パワー・シフトとアジア地域統合の課題―欧州統合の知恵に学ぶ

青山学院大学・大学院教授 羽場久美子

<要旨>

 21世紀に入り13年間,世界では大きなパワー・シフトが始まっている。二つの世界大戦がそうであったように,国力の上昇する国と低下する国の間では,その狭間の境界線上でコンフリクトが起きやすい。ここ東アジアの日本周辺で起きている領土海峡紛争もその観点から理解することができる。欧州は長い紛争の歴史を通じてそうした対立を回避する知恵を蓄積してきた。その結果,今日のEUが築かれ,ユーロ危機という混乱を経ても,いまや世界第一の経済圏を形成している。緊張の絶えない東アジア,とりわけ日中韓も,そうした欧州の知恵に学びながら,2030年頃までには世界経済GDPの半分を占めるとされるアジアを,真に平和で繁栄あるものにしていく努力を行うべきである。とくに日本は独仏の和解の先例に学び,アジアと米国の架け橋となること,現在のように不安定で緊張をはらんだ時代に,アジアの地域統合に向けた役割を果たしていくことが必要となろう。

1.パワー・シフト

(1)21世紀は「知の時代」
 21世紀はこの13年間で大きな変化の時代を迎えている。2001年の9.11.に始まり,アフガン戦争からイラク戦争,さらに2008年のリーマン・ショック,2010年以降のユーロ危機,2011年の3.11東日本大震災など,いずれも未曾有の歴史的問題が立て続けに起こっている。そうしたグローバル化の進展の中で,先進国は全般的に厳しい経済状況に立たされている。他方,BRICS諸国を中心に新興国はつい最近まで高い成長率を達成して急速な経済発展を見せてきた。現実に2010年に中国がGDPで日本を追い抜き世界第二の経済大国になり,さらに2012年のGDPで米国の半分を超えるなど,この時期を前後として,「パワー・シフト」ということが盛んに語られるようになった。
 「パワー・シフト」の意義は大きく二つある。一つは,低下する先進国と成長する新興国のパワー・チェンジ(交代)である。もう一つ,もともとの意味のパワーが,軍事力から経済力や知力にシフトしつつあるということである。
 『第三の波』を書いたアルビン・トフラー(Alvin Toffler)は,国のパワーには①軍事力,②経済力,③知力(情報や科学技術など)の三つがあると述べている(*1)。欧州は,この三つを手にすることで「近代化」に成功した。19-20世紀は富国強兵を中心とする軍事力が大きな比重を占める時代であった。20-21世紀,二つの世界大戦と冷戦の終焉以降の世界は,軍事力がたとえ世界の半分を占めていようとも,経済力によってそれをしのぐパワーをもつことができると考えられる「経済力の時代」となった。そして21世紀,これからの新しい時代は,情報・科学技術など「知の時代」になると,トフラーは強調したのである。
 21世紀,グローバル時代は“競争力の時代”ともいわれる。熾烈な競争に勝利するための条件には三つある。すなわち,①安い労働力,②安い商品,③巨大な人口である。これらの条件は,皮肉なことに20世紀においては「貧しさの条件」であった。しかし,それを逆転の発想で競争力に変えたのが,実は「知」(情報・科学技術)の力であった。
 BRICSの国々,特に中国やインドが,「巨大な人口」を,貧しさの象徴から競争力に,商品の巨大消費市場に変えていくことができたのは,いずれも経済力の発展とともに,ある意味では日本をしのぐほどの知力・技術力・情報力を手にしつつあることがその背景にある。裏返していえば,途上国で「知」の条件を手にできなかった国,例えば中央アフリカ諸国などは,競争に勝利するための三つないし二つの条件を備えているにもかかわらず「知」の欠如のために最貧国に留まらざるを得なかった。
 まさにグローバル時代においては,グローバル時代の競争に勝利するための三つの条件に「知」が加わることによって,後発国も先進国に挑戦する手段を持っているという事ができる。

(*1)アルビン・トフラー『パワー・シフト―21世紀へと変容する知識と富と暴力』(上下),フジテレビ出版,1991,Alvin Toffler, Power Shift:  Knowledge, Wealth, and Violence at the Edge of the 21st Century. Bantam. November 1, 1991.

