現代社会における仏教信仰の意義

駒澤大学名誉教授 皆川廣義

<要旨>

 現代日本における仏教の存在感は,非常に小さくなっているが,それはその信仰の本質についての理解が乏しいことに起因すると思われる。2011年に亡くなったアップル社創始者のスティーブ・ジョブズの仏教者としての生き方は,世界宗教としての仏教信仰の証であった。現代社会を見ると,人間の自我の暴走ともいえる現象が多い。それを鎮めていくには,お釈迦様が説かれた内容をもう一度,信仰の次元で再認識することである。即ち,お釈迦様を信仰するサンガの力を借りながら,菩提行と涅槃行を行じ,自己の三世十方の生命なることを悟り,安心をつくり出す必要がある。

1.釈尊の生涯と悟り

(1)最初の悟り
 仏教はお釈迦様によって始められた宗教であるので,お釈迦様の悟りの内容を中心にその生涯をまず振り返るところから始めたい。
 お釈迦様は今から約2500年前のインドに生まれた。当時のインドは小国分立時代で,統一に向う過渡期であった。戦争もなく比較的平和で豊かな時代であり,お釈迦様自身は強健な身体と深い智慧をもっていた。階級社会インドにあって釈迦国皇太子であったお釈迦様の家はモラルが高く,奴隷や寄食者たちに対しても同じ食事を提供するなど,人間存在を平等に見る環境があった。ただお釈迦様が誕生して1週間後に母親マーヤが亡くなったために叔母に育てられた。十代後半には母親の国(隣国コーリヤ)から妻を迎え,男児も生まれて物心両面に恵まれた幸せな生活を営んでいた。
 20代後半になってお釈迦様は,第一の悟りともいうべき内的変化を経験した。それは,身近にいた老人や病気に苦しむ人,死の恐怖におののきながら亡くなっていく人の苦しみを見ながら,人々の苦しみに対する自分の認識の誤りを悟ったのである。もちろん苦しむ人に対する思いやりの心は持っていたのだが,単なる三人称的な視点でしか見ていなかった。せいぜい親族に対する二人称的な共感を持っていた程度であった。ところが,このときに人々の苦しみを自分自身の苦しみ(一人称的理解)として受け取った。つまり,彼らの死や苦しみはやがて自分にも訪れてくるであろう老病死苦の予兆であると受け止めたのであった。
 別の言葉でいえば,彼らの苦しみを最初の「如来」として受け取ったのである。「如来」とは,真実(真如)が自分に訪れてきて(来)自分に知らせることを意味する言葉だが,自分にもそのような一大事があるという悟りを得たのである。この悟りを通してお釈迦様は,自分が見えなかった未来に光が与えられた。

