日本における「デザイン」理論の先駆け

 渾身の力を傾けたと思われる川口氏のこの大著を読みこなすには、それ相応の力量 が読者の側にも要求される。数式だらけの、素人にはちょっと読めない氏の前著『地球環境システム設計論』ほどではないにしても、やはりこの本を読むにはかなりの知的水準を要すると思われる。私にそれがあると言うつもりはないが、少なくとも私に深い共鳴を起こさせるものが、この本にはあるということを示したいと思う。

 川口氏は、あくまで厳密な計算や計測の上に立ってモノ作りをする技術者であるといってよい。しかし、モノ作りには哲学がなければならないという信念を持っているという点で、単なる技術者ではない。科学的な記述とともに、「宝石箱のようだ」と言われたという美しい図版の多いこの本をめくってみる人は、厳密な計算や計測による設計を重んじる技術者であったと同時に、稀有な芸術家であったレオナルド・ダ・ヴィンチを思い浮かべるかもしれない。

 哲学をもつということは、世界を大づかみにする能力をもつということである。そういう能力あるいは要素をもたない芸術家や芸術作品が、本当に我々の心を動かすことはない。未来の社会環境を作っていく技術者のモノ作りも基本的に同じであり、自然物、人工物を問わず、すべて創造ということの根底には、この同じ宇宙的原理が働いている。著者はこれを「感性」とも「デザイン」とも呼ぶのである。

 読者は、脳生理学の該博な知識を展開しながら、知覚や感動の仕組みを綿密に説明しようとするこの本に戸惑いを覚えるかもしれない。しかしこの分析的記述は、一方に総合や直観があって、それと(左脳と右脳のような)バランスをなすもので、後半部分で著者は、ほとんどラスキンのような芸術による全人教育者の相貌を見せるのである。著者は人間の頭脳も、経験と学習と訓練を通 じて作り上げていくべき芸術品だと言っているかのようである。その点でこれは、人間教育的視点をもった本であるといってよい。

 川口氏が曼荼羅を説明しながら「自己即宇宙」と言っているのは、この本の特徴をよく表すものである。人間の頭脳も、人間の作り出す「美しい人工物」も、宇宙を象ったものでなければならない。ところが近代の機械論的・還元主義的な偏頗な自然観は、自然と人工物は原理的に別 ものという考え方を植え付けてしまった。人間はものを創るが、その人間を含めた生命世界は、創られたのでなく物理的に勝手にできたものだ、という唯物論的解釈が我々を支配することになったのである。

 この偏狭な考え方に対する反動として、最近アメリカに発し、にわかに注目を浴びるようになった「インテリジェント・デザイン」と呼ばれる、科学の革命運動というべきものがある。これは自然界にも、人間がものを作るときと同じ「デザイン」というもの、すなわち構想や目的や意志が働いていることを、科学として認めようという実証的裏づけをもつ理論であり運動である。

 川口氏がこの「インテリジェント・デザイン」とは全く独立に、日本で先駆けてデザイン理論を展開していたことは注目に値する。それもアメリカ発のデザイン理論には今のところ全く欠落している視点、すなわち芸術創造という視点からのインテリジェント・デザイン論である。これはID理論が豊かな発展性をもつことの証拠でもある。

 「〈生命〉と〈美しき人工物〉の間には、類似の共通性、〈宇宙の不変の原理〉があることに改めて感動を覚える」と川口氏が言うように、自然と芸術はこれまで考えられてきたように対立するどころか、一つの宇宙的原理を共有するのである。この洞察的認識から、いかにすぐれたものが創られ、いかに物心ともに豊かな社会が築かれていくであろうか。逆に、自然界に「デザイン」など認めるのは「非科学的な」間違いで、従って自然に感動したり、その神秘に打たれたりするのは滑稽なことだと教えるダーウィニズム教育が、どれだけ人間と人間社会を貧困なものにしていくであろうか。

 宇宙創造が人間の創造行為と同じ視点で捉えられなければならないように、人間のモノ作りにも神の創造の視点がなければならない。近い将来、ナノテクノロジーやバイオテクノロジーといったさまざまな科学技術が間違った方向へ行かないためには、いわば「神意」を聞く必要があると川口氏は言う。これはおみくじを引いて事を決めるという意味ではない。神の創造の立場に立つ芸術家の「感性」が必要だということである。

 私にとって特に興味深いのは、「10.3 閃きから想像、推論、設計まで」という章あたりに述べられている創作の過程の分析である。何であれ新しくものを創るということは、デザインをそのまま現実化することでもなく、デザインもなしに部分を積み上げていくことでもない。ある「感じ」をもっている創作者が、仮に作ってみたものと対話しながら、たえずフィードバックを繰り返しているうちに、次第に形が見えてくるのであり、時には予期せぬ ものが見えてきたりするのである。詩を作る、絵を描く、設計するといった経験のある人はこれがわかるであろう。

 私がこれに興味をもつのは、神の創造もこれと同じであろうという仮説を立てているからである。私はいつかそれが証明可能になるだろうと思っている。聞くところによると、川口氏は次の著書を計画しているようである。私は氏のよきライバルでありたい。

(評者:渡辺久義・京都大学名誉教授)