福島第一原発事故と日本の原発政策の今後

元原子力委員会委員長代理 遠藤哲也

<梗概>

 福島第一原発事故は,日本のみならず世界の原子力発電政策に大きな影響を与えた。発生から2年余りが経過したが,課題山積であり事故収束には程遠い現実である。この原因に関して官民の調査委員会が設けられて原因追及がなされたが,いずれもが人災の要素が大きかったと指摘した。原発の今後に関しては賛否両論が激しく戦わされている中,冷静な議論が求められる。そして日本の原子力政策を支えてきた日米原子力協定の満期(2018年)を控えて,プルトニウムを中心とする核燃料サイクルをどう立て直しするのか,といった課題に緊急に対処すべきである。

はじめに

 福島原発事故後,日本では原発の是非を巡って,国論が二分され大論争が行われている。福島原発事故は2年後の今でも15万人もの人が避難を余儀なくされ,放射能で汚染された地域の除染も思うように進まず,いつ元の生活に戻れるのか見込みが立っていない。原発の廃炉も最小限30~40年と気の遠くなるような話である。このような状況だから,つい最近まで喧伝されていた「原子力ルネサンス」は影をひそめ,国民の間に反原発,脱原発の声が高まって来たのも至極もっともなところがある。だが,エネルギーは経済の血液であり,国民生活の基盤なので,エネルギー源の重要な要素である原子力を,感情的に,また,代替エネルギーに対する希望的期待でもって取り扱うべきでない。冷静なアプローチが必要である。
 本稿では,まず福島原発事故をふりかえり,次に事故後の原発を巡る世界の現状,その中での日本の立場を考え,日本にとって期限を定めた脱原発などが可能か否か論じてみたい。そして最後に,今後原発を続けるとすれば日本にとってどのような問題があるかについて私見を述べてみたい。

1.収束のみえない福島原発事故

 2011年3月11日,マグニチュード9.0という日本記録史上最大規模の大地震,それによって引き起こされた数次の大津波によって東京電力福島第一原発は壊滅的な打撃を受けた。IAEAの評価(国際原子力事象評価尺度。INESという)ではチェルノブイリ事故(1986年)と並ぶ最高のレベル7という過酷事故であった。
 原発で事故が起こった時の対応には,「止める」,「冷やす」,「閉じ込める」という三大原則がある。11日14時56分の地震発生とともに,運転中の全ての原子炉には直ちに制御棒が挿入され,核分裂は停まり,対応の第一段階はパスした。問題はそれ以降であり,地震発生数十分後に襲って来た数次の大津波によって,津波対策が不十分であった福島原発は電気設備を破壊され,いわゆるSBO(Station Black-Out)の状態となり,冷却装置の機能が失われた。第二段階の「冷やす」は機能しなくなり,核燃料の崩壊熱によって,炉心のメルトダウンが始まり,融けた炉心は圧力容器を破り,その外側の格納容器の底に溜まった。メルトダウンの過程で発生した水素ガスは引火して爆発し,原子炉建屋を吹き飛ばし高放射性ガスをまきちらした。第三段階の「閉じ込め」の失敗である。
 その間にあって,このような過酷な事故に備えの無い東電及び政府の対策はちぐはぐで,事故の影響を大きくし,また国民への情報提供も甚だ不適切であり,周辺住民への避難指示も遅れ,かつかなり場当たり的で住民に不安と混乱を招いた。
それはともかく,東電及び政府は試行錯誤しながらも高い放射線線量下で冷却水(ある時期は海水)を連続して注入し,「冷やす」ことに全力を傾けた。半年間を超えて,ようやく原子炉圧力容器の底部の温度が百度未満となり,再臨界の恐れはなくなったので,政府は,2011年12月16日に冷温停止状態になったとして事故収束を宣言した。
 しかし,政府のこの宣言は,常識的にはやや時期尚早という感じがする。冷温停止状態といっても,全長4キロにも及ぶ「循環冷水注水冷却システム」によって莫大な量の冷却水を常時注入し続けている結果であって,放射能によって汚染された冷却水は,発電所構内のタンクに溜められているが,すでに許容限度を超えた量になっており,遠からずこの汚染水の処理は大問題となるであろう。
 放射能の故,退避を余儀なくされた住民は,2年後の今でも15万人に達し,故郷を離れ,職を失い,家族離散の避難生活を余儀なくされている人が少なくない。除染も,汚染した廃棄物をどこに処分するか(仮置き場,中間貯蔵地,そして最終処分地)などの問題がからんで思ったように進んでいない。最終的な廃炉となると数十年という気が遠くなるような時間がかかりそうである。
 いずれにせよ,事故収束というのは一部分のことで,本当の意味での収束は未だ遠い将来のことで,事故の爪痕は非常に大きい。