(2)EUの実力と日中韓
 ここで世界の国と地域レベルのGDPを比較してみたい。2010年は,前述したように,GDPで中国が日本を追い抜いたターニングポイントの年であり,パワー・シフトが目に見える形で本格化した年だった。日本人は多くが落ち込み,自信を無くし,反中国意識が高まった。2012年のGDP(2013年春発表)を見ると,日本のGDPが3.11の影響で横ばい状態なのに対して,中国は2兆3000億ドルほど増やして8兆2270億ドルとなって米国の半分を超えて米国に迫っている。
 しかしこれを別の角度から,地域レベルでみると,別の像が見えてくる。
「ユーロ危機」が表面化して以降,日本では“欧州経済はダメだ”と言われるが,地域統合と拡大を果たしたEUは,04年のEU25カ国への拡大以降,一貫して世界第一位を維持している。5億人の人口を超え,ユーロ危機が激しかった2010-2012年においても各々16兆2800億ドル,16兆4100億ドルで,米国を1兆7000億ドル,7300億ドルほどしのいで,世界第一位である。こうしたことは日本ではほとんど知られていない。メディアが報道しないからだ。
 他方,世界でも最も仲が悪いといわれる日中韓のGDPを合計すると,2012年の日中韓3国のGDP総額は15兆3500億ドルとなり,米国の15兆6800億ドルにほぼ並んでいることだ。2013年のGDPで,米国を超える可能性もある。日中韓のGDPを合計すると米国にほぼ並ぶことも誰も知らない。経済界もメディアも報道・発信しないからだ。
 またASEAN+3は,既に米国もEUも凌ぎ,ASEAN+6では,EU,米国をはるかにしのぎ,21兆2000億ドルとなっている。
 既にアジア全体を合わせずとも,日中韓を合わせるだけで,米国のGDPに並び凌ぐ時代に入っているのだ。しかし誰もそれを知らない。

<表 世界トップGDP―欧米アジア3極で,ASEAN+3,or 6でトップ(2010年,2012年),早晩,日中が米国を凌ぐ。>(*2)
    2010年 2012年 地域レベル
地域1位 The EU 16,282 16,4146* < ASEAN+6 21,186
国1 The US 14,582 15,684* < ASEAN+3(CJK) 17,651
国2 China 5,879 8,227* +JCK 15,345,  JC 14,190*
国3 Japan 5,498 5,963*  

(*2) IMF, World Bank, 2013, アジアの名目 GDP ランキング,等より抽出,作図。http://ecodb.net/ranking/area/A/imf_ngdpd.html

この事実を戦略的な観点から解釈してみると,日中韓が今後も対立し続ける限りにおいて,あるいは,ASEAN+3がぎくしゃくし続ける限りにおいて,近代欧米の価値観は揺るがず,今後も世界の頂点に位置することが安泰に保証される,ということになる。
 日中,日韓の領土問題をめぐる葛藤がクローズアップしたのは,まさに2010年前後からである。パワー・シフトで衰えゆく大国日本と,成長しつつある大国中国との軋轢がその境界線で始まる,という「大国の興亡」の流れにもかなっている。共同すれば二国でも米国に並ぶ時代に入っているのに,いや,だからこそ,だれも日中が共同するのを望まないのである。
 米欧の個々の指導者が,いかに中立的な研究を行おうとも,欧米のナショナル・インタレスト(国益)としては,日中韓が対立してくれることはこんなに有難いことはない。世界GDPの二大強国,という漁夫の利が継続して得られるばかりでなく,結べば脅威になるアジアの二大国日中が互いにいがみ合うことによって,新しい時代も,欧米のリーダーシップと制度・秩序の下に置かれ続けるからである。欧米が意図しているか否かは問題ではなく,事実としてそうなのである。2010年以降になって急激に尖閣・竹島問題が拡大し,日中韓の反目感情が高まったことは,このような国際政治のメカニズムと密接にかかわっている。

2.戦争を回避する欧州の知恵

(1)衰退する国と興隆する国との葛藤・紛争
 「ソフト・パワー」を唱えた米国ハーバード大学の国際政治学者,国務次官補や国防次官補も務めたジョセフ・ナイ(Joseph Samuel Nye, Jr.)は,米国が頂点に留まり続けるという観点から,示唆的なことを述べている。一つは,経済発展は単線的に進むわけではなく,中国は経済力だけでは米国を抜けないということ,また先進国(declining power)と新興国(emerging power)のパワー・チェンジが起こる時,より相手に対して恐怖感・葛藤を感じやすいのは,前者(停滞する先進国)であるということである。
 故に,ジョセフ・ナイは,米国民に向けて,「中国が成長しアジアが台頭しても恐れるな!」と述べている。“恐れ”は潜在的な相手に対する強い嫌悪感であり,それは紛争と対立を生み出す。ルーズベルトの言を引き,「恐れねばならないのは“恐怖”そのものである」,恐れではなく「共同せよ」と述べているのだ。(*3)
 日本でそうした警告をする政治家がいるだろうか。日本は,GDPで中国に抜かれ,韓国に追い上げられる中,むしろナショナリズムが強まり,尖閣諸島の買い上げや国有化宣言に走った。そうした中,ヘイト・スピーチや反中感情がメディアも含めて急激に高揚した。日本では明らかに中国への恐怖と嫌悪が,反中感情を煽る結果を招いている。
 これまでの世界大戦の研究においても明らかなように,第一次世界大戦も第二次世界大戦のいずれも,その戦争の勃発は,欧州の,またパワーの境界線上で起こっている。第一次世界大戦は,オーストリアの帝位継承者フランツ・フェルディナンドに対する,青年プリンツィプの一発の銃声によって始まった。ところは帝国の南の境界線,サラエヴォであった。第二次世界大戦は,ドイツが第一次世界大戦で失ったポーランド領土を回復するため,1939年ポーランド国境を超えてシレジア(シュレージエン)に侵攻したことだった。
それらに共通することは,境界線紛争というのは,一つは衰退しつつある大国と興隆しつつある新興国との間のコンフリクトであること,もう一つは,一度失っても失った側は決してあきらめず,必ず取り返すための報復戦争を行うということである。
尖閣・竹島問題は,まさにこのパターンにあてはまる。すなわち,衰退しつつある国と成長しつつある国との対立,新興国のアグレッシブさと衰退しつつある側の恐怖感,さらに怖いのは,取った取られたを繰り返す限り,負けた側は必ず怨念を持って力をためて取り戻そうとするということである。領土紛争に終わりはないのである。
 もし尖閣諸島または竹島で一発の銃声が響くようなこと,あるいは不測の事故で死者が出た場合には,政治家も,民衆の恐怖と怒りの熱狂を止められない状況になり,予測不能な事態を招くこともありえる。「境界線の問題」を冷静に押しとどめ,平和的に解決することを,今の段階から双方の国是として取り組むことが何より重要なのである。

