仏教哲学から見た現代経営哲学の新しい方向性

創価大学教授 山中 馨

<梗概>

 「企業の社会的責任」(CSR=corporate social responsibility)は,最近では当然のことと認識されるようになってきたが,更に一歩進んで,社会貢献を目的とする「社会的企業」の流れが近年強まっている。そのような中,社会的企業の女性経営者は,企業を主体として社会貢献をするという意識が(男性と比べ)強く,新時代を開く経営の担い手として期待される。より重要なことは,これからの経営を考えるときに,その基礎に哲学や精神的基盤が必要だということだ。仏教哲学の視点に立って21世紀の経営の世界的な潮流を見ると,その本質がはっきりと見えてくるが,その中から,①民衆第一,②全体人間,③依正不二の観点について見てみる。

はじめに

 日本は経済的発展を遂げて富と豊かさを享受し,世界平和に貢献しているわけだが,今日の日本の課題は,「それ(日本の富)をどのようにして世界のために使うのか」といった哲学,理念,人間性が全然見えないことだと思う。これからの時代は,哲学,価値観,人間性についてもっとはっきり闡明しないといけないのではないかと強く感じる。
 成功した経営者のリーダーシップについて調べてみると,その基礎には,必ず哲学,精神的基盤があることがわかる。
 例えば,京セラの稲盛和夫会長は,世界経営者会議で「リーダーは,経営能力などの才覚以上に高潔な人格を備えることが必要だ」と発言した[1]。またアサヒビール㈱の瀬戸雄三相談役(当時)は,「マネジメント能力は,ハウツー本から学べるものではない。他人の真似をすればいいというものでもない。それぞれにキャラクターが違うのだから,それぞれの人間性が滲み出るようなものでなければならない」と語っている[2]。
 創価大学は,日蓮仏法を基盤としその上に設立理念が立てられているが,その日蓮は,「日本国にはかしこき人人はあるらめども,大将のはかり事つたなければかひなし」,つまり,リーダーシップが最も重要だということを言った。
 私は,そうした経営の基礎に「人間主義」の哲学を据えるべきと考えているが,その人間主義哲学の特徴には,次の三つがある。①民衆第一(凡夫即極ぼんぷそくごく),②全体人間,③依正不二(えしょうふに),である。以下,それらについて,仏教哲学と現代ビジネスの潮流と関連させながら説明してみたい。

1.民衆第一

(1)BOPビジネス
 「民衆第一」のことを仏教用語で「凡夫即極」と言うが,それは「最も尊い存在は,荘厳された仏(釈迦,神)ではなくわれわれ普通の人間(凡夫)である」という意味である。総ての人間(の心)の中には仏になる種(仏種)をもっているから,貴いのはわれわれ普通の人間であって,自分の中にある仏性を悟った人間を「仏」と言っているに過ぎない。この考え方は,大乗仏教の出現によって初めて出てきた考え方で,人間の可能性への絶対的確信であり,「民衆賛歌」への大転換といえる。
 この民衆第一に関係するビジネス分野の考え方に,BOP(=Base of the Pyramid)ビジネスというのがある。これは世界の所得別人口構成の中で低所得層を対象にしたビジネスのことで,底辺層の約40億人の人々(the Bottom Billion)を対象とし,その人たちの生活水準向上など貧困問題をも解決しようというビジネスモデルである(最近では,BOEP=Base of the Economic Pyramidとも言われる)。
 例えば,ユニリーバ(英蘭に本拠をおく洗剤などの家庭用品の多国籍企業)は,インドの農村部で貧しい人も買えるように洗剤を小分けにして販売する。家電メーカーのフィリップスは,インドで煙の排出量の少ないストーブを販売する。食品メーカーのダノン(フランス)は,フィリピンで栄養価の高い子供向けヨーグルトを販売する。
 日本のメーカーでは,住友化学がアフリカの会社AtoZにノウハウを提供して,殺虫効果のある蚊帳を作らせマラリア撲滅に貢献している。ヤマハは,アフリカで点滴灌漑農法に貢献している。これは,アフリカでは地下水を汲み上げてそのまま農地に流したのではすぐに大地に吸収されてどうにもならないために,パイプを這わせて点滴のようにゆっくりとたらすことで農業ができるようにするものである。
 BOPビジネスで重要な点は,次のような発想の転換である。今まで下層の人々を対象にした事業の場合,その多くが「お恵み福祉」タイプだった。つまり,そのような人々に「援助してやる」という発想だった。しかし,BOPビジネスの哲学は,「お恵み福祉」ではなく,自立を支援するのである。貧困層の問題の核心は,所得が低いことではなく,基本的潜在能力が奪われた状態と見る。生まれた土地でどうにもならない環境条件の下に置かれ,本来もっている能力が発揮されていないに過ぎないと考える。
 グラミン銀行の創設者ムハマド・ユヌス(Muhammad Yunus)は,「貧困の原因は,怠惰や能力不足ではない。彼らが必要なことは少額でもいいから正当な金利で長期的返済計画が可能な貸付だ。それさえあれば彼らも経済循環の中に入ることができる」と語った[3]。
 米国でホームレスの自立支援を行なっている会社のロザンヌ・ハガティ社長(女性)は,「行政の行なうホームレス対策は,お恵みの寄付金と善意ある人たちのボランティア・ワークによって支えられていて,お札に火をつけて燃やしているようなものだ」と皮肉っている[4]。
 仏教の人間主義哲学から言えば,「人間の中には無限の可能性がある」「誰の中にも仏になる種がある」「人間を固定的に見てはいけない」「誰でも変わりうる存在だ」という考え方につながる。BOPビジネスは,まさにそれをビジネスに生かしたと考えていいだろう。お恵み福祉の発想は,上に偉い方がいて下に貧困層があるという捉え方だが,貧困層の人でもチャンスさえあれば,その人の心の中に持っている力が湧き上がって出てくると見るのである。