2.福島原発事故の原因―反面教師―

福島原発事故の引金となったのは,いうまでもなく大地震とそれによって生じた大津波であり,これは人間の力ではどうしようもない「天災」であった。だが,この天災をこのような大事故としたのは,「人災」の要素が大きかったのではないかとさえ思う。あるいは,この事故は防ぐことさえできたのではないかと思う。想定外として片付けてしまうのは正しくない。ちなみに,マグニチュード9.0の地震に対して,福島第一原発の機器は何とか持ちこたえたではないか(この説に対し,1号機の非常用復水器などは地震で損傷をうけたとの異論もある)。
 この事故が人災(man-made disaster)とすれば,どういう点が問題なのか,事故原因追及のため官民でいくつかの調査委員会が作られた。主なものとして,政府事故調,国会事故調,民間事故調などがあるが,筆者は民間事故調(正式には,福島原発事故独立検証委員会)の委員として調査に参加したので,これを中心にみてみた。ただ,この三つの委員会の調査結果には共通する部分が非常に多く,かついずれもが人災の要素が多かったとしている。
民間事故調報告書は事故の主な原因として次のような諸点を指摘している(順不同)。
第一に,原発の機器,レイアウト等設計の不備である。例えば,非常用ディーゼル発電機が水密性のない,しかも海に近い場所に,数台まとめて設置されていたが,これなどは津波対策が考慮されていなかったとしか思われない。JCO事故(1999年)の結果,設けられたオフショア・センターは全く機能しなかった。
第二に,これは後述部分と重複するが,事故発生後の対策が全く不備であった。これは政府側についても言えるが,情報の伝達が不適切であり,指揮・命令系統が混乱していた。
第三に,防災対策,避難対策がおざなりにしか準備されていなかった。
更に,報告書は,上記原因の背景として事故の歴史的,構造的な要因につき次のような諸点を指摘している(順不同)。
一つは,「原発事故は起きない」という「絶対安全神話」があったことである。この神話のもと,日本では本格的な防災訓練も行われず,万が一事故が起こった場合,どのように対処すべきかという十分な準備が出来ていなかった。何故このような神話が生まれて来たのかというと,日本ではそもそもリスク対応意識が乏しく,物事を白か黒かで割り切る傾向が強かったこと,原発の地元対策で安全を強調しすぎたために,かえって自縄自縛に陥ってしまったことなどがあげられる。
二つ目は,日本は特に原子力安全に関しては「一国主義」で国際社会からの助言や勧告には耳を傾けなかった。安全規制の国際標準から取り残され,いわゆる「ガラパゴス化」してしまっていた。例えばIAEAから「原子力の規制と推進は分けるべきだ」とたびたび勧告を受けていたにもかかわらず,それを無視していたことなどが挙げられる。高度経済成長を通じてはぐくまれた日本の傲慢さである。
三つ目に,「原子力ムラ」の存在である。産(電力及びメーカー),官,政,学,マスコミからなる原子力ムラの存在で,村八分をおそれるため,お互いの欠点を見ても見ぬ振りをしていた。
このようなもたれあい,なれあいの組織的構造が事態をさらに悪化させる原因となった。
事故の反省を踏まえて,例えば独立の原子力規制委員会の設置にみられるように(委員会の組織,運営には問題が少なくないが)日本の原子力体制について検討が加えられつつある。しかし,問題が歴史的,構造的要因に根ざすものだけに一挙にというわけにもゆかず,道遠しという感じである。

