欧州統合の今日的意義―理想とリアリズムによる危機の克服

東京外国語大学教授 渡邊啓貴

<梗概>

 現在,欧州は移民,難民,テロ,ウクライナ問題を始め,ギリシア財政危機など多くの難しい課題を抱えている。しかもイギリスは国民投票でEU離脱を決め,今や統合の意義そのものが問われている。しかし,もともと欧州統合は,理想主義だけでやってきたのではなく,リアリズムに基づきさまざまな危機をバネにしてそれを乗り越えるための制度設計を積み上げながら進化・発展してきた。そのような欧州統合の試みを再評価してみることは,今後の多極世界においてグローバル・プレイヤーを目指す日本にとって有益だと思われる。

1.西洋型国民国家の変容と欧州統合

 欧州統合について考えてみると,早くも20世紀初めのころからその統合に関する理想主義の系譜があったが,実はそれだけで進められたのではなかった。第二次世界大戦後の惨状と人的被害,そして戦後和解の必要性などを背景に,直接的には欧州諸国の戦後復興のために米国が行った「マーシャル・プラン」という援助から始まったといっても過言ではない。米国は欧州諸国の経済を安定させてソ連を中心とする東側勢力を防ぐために100億ドル以上の援助を行ったが,西欧諸国はそれを受け入れる機関としてヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を組織し復興を進めた。このように欧州統合は,理想主義というよりも,厳しい現実に直面した欧州諸国の相互依存的な解決方法なのである。
 欧州統合の父といわれるジャン・モネ(Jean O.M.G. Monnet,1888-1979年)は,欧州石炭鉄鋼共同体の総裁も務めた人物だったが,もともとはコニャックの商人として英国で商売をしていたことから英語に堪能で,二つの大戦では米国ロビー活動も行うほどに,親米の心情をもっていた。戦後,フランスに米国からの資金が投じられたが,米国でその交渉に当っていたのもジャン・モネだった。
 ただ,米国には欧州援助によって影響力を及ぼすと共に,有力な新興市場になり得るとの思惑もあった。フランスはそれをすばやく察知して,米国の姿勢を「コカコロニゼイション(Coca-colonization,<F>Cocacolaisation)」(米国経済の侵略の意味)と皮肉った。
 米欧関係は日本人が思うほどにスムーズではなく,むしろ欧州諸国といえども,米国との外交交渉で痛い目にあった経験が少なからずあった。例えば,スエズ動乱(1956年)のときに,英仏は米国の関与を期待したのだが,結局は米国は手を出さなかった。そのような米国の態度を見,経験したフランスは,独自の核を保有するようになった。プラハの春(1968年)で西欧諸国は,チェコに軍事侵攻したソ連を非難したが,米国は全く手を出さずに助けなかった。
 70年代初めまでの西欧諸国は戦後復興に伴う高度成長時代を謳歌し,フランスでは「栄光の30年」ともいわれた時代だった。その後,欧州における通貨統合の動きが出始めたときに,オイルショックが起こった。日本は省エネなどの努力によってスリムにして何とか乗り切ったものの,欧州諸国は経済的な苦境を経験し,「欧州統合の暗黒時代」「ヨーロッパ病」などといわれた。国民に手厚い社会保障を提供してきた西欧先進福祉国家は岐路に差し掛かった。
 70年代終盤になると,サッチャーリズムやレーガノミックスなどのネオリベラリズムによる小さな政府が目標とされた。そのなかで大きな政府を目指して社会主義の夢に膨らませて発進したのが社会党のミッテラン政権であった。それ以降今日に至る30数年間のフランスの歴史は,西欧型国民国家変容の過程であった。
 1970年代以来の失業の増大と社会保障の高負担による財政赤字に代表される,福祉国家の危機からの脱出の模索の一つの方途が欧州統合であった。80年代半ばに活発化した域内市場統合は,閉塞状態を共有する西欧諸国の突破口の模索でもあった。マクロ経済効果を狙った市場統合とは,高負担と活力を失いつつある西欧諸国の協力によるコスト削減とリスク分担による構造再編である。当然それは,従来の各国の政治・経済・社会構造と制度の再編を必要とした。いわば,「国境を超えたリストラ」であった。
 企業でいえば合理化・合併のような改革の手法を,欧州に適応して対応しようとしたのが「国境を超えたリストラ」である。言い換えれば,膿を出して合理化し,国のしくみ(法制度,機構)を変えていくという「制度作り」「制度設計」である。