(2)第二の悟り
 第一の悟りを境に,お釈迦様は自分自身の生死,とくに死に関する深い省察を始めた。自分は何のために生まれ,生き,そして病に苦しみ,老いて,最期には死して無化されていくのはなぜか。また一生懸命生きようとしている自分が,一方で自ら老いをつくり,病をつくり,自分自身を壊して死を作り出しているという現実に気がついた。さらにそのような人生の意味は何なのかと問いかけた。死がもたらす無慈悲や苦悩を乗り越えて安心を得ることはできるのか,などの課題を抱えて修行を始めたのである。
 当時のすぐれた宗教者,バラモンに教えを求めて訊ねて行ったが,結局はそこからは満足する回答を得ることができなかった。そのころシュラマナ(沙門)という宗教者のグループが生まれつつあった。彼らは樹下石上に座して,三つの着物と一つの鉢しか持たず,行乞によって生きていくという,人間としては最下端の生活をする行者であった。お釈迦様はその中に自分と同じ課題をテーマとして求道している人がいることを知り沙門に入った。
 そこでお釈迦様は,皇太子の地位を捨てて夜中に妻子を置いてヒマラヤ山麓の王宮を出て,南東方面に1000キロほどのところにあったマガダ国の山の都に行った。当時,マガダ国王ビンビサーラは国を豊かにするためにインド中から優れた文化人を集め,自由な雰囲気の中で創造的なことができるよう奨励していた。そのため優れた宗教者たちがたくさんマガダ国に集まってきており,宗教の学び,実践が広く行なわれていた。
 お釈迦様の最初の求道は,坐禅を通した思索であった。最初はアーラーラ・カーラーマという禅定者に師事し,「無所有処」という悟りを得たといわれる。しかしそれでは問題の解決は得られず,次に当時のインドで最も優れたとされていたウッダカ・ラーマプッタという禅定者につき,「非想非非想処」という悟りを得たが,お釈迦様が抱えていた内的課題は未解決のままであった。
 ただこの二人の師を通じての修行の中で,迷いと苦悩の原因が「無明」(明晰性の欠落)と煩悩(自己中心的心)にあることが明らかになった。そこで無明を解決するために坐禅を続け,煩悩を断つために断食の苦行を行なうことになる。
お釈迦様は,マガダ国から西南方面に700キロほど行ったところのウルヴェーラ(現ブッダガヤ近郊)の苦行道場に行き修行を始めた。沙門という生活に加えて,断食,止息という壮絶で極端な苦行も行じた。ガンダーラ仏の「釈尊苦行像」がそれを写実的に表しているように,これ以上苦行を徹底すると死んでしまうような,ぎりぎりの苦行であった。しかし,こうした苦行によっても解脱と安心は得られなかった。
お釈迦様が苦行をあきらめかけるような限界状況にあったときに,農夫の作業歌が聞こえてきた。その歌詞は「琴の名人は,弦を強く張って切ってしまうような愚かなことはせず,また緩く張って濁ったような音を出すこともしない。ほどほどに張って妙なる音を出す」という内容であった。その歌を聞く中で,苦楽を離れた「中道」をお釈迦様は悟られた。つまり,生きている間には煩悩は滅尽できないということ,煩悩はあり過ぎると迷いや苦悩を生み,全部なくしては人間は生きてゆけないということ,両極端を離れた中道にこそ自分の解脱への道があることに気づいた。

