「原子力安全神話」と「バベルの塔の生物の多様性」神話
―脳の情報処理から見た次期社会の総合システム―

川口勝之(長崎大学元教授)
Katsuyuki Kawaguty

1.はじめに

 日本は,巨額な債務と少子高齢化で潜在的成長 率が低迷している。持続的な成長を取り戻すために は,産業界の新陳代謝,すなわち,日々生まれる 要素技術の特許の話ではなく,世界を席巻する産 業を起こす,産業レベルでの技術革新が必要であ る。これだけ全体のグローバル化が拡がると,複雑 適応系の中の一要素に過ぎぬ金融緩和で効果が長 続きする筈がない。デフレは長期低迷の原因ではな く「結果」である。金利ゼロでも金は動かない。日 本が成長できない根本的問題分析がない。マネタリ ーベース増加で,これまで順調に見えたのも,米国・ 欧州の景気回復とその期待,及び株価上昇の資産 効果による個人消費が大きい。政府がなすべきこと は,立派な成長戦略を描く事ではなく,何事にも 挑戦できる寛容な環境を整えることにある。すなわ ち,東日本大震災の復興とその展開が第一である。
 20 世紀は科学技術の世紀であった。科学技術は 宇宙のすべての「モノ」の属性を無視して,すべてを 「質量」と「距離」と「情報」で表現してしまうので, これで価値を見出すとすれば,「数」を増やすか「大 型化」するしかない。
 結果として,20 世紀は「巨大化・ネットワーク化」 と「大量生産」に収斂(しゅうれん)してしまったのである。ここ
にも「利潤」としての行動原理が働いていることに 気付く。
 このような「ものの見方」は, 「生産」ばかりに働く のではなく,「逆生産」にも作用するから,それが「究 極の悪」である原爆の開発につながっていくことにな る。すなわち地球上のすべての「物」の属性の崩壊の 手段である。地球上の形あるものは必ず滅する。
 それなのに,何故このような崩壊を早めるような 「究極の悪」をつくりだしてしまったのだろうか。自 虐的な「亡びの美学」とでも思っているのだろうか? 宗教家や芸術家の眼はこれを本能的に視ている。
 情報ネットワークの遷移で,従来の組織原理,情 報収集,意思決定の方法が変わり,人間の社会生 活が変容する。
 経済についても同様,すべての「モノ」や「サービス」 を「金」に換算してしまう。“経済学者は「愛情」の 価値を「売春婦」の値段で定めるようなことを平気 でする。”若し,チャップリンが生きていたら,こう 皮肉るかもしれない。それにしても「道徳のない経 済は犯罪に等しく,経済のない道徳は寝言と同じだ」 と喝破(かっぱ)した二宮金次郎の言葉には,心響くものが ある。「共有型経済」というのは,日本が一番進歩的ではなかったのか? マイケル・サンデルも,お金 の論理が浸透し,損なわれた共同社会,価値感を 排した議論として,道徳を締め出す市場を批判して いる。
 マハティール・モハマド(元マレーシア首相,知日 家)は,「日本の失敗の原因は,自らの価値を捨て, 米欧に迎合したからである」と述べている。マハテ ィール・モハマドや独のメルケル首相のような“人物” が日本にも居てくれたらと悔やまれる。“人物”とは, 答えのない命題に対して,適確な決定・判断を下すこ と。これが人間としての力量・器(うつわ)なのである。聖書 やサグラダ・ファミリア(アントニ・ガウディ)やエッ フェル塔は,会議で出来上がったのではないのであ る。しかし「輪廻転生」,日本の最大の「世代間格差」 を体験している「若者」に何か次期日本の期待が得 られそうな「気」がしている。
 日本の将来を担う若い人たちの考え方に焦点を当 て,その将来について思いをはせ,且つ,世の中の「不 条理」とその対応策を脳の情報処理系の複雑適応 系の見方によって考察してみる。今の政治・官僚共 同体と国民への提言という「かたち」に取って頂け れば幸甚である。

2.「なめらかな民主主義とその敵」

 「複雑適応系」という捉え方の学問系がある。拙 著『人間の内面的な感性の表現の研究―脳の情報 処理からみた次期社会の総合システム』は,その 考え方を紹介し,それによって科学技術と芸術の融 合とその応用を試みた「本」である。
 最近に至り,カオスとか自己相似性の無限の連な りの発見により,複雑な振舞いをそれ自体の特性と してとらえる,「複雑適応系」の科学が発展しつつ ある。この傾向は人間の脳の機能や心理など,極 めて高次な機能を示す生命に関する新しい科学の 興隆に相応しており,現在のところ最も進歩した考 えのようにみえる。
 しかし人間の脳は複雑な世界を複雑のままで理 解したり,表現することは,苦手ですぐ分析したがる。 そしてその分析したものをつなぎ合わせて,全体像 を知ろうとして,しばしば「誤」を犯す。