2.欧州統合のリアリズム

 (1)ギリシア財政危機
 欧州統合は,既に述べたように危機をバネにして制度設計を繰り返しながら進化発展してきた。ゆえに,例えば単にユーロ危機やギリシアの財政危機をクリアーすればよいということにはならない。
 まずユーロ危機については,2012年の段階で危機を脱したと見ている。欧州中央銀行(European Central Bank)は,金融・通貨政策を実施する機関であって,融資を行う銀行ではないから,各国の財政問題には口出ししない。そこでユーロ圏の財政危機に陥った国の金融支援を目的として欧州安定メカニズム(ESM=European Stability Mechanism)という新しい機関が創設された(2012年)。
 2015年にギリシアの財政危機がEUおよび世界の問題になり,同年7月1日にデフォルトになったが,その数週間前にギリシア政府はESMに借金の申請を行っていた。援助願いの条件が折り合わなかったために7月1日になっても正式な許可が下りずにデフォルトになったのである。つまり,国としてギリシアは「倒産」状態であるはずなのに,市場はESMがギリシアが飲むような条件を出すだろうと予測してユーロは下落しなかった。その後,ESMの正式許可が下りてこの問題は一段落した。今年は,5月末のEUユーロ圏財務相会議において,ギリシアに対して6月以降追加融資を実施することで合意され,前年のような財政危機の再燃は回避された格好だ。こうしたギリシアとのやり取りを見ていると,その良し悪しは別にしても,悪く言えばギリシアは安心して「倒産」しているようにも見える。
 欧州が最初にユーロを導入したとき,今回のギリシア財政危機のようなことは想定していなかった。しかし金融・通貨政策だけではもたないことや,共通財政政策にならない限りは本当の意味の通貨の安定はないということはわかっていた。そうした中で,欧州は一つひとつの危機をバネにして制度設計を発展させてきたのである。
(2)選択制と段階統合
 人の移動の自由を保障したシェンゲン協定が1985年に導入され,欧州の域内市場統合は,人,モノ,カネ,サービスの自由が保障された。実は,このような発想の萌芽は,20世紀のはじめからあった。
 現在の欧州統合の原型はフランスの政治家ブリアン(Aristide Briand,1862-1932年)の欧州統合案で,1929年当時の国際連盟総会に提出されたものだ。同統合案にはすでに,人,モノ,カネの自由ということが謳われ(サービスは除外),運輸・教育のための統合政策など今出ている内容のほとんどが盛り込まれていた。(国家主権問題は棚上げされたが)連邦主義のようなことにも言及されていた。
 そして今日のEUは,統合を強引に推し進めるのではなく,選択制(opt-out)という手段をとっているところに特徴がある。例えば,EUの中でもユーロを導入していない国もあるし,シェンゲン協定に現在でも英国とアイルランドは入っていない。できるところから進めようという段階統合論である。欧州統合においては,理想・ビジョンを掲げつつも現実主義をとる。そうでなかったら欧州統合の存在理由(raison d'être)だけでなく,求心力さえも失ってしまうだろう。
 東アジア共同体を考えるときには,EUのやり方をそのまま真似ることはできないと思う。まずは共通のビジョンを持つことから始めるべきだろう。利害対立,理念の違いがあるからムリだろうと言う人もいるだろうが,ヨーロッパ人に言わせればそんなことはないとなる。グローバル・プレイヤーとして日本が立つとすれば,まずビジョンを提示すべきだろう。ビジョンは自国の一方的主張では到底受け入れられないから,痛み分けのような形になるだろう。中国は伝統的に中華思想の国であるから,中国が示すビジョンには世界はなかなか共鳴しないだろうし,むしろ日本の提示するビジョンの方により世界は共感するに違いない。