(2)自己変革力
 前節のような考え方について,「リーダーは自己変革を厭わない,自らを変えることができなければ,組織トップは務まらない」などと,日本の経営者も「自己変革力」などの表現で異口同音に同様のことを語っている。以下,具体的に,経営者の言葉を引用してみる(尚,肩書きは発言当時のもの)[5]。
 「もともと私は学究肌のおとなしい一人っ子だった。社長業はおろか,人前に出て話をしたり,取材を受けることさえ,できることなら避けたいというのが,もともとの私の性格だった。しかし社長になったときに,自分を変えました。テレビや新聞,雑誌などマスメディアの取材も積極的に受けてどんどん発言するようになりました。社長が変わらなければ社員も変わりません」(福原義春・資生堂名誉会長)。
 「私の人生の転機は,(親会社の)新日鉄で情報部門の取締役に就任したときでした。その任命を受けたとき私は,椅子から転げ落ちんばかりに驚きました。それまでの私は,キーボードなど軽蔑して触ったこともない男だった(が,その後がらっと変わりました)」(棚橋康郎・新日鉄ソリューションズ会長)。
 「私はいろんな部署に異動することを自分から手を挙げました。好奇心の赴くままに取り組みました。個人的にいろいろな部門を体験したことが,大きな糧になっています。それまで私は緻密な分析をして計画を練るタイプでしたが,とりあえず動いてみるタイプに変わりました」(桜井正光・リコー社長)。
 アサヒビールの瀬戸雄三氏は,「ハードルの法則」を強調する。「凡庸なリーダーのハードルは低く,優秀なリーダーのハードルは高い。概してリーダーはすぐ手の届きそうな目標を設定して,安易に達成感を得ようとし勝ちである。これでは緊張感も,一体感も生まれない。その意味では壁は高い方がいいし,障害は多い方がいい。それを乗り越えたときに感動がそれだけ大きくなるからだ」[2]。常に新しい一歩を前に進めることが肝心だという意味である。
 ここで,ニトリの似鳥昭雄社長の興味深い逸話を紹介する[6]。
「創業して5年目(1972年)に,“30年計画”を作りました。そのとき札幌に3店舗,売上高が1億6000万円だった。その計画は,30年間で売上を1000億円にし,100店舗にするというものだった。すると周りから,そんな気違い沙汰な目標を立てて,もう死んでしまえ,あいつはバカモノだ,とか,間抜けなど,さまざまな悪口を言われました。そして30年後(2002年)には,売上高が882億円,店舗数83店舗,1年遅れの翌年には,売上高が1087億円,店舗数が100店舗になりました。ロマンとビジョンを掲げていけば,必ずできるという証拠です」。
 大事なことは,それを支える精神的勇気だ。自分の心の中に精神的強さがないと,周囲の(ネガティブな)考えに押されてしまう。自分の人生の目的が達成できるかどうかの分かれ目は,挑戦する意志・勇気,実現可能だという信念があるかどうかに尽きると思う。
 今,行き詰まった日本に求められているものは,創造性,ビジネスで言えばイノベーション,独創性だと思う。「21世紀の世界は創造の戦場だ。独創のためには,基本のところからごまかさずに考える習慣,独立独歩から始まる。『我一人立つ』という個人が確立されていなければ,道なき道を行くことは出来ない」[7]。これが最も重要な点だ。
 この点で,松下幸之助翁のすばらしいところは,何歳になっても全く新しいことにチャレンジしたことだと思う。彼が,松下政経塾を創設したのは84歳のときだった。こういうところが,“経営の神様”と言われた理由だと思う。
 「自己変革力」「凡夫即極」の考え方から言えば,“変わる”ということは右から左に移るような変化ではない。人間の中には,もって生まれたときから備えられていた(不変の)性格もあるだろうが,(結果的に見て)変化後の性格ももともとその人の中にあったものと見る。その性質は隠れていて見えなかっただけであり,それを開発した結果,後になってその性格が表面に現れたものだ。「小さな自我が大きな自我になった」「人間が大きくなった」,このように見るのである。このような見方を,「心の壁を破った」「人間革命」「境涯革命」「器が広がった」などとも呼ぶ。