(3)三世十方(さんぜじっぽう)の生命の自覚
その後,お釈迦様は苦行道場を出て,ネーランジャラー河で沐浴し,スジャータ村で乳粥の供養を受けて静養する中で,次第に心身を回復していった。その過程でお釈迦様は,断食中の朦朧とした状態から次第に満ち溢れていくような生命力を実感され,「すべてを作っているのは生命なんだ」「真実の自分は生命なる存在なのだ」ということを悟られたのである。
それまでお釈迦様は,自我のレベルで人生の目的や死の恐怖からの解脱を得ようと苦悩していたが,その自我の下に生命なるものがあることを,体中に生命力が満ち溢れるような状態の中で悟ったのである。その生命は,生命が誕生してから自分に至るまで途絶えることなく生き続けてきた不死なるものであるとともに,自分から子孫に再生して永遠に再生し続けてゆこうとしている。これが「三世(さんぜ─前世,現世,来世)の生命」なのである。
 これを空間的に見ると,自分をつくっている生命は,全人類をつくり,全生物をもつくっている。これを仏教ではすべてを「十方(じっぽう)」というが,「十方の生命」であるとお釈迦様は悟られた。
 こういった「三世十方の生命」に圧倒されるような思いで,お釈迦様はネーランジャラー河の西に沈む太陽を見ながら,その菩提樹下で成道の儀式をされた。菩提樹下の坐禅は,12月1日の朝にはじめ,8日の明けの明星を見る中で成道をされたのである。
 その悟りは次のようなものであったと考えられる。「人間は生物であり,生物は生命の乗り物である」「生命が自分の當体である」という悟りを得,この三世十方の生命の実相のなかに,出家のときの課題,即ち,何のために生まれ,生き,死ぬのか,人生の目的を発見し,また死の苦しみからの解脱を発見されたのである。お釈迦様は,三世十方の生命を自分の真実体,真如として学び取り,すべての生物が「生命同根」(同事)であることを最初に自覚したのである。仏教の平等観や慈悲はこの同事という真如から生まれている。
 生命の流れを見ると,人間は自分自身のために生まれたと思っていたが,そうではなく「永遠の生命を伝承する乗り物」である。乗り物(生物)は物質であるから永遠ではなく,必ずこわれる。生き物は非連続なものであるが,非連続を連続させるためには新しい乗り物に乗り換えていかなければならない。つまり親から子へと生命を伝承しながら永遠性をつないでいるのである。
「三世十方の生命」が見えてくると,われわれは自分のために生命があるのではなく,永遠を目指す生命のために生まれ,その生命を伝承し,それが終わると自ら老いて死するということが理解できる。われわれは自分自身の人生と生命を永遠に伝えるという大いなる営みを行なっていることを悟ることができる。
 ところで物質的なものは,生きる空間を必要とするから,それが永遠に生き続けた場合には,地球上は生物で溢れてしまう。もし人間や生物が死ななかったらどうなるか。地球上に溢れて生きていくことができなくなる。現代科学の知見によれば,現在の世界人口70億人が死なずに,今後も人口が増えるとわずか7年半で(南極大陸を含めた)地球上の陸地は人間でいっぱいになってしまうという。それに類似することをお釈迦様は,今から二千年以上も前に気づいておられた。
 三世十方の生命についてお釈迦様は,ゆずり葉に譬えて「ゆずり葉のような三世代がそろった家庭をもうけなさい」と説法した。人間は成長して結婚し子が生まれ,さらに孫・ひ孫へと再生され生命を伝承していく。祖父母はひ孫の代になるころに亡くなっていく。ゆずり葉は春先に若葉が出たあと,祖父母の葉がそれに譲るようにして落ちていく。それが,親が子に生命を伝え再生していくことを象徴しているように見える。
 ところで,東京の駒澤大学近くにこのゆずり葉が植えられて数年後のこと,春に新芽が出たときには,すでに祖父母の葉は落葉樹のように落ちてしまってなくなっていた。これは公害のために植物のサイクルが狂ったようであった。このことは,現代の三世代家庭が崩壊してしまったのを象徴しているかのようである。
 仏教の人間観,人生観からすると,「死」は人間が生まれてきた営みの中で最も崇高な営みであるということもできる。いただいた生命を次の世代から孫の世代まで伝えると,大体人間は亡くなっていく。その中で自分の人生のすべてを投げ出した姿を,仏教としては「死」ととらえる。仏教で死者=仏というのは,そういう背景から来ている。
 人が死んで火葬を済ませた後,われわれ(曹洞宗)は「おEQ \* jc2 \* "Font:MS 明朝" \* hps10 \o\ad(\s\up 9(けちみゃく),血脈)」というものを骨壷に一緒に入れてお墓に納める。お血脈には,上の部分にお釈迦様が描かれ,当代の僧侶のところまでの系図が描かれている。私の場合は,お釈迦様から菩提達磨,道元禅師を経て,私が93代目として描かれている。師匠から法を受け取って僧侶になったときに,その系図に自分を書き加え,お釈迦様から自分まで赤い線で結ばれている。私の横に亡くなった方の名前を書き,私と赤い線で結ぶ。亡くなった方より赤い線は,左はしを上にのび頂点で右にのび,上方の真ん中にあるお釈迦様の上に○座がもうけられ,そこに結ばれる。その○座の中に亡き人の仏様の名前(法名)が記される。赤線は,この仏様より下のお釈迦様に結ばれて,94名の仏が一如となり,亡くなった方が仏として再生して,お釈迦様と同じ仏になったことを証明している。このようなお血脈が葬儀を通して亡き人に授けられると,仏様として再生し,以後仏様として信仰するのである。
 この図を見れば,私とお釈迦様の生命と仏法が連綿としてつながっていることは一目瞭然である。普通は,お釈迦様だけが完全な仏で,それ以外の人間は凡夫だと考えるが,明らかにすべての仏教徒の死は,死とともに全煩悩を捨て去るので,完全なる涅槃であり,成仏しているのでお血脈として示されている。