3.理想主義と難民・移民問題

 統合の究極の行き着く先は,理想主義世界である。しかしその理想の実現はそう簡単ではないし,不可能かもしれない。自由と平等が近代ヨーロッパの価値観の基本であるが,具体的には人,モノ,カネなどの自由であり,その中心には人の移動の自由がある。人の移動の自由は別の表現をすれば,国境を超えた移動の自由である。例えば,東欧の人がフランスやドイツに自由に移動してそこに住んでもいいということになる。
 そのような自由を享受できる権利を持つ市民を「世界市民」,欧州であれば「EU市民(EU Citizenship)」と呼んでいる。市民であれば一定の権利が保障される一方で,その居住地における義務も果たさないといけない。それらの条件を満たせば,国境を超えてどこに住んでも構わないということになるわけで,今日の問題でいえば,まさに「難民・移民問題」に直結する。もちろん居住国の国籍を取得するとなればまた別の話ではあるが,国籍はとらなくても永住権や定住権を取得して一定の義務を果たせば(国民とは別の)権利を享受することができる。これは理想の世界市民の話だ。
 難民や移民について議論するときに,われわれがなんとなく疑問に思いながら,同時に理想論を展開するのは,まさにこの点ゆえなのではないだろうか。その部分を欠落したまま難民・移民問題について議論すれば,外国人労働者という経済問題か,犯罪予防の話にしかならない。
 古くから紛争地域を域内外に抱えた欧州では,難民問題は決して新しいテーマではない。しかし,前例のない大量の難民が欧州に押し寄せる一方で,彼らの祖国の早期安定の見込みが低いことは,難民の長期滞在と「定住移民」化に繋がる。今回の難民問題は,これまでにない深刻な事態なのである。
 ところで,日本人の間には海外の事情を議論する際に,「日本例外論」が前提として無意識にある。日本社会は特殊だという潜在意識である。「内と外」の違いという社会通念は,そのまま日本の政治・外交,対外意識にも反映している。
 われわれ日本人(の思考)は非常に特殊な状況に置かれていて,その上に特殊な偏見と非国際的なスタンダードでいろいろなことを語ることが少なくない。例えば,難民・移民問題について考えるとき,欧州が直面するような事情は多くの日本人には理解できない。それは日本では,仕事以外で日本に定住している外国人の存在はまれだからである。多くの場合,外国人とは,(労働者の家族や配偶者は別にして)外国人労働者あるいは観光客,さもなくば不法滞在者などでしかいない。つまり,日本には「移民」のカテゴリーがないのである。それは日本では,婚姻関係を別にすれば,外国人が日本国籍を取得できるハードルが高く,例外的に日本国籍の外国人が認められているに過ぎないからである。何もせずに外国人が街の中にぶらぶらするという移民のイメージがない。なぜ日本で市民としての(納税)義務を果たしながらずっと住んでいてはいけないのか。そのようなが議論がない。
 国連事務総長報告書によれば,移民とは「通常の居住地以外の国に移動し少なくとも12カ月間当該国に居住する人」と定義される。ここには国籍の問題は入っていない。移民とは,海外で生まれた外国人でその国に定住し,国籍を取得した者も,国籍を取得していない者も含む概念である(移民第一世代)。
 彼らにとって社会統合は大きな問題である。しかし今日,より大きな問題となっているのは,定住した彼らの子どもたち,すなわち移民第二世代の統合である。フランスのように出生地主義の国では第二世代は国籍取得者であることが多く,「外国系の同国人」の社会統合の問題となる。問題のポイントは,家族を形成する外国人定住者ということになる。
 在日問題も移民の視点からみることができる。彼らは日本国籍を拒否して(日本人にならずに)韓国籍を維持しながら,過去のしがらみもあってずっと日本に住みたいと考えている。日本で移民・難民の問題を考えるときに,グローバル・プレイヤーであろうとすれば,世界的なスタンダードでの知見・見識を主張することが求められる。