3.福島原発事故の世界の原子力に対する影響

 チェルノブイリ事故(1986年)はIAEAの評価でレベル7に該当する大事故であったが,共産主義国ソ連邦での事故であったし,原発も格納容器の無いRBMKという黒鉛減速の特殊な炉型であったので,いわばソ連特有の事故とみられていた。だが今回の福島原発事故は,原子力先進国として技術水準の極めて高いとの定評のあった日本での大事故であったので,世界に与えた衝撃は大きく,また日本の原子力技術を模範として来た,あるいは模範としようとした国も少なくなかっただけにそのショックは大きかった。
 いずれにせよ,「原発事故に国境なし」であった(A Nuclear crisis anywhere in the world is a crisis for the whole world)。
 福島原発事故は「原子力ルネサンス」と呼ばれた21世紀初頭からの世界的な原子力発電に対する大きな期待や,将来に対する楽観的な見通しを一変させてしまった。各国とも原子力安全規制を一層厳しくし,原発に対してより慎重な態度をとるようになった。
 EUは域内の全原発(143基が稼働中)に対し,安全性検査(ストレス・テスト)を実施した。IAEAは,元来核不拡散,そのための保障措置の実施を主要業務とし,安全とか核セキュリティはそれぞれの国の主権事項であるとして副次的な取扱いをして来た。しかし,今回の大事故に直面して勧告やピア・レビューを活用して拘束力のある取組みこそできなかったが,安全面にこれまで以上の力を注ぐようになった。
 ドイツ,イタリア,スイスなど西欧の一部の原子力利用国はチェルノブイリ事故の頃からこれまでも脱原発の歴史があったが,福島原発事故を契機に近い将来の「脱原発」に向けて大きく舵を切った。新たに原発の導入を検討していた新興国,途上国の国にもより慎重な姿勢への転換がみられる。しかし,国際社会全体では,エネルギー安全保障や地球変動問題などの観点から原発への期待は依然として大きい。そのため今後,原発利用の拡大のスピードは減速し,エネルギー供給源に占める原子力の割合は横ばい,あるいは低下が見られるものの,国際社会全体では原子力の設備容量が増加する傾向に変わりない。
 また,現在,米国,フランス及び日本の三国で原発設備容量が世界全体の6割を占めていたが,今後は経済成長やエネルギー消費量増大の著しい中国やインドで原発の新増設が急速に進むことが予想される。加えて,すでに大規模な原発利用国であるロシアや韓国において更なる設備容量の増大が予想されている。今後10~15年以内には,ベトナムやUAE,トルコ,サウジアラビアなどの新興国も原発利用を開始するとみられている。
 現在,世界中で435基,設備容量で約374GWの原発が稼働しているが,2012年9月に公表されたIAEAによる将来予測では,2030年にはlow projectionで456GW,high projectionで740GWに増加すると予測されている。原発の設備容量の増加の大半は,すでに原発を利用しているロシア,中国,インド,韓国などで起きると考えられているし,そのうちでも中国を含む北東アジアであると予想されている。2011年末現在の北東アジア地域の設備容量は80GWだが,2030年にはlow projectionで153GW,high projectionで274GWまで拡大すると予測されている。

4.福島原発事故の日本の原子力に対する影響

 (1)高まる反原発の世論
 福島原発事故以前の日本では,総発電量の約3割を原子力に頼っていたが,エネルギー基本計画では(2010年6月)その比率を更に5割にあげ,原子力立国論では(総合経済エネルギー調査会原子力部会2006年8月)軽水炉体制を高速炉体制に切換えてゆくという構想を描いていた。しかし,福島原発事故はその夢を砕いてしまった。それどころか,脱原発の声が澎湃として起こっている。
 かつてチェルノブイリ事故のときも,強い反原発の声が起こったが,今回は遠く離れたウクライナと違って,日本国内の大事故であり国民はリアルタイムで直接に映像を目にするのだから,そのインパクトは圧倒的に大きかった。反原発,脱原発の声は街にあふれ,定期検査に入った原発は検査が終わっても再稼働できないという有様で,一時は日本の原発は一基も動いていないこともあった。
 中央紙六紙のうち,「朝日」「東京」(中日)「毎日」は脱原発の論陣を張り,他方「読売」「産経」「日経」が原発支持を主張するというように言論は二分されていた。
 当時の民主党政権は,与党内部には諸々の意見もあったようだが,政権としては脱原発政策をとり,その内容は2012年9月14日に採択された「革新的エネルギー・環境戦略」にまとめられている。これは閣僚級のエネルギー・環境会議を中心に作成されたものだが,閣議決定を経たものではない。これは脱原発の一つの代表案と思われるので紹介しておきたい。
 「戦略」は「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を掲げており,「40年運転制限を厳格に適用」,「原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ,再稼働」,「原発の新設・増設は行わない」という原則の下に2030年代に原発稼働ゼロを可能とするようあらゆる政策資源を投入するとしている。他方で,核燃料サイクルは中長期的にぶれずに着実に推進することも明記している。
 だが,この「戦略」はいくつかの問題をはらんでいる。例えば,原子力に代わるエネルギー源は何かである。太陽光,風力,地熱といった再生可能な自然エネルギーがその一つだろうが,コスト,供給の安定性,エネルギー密度などからして,原子力に代替するにはハードルが多いし,いずれにせよ時間がかかる。定性的な議論だけでは不十分で,時間軸を入れた定量的な説明が必要である。とりあえずの代替は石油,LNGといった化石燃料であり,原発が二基しか動いてない現在の日本はそれに頼っているが,CO2排出量は増えるし,化石燃料輸入のために年間3兆円という巨額の外貨を使っている。また,「戦略」は,六ヶ所村での再処理は続けるとしているが,再処理によって生ずるプルトニウムは一体どうするのか。原発を減らしてゆくと当然プルサーマル炉の数は減ってゆくから,プルトニウムの管理や利用は益々難しくなってゆくであろう。既に核拡散や核セキュリティの観点からプルトニウム・バランスを重視する国際社会から懸念を招いている。
 反原発,脱原発論には感情的なところが少なくないが,福島原発事故に直面し,未だその収束のはっきりした目途も立っていない現在,気持ちはわからぬわけでもない。真正面から丁寧に理性的に対応すべきであろう。