(*3)Joseph S. Nye Jr., TED Talks, Global Power Shift,  ジョセフ・ナイ『ソフト・パワー: 21世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新聞社,2004.http://www.ted.com/talks/lang/ja/joseph_nye_on_global_power_shifts.html

(2)エネルギー資源の共同管理
 戦争を未然に防ぐという点で,負の経験も含め,欧州の経験に学ぶことはたくさんある。
 欧州は二千年に及ぶ長い歴史において,統合しようという機運が繰り返し存在したにもかかわらず,多くの武力紛争を続けてきた地域であった。第一次世界大戦の勃発とハプスブルク帝国の崩壊の後,日本人の母を持ち多民族国家の外交官の息子として生まれたクーデンホーフ・カレルギー(Richard Nicolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi,1894-1972年)伯は,「汎ヨーロッパ主義」の思想を打ち上げて統合を進めようとしたが,その直後の1929年,米国ニューヨーク発の世界大恐慌が起きてヒトラーが登場し,欧州は第二次世界大戦に突入していった。“戦争前夜”の状況になる前に,いかにしてこれを押しとどめるかは極めて重要なことである。欧州は統合理念を持ちながら,何度もそれに失敗し,第二次世界大戦では3000万人以上の犠牲者を出したことは良く知られているとおりである。(*4)
 19世紀から20世紀にかけてさまざまな地域統合構想が現れてきたにもかかわらず日の目を見ることはなかった。(*5)しかし第二次世界大戦後に欧州統合の具体的な動きにつながる嚆矢が,欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community,1951年)であった。それを導いた「シューマン宣言」の基礎にはジャン・モネ(Jean Monnet,1888-1979年)とシューマン(ルクセンブルク生まれ,ドイツ育ちの,フランスの政治家・外相,Robert Schuman,1886-1963年)の構想があった。ジャン・モネは戦争経済の中でエネルギーを扱う商人・実業家だったから,戦時におけるエネルギー資源の戦略的価値,即ち,石炭と鉄鋼を押さえられれば,軍事力を押さえることになることを熟知していた。
 いくら努力しても紛争が止まなかった欧州で,戦後,永年の敵同士の独仏が石炭と鉄鋼を共同で管理することによって,紛争がぴたりと止まったのである。しかし,独仏間に敵意がなくなったわけではない。問題は,憎しみが消失するかどうかではなく,プラグマティックな発想で,戦争の原因になり,富を生む資源である石炭と鉄鋼(その後,原子力が加わった)を独仏が中心になってまずは欧州6カ国で管理するしくみをつくったことによって戦争が止まったのである。それゆえ「欧州石炭鉄鋼共同体」は「不戦共同体」とも言われる。「不戦共同体」の第一歩は,敵との間で戦争の原因としてのエネルギー資源を共同管理するという発想である。
欧州石炭鉄鋼共同体の経験を日中韓に当てはめるとどうなるか。もし石油,天然ガス,原子力を東アジア地域で共同管理することができるようになれば,たとえイデオロギーが異なっていても,戦争を未然に防ぐことはできる。尖閣諸島・竹島・北方領土問題の一つの原因は,その周辺域に眠る海底資源にもあるわけで,それを共同管理するしくみができれば,これらの問題は解決に向かう。重要なのはどちらかが勝ちもう一つが負けるというゼロサムゲームではなく,どちらも利を得る,Win-Win政策を,双方が制度化しようとする意志である。

(*4)羽場久美子監修『EU(欧州連合)を知る63章』エリアスタディーズ,明石書店,2013.カレルギー,和解,シューマン,石炭鉄鋼共同体など多数の項目がある。
(*5)羽場久美子『統合ヨーロッパの民族問題』講談社現代新書,1994年。(7刷)