4.日本外交の課題

(1)多極化時代と日本外交にとってのヨーロッパの重要性
 21世紀の世界は,「多極化構造」の傾向を強めている。もちろん今でも米国の軍事力,経済力,科学技術力は世界のトップだから,正確に表現すれば,「一極・多極並存構造」といえる。いずれにしても西側(米国)一極構造,あるいは双極体制という時代は終わった。もちろん欧州やアジアなど地域に限定してみた場合には,二極構造ということも可能だろうが,そのような現実の中で日本は,多極的世界構造をもう少し意識した方がいいのではないか。
 日本にとって一番重要な国は米国であることは間違いないが,今後は日本外交ももう少しバランスをとった方がいいと思う。ここでは,米国と欧州(EU)のバランスをどうとるかについて考えてみたい。
 日本が米国一辺倒の外交を展開した場合,日本が懸念すべきことはイラク戦争のときのように国際社会と米国が離反したときに,日本が米国のオプションを無条件で支持して米国と共に孤立しないという方程式がどこまで通用するかということだ。もちろん,イラク戦争でも,最初米国は国際社会から離反して孤立していたが,最終的には超大国ゆえに欧州も同調することになった。今後もこのような外交政策が通用していくかという疑問である。
 米欧同盟はこれまでも疑心暗鬼の関係があったことを日本人は知っておかなければいけない。経済面でのバランスだけにとどまらず,ビジョン,見識のバランスについて,欧州の存在をもう少し重視してグローバルな視野で考えた方がいいと思う。日本が今後欧州を味方につけることは重要だと思う。欧州諸国も米国に逆らってまで日本に敵対しようという考えはないと思うが,少なくとも味方になってもらうことは重要だろう。
 また日本は今後,欧州統合のリアリズム的アプローチに学ぶ必要がある。日本ではどうもプラグマティズムとリアリズムを混同して理解しているようだ。場当たり的に対応していくのがプラグマティズムで,従来の日本の政治・外交はその傾向が強い。真のリアリズムは,ビジョンを掲げてそれに向かって現実的な対応をする。ビジョンなきリアリズムがプラグマティズムで,それは場当たり的な対応という実践の繰り返しだ。日本が本気でリーディング・カントリーになろうとすれば,「見識」が不可欠だ。それは真の意味での文化外交の存在であり,日本のパワーであろう。単なる表象としての文化ではなく,コンセプトとメッセージ性である。いまや日本はそれを試されており,次なるステップへの脱皮ともいえる。そうしてこそ真の国家ブランドとしての「ジャパン」になるのである。
(2)国民国家・国民のありようの変容
 世界市民の観点からすれば国民国家のありようが変容してきているし,国民国家の構成員である国民のありようも変容してきている。一般に,領土・主権・国民が国家の3要素と言われるが,国民国家や国民のありようの変容によって,その概念自体もひょっとすると崩れていくかもしれない。領土と国民が一定しない「イスラーム国(IS)」の出現は,それを象徴している。
 さらにいえば,今日大きな問題になっている難民・移民という存在が,どこの国の国民という議論を吹き飛ばしてしまうかもしれない。EUでは「EU市民」という概念によって,国境を超えて人が移動できる「観念」はできている。正確に言えば,人の移動の自由とはEU内の人々のことであって外の人(イスラーム圏)を指しているのではない。それはまだ,あくまでも頭の中の観念の世界であって,実際には国境があり,国民も存在するゆえにさまざまな葛藤が生じている。
 世界市民という発想で難民・移民問題を論ずると,リアリストの立場からは一蹴されてしまいそうだ。彼らを国民国家という枠組みの中にいれるか,いれないか議論をしても(国民国家の壁が崩れるところまでは至っていない),彼らを放っておくわけにはいかないし,いや積極的につきあっていかなければならない時代になってきていることは確かである。
 そうなると国民のあり方として,領土にしばられない人たちをどう扱うのか。多くの国民は,従来のカテゴリーの国民だけに限定するわけにはいかないと感じているものの,それを言葉で明確に表現することはできないでいる。その複雑な思いが,「国籍をやるな」「水際で追い返せ」という表現になって出てくる。世界市民の観点からは国民国家が崩れていくことになるし,そうでない現状感覚の立場からは,難民・移民が現状を崩していると映る。
 情報メディアの発達とグローバリゼーションによって,現代のノマドである難民は,携帯電話をもってどこに移動すべきか相互に情報を交換しながら移動している。従来の難民のあり方とは違ってきている。このような変化の延長線上に,今日の難民・移民問題がある。
 また移民二世によるテロの問題は,政治的であれ,宗教的であれ,信念を主張するテロリストの問題ではなく,むしろ社会統合プロセスのなかの脱落者の悲劇話である。移民二世によるテロは社会の病理の表出であり,欧州全体が直面する根の深い社会問題になりつつあるといえる。行き場がなくて犯罪に走り,イスラームにも真にアイデンティファイしていない人たちが,社会への不満の捌け口として無差別テロに走っているとすれば,テロは「社会的行為」という社会問題とみることができる。
 テロについてはもう一方の意見として,こういう人たちを徹底的に取り締まるという治安優先の警察国家的考えがある。自由と治安を天秤にかけると,日本人には治安を優先する人が多いだろうが,自由や平等を闘いとってきた歴史を持つ欧州の人々にとっては,それが封じられること,抑圧されて警察国家になったときに,どんなこわいことになるかという経験があって恐れを抱く。ゆえに彼らは自由を優先させる政策を支持する。
 フランスにおける2015年の二度のテロ事件以来,欧州最大の右翼,国民戦線(FN)は,イスラーム急進派の二重国籍者からのフランス国籍剥奪,過激派系イスラーム寺院(モスク)の閉鎖などを主張している。昨秋のパリ同時テロのときには,オランド政権もそのことを真剣に議論し始めて規制強化の法律ができた。しかし,下院と上院で通過した法案の中身が違っていて実際には(二重国籍者からのフランス国籍の剥奪は)執行できない状態だ。ここに理想と現実のジレンマがある。
 テロ,移民,難民,治安。フランスは理想を掲げつつ,厳しい現実の前に揺れている。
(2016年5月27日)

■プロフィール わたなべ・ひろたか
1954年福岡県生まれ。東京外国語大学仏語学科卒。慶應義塾大学大学院博士課程修了,パリ第一大学大学院博士課程修了。パリ高等研究院・リヨン高等師範大学院客員教授,月刊雑誌『外交』編集委員長,駐フランス日本大使館公使などを歴任し,現在,東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授,同大学国際関係研究所長。専門は,フランス政治外交論,欧州国際関係論。主な著書に,『米欧同盟の協調と対立』『シャルル・ドゴール』『現代フランス』『フランス現代史』『ポスト帝国』他多数。