(2)脱原発と日本の国益
 日本は,エネルギー資源の極めて乏しい国で,エネルギー自給率はわずか4.8%と,先進国の中でも最も低い水準にある。原子力を準国産エネルギーに加えると,やっと自給率は20%近くになる。日本が原子力導入に積極的になったのは,フランスと同じく石油危機の発生した1970年代からであった。
 エネルギー源の選択については「3E」が基準になるといわれる。一つは経済性(Economy)であり,二つ目はCO2を排出しない環境適合性(Environment)であり,三つ目は供給の安定性(Economic Security)の三つである(順不同)。原子力はこの三基準にあてはまる優れたエネルギーである。脱原発は特に日本にとってこのエネルギー源を失うことであり,かつ原子力は巨大な技術の集積と人材から構成されているので,一旦失うと再び立上がるのは極めて困難である。原子力に代わりうる代替エネルギーとしては化石燃料と再生可能エネルギーがあるが,前者については環境への悪影響,供給の不安定がつきまとうし,何よりも莫大な輸入外貨が必要である。後者は,今のところ分散電源,補充電源としては役に立ったが,大規模経済のベースロード電源とするには無理がある。原発の代わりに再生可能の自然エネルギーをというのは,単に掛声だけでは駄目で,定量的な分析,工程表,制度設計が必要不可欠である。いたずらなエネルギー政策の変更,あるいは政策の変更への掛声は,国の経済活動,国民生活に大きな混乱を招きかねない。
 いずれにせよ,昨年2012年12月の政権交代により,民主党政権が策定した「戦略」がゼロから見直されるようになったことは幸いであった。
 しかし,原発が日本社会で再度受け入れられるには大きな努力が必要である。一つには,地におちた原子力への信頼を取り戻すことであり,そのためには原子力は確率論的には低くても事故を起こした場合には被害が甚大であることを常に想起しつつ,安全と安心を徹底させることである(Safety)。
 二つ目は,原子力技術は,平和と軍事が裏腹なので,日本が平和利用に徹することはもちろん(「瓜田に履を納れず」),国際的な平和利用の秩序の構築にもエネルギー大国,原子力大国として積極的に貢献すべきである(Non-Proliferation-Safeguards)。特に軍事利用と直結しかねないプルトニウムの取扱いには細心の注意を必要とする。
 三つ目は,原子力はその破壊力と心理的な脅威の故に,テロ行為の対象になる恐れがある。他方,日本はそのような核セキュリティについては鈍感な国であるとの芳しからぬ評判もあるので自省すべきである(Nuclear Security)。いわゆる「3S」の重要性を重ねて強調したい。