2.僧伽(さんが)の役割

 お釈迦様は,煩悩を持つわれわれ凡夫は,人間の課題を一人では解決できないことを悟られていたので,初期の伝道からサンガ(仏教信者のグループ)をつくることに専念した。サンガの中で仏教者は,お釈迦様の教えを学び,そこで仏行の実践することによって,安心が得られるのである。ゆえに仏教は,生涯,サンガの中に入って信仰の実践をしていくことが必要である。
 仏教のサンガには「寺サンガ」と「家サンガ」があり,前者は僧が中心となり信者たちによってつくられ,後者は寺サンガのメンバーの戸主を中心に家族によってつくられる。すべての仏教者は,自分の寺サンガ(例えば,朝夕の勤行,礼拝法要,法話,仏蹟巡礼など)と家サンガ(例えば,寺墓参り,葬儀法事など)に参加し,これに帰依して信仰することにより,迷いと苦悩を乗り越えて悟りと安心を得ることを目指す。
 ここで私自身の体験を紹介したい。実は,数年前に母親を93歳で亡くしたが,そのときサンガの価値を再認識する経験をした。母親は比較的元気に過ごしていたが,80代後半になるころ周囲の同級生などが次第に他界していき,残る人が少なくなっていった。あるとき近所の葬式に参席して帰ってきた母親を見るととてもとても小さく見えた,その母親が,玄関に入るや「死ぬのは嫌だな」とつぶやくのが耳に入ってきた。母親に対しては永年仏教の説話などをしながら安心を得られるように努力してきたし,本人自身も毎朝鐘をつきおつとめ(勤行)を欠かさないほどに信仰深かった。また私の娘の顔が母親にそっくりでもあったので,その写真を見せながら「生命が子孫に伝承されて連綿と生き続けている」ことを何度も話して本人も理解していた。ところが,その母親からそのような言葉が出たことに愕然としたのであった。
 どのような信心(信仰)を持っていても,友人が亡くなったり,自分が病気になったりするとやはり滅入るようであった。このことを通して,お釈迦様が「サンガがないと安らかな死の受容ができない」と言っていたと学んだのであった。学びや信仰だけではなく,外側からのサポートがないと人間は人生の最期を越えていくことができない。老いや病気になると信心までもが壊されることもありえる。サンガが物質的に,精神的に支えることによって,安らかな死の受容が可能になる。お釈迦様はこのようなことからサンガの価値を説いていたことを学んだ。
 その後,母親は最期を迎える1週間前に病院に入院したが,他界する直前に,母親から命を授かった子ども,孫たちを全部集めて,私が母親の手を握り全員が手をつなぎながら,「おばあちゃん! おばあちゃんの命はここに生きているからね!」と声をかける中で,安らかに息を引き取って行った。