2.1「大震災と漁業」

 日本の漁業は,東日本大震災により壊滅的な損 害を受けた以前から衰退しつつあった。?水産資 源の減少,?担い手の高齢化,漁業だけでは食えず, 後継者が育たない,?漁業組合も停退し,補助金 なしには,成り立たない。
 まだいろいろな原因はあげられるだろうが,?水 産資源の減少だけでも地球温暖化,森林の伐採, 乱獲,環境破壊など原因は錯綜(さくそう)している。これに 対し,漁獲高を厳しく制限する漁業の構造転換が為 された。漁獲高を厳しく制限すると,漁業者は,市場で高値のつく大きな魚を選別して獲るようになり, また乱獲も防げるため,水産資源も保全されるだろ うと考えたからである。
 濱田武士によれば,日本の漁業はこれまでも漁 業者間や農業者間の利害衝突を繰り返しつつ,漁 業制限のルールを作り上げてきたし,そうした内発 性を無視した外部(お上)からの漁獲枠を強制して も実効性は得られない。
 筆者の批判に於いても,そもそも水産資源の減少 は,必ずしも漁獲の行き過ぎによるとは言えず,決 して漁業の問題のみにとどまらない地球の複雑系の 問題とみる。
 今日の日本は,現状分析を設計考慮することなく, 複雑に絡み合った原因を単純化し,一挙に事態を 改善してくれる魔法の解決策を求める復興改善策が あふれている。萱野稔人も言っているように,そう した改革策は,事態を悪化することはあれ,改善 することはない。重要な事は,その複雑さのまま認 識しうる能力,そして,その複雑さを「絡んだヒモ」 を解きほぐすように,粘り強く,解決策を模索して いく思考力(頭の良さではなく,脳の強さ)が肝要 である。
 このような「思考力」を必要とする問題解決法の 諸例を挙げて置こう。

?ジャマイカにおいて,計画漁業がおこなわれて いたにも拘らず,ウニが全滅し,サンゴ礁が死滅 した。
?ボルネオ動物保護区 三種の樹木層から成る混成森林を育てる。中心 に動物保護区としたボルネオ島の事例では,コミ ュニティ,経済システム,生物の多様性,及び生 態系が「Resilience―復元力」を取り戻した。 (アンドリュー・ゾッリ『レジリエンス復元力』より)

2.2 複雑過ぎる世界
  ―「責任者という仮構」はうそを重ねる

 近代社会では,個人が自由意思を持って判断や 行動をすることを前提に,自分の行動に「責任」を とることになっている。しかし,中央集権的な巨大 技術の体制では,責任を取らせようとするほど,誰 も責任をとれない,とらなくていいような社会制度 が生まれてしまう。これは,鈴木健が指摘している ように,東京電力福島第一原発で体験したとおりで ある。東電社長の責任を追及したところで,うそつ きを一人増やすようなものである。
 世界は,人間の知識や想像を超えたところで動い ているのだし,あらゆる不具合とか,大事故は,本 当は多くの関係者に少しずつ原因と責任があると考 える方が自然であろう。このようなグローバルな,ま た,複雑な世界では,良い社会を作ろうとして責任 を追及しても,よい世界など実現はしない。
 複雑な社会を複雑なまま生きることができ,誰も 何も代表したり,されたりしなくて廻っていく世界が 複雑適応系の世界である。鈴木健はそれを「なめら かな社会」と言っている。それは,結局,自分が解 らないことに対しては,責任を追及されず,万人が 少しずつ責任を引き受ける社会である。云い換える と,自発的な代表者(当事者)に目的を限って委任 する仕組みである。私は,それを「生命システムに 準じた分散形社会」と呼んでいる。すべての卵(たまご)を 一つのバスケットの中に入れて運ぶかどうかの選択 が重要である。