2.全体人間

(1)社会的企業
 「全体人間」というのは,仏教の特徴的とらえ方だ。池田大作は,トインビーとの対話の中で,「知性,理性,感情は,この生命自体の表面の部分であって,生命全体ではありません。知性や理性,感情は,この全体的生命を守り,そのより崇高な発現のために奉仕すべきものです」と語った[8]。
 われわれ(東洋人)は,小学校の頃から基本的に西洋的教育を受けているが,仏法的に見ると,西洋思想は理性偏重だ。仏法は,理性をないがしろにはしないが,感情・共感性なども同じように重要視して開発すべきだと考える。
 この観点をビジネス面で言えば,「社会的企業」(Social Enterprise, Social Entrepreneurship)が挙げられるだろう。前節で述べたBOPビジネスは,その企業の本来の事業展開の中で,プラス・アルファとして社会貢献できる部分を見つけて社会貢献を行なうものだが,「社会的企業」というのは,最初から社会貢献を目的として設立され,収益事業を行なう事業体・企業である。一番の典型は,貧困層に少額貸付をするグラミン銀行だ。
 社会的企業が出てきた背景は,イギリスに見出すことが出来る。サッチャー政権(保守党)は小さな政府の方向性を強めたが,その後のブレア政権(労働党)もその方向は引き継いだ。ブレア首相は,アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens,ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス名誉教授)が唱えた「第三の道」に着目しそれを政策化した。その考え方の骨子は次のようである。
 今までの福祉国家は,社会福祉をすべて政府が行なうべきだと考えたが,そこに市場原理もからめる。しかし市場は不安定で不平等な面があるから,政府と市場にもう一つのセクター(市民社会;NPO,NGOなど)を介入させて,政府・市場・市民社会がバランスを取って福祉社会を運営するという考え方である。これにブレア政権が着目し,福祉国家からの転換を図り,政府が出来ない福祉分野をNPO/NGOに任せる政策を積極的に打ち出した。
 福祉国家から「社会投資国家」への転換を図ったのである。福祉国家は,低所得者層に生活保護費などを支給するわけだが,そうではなく人材育成のために積極的に投資する。社会起業家を育てNPOなどを創ってもらい,政府の出来なかったところをビジネス感覚で取り組み福祉を増進させてもらうという考えである。例えば,ホームレスの自立支援,高齢者介護支援などである。
日本にはこのような社会起業家精神が育っていないので,果たしてどうかとも思ったが,よく調べてみると結構日本にも出来ていることがわかった。考えてみれば,元々日本には町内会など自治組織がありそれが地域の美化運動や相互扶助運動などを展開してきた。そういう意味で,日本人はその基盤を持っているのかもしれない。
 社会的企業(=社会起業家)に問われているのは,社会起業家のリーダーシップだ。とくに起業家がどれだけ情熱をもって社会変革に取り組んでいるのか,自分の周囲に専門家を集めることが出来るのか,ということだ。社会起業家には情熱はあるのだが,企業を運営するノウハウは持っていないことが多い。起業家は,自分の情熱で専門家を集めてネットワークを作り運営し,その組織を継続させるとともに利益も上げなければならないから,そのような手腕も求められる。