3.釈尊の伝道活動

(1)弟子育成による伝道
 悟りを得た後,お釈迦様は80歳で亡くなるまで,最下端の生活である沙門の生活をしながら,一銭の報酬も求めずに伝道生活を続けた。悟りを得るまでは自分のために修行をしたわけだが,その後は利他行に徹した。お釈迦様は,自分が抱えていた課題は生命同根(同事)である全人類の課題でもある,ゆえに全人類に悟りのメッセージを伝えなければいけないと考え,そのための周到な伝道法を熟慮した。
 成道後のお釈迦様は,自分の教え(悟り)を理解する人に説法したいと考えた。自分の悟り(メッセージ)は全人類に伝えなければならないが,自分ひとりでは限界があるから,まずは説法をいっしょにやる人(弟子)をつくることに専念した。それゆえ大器(人材・資質)を選び,一種のエリートを探して伝道した。結果的には,数年の伝道によって,当時の若い優れた宗教者のグループやエリート青年を教化して伝道者グループをつくった。また知り合いの国王とのつながりもうまく使って縦社会を利用した伝道も展開した。仏教を理解した王は,国民に聞法することをすすめ,仏教は広まっていった。
 キリスト教のイエスの場合と比較するとその違いが見えてくる。イエスは,神のメッセージ(福音)を必要とする人を訪ねていって直接説法をした。しかしそのような人たちはグローバルに福音を受け取ることができずに,かえってユダヤ教の指導者層の誤解を招き十字架にかけられてしまった。
 あるとき,お釈迦様に死神が現れて,「伝道が成功して仏教が広まったので,もう止めて,死んでもいいではないですか」と言ってきた。それに対してお釈迦様は,「私の教えはすべての人々に学んでいただかねばならないものです。インドの人々には弟子たちを通してできるようになった。しかし私の死後,教えをいつどこでも聞くことができるためには,まだ伝道を続けなければならない」と答えたという。
 お釈迦様はすべての人にメッセージを伝えるために,同時代のことだけではなく,死んだ後のことまでも考えていたのである。この精神が仏教思想・哲学の中に残っており,それがもとになって仏教は世界宗教となったのである。お釈迦様の45年間の利他行としての伝道は,インドの人々だけではなく,同時代の全世界の人々,さらには死後の人類にまでメッセージを伝えて行きたいという思いをもった営みであった。

(2)仏教のグローバル性
 私は,仏教はお釈迦様の段階で完成をみたと考えている。日本の宗派仏教は,念仏や坐禅などその一部だけを強調するが,それだけではお釈迦様の説いた仏教のグローバル性が失われてしまう。
 以前私が大学勤務のころ,寮監をしていたとき,その寮生の中の一人に乙川弘文(おとかわこうぶん 1938-2002年)がいたが,彼は1967年に開教師・鈴木俊隆の招きで渡米し,サンフランシスコ禅センターにて同補佐を務め,71年に鈴木俊隆が死去した後,ロスアルトスの禅センターで78年まで活動した。その後,アップル社創業者スティーブ・ジョブズのNeXT社の宗教指導者に任命され,91年にはジョブズとローレン・パウエルの結婚式も司った。スティーブ・ジョブズの発想の背景には,仏教思想があるといわれるが,こうした背景を知れば,ジョブズの存在はお釈迦様が一番喜んだに違いないと思う。
 日本では仏教信仰の本質がなかなか理解されない面があるが,米国における仏教信仰は,仏教思想によって人生観を確立したスティーブ・ジョブズの中に結実したといえる。これは20~21世紀における曹洞宗(仏教)の最大の成果ではないかと思う。
 現代社会を見ると,人間の自我の暴走ともいえる現象が多い。それを鎮めていくには,お釈迦様が説かれた内容をもう一度,信仰の次元で再認識することである。即ち,各種サンガのメンバーの力を借りながら,菩提行と涅槃行を行じて悟りと安心をつくり出す必要がある。お釈迦様が45年間の伝道生活を通してなされたものは,善人・悪人関係なく,誰にでも伝わる説法をしてくれたが,それを見落としているように思う。また,生命のレベルまで下りて伝道していくと,各宗教が結ばれていくと思う。