(3)“Status Quo”の考え方
 もう一つは,「現状維持」(status quo)の考え方である。
 1975年に欧米35カ国の首脳が参加して開かれた欧州安全保障協力会議(CSCE)で,最終合意文書であるヘルシンキ宣言が採択された。その中の重要な原則の一つに,現状の国境線を凍結することによって欧州の平和を築くという「現状維持」(status quo)の考え方がある。
 当時,東西ドイツは分断状態であり,「国境線の凍結」は東西ドイツの国境の分断固定化を意味した。あるドイツの元外交官はHarvardで,「われわれは屈辱をもって(現状維持を)受け入れた。しかしこれを受け入れることによって,ドイツは欧州の一員になることができた」と回想した。
 欧州統合の核となった独仏の和解には,大きく二つのステップがあった。一つは,戦後の欧州石炭鉄鋼共同体の設立とエリゼ条約による和解である。何千万もの犠牲を出した第二次世界大戦を経て,独仏は,憎しみの中で敵との和解の道を選んだ。二つ目は,ドイツにとって屈辱的なことであったが,東西ドイツ,ソ連国境をはじめとする国境線の凍結こそが欧州の安定と平和の条件だと言われたことだ。それを当時の西独首相ブラントとシュミットが受け入れた。その結果,ドイツは欧州に受け入れられ,時が流れて89年にベルリンの壁が崩れたのである。75年の国境線の凍結があってこそ,世界中が恐れていた“ドイツの再統一”がコール西独首相の下で実現できた。もし戦後ドイツが「ノー」と言い,戦前の「世界に冠たるドイツ」の片鱗を捨てなければ,冷戦終結後の東西ドイツの統一を,フランスおよび他の欧州諸国も絶対許さなかったであろう。なぜならフランスおよび欧州にとって,ドイツ統一は悪夢であったからだ。メルケルも言うように「ドイツは欧州のドイツとして生きる」ことによって,他の欧州に受け入れられたのである。
 日本にとって尖閣諸島は,分断ドイツほどの屈辱ではないはずだ。尖閣諸島には人も住めないし,あるのは資源問題と海峡の利益だ。資源を共同管理し,安全保障を共同でマネジメントすることができれば,境界線の対立は解決できる。ただ中国が太平洋に出ていくのを阻止するという日米による封じ込めと,中国の第1列島線・第2列島線という安全保障の発想に対しては,米国も含んだ安全保障の話し合いが必要である。
 世界の民族・地域紛争のかなりの部分が国境線の問題であり,各権力の境界がどこまでかという線引きの問題である。可能な限りそうした国境線の対立を凍結・現状維持していくことで,紛争の材料も凍結されることになる。「恐怖」を煽ることは境界線の緊張を呼ぶ。国境線の凍結は思っている以上に重要で,戦争回避に不可欠な手段なのである。

(4)紛争の種「国境線」
 欧州にはさらに進んで国境検査なしで境界線を超えるための協定である,「シェンゲン協定」がある。これは1985年ルクセンブルクのシェンゲンで欧州5カ国により合意され,関税を自由にした商品・人の移動の自由化から始め,その後アムステルダム条約を経て,国境検査の廃止と域外の人の移動の自由についても締結国で調和されるようになった。2012年で26カ国が参加しており,シェンゲン領域の中では,パスポートが不要で,さらに欧州連合は,社会的・政治的統合として,教育権・医療保険・投票権をももつことができる。このようにシェンゲン領域内は,ほぼ一国の国内に近い状態になっている。国境線の最終的な開放である。アジアでは経済領域としての開放はあれ,格差と制度の多様性からこれに至るのは容易ではないし急ぐ必要もない。
 しかし「エネルギー資源の共同管理」と「国境線の凍結」の考え方は,イデオロギー的,理想主義的な視点ではなく,プラグマティックな平和実現の知恵であり,戦争の材料を取り除く,という画期的な決断である。これはアジアでも応用可能な欧州の知恵だと思う。
 実は,当時の欧州でも国境が画定していたわけではなかった。現在でもベルギー国内には,民家の中に国境線が引かれているところがある。国境線の凍結がなぜ重要なのか。国境線とは,地面に引いた人為的な線であり,国境線問題を突き詰めると至るところで争い・紛争が始まってしまうからである。
 宇宙飛行士・毛利衛さんは,タイでのアジア学術会議の国際会議で「宇宙から地球を眺めると,美しい地球には海にも陸にも“線”は引かれていない。線を引いたのは人間です」と言われた。この人為的な国境線をめぐり,パワーの拡大による国境線の引き直しにより,戦争が起こる。尖閣・竹島をめぐって国境問題が起きているのはまさに中国や韓国が自己主張を始めるほど,パワーが強力になってきたためである。こう考えると,国の衰退と隆盛がある限り,隣国同士の国境線問題は永遠になくならない。
 さらに国境線の外側に自国民が住んでいるとか,内側にさまざまな民族がモザイク状に住んでいる場合に,そこに国境線を引き直そうとすると,人を殺したり,追い出して,他民族を“浄化”しないといけない。チェチェン,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ,コソヴォなどがそうである。だからこそ国境線を「凍結」するのである。
 Status quo(現状維持)は,「棚上げ」とは違う。
 日本語の語感では,「棚上げ」してもいつかは「棚卸し」があるわけだ。日中間で「棚上げ」を言えば,中国が強くなったときに棚卸しをするから,日本としてはいま強いうちに棚上げさせず決着させたいと考える。Status quoというのは,もう少し固定的である。将来の動的な状況も含め,一旦「凍結」するということである。「今の状態に不満を言わない。今のままにしておく」ということである。
 どんなに大国と小国の間であっても,今の国境線に文句を言わないということ。ドイツは,中世以来の戦後国境を,殆ど放棄したといってよい。しかしそれによって平和と安定,欧州の指導権を手に入れた。「国境線の凍結」の実質40年,ヘルシンキ以降15年があってこそ,東西ドイツが統一しても「もうわれわれを攻めて来ないだろう」という認識がポーランドなど(被侵略国)を含む欧州でも合意されたのである。