(2)感性と女性の役割
 次に重要な点は,社会起業家の「感性」だと思う。これは米国の社会起業家キャロル・アトウッド(女性)は,TMG(The Merchandising Group;TMGは比較的大きな社会的企業で,ミネアポリスにある物流センターの大口顧客でもある)の役割について,「TMGが彼ら(物流センター)との取引をやめたら,物流センターの職員を解雇しなければならないとかいう問題ではないんです。われわれの顧客が,商品の納期を早めることを要求した場合に,その要求はわれわれを通じて物流センターに行く。最終的には発展途上国のアジア諸国で縫製作業をする労働者の負担へと跳ね返っていく。問われるのはそのような認識です」[9]と語った。
 要するに,“共感性”の重要性を訴えている(これを人間主義哲学では「内在的普遍」と表現する)。“共感性”とは,想像力,生命感覚であり,見ず知らずの異国の住人たち,自分の近くの人たちはもちろんのこと,自分が会ったこともない見ず知らずの人とも交わすことができる共感,感受性であり,これをもっていないと,この社会的企業を運営できないのではないか。
 「内在的普遍」とは,人の心の中に内在的に持っている普遍的な性質で,それはどの国の人でも通じ合えるものであり,そのような基盤の上で磨かれた感性である。それをもっている人でないと社会的企業のトップ・リーダーにはなれないのではないか。池田大作は「人間の進歩は,理性によるものではなく,理性を操作する直観の深化とその質的向上による」と語った[10]。
 このような感性を大事にせよと主張する日本の経営者も多い。
 大阪を中心にお好み焼き店を全国展開する会社「千房」の中井政嗣社長は,「こうしなさい。ああしなさい。そうすればこうなります。というリーダーは,理性あるリーダーである。それに対して感性あるリーダーは,要はこうしたいのだ,そのためにはどうしたらよいと思うか,という言い方をする。その方が各人の個性が活かせる」[11]と言った。
 ハウス食品の小瀬昉副社長(当時)は,次のように語った[12]。「論理的にものごとを説明できないと,人は納得しない。が,心の共感性がなければ人を動かすことは出来ない。リーダーは自らの弱みをさらけ出せし,自分の真の姿をどれだけ見せるかが,問題です。強い面と弱い面との両面を素直に見せることが大事だ。人は成功した話よりも失敗した話に共感と人間性を感じる。自分の弱みはいくら隠そうとしても周りの人には見えてくる。上司も人間だから,自分と同じように苦労してきたのだと思えることで,親近感と信頼感が増します。これが組織の一体感につながる」。
 先述した「千房」の面白いエピソードがある。同社の曽根崎店が改装オープンして,土日は好調な売上だったが,3日目に中井社長が店を突然訪ねたところ,店長がテーブルで伝票の整理をし,従業員は個室で休憩していた。売上の数字が,3日間で最低だったという。そこで中井社長は店長を呼びつけて一喝し店長交代を告げた。すると店長は「1カ月だけ待ってください」と懇願したが,その翌日から売上が俄然伸びたという。
 一体,何が起きたのか。従業員曰く,「オープン早々,社長さんが訪ねてきましたが,店長は『俺を助けてくれ。この12月までに目標を達成できなければ,俺はクビだ』と泣きながら哀願した。それまで店長は,従業員に頭ごなしに命令して押さえつけていたために,従業員は反発心でみんなばらばらだった。しかし店長が泣きながら謝って呼びかける姿に,従業員たちは『がんばろう』と一丸になった」。
 日立製作所の庄山悦彦会長は,「従業員が仕事や会社に愛着をもって経営幹部とビジョンを共有して共に進もうとする家族的経営は,日本人の力を引き出したいいシステムだ。日本人の有言実行や強い倫理観,最後までやり抜こうという精神が日本精神の根幹にある」[13]と語った。
 松下幸之助翁は,次のように言っている[14]。「社長とは,方向指示器のついたお茶くみ係りでいい。『いや,どうも,ありがとう。本当にご苦労さん。まあ,お茶でも一杯』という気持ちを持つことが大事だ。そういうものを心に持てば社員に自ずと通じるものがあるだろう。だから私は,そういうことに心がけて,今日はどれだけの人にお茶を汲めたかなと日々反省もしているのである」。
 社会的企業を調べてきたときに,女性経営者の能力に目を開かれた。女性経営者は感性で経営している。男性の経営とは全く違ったやり方だ。自分の感性を大事にしながら経営し,しかもそれが自然に社会貢献につながっている。社会貢献度を調べてみると,社会的企業の中でも男性と女性のリーダーでは,女性リーダーの方が大きい。その人の心の中でどれだけ情熱を持っているかという内発性を見ると,女性リーダーの方がはるかに高いことが統計的にも出ている。このような観点から,これからは女性リーダーが重要だと思う。