4.仏教信仰の本質と仏の内在化

(1)信仰の価値
 私は宗教者の一人として,仏教を多くの人に正しく理解してもらおうと努力している。仏教は信仰の問題を,一般の方が理解して実践できるように説いていかなければならない。仏教学者は,どちらかというと信仰面が欠落することが多い。教理面から分かりやすく説く人はいるのだが,信仰のレベルで分かりやすく説く人は少なく,仏教が今後取り組むべき課題がここにある。
他の宗教と交流するときにも,信仰のレベルで対話をすると有意義だと感じている。理論や教理で他宗教と交流しようとしても,虚しい関係に終わってしまいがちだ。かつてドイツのカトリック修道院に1カ月あまり生活した経験があるが,信仰のレベルで対話をすると心が相通じるものだ。
 お釈迦様の説く仏教信仰についていえば,仏教の教えは難しくない。すなわち,そのポイントは「四諦説」「三帰依」「六波羅蜜」の三教理である。
 苦しみの原因は,われわれの心の無明がつくり出す迷い,すなわち「煩悩」や「我執」であり,その迷いが自分中心的生き方に専念する。煩悩を滅するためには,智慧(無明を滅するための菩提行と我執を捨てる実践としての涅槃行)が必要だ。時間的に現在だけを見るのが凡夫だが,仏は絶えず過去・現在・未来を見つめる。空間的には,一方的に自分を中心に見るために迷いが生ずるわけだが,仏教は十方から見るので迷いに囚われなくなる。これが仏の智慧である。

(2)仏(神)の内在化
「三帰依」は,仏(正覚者),法(仏の教え),僧伽(仏法を信じる仏教者の修行者グループ)の三つ(三宝)に帰依して信仰し,仏の教えと仏行(六波羅蜜)を行じて,悟りと安心を得る信仰実践である。
 仏・法・僧伽には,「外なるもの」と「内なるもの」の二つがある。外なるものとは,お釈迦様の仏像,お釈迦様の生涯や説示された教え,自分が関係する仏教者のグループであり,このような三つの拠り所をつくりながら,それを生涯の拠り所として生きていく。
 次に,それらを拠り所としつつ自分の信心の中にその三つを内在化して生涯ともに生きていく。つまり,外なる仏・法・僧伽を学び,供養し,祈りを通して対話することで,内なる仏・法・僧伽への帰依が深まる,その繰り返しによって内外の相互関係性が深まることから最終的に悟りと安心(仏の功徳)が生まれるのである。
 仏の内在化についてもう少し説明してみよう。
お釈迦様は自分が亡くなった後,「火葬に付してくれ」と言い残した。通夜を通して人間としての別れを告げ翌日に葬儀をする。これは自分が完全な仏になる儀式として行なう。火葬にして残ったお骨(舎利)は,仏舎利として受け取り,それを壷に収めロータリーに塔を建ててお祭りする(供養)。ロータリーは多くの人が通行するところであるから,その意味は多くの人にお釈迦様を知ってもらうことだ。
 お釈迦様は入滅によって外なる存在(肉身)はなくなってしまうわけだが,塔を建てることで亡くなった仏様を再構築化する。外なる仏を供養しながら信仰することを通して,亡くなった仏を自分の信心の中に内在化する。それによって間違いなくお釈迦様の生命は,生命同根の存在であるわれわれにも分与されることになる。肉身の死=個としての死は,無に帰すので悼むけれども,生命は次の世代に生きている。
 外なる仏を内在化し心の中に信心という形で「内なる仏」として抱く。そうなると外に祭っている仏に対する供養,信仰が,更に深まっていく。それが今度は,内在化した仏の食べ物となる。このように発展的・円環的運動が起こる。そしてみごとにお釈迦様(仏)が信心の中に共生している状態がもたらされる。内外の仏を持つことによって,円環的に深まる営みは,われわれ人間の大脳が最も機能を発揮することのできるシステムなのである。このような形で信心の中に記憶して置くことが優れており,脳の活性化をもたらす。ノートに記録するのではだめだ。仏教者の賢さは,正にここに由来する。スティーブ・ジョブズもこの境地にあったのだろう。
 仏の内在化によって,仏が自分とともに生きているという信仰が深まり,それが仏のもつ徳となり,仏功徳は(信仰する者,仏教者に)共有されるようになる。そこから私の信心や安心が確立していくのである。それがないと本当の意味の仏教信仰にならない。このような信心は,キリスト教でも似たようなことを説いているように思う。
 中東地域のユダヤ教とイスラームの対立も,(神の)内在化が形成されて,相手の苦しみを二人称的,一人称的に共通できれば,なくなるに違いない。真の信仰がないために,政治的な対立が生まれ,虚しい現実がある。信仰の内在化がないために,人の痛みが分からないのだと思う。
しかし仏教の場合は,神(仏)の内在化だけではなく人の内在化,さらにはプラス(善)もマイナス(悪)も含む。一方,一神教は,いいことは受け入れるが,悪いことは拒絶するので対立が生まれる。この辺の神学的構図はよく考えて見る必要がある。グローバル化した時代にあっては重要なポイントになるように思う。仏の内在化によってはじめて,苦しい人の悩みや優秀な人の悩みが共通化される。現在の世界は,どちらかというと優秀な人の精神性だけを理解するような趨勢になっている。お釈迦様の観点からいえば,そうでない人がいてサポートしているからこそ優秀な人が出られるのである。このような仏教の縁起観,実相観が重要だ。一方だけを強調する世界は不幸である。平和の問題も,この辺のところを理解し合わないと,全人類が和解することは難しいと思う。

