいのではないかとの声が,日本国民の中から出てくるのではないかと危惧している。米中等距離外交を主張した元首相のように,自由民主主義という理念の共有もなく,「遠交近攻」の感覚もないと,そういうことは十分起こり得る。
 こうした危惧を防ぐためには,日米関係の緊密化が重要であり,米国の力を取り込むことの方が日本にとっていい結果をもたらすことを啓蒙する必要がある。

3.国防政策

(1)海空重視へ
 敵が国土に上陸してから戦いを展開するのでは遅い。また,少数戦力での短期奇襲的な限定占拠事態への対応に怠りがあってはならない。核時代の今日,ひとたび既成事実化された事態を,軍事力,ましてや外交交渉で原状に復帰させることは不可能に近いからだ。よって,敵がどんどん攻め進み,首都まで進撃してくるという前提で,阻止遅滞,持久による長期戦を当然の前提とする「双六型・野戦型」の防衛戦略は改める。その代わり,海洋を利用して「面」で日本の安全保障を確保すべきである。そのためには,防衛予算に限りがある以上,三軍(陸・海・空)均等割予算をやめて,海軍力に優先的配分を行なう。つまり,海軍中心の国防整備を進めることが肝要で,洋上防空能力の向上を図るため空軍戦力の増強も必要になる。さらに陸上戦力削減分を利用して,離島防衛や海外に展開可能な戦力,投射戦力として,日本版「海兵隊」を創設する。

(2)対米依存型戦略の是正
@ミサイル防衛
 さまざまな見解があるかと思うが,私はミサイル防衛(MD)システムは機能しないと考えている。MDがあるから大丈夫だと安易に考えて戦術を組んでいると,どこかに抜けが出てしまう。それよりは報復的抑止力としての巡航ミサイルが有効であるから,そちらに力を注ぐ。

Aプレゼンス強化
 国土外(公海)に展開することを考えると,海上自衛隊を中心とするプレゼンス,パワー・プロジェクション(投射能力)が重要だ。とくに最近の中国軍は第一列島線から第二列島線まで出てきているので,それを防ぐためにも,海上自衛隊がプレゼンスを示すべきだろう。

B全基地の日米共同使用化
 対米依存から日米戦力が相乗的効果を発揮できるようにする。それには日本国内の基地を米軍と自衛隊とに分ける必要はない。米軍の力を利用するためにも,すべての基地を共有とする方が効果的だ。

(3)非物理的戦力の強化
@実戦的指揮系統の構築
 現在の防衛省における指揮系統は,平時型行政組織となっており,果たしてこれで有事,実戦で戦えるかどうか大いに疑問である。今まで部隊レベルの共同訓練はかなり大規模なものも実施してきたが,日本の国防,安全保障システム全体の機能を検証したことは過去に一度もない。平時における実戦的状況ともいえる,自衛隊機の事故事案を幾度か担当したが,マニュアルはほとんど役に立たず,その場の臨機応変な対応が求められた。そのような教訓も踏まえ,危機管理のための本格的な対処要領を定めておかないと,本当の実戦状況が出現した際にはどうしようもなくなるであろう。有事の際,どれだけ防衛省内局と各幕(陸海空幕僚監部)が円滑かつ効率的に連携・機能できるのか極めて心配だ。両者の連携・統合のない状態での実戦展開では到底敵に対応できない。また,有事になってから指揮統合された部隊を編成するのは時間がかかり,即応性の面でも問題だ。そこで,統合部隊の編成を前提とした3自衛隊や各幕僚幹部が参加する演習,あるいは防衛本省や付属機関,他省庁の一部等も含めての指揮所,実働演習を定期的に実施すべきである。こうした取り組みは,有事の際の国民保護にも有効となるであろう。

A戦力としての「情報」力
 情報について言えば,生の戦争を見学する意味で戦争の現場に武官を派遣すべきだ。防衛研究所の戦史研究は,太平洋戦争など昔の戦争を対象とするものがほとんどだ。この姿勢を改め,現在リアル・タイムで起きている世界の革命や暴動などを研究対象とすることで,実践的な研究成果を得るようにすることが大切だ。

Bサイバー攻撃
 サイバー攻撃については,サイバー防御能力の向上と共に,一歩進んでサイバー攻撃能力も保持する。

C自衛隊施設の抗堪化
 地下化・抗堪化や自力防御能力を強化し,奇襲攻撃やゲリラ的侵攻事態にも対処できる基地整備に努める。脆弱な通信回線・施設の抗堪化やバックアップ機能,代替化機能の付与を進める。あまりに形骸化している基地周辺警備のあり方も,再検討すべきである。