3.依正不二(えしょうふに)

 仏教では,環境のことを「依報」(えほう)といい,人間あるいはその心を「正報」(しょうほう)というが,その人間と環境は,見た目には二つの別個の存在のようだが,実は二つではないという考え方を「依正不二」という。これは仏法の古めかしい言葉なので,今の言葉で表現すれば「自他共の幸せ」と認識すればいいと思う。
 仏教の唯識思想には「九識論」がある。九識論では,人間の心を9つに分解して(眼・耳・鼻・舌・身の5識に意識・末那【まな】識・阿頼耶【あらや】識・阿摩羅【あまら】識を加え9つにしたもの),その一番下に阿頼耶識と阿摩羅識があるとみる。西洋の心理学では心の一番奥に「無意識」があるとされるが,仏教はそのさらに下に阿頼耶識や阿摩羅識というものがあると見る。阿頼耶識には生命エネルギーが激流のように流れており,一瞬一瞬変転している。そのエネルギーは,他人の生命エネルギーとも交わっている。
 アインシュタインは宇宙宗教を唱え,「君と私は赤の他人だが,あるパターンによって結びついている」[15]と同様の内容のことを述べた。これは縁起の思想であり次のように表現される[16]。「全てはつながっている。この世に単独で存在しているものなど,何一つない。いかなる生物も,自分一個で生存をまっとうすることはできない。社会全体を良くしなければ,自己の繁栄,幸福も確保できない。同時にどのような社会,企業,国家であっても,個人を犠牲にした繁栄は真の繁栄ではない。他人だけの不幸がありえないように,自分だけの幸福もありえない」。「自他共の幸せ」が基本なのである。つまり決して自己犠牲だけではなく,他人への貢献が同時に自分の幸福へもつながってくるのである。日蓮は,「人のために火を灯せば,わが前明らかなり」と言った。
 ビジネス分野で言えば,いまや「企業の社会的責任」(CSR)はとくに大企業では当たり前のこととして認識されてきているが,日本のCSRは環境保全を前面に出すことが多い。実は,地球環境全体が脆弱な星だと広く地球レベルで認識されてきたのは,前世紀の終わりから21世紀に入ってからだったと思う。
 今から40年ほど前の1972年にローマクラブ(Club of Rome)は,現在のままで人口増加や環境破壊が続けば,100年以内に人類の成長は限界に達するだろうと警告した『成長の限界』という最初の報告書を出した。ところがそれから20年経った1992年になっても,地球全体で各国が共同歩調をとって地球環境の保全をしようということが全く出来ていなかった。そこでローマクラブは第2番目の報告書『限界を超えて-生きるための選択』を出し,遅くなれば遅くなるほど,地球は持続可能な状態に持っていくことが難しくなるとさらに悪化したシナリオを提示した。
だがその後も,先進諸国では環境保全を訴え積極的に取り組もうとする国もあれば,米国のように京都議定書(1997年)に批准しない国もあり,さらに途上国は「これからがわれわれの成長のときだ」として反対するなど国益優先の現実があって,地球全体の共同歩調からは程遠い現状である。
 そこで「地球管理の責任を企業に負わせよう」「CSRを第一目的に据えよ」というのが私の主張だ。これは出来ないことではないと思う。かつてパナソニックの松下幸之助翁は「水道哲学」を唱えた。松下電器(現パナソニック)は,会社の第一義的目的を「日本の貧困をなくすための会社だ」と定めた。つまり,日本の貧困をなくすために,水道の蛇口をひねれば水が出るように,安い電気機器を日本全国民に提供していこうと考えたのである。
 それと同様に,現代の企業は,地球が持続可能であるように,人類が滅亡しないように,地球全体を対象にして管理することを(管理のやり方はその企業の特徴を活かせばいい)企業の責任の第一に据えてビジネスを展開すべきだ。そういう具合にCSRを考えてもらいたいと思う。
 最初に述べたように,人間と環境は別々ではない(「依正不二」)のだから,地球環境を破壊することは,自分の身を傷つけていることと同じことになる。これからは「自他共の幸せ」を基盤において考えなければならない。
 さらに言えば,心が変われば環境が変わる,心がそうしたいと願えば現実もその方向に動き始めていく,そのようにこの原理を解釈することも可能だ。「一人の人間における偉大な人間革命は,やがて一国の宿命転換をも成し遂げ,さらに全人類の宿命転換をも可能にする」[17]。