3.独仏の和解に学ぶ

 よく「独仏は均質でほぼ同じ大きさの国であり,キリスト教国であるから和解はしやすい」と言われるが,実は後者には大きな誤解がある。キリスト教やイスラームのような,いわゆる「一神教」は,死を懸けてでも「われらの神」のために闘う宗教だ。キリスト教であるからこそ,欧州は2000年にわたって血みどろの宗教戦争を繰り返してきた。ネロのキリスト教迫害から,中世時代の魔女狩りや異端裁判のように,あるいは,植民地での「野蛮な非文明」の原住民の一掃のように,キリスト教が戦争被害を拡大させてきた側面があったことは否定できない。
 つい70年前の戦争,第二次世界大戦の犠牲者をみるだけでも,欧州が圧倒的な多数を占めている。全体で6000万人の戦争被害者の内,ソ連2200万人,中国1100万人,ドイツ500万人,ポーランド650万人(ホロコースト600万人を含む),日本300万人など,世界的な被害のうち,アジアは欧州の半分以下である。ロバート・ケーガンは,「第二次世界大戦までは欧州がマルス(戦争の神),米国がビーナス(美と平和の神)」といったが,歴史的に欧州及び米国のアグレッシブさ,一般市民を含む軍事力行使はきわだっている。北米でも植民地を拡大していく過程で先住民がほとんど殺され,南米も同様だった。欧州史を知っている立場からすると,欧州における和解がいかに困難であったかということを実感する。
 欧州は仲がいいから和解ができるというのは言語矛盾で,和解は仲の良い人とすることはない。欧州にとって和解は「敵との和解」であった。「和解」の語源は,宗教的には,「神への罪の懺悔と許し」である。死に値するような許しがたい行為をした当事者が敵に懺悔をして,互いに手を差し伸べあうという宗教的な考え方である。国際政治上は,「戦争・紛争状態,対立と不和の修復」である。その欧州で独仏の和解が成功して60~70年しか経っていないわけだが,その基礎にはエネルギー資源の共同管理と国境線の凍結というプラグマティックな知恵があった。ドイツ・ポーランドの和解は未だに十分なものとは言えないが,それはロングストーリーであり,また別の機会に触れたい。
 日中韓は仲が悪いと言われるが,逆に近代にいたるまでは欧州と比較しても国同士の大きな戦いはあまりなかった。戦後を見ても,朝鮮戦争とベトナム戦争という冷戦下の熱戦は象徴的であるが,欧州のように数千年にわたる戦争を繰り返してきたわけではない。にもかかわらず,戦後70年近くが経過しても和解が実現できていないのが実情である。精神的和解はさて置いても,経済的な共同作業から入り,アジアの安定と繁栄を共にリードするという発想があってもいいのではないか。経済協同は長い道のりではなく,すぐにでも実行可能な行動である。
 境界線をめぐり緊張と不安が高まっているいまこそ,「和解=紛争解決,信頼醸成」が必要な時だ。日中間の間に,尖閣・竹島問題が起こってきているときだからこそ,政治家のみならず,経済界,大学・教育界,文化人,メディアなど各分野で,和解と協力関係の構築に踏み出すべきだ。境界線をはさむ敵対国,それも経済発展を続けている近隣国と融和することこそ,発展と安定のカギとなる。尖閣・竹島問題が緊張の度を増しているからこそ,胸襟を開いて融和することは,日本がアジアでの孤立を脱する大きな契機となろう。
 順序としては,日本が謝罪を続ける,賠償金を払い続ける,ということからでなくても良いと考える。まずは,双方の経済的利益(interests)を確保していくことから始める。これも現状維持(status quo)の発想で,経済関係であれば体制が違っていてもお互いに利益があれば,和解を進めていくことは可能だ。加えて,文化的共同,留学生や一般人の交流,観光,食の安全,海賊対策,エネルギーの共同管理。国家同士が対立していても,橋をかけていける分野は多い。
 欧州統合は理想化され,理念化された面があるが,現実の欧州統合は基本的にエネルギーの統合と経済の共存から始まった。なぜか。第二次世界大戦によって欧州全体が荒廃し経済が地に落ちてしまった。その後米国の援助もあったが,欧州が自分たちで復興を遂げるために一番重要なことは何かと考えたときに,政治ではなく経済からやる,経済力は欧州を豊かにし,社会規範を高め,軍事力を超えると考えた。経済の復興こそが欧州をもう一度世界の頂点に立てる道だと考えたのである。
 かつてアウシュビッツを訪問し,今年2月,ポーランドのウッジを訪問した時,未だに至る所にホロコーストの生々しいメモリアルが残されていることに重い感銘を受けた。ウッジからアウシュビッツに向かう線路とホロコーストの貨車がそのまま雪の中に保存され,アウシュビッツの収容所にあるのと同じ,人を燃やす煙突が立てられており,立ちすくみ,背筋が寒くなり言葉を失うほどの光景だった。ところがそのメモリアルのいたるところにドイツの自治体やNGOによるドイツ語の記念の碑文が貼られており,戦争犯罪の贖罪と平和の希求が記されてあったのにも驚いた。
 日本人は「謝っても謝っても受け入れてもらえない」「いまだに中国人は先の戦争のことを言挙げし主張する」「どこに行っても戦争の記念をまざまざと残しているのは反日教育だ」と嘆くが,ドイツがナチス批判のメモリアルを,反ドイツ教育だと言おうものなら,ヨーロッパ中から非難を受けるであろう。欧州の戦争犯罪批判は中国・韓国の何十倍も強いといっても過言ではない。被害者の心情からすれば,数回の政治家の訪問や謝罪の言葉でわだかまりが解消されるはずはない。親や兄弟が殺されて賠償金で許すはずもなかろう。アジアでも戦争記念碑はむしろ認められるべきであろうし,それに対して,ウッジのメモリアルのように,双方のNGOが,「この痛ましい過去を忘れない」という碑を掲げ死者を悼み続けることによって傷は癒えてゆくのではないだろうか。
 また,和解への要求を国家全体に対する攻撃として受け止めるべきではない。ドイツの場合は,ヒトラーは自殺しナチズムは戦後一掃され全滅してしまったため,現在のドイツ人はその継承者ではないと断絶して理解することができるが,日本の場合は,天皇制と合わせて戦前戦後の指導者に継続性が残されたため,問題はより複雑である。しかし時代は変化しつつあり戦後は終わりつつある。むしろ新たな「戦争前夜」を創るのではなく,欧州にも学んだ双方からの和解と戦争の反省をきちんとして悼む気持ちを分かち合う努力をしていけば,「日本がまた攻めてくる」という思いも時間をかけて風化していくに違いない。
 ある中国人教授は「和解とは単に謝罪だけではない。日本は賠償金のことを気にするが,賠償金が目当てでもない。傷ましい戦争があったところで,跪いて祈りをささげてくれるだけで,あるいは線香を上げてくれるだけでもいい。死者を悼む気持ちを表明してほしい」と言っていた。こうなると信義の問題,まさに信頼醸成の問題ともいえる。
 「和解」とは,対立の克服,紛争状態の終結である。インドとパキスタン,中国とロシア・中央アジアが,対立と緊張をはらんでいるがゆえに互いに,南アジア地域連合,上海協力機構として統合を推進しているように,尖閣・竹島・北方領土の対立がある今こそ,中国・韓国,さらにはロシアと「和解」と統合に踏み出すときなのである。
 米国に並ぶ経済力を持つ,日中韓の和解こそアジアの共同の要であり,アジアの統合こそが,アジアに安定と繁栄を生み出す。和解の目的は,基本的には相互の平和と安定,共同の成長・発展のためである。アジアの和解は,日中韓の和解がカギになろう。その影響は甚大である。