D人材
 人に関しては,人を殺せる兵士の育成である。海外からでもよい人材であれば,国籍を越えて人材を登用して訓練させる。日本にないノウハウなどは,海外から翻訳して日本人が教育するような冗長な教育をやめ,直接外国人を招聘して実践教育する。

4.新海軍戦略

(1)空母部隊の建設
 私はかつて防衛庁に入庁したときから,巡航空母構想を持っていた。最近では,空母保有に関して,対艦ミサイルの脆弱性や費用の問題を理由にその保有に否定的な意見が多い。しかし,私は(中国の西太平洋への進出を牽制する)プレゼンスを確保するという意味で空母保持を主張している。具体的な軍事戦闘行為での勝利を考えると言うよりは,政治的効果を考えてのことである。また多目的空母があれば,災害,緊急援助,強襲能力確保などにも役立つ。日の丸空母は,「日本周辺海域は我々日本人自身の手で守りぬく」という国民的コンセンサスの象徴となりうるものである。

(2)対水上・対空打撃戦力の保持・強化
 これまでの対潜,対機雷戦能力に特化させた海上防衛力整備の方針を見直し,水上,対空打撃力を獲得し,よりバランスと均衡のとれた海軍力の整備に努めるべきである。

(3)強襲能力の保持:海兵隊の創設
 離島防衛や国際平和協力のみならず,国内外の災害救助活動を効果的に実施するためにも,新たに海兵隊を創設すべきである。また兵員の海外展開,投入を円滑に実施できるよう強襲能力艦艇の保有も検討すべきである。

(4)南西方面・沖縄の海自基地化推進
 呉地方隊等を整理し,南西諸島や沖縄周辺での海上自衛隊の艦艇・航空機部隊の活動を長期常在化させられるよう,この方面での基地建設を推進する。その際,米軍との共同使用を原則とする。

(5)東アジア海洋同盟の構築
 第一列島線を死守し,シーレーンを確保し続けるためにも,アセアン諸国との海軍相互の連携を図る。共同訓練の恒常化や人的交流の活発化,共同デポの建設も視野に入れる。

(6)海外提携港の保有:南太平洋諸国との連携強化
 第二列島線を守るためには,かつて日本が支配した南洋諸島との関係強化が重要だ。例えば,海上自衛隊は,提携港を国内に限定されているが,海外に持てるように改める。ミクロネシアやパラオなどにも常時海上自衛隊が展開できるようにする。その目的は,途上国の災害支援,国際的緊急支援としながら,海上自衛隊が展開することによって,西太平洋地域でのプレゼンスを確保するのである。海上自衛隊の基地を海外提携港化して,逆に海上自衛隊も常時東南アジアや南太平洋に出ていけるようにする。

(7)海上保安庁の戦略的活用
 海上保安庁と海上自衛隊とは相性が悪いが,長い海岸線や広大な経済水域を海上自衛隊だけで守りとおせるものではない。私は海上保安庁を沿岸警備隊(coast guard)としつつ,沿岸防備等一部国防の任務も含めて活用すべきと考える。現在,海上自衛隊の地方隊が行なっている業務の多くは海上保安庁でも代替可能ではないかと思う。沿岸警備は海上保安庁にも任務分担してもらい,海上自衛隊は中国海軍の第一・第二列島線での跳梁を阻止すべく,ブルー・オーシャン・ネイビーとして外洋で活動してもらいたいと考える。

(8)海軍戦力の使命再定義
 日本に必須の権益を面として守る。それに対して日本の存在感を示す。海軍力は柔軟性があるので,国際政治で日本が海外で影響力を行使する手段(PKO,緊急援助,国際救難など)となり得る。こうした貢献をすることによって,侵略や膨張という海外の懸念を払拭することも可能だろう。そうすれば新海軍は,海洋国家日本の象徴的機能を発揮することになる。

(9)総合的海洋政策の推進
 最近は,日本国籍の船舶がなくなりつつあるほか,そもそも漁船や商船に乗る日本人が減っている。これに対しては,国民的レベルで日本人が海に対する親和性を高めること,日本人の乗組員をつくる,海外に出て行くなど,国民性を変えていく努力が大切だ。いくら海軍や軍隊を強化しても,絵に描いた餅になってしまう。ゆえに国家の海洋力向上が不可欠である。

(2011年5月25日)