(3)六波羅蜜
 六波羅蜜=六度説とは,人生の目的を悟り,生死の苦悩を解脱して安心と生きがいを得るための六つの道である。
 その第一が「悟りの行」(菩提行)で,次の4つを繰り返し実践する。
①持戒(正しい規律ある生活をする)
②精進(釈尊の教えを一生懸命聞いて学ぶ)
③禅定(坐禅をしながら学びえたものを自分の正しい観として内在化する)
④智慧(坐禅省察で得たことを法座などのサンガのメンバーに語り,誤りを正し,メンバー全体に認められた普遍的な正知恵=菩提とする)。
 次が,「安心の行」(涅槃行)である。
⑤忍辱
苦の原因である「我執」は,耐え忍ぶことを嫌うので,これを積極的に行なうことによって,我執を滅して安心を得る。
⑥布施
布施は自分の大切なものを他者にもらっていただくことにより,大切なものに付着している自分の我執を捨て,安心を得る。布施それ自体は自分の安心のために行じる自利行であるが,それが受者にとっては有り難いことでもあるので利他行にもなる。このような布施行が行ぜられるサンガに,メンバーの相互扶助の体制が生まれ,これが安らかな老い,病,死をサポートしてくれることになる。

5.さいごに

 仏教者たちは,お釈迦様の死という絶望の悲しみの中より,自分の信心の中にお釈迦様を再生し(内在化),祈りを通じて生前と同じように仏と対話する道をつくり出した。それによって生涯にわたる等身大のお釈迦様との対話と共生が生まれ,仏教者にとっての悟りと安心を得ることができるのである。
 内なる信心の中の仏様を外の世界に具現したものがマンダラや仏像である。外なる仏を供養荘厳することにより内なる信心世界を豊かにすることができる。内外の仏への信仰が相互に作用して,仏徳の共有という不思議が生まれてくる。ここに宗教としての仏教は完成し,全人類の仏教となったのである。

(2012年11月26日)

プロフィール みながわ・ひろよし
1934年栃木県鹿沼市生まれ。駒澤大学仏教学部卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了(仏教学専攻)。その後,同大学講師,助教授などを経て,82年同大学仏教学部教授。現在は,駒澤大学名誉教授,常真寺住職。この間,曹洞宗教化研修所研修部主任も務めたほか,「駒澤大学仏蹟巡礼研究会」代表として学生を率いて仏教聖地を何度も巡礼した。専攻は,仏教伝道学。仏教サンガ「緑陰禅の集い」を主宰。主な著書・編著に『仏教青年聖典』『葬祭に対する人々の意識』『仏教の教主・釈尊その生涯と教え』ほか。