4.アジアの地域統合の課題

(1)21世紀の特徴は地域間協力(*6)
 アジアの地域統合の試みは,現在すでに10以上もできている。そのうち米国は6つに関与し,ロシアは8つも関与している。米国に続いて,ロシアも,いまや完全にアジアの一員としてアジアの地域統合に参入した形だ。ヨーロッパで疎外されてきたロシアは「自分たちはユーラシアの国だ」と主張し,経済的利益もアジアから得られるとして特にモスクワより東部の国々は,アジア志向になっている。こうした地域統合のしくみをいかに有効に動かすかが,今後の重要なポイントだ。
 もう一つは,地域「間」協力(トランス・リージョン)が,21世紀の地域統合の特徴ではないかということである。いまや,1996年に設立されたASEM(アジア・ヨーロッパ対話)など,EUでさえアジアと結んでいこうとしている。ASEMはアジアの地域統合組織の中で一番大きな共同体となっており,50カ国+2組織(EU, ASEAN)が参加している。一方,米国はAPECやASEAN +8,さらにTPPなどに関与している。現在アジアは,相互に手を結べば,それだけで,世界最大の経済圏となり,また今後15年もすればアジアは世界の富の5割を占めるようになっていく。それを見越して欧米はみなアジアに目を向け,手を伸ばしてきている。ここ5年間の地域統合の動きは目覚ましく,紛争が尽きないアジアやアフリカでも,様々なレベルで自由貿易協定や,地域統合のネットワークが広がっている。2010年から始まった中台FTA,2011年,米韓FTA,EU韓国FTA,2012年から始まった日中通貨直接交換,2013年から始まった,TPP, 日中韓FTA, 日EU・FTA, EU中国投資協定,米欧FTAを見ても,世界中が,ネットワーク化し,それがアジアと繋がっていることは明らかであろう。今後も地域間協力は,日本が「中国と結ぶなんてありえない」と言っている間に,世界中で緊密化していっている。

(*6)羽場久美子『グローバル時代のアジア地域統合』岩波書店,2012.