緊急に対処すべきこと――プルトニウム・バランスと日米原子力協定
 日本のエネルギー供給源として,原子力発電,化石燃料及び再生可能エネルギーのベスト・ミックスが最適であるとすれば,今度の事故によって信用の地に落ちた原発の再生が必要である。そのためには,短期,中期,長期の時系列に応じた対策がとられなければならない。例えば,安全対策,安全対策をパスした原発の再稼働,除染,避難民対策などは緊急を要する課題であろうし,中・長期的には使用済み燃料の中間貯蔵,高レベル廃棄物の最終処分などが該当しよう。
 しかし,本稿ではそれらの詳細に立ち入ることはせず,近く満期の来る日米原子力協定と核燃料サイクルに焦点をあてて考えてみることとしたい。この問題は取り扱いに失敗すると,核燃料サイクルはおろか日本の原発稼働そのものに深甚な影響を与えるからである。
 日米原子力協定は,日本が諸外国と結んでいる原子力協定のうち,歴史的に最も古く,日本はこの協定を通じて原子力資機材を米国から導入し,濃縮ウランを調達している最も重要な協定である。しかし,その反面日本の原子力利用は米国の厳しい規制の下に置かれ,核燃料サイクル,特にプルトニウムの取扱いについては厳しかった。言うなれば,はしの上げ下ろしまで規制されていた。1977年の動燃(当時)東海再処理工場の操業開始問題は,この規制を巡り日米間で大きな政治イシューになった。
 この状況を根本的に変えたのが,難航の末1988年にようやく発効した現行の協定である。この協定でも,米国の規制権は依然として残っているものの日本の核燃料サイクルには包括的な事前同意が与えられ,事実上自由になった。この包括事前同意は,NPT非核兵器国の中では,日本だけに認められた特権である。
 しかし,この協定も2018年7月には30年の満期を迎える。日米間の原子力協力関係を安定的な基盤に乗せるには,筆者は法的な手続きをとるなりして協定を延長させるのが一番望ましいと考えている。
 だが,事態はそう簡単ではない。日本は,利用目的のない,余剰プルトニウムは持たないとの基本方針を内外に表明している。しかも,この方針は抽象的,一般的なものでなく,具体的なもので,2003年8月5日の原子力委員会決定はこの条件を次のように規定している。
 「電気事業者は,プルトニウムの利用者,所有量及び利用目的を記載した利用計画を毎年度プルトニウムを分離する前に公表することとする。利用目的は,利用量,利用場所,利用開始時期及び利用に要する時期の目途を含むものとする。ただし,透明性を確保する観点から進捗に従って順次,利用目的の内容をより詳細なものとして示すものとする」。
 ところで,現在日本は,海外(英国及びフランス)に約23~24トン,国内に約6~7トンと合計30トン位という大量の分離プルトニウムを保有している。今後,六ヶ所村の再処理施設が稼働すると(技術的には,一応2013年10月開始が予定されているが,上記原子力委員会決定にかんがみ新たに政策的に稼働しうるか否か問題である),プルトニウムが追加され,将来フル稼働になると,その量は更に一年に4~5トンとなる。
 日本は,これらの大量のプルトニウムを利用しなければならないが,一体どのようにして消費するのだろうか。プルトニウムの利用の本命は高速(増殖)炉だが,「もんじゅ」のプルトニウムの初装荷は終わっていて,毎年のプルトニウム追加は,0.5トン程度であるし,今後の高速炉の建設は確たる目途が立っていない。
 そうすると,結局プルトニウムの利用は,軽水炉によるプルサーマルである。かつては,2010年頃までに16~18基によるプルサーマル利用を計画していたが,今のところこの計画は絵に画いた餅のようになっている。現在,プルサーマルはおろか,軽水炉再稼働そのものが大問題となっている。従って,プルサーマル実施炉となるとプルトニウムを含むMOX燃料だけに,地元の抵抗はより強いことが予想され,一般の軽水炉再稼働よりは一層難しいかもしれない。
 いずれにせよ,プルトニウムの利用,消費が難しいとなると,プルトニウム・バランスをとることは容易でなく,そうなると,原子力委員会決定が守れないばかりでなく,六ヶ所再処理工場の操業も出来なくなってしまう。六ヶ所が稼働しなくなると,すでに貯蔵プールが満杯になって使用済み燃料の処理に困りかかっている原発が多く,稼働を止めざるを得なくなる。
また,国際社会も行先の無いプルトニウムが溜まってゆくことに強い懸念を持っており,日米原子力協定の満期に際して包括事前同意を廃止し,かつての個別同意に立ち戻ることを求めて来るかもしれない。もし,そうなると,六ヶ所の再処理工場の商業運転は事実上不可能になる。
 プルサーマル炉の再稼働,フル・モックスの大間原発の速やかな建設―使用済燃料の中間貯蔵地の建設,―六ヶ所再処理工場の操業―プルトニウム・バランスの確立等は日本の原発にとって是非とも必要で,しかも急を要する。ここ数年が正念場である。
 今必要なのは,プルトニウムを中心とする核燃料サイクルの立て直しであり,そのための日米原子力協定の包括事前同意の維持である。

(2013年3月20日)