4.最後に

 以上のような考えの中には,多様性の礼賛,共生の考え方も含まれる。仏法では,それぞれの多様性を認め合いながら共生することを「桜梅桃李」というが,各企業もそれぞれの多様性を認め合いながら共生し,各々は全体益に立脚して活動するのである。
 松下幸之助翁の秘書をやっていたPHPの江口克彦氏は,次のように語っている[18]。「松下幸之助という人は,人を喜ばせることに喜びを感じる人だった。優れた経営者というものは,自分のことを差し置いても周囲の人たちのことを一生懸命考える,周囲の人たちが喜ぶことに喜びを感じる資質というか,そういう人でないと優れた経営者になれないのではないか。これが松下さんが成功した理由です」。これはまさに仏教でいう自他共の幸せだと思う。
 競争は人間のエネルギーを引き出す利点を持ち,競争原理が働かないと人間の怠惰性が現れてくることがあるから,自由競争原理は重要だ。ただし,これからは人道面で競争すべきだと思う。“人道”と“競争”はなかなか結びつきにくい概念のようだが,今後は“人道”と“競争”の両方を組み合わせた活力ある社会を築いていく。
 未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士(Hazel Henderson)が言っているように,これからはGDPなどの経済指標を社会発展の基本指標とすることをやめようではないか[19]。GDPなどを基本指標としているために,物質・経済中心の社会になっているのであって,もっと生活の質,人間の満足度,幸福を指標とする社会に転換していくべきだろう。日本は米国と比べても,保健衛生の面,公共インフラ,貧富の差が小さい,犯罪者が少ないなど,良い指標が少なくない。経済指標だけで測るのではなく,日本は今後このような指標を基準として国の政策を進めていくことを宣言すべきだろう。これも人道的競争の一例ではないかと思う。

(2013年7月10日)

プロフィール やまなか・かおる
1947年神奈川県生まれ。71年電気通信大学応用電子工学科卒。76年名古屋大学理学研究科博士課程満期退学。92年職業能力開発大学校教授,94年創価大学経営学部教授,00年同大学コンピュータ・センター長,01年同大学経営学部長,06年同大学キャリアセンター長,01年より私立大学情報教育協会委員として現在に至る。理学博士(名古屋大学)。専門は経営情報学,人間主義経営論。主な著作に『現代経営学からみた大学の人間教育のあり方』,『人間主義経営への世界的潮流-見えざる資産の根底にある精神-』など。

参考文献
[1] 稲盛和夫『企業統治におけるリーダーのあり方』,世界経営者会議,2002
[2] 瀬戸雄三『逆境はこわくない』,東洋経済新聞社,2002
[3] シルヴァン・ダルニル,マチュー・ルルー著,永田知奈訳『未来を変える80人』,日経BP社,2006
[4] 渡邊奈々『チェンジメーカー』,日経BP社,2005
[5] 古野庸一『リーダーになる極意』,PHP研究所,2005
[6] 似鳥昭雄『トップが語る現代経営』,創価大学出版会,2004
[7] 池田大作『人生は素晴らしい』,中央公論社,2004
[8] アーノルド・J・トインビー,池田大作『二十一世紀への対話』,文藝春秋,1975
[9] マーク・アルビオン著,斉藤槙/赤羽誠訳『社会起業家の条件』,日経BP社,2009
[10] ルネ・ユイグ,池田大作『闇は暁を求めて』,講談社,1981
[11] 中井正嗣『トップが語る現代経営』,創価大学出版会,2005
[12] 小瀬昉『トップが語る現代経営』,創価大学出版会,2002
[13] 庄山悦彦『トップが語る現代経営』,創価大学出版会,2008
[14] 前岡宏和『松下幸之助の遺伝子』,かんき出版,2003
[15] ウイリアム・ヘルマンス著,雑賀紀彦訳『アインシュタイン神を語る』,工作舎,2000
[16] 池田大作『ビジネスとリーダーを語る』,ダイヤモンドセールスマネージャー,40巻,ダイヤモンド社,2004
[17] 池田大作『人間革命』,聖教新聞社,2000
[18] 江口克彦『トップが語る現代経営』,創価大学出版会,2002
[19] ヘイゼル・ヘンダーソン,池田大作『地球対談 輝く女性の世紀へ』,主婦の友社,2002