(2)知のネットワークを形成できるか?
 その時重要なことは,「知」が欧米による「近代化」を世界に広げる上で重要な役割を果たしたとすれば,アジア諸国が,経済発展だけに満足するのではなく,まとまって「知の連合」をつくっていく素地が築けるかどうかだ。マクロ統計学者,アンガス・マディソンが過去2030年間の統計分析によって,明らかにしたように,近代以前の世界では,歴史的なアジアが,古代・中世から近世まで,世界の富の半分を独占していたということが,2007年に明らかにされた。(*7) 彼は2000年の分析により,今後アジアが再び富を獲得していくのは奇蹟ではない,「回復」である,と述べたのである。欧米の200年はゆっくりと終わりつつあるかもしれない。しかしアジアが再び,知と科学技術と情報を手に,安定と繁栄,高い社会規範を持った制度化を,アジアで実現できない限り,アジアは単に「豊かな」中世的な地域で終わるのであり,さらに隣国とパワー・チェンジをめぐって緊張を高め戦争を誘引するようでは,自己統治を行う能力は養えない。
 世界の富の半分を持つアジアに「知」が抜けているとすれば,経済的に永遠に富が域外に流れ出ていくことを許すことを意味する。日中韓が戦略的に結べば世界のトップの経済圏を形成できるだけでなく,アジア型の,平安と協同,豊かな文化や自然との共存に基づく,武力支配の近代とは異なる,新しい価値を生み出すことができるのではないだろうか。
 日本では,地域の協力関係を強調すると,一足飛びに,「日米同盟か」「日中の和解か」といった議論となり,特にこの2,3年の尖閣・竹島問題の下では,一般に日米同盟以外ありえない,という形で,議論が却下される。
 そうではなく,日米同盟を続けながら,アジアとも経済的に結び,利益と繁栄を享受すればいい,ということである。これこそ究極のstatus quo(現状維持)ではないか。今やっていることの,ポジティブな面を,進めればよい。ネガティブな方向に行こうとすることを押しとどめればいいのである。それは結局,利益を生まないからだ。こう考えれば,企業家も安心して両方に出ていける。これは非常にプラグマティックな発想でもある。
 今まで日本はその両者を追求して,利益を上げてきたのではないか。そして21世紀に入ってアジアとの経済関係が強まる中,アジア諸国の経済発展にも技術革新などで協力し,支援してきたのではないか。それに対して,米国が日本を“裏切り者”扱いしたであろうか。むしろ,いま米国自身もアジアの富から自国経済の回復と,200万人雇用創出をめざして,TPPと合わせて,中国へのG2や戦略対話を進め,EUも積極的に中国との経済連携を図ろうとしている。日本が中韓と経済的に結ぶことは米国と敵対することではなく,結果的にはアジアの安定と繁栄は,世界経済にとっても利益を創出する,ということをしっかり発信していきながら,中韓と経済連携すれば,米国に脅威感を与えることはない。
 逆に繁栄するアジア,特に中国をあえて切って米国一辺倒になった場合に,10年後,20年後のさらに緩やかに衰退していく日本は,果たしてアジアに受け入れられるメリットを周辺国に理解させられるだろうか。米国やEU自体が中国とG2,G3という形でやっていこうとするとき,日本だけが,アジア大陸の東の端で,孤立していくことは避けねばならない。「信頼醸成」は,今から,あらゆる地域と行う必要がある。それを進めるのは,文化力,知のネットワーク力であろう。

(*7) Angus Maddison, Contours of the World Economy 1-2030 AD: Essays in Macro-Economic History, (Dec 5, 2007).

(3)米国とアジアの架け橋となるべき日本
 日本は米国とアジアの架け橋になればよいと思う。政府及び,経済産業省も,基本的にはその方向で考えている。だからこそ,TPPと日中韓FTAを同時に進めようとしている。それは重要なことで,現状のTPPでは,交渉力の弱さゆえに,日本が得る利益が極めて制限される可能性が高い。地域統合は圧倒的に交渉力(知)が重要になる。
 EUは地域統合ができて域内ではうまくやっているように外から見えるかもしれない。しかし日々,個々の製品をめぐる熾烈な戦いが繰り広げられている。例えば,フランスの“シャンパン”はシャンパーニュ産の発泡酒を指す名称だが,他国の発泡酒を“シャンパン”と称さないように商標訴訟に訴え,勝訴した。その結果,スペインやドイツのシャンパンは価格が大幅に下落してしまった。むしろ地域統合が実現すると,こうした「商標権」や「知的所有権」の交渉や訴訟がいたるところで行われていく可能性がある。こうした力を付けていくためにも,知的ネットワーク形成は知のインフラとして不可欠である。
 同様に,TPPでも日中韓FTAでもそれが発効すると自由貿易が原則だから,企業対企業の訴訟が頻繁に起きることになる。ゆえに訴訟力をつけていかないと大きな損失を被ることになる。最近では中国との商標訴訟で日本が負けている。日本はこれまで閉じられた空間でガラパゴス的にやってきたとされるが,これからはそういうわけにはいかなくなる。訴訟能力,交渉能力,プレゼン能力を高めていく必要がある。これまでの日本は「語らないことが美しい」という文化だったが,それでは通用しない。主張して戦っていく。
 今後,日本がアジアと米国を結ばなければ,韓国がその立場を代替していくことになるだろう。すでにその傾向は現れている。韓国は,アグレッシブに取り組んでおり,その一例が,国連事務総長に続き,世銀の総裁に韓国人が就任したことだ。米国には多くの韓国人留学生,在米韓国人がおり,著しい勤勉さで,学力を高め,影響力を発揮しつつある。韓国は自分のポジションを意識して積極的に国際社会に出ていこうとしている。北朝鮮問題,大陸との関係などの地政学的位置を活用して,西側と東側の架け橋を国是として取り組んでいる。
 北朝鮮が崩壊の危機にある中,ドイツのように北の崩壊を韓国一国で引き受けた場合には,何十年も対策に時間と資金がかかり自国が大変な状況におかれるのではないかと心配している。そのため周辺国に対して,一緒に北朝鮮のソフトランディングを成功させようと働きかけており,それを中国,ロシア,米国もサポートしようとしている。日本もこうした状況を理解し,ヘイト・スピーチなどの動きを押さえ,韓国と協同して,米中の橋渡しをしていく必要があろう。
 また日本は,個々のレベルでは,勤勉さ,労働力水準の高さ,「知的立国」「技術立国」の有能さを持ち続けている。こうした21世紀の「知」の高さ,ソフト・パワーの優位性は今後も維持し,さらに高める努力が必要である。韓国,中国,インド,ASEANなどが,21世紀の「坂の上の雲」として,戦略的に若手を育成しているとき,日本も知の戦略を捨ててはならない。日本の技術力について,部分的には,韓国や中国に抜かれつつあるが,知的立国や文化水準,および平均的市民意識や高齢化対策,医療システムなどの面では,いずれも高い水準があるので,それを内向きではなく,アジアの他の諸国に積極的に発信しサポートしていくことで,感謝されていくであろう。例えば,ASEAN諸国やその周辺諸国の「知」の水準を挙げること,アジアでは激減したと言われる最貧国や貧困地域の教育・医療・社会保障などの面で,底上げしていくことにも,貢献することができよう。

5.最後に

 民族紛争や世界大戦にも見られるように,戦争や紛争で領土を失い,エネルギー資源が確保できなくなった国は,国連など国際機関を脱退し,失地回復を掲げて戦争を起こしてきた。ここにも見られるように,領土紛争は取ったか取られたか,勝つか負けるかであるが,負けた国は必ずいつか失地回復を求めて新たな戦争を起こす。ゆえに戦争回避のための第一歩は,領土には触れないこと,エネルギー資源の共同管理や非伝統的な安全保障(海賊対策,災害対策など)など,できるところからやる。政治は最後でいいのではないか。政治は非常にナショナルなものだ。ローカルに選ばれた政治家が,グローバルに考え行動することには限界がある。政治,官界,学界,NGO・市民社会,マスコミ,企業が一緒になって(「6連携」),今後どうしていくかを考える中からよい知恵が生まれてくると思う。
 近代日本は富国強兵,戦後日本は,経済力で今の地位を築いてきた。しかしもしリーマン・ショックのようなことがアジアで起こればあっという間に築いてきた富が崩壊し長期にわたり停滞が続く。そうならないためにも,経済統合・通貨協力を発展させ,「知」でインフラを作り,将来を担う若者を育てていくことが急務である。東アジアでも,「アジアの若者による,アジアのリーダー養成のための共同大学・大学院」のネットワークをつくるときがきている。

(2013年9月13日)

プロフィール はば・くみこ
津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程修了。学術博士(国際関係学)。法政大学教授などを経て,現在,青山学院大学・大学院教授。東アジア共同体評議会副議長,国際アジア共同体学会副代表,欧州連合ジャン・モネ・チェアを兼任。また,米国ハーバード大学客員研究員など欧米の諸大学で客員研究員をも務めた。専攻は,拡大EU・NATO,冷戦史,ナショナリズム,アジアの地域統合と米国。主な著書に,『拡大ヨーロッパの挑戦―米国に並ぶ多元的パワーとなるか』『グローバリゼーションと欧州拡大』『統合ヨーロッパの民族問題』『グローバル時代のアジア地域統合』,編著に『EU(欧州連合)を知るための63章』など他多数。