(1)革新的な産業の育成
 それでは政府は何ができるか。
 日々の生活で問題を抱えて困っている当事者が, 問題克服のために発揮する意欲と能力は素晴らし い。日本の物づくりの基盤は,実はこの現場の当事者 (中小企業の人々)が支えているのである。政府は, 机上で怪しげな成長戦略を描くより,何事にも挑戦できる寛容な多様性のある社会をつくることである。
 コンピュータやインターネットを駆使したりソーシ ャル・ネットワーク・システム(SNS)は,これまで 必要とされてこなかった「創造性」をいち早く産業 化できる可能性を与え,そのスピードが鍵を握る手 段となりうる。誰かが検索エンジンを思いついた瞬 間,世界中が同じ構想を持っていると考えてよい。 つまり我々の認知能力を桁違いに増大させる生命史 的な機会を提供することができる。IT 技術系が持 つオープンな特性は,資源や情報の囲い込みを嫌 い,あらゆるものを「共有」しようとし,中央集権 的な制御を排除しようとする。
 IT 技術を単に「複製技術」に終わらせてはなら ない。この情報処理技術をうまく駆使すれば,複 雑な世界が複雑なままで生きること,又は解析する ことが可能となろう。例えば,“群れは意識をもつ” とか,「一匹では知的判断のできない虫(スウォーム・ ロボット)が,集団として振舞うことで知的判断が 可能になる」というような「集合知」の研究が進ん でいる。「モノ」から「金」への欲望の倒錯が起こり, 「金もうけ」に利用するのが,新自由主義経済である。 国民国家の論理が基本的であり,優先されなけれ ばならぬことはいうまでもない。
 社会の変化は,当初は,目に見えない想像力の 領域,つまり,文化の領域で生じる。04 年には, インターネットで映像や音楽を「共有」するソフト「ウ ィーニー」が生まれ,著作権法違反の疑いで物議 をかもしたことは衆知の通りである。次いで市場の 中でポップカルチャー(例えばマンガ,アニメ)とい う形で目に見え始める。それから衣・食・住のスタ イルという生活の段階領域に浸透していく。
 残念ながら,いまの日本は夢がなく,未来と戦い すぎているという話がある。未来を一早く肯定し, その上でどうするかを考えた方が,絶対うまく行くの に社会全体が懐古主義的になっている,という若い 世代,萱野稔人,猪子寿之,白井聡や宇野常寛の 主張には「共感」すると同時に,こういう人たちが オピニオン・リーダーとなって,日本を引っ張って行 ってくれたらと思う。
 『人間の内面的な感性の表現の研究』で述べて いるように,日本の文化は情報社会と相性,なじみ 性があるようである。発展の余地のある「多様性」 を受け入れ,それを全体との調和の「美」に高めて いく,これが神々しい日本の象徴である「不二山」 の神話の教訓である。「腹切り」さえも「様式化」し, 「美化」しうるような感性の国が世界中にどこにある だろうか?

(2)長崎の文化 ー平和の共存と情報共有の技術
 長崎は「チャンポンの文化」であるといわれる。 長崎に街は,なみよろう山々に囲まれ,中心部は深 く入り込む長崎港の水面上にあり,その延長線に直 線的にそそぎ込む浦上川によって,二分されている と云ってよい。周囲の山々には,中腹まで民家が段々状に立ち並び,五月になると“新緑や,墓地,段々 と海に入る”と表現できるように,斜面には「墓地」 が多い。教会も多い。入ってくる外国船は,街の中 心部に近い大波止,大浦海岸に停泊し,周りの山々 から歓迎を受ける(長崎八景のうち「神崎帰帆」)。 周りの山々の傾斜の民家,コロセウムの座席から水 辺の中央舞台の劇画を見るような天然の大パノラマ 劇場構成となっている。長い入江となっている長崎 港の西北の稲佐海岸側(長崎八景のうち「稲佐夕照」) には,昔のロシア人の墓地があり,東側の岡には寺 町,キリスト教国宝天主堂,すぐ隣の岡には妙行寺, また「管内」には,新地公園を中心とした中華街と 明・清時代の国宝崇福寺,興福寺,それから神道 の諏訪神社(長崎八景のうち「安禅晩鐘」)。要する に,イスラム教を除いた世界中の主な宗教のゆかり の地である。浦上には,浦上天主堂,原爆の慰霊 塔がある。すべてが平和的に共存し「共有」してい る。また天下一品の長崎の夜景の一部が図2.1 に みられる。
 大浦の山上にある大浦水源地公園からの眺めは 絶景だが,そこから港の方に下ると古長崎墓地が拡 がり,低部の川上町に接して「オランダ墓」がある。 山上づたいに鍋頭(なべかぶり)山のほうに歩けば,“蝶々夫人” ゆかりの地「グラバー邸」に出る。ここでは,国際的なオペラ「蝶々夫人」のコンクールが2 年毎に行 われている。この谷間の大浦川の流域は,長崎で 最も早く開け,室町時代から集落があったと伝えら れている。長崎版画磯野文斉,長崎八景のうち「大 浦落雁」で有名。
 これが長崎を「チャンポン文化」と云わしめた原 因と思われるが,チャンポンは独特の麺(めん)の中に何で もかんでも入れて,長崎特有な味を創生した「長崎 料理」だからである。
 歌舞伎も能もプロだけが演じたものではなく,日 本の文化は,作り手と受け手が相呼応している。こ れはインターネットが,いつも自分中心ではあるが, 発信者であり,受信者となって情報が伝播していくこ とと共通性がある。漫画・アニメも同じようなもので, その世界では,素人が自由に創作を楽しんでいる。 日本の文化とIT 技術,デジタル技術をうまく融合 すれば,21 世紀形の革新的な産業が生まれる基盤 がここにある。
 東京の女子美術大の学生が,ポップアートで長崎 産のマグロの大漁旗のイメージの“のぼり”を開発 した。図2.2 に示すような長崎発のポップなマグロ である。
 12 年の長崎県の養殖マグロ出荷量は,2,609トン と鹿児島に次いで全国2 位である。マグロ等の回遊性魚には,遅(ち)筋という好気性の筋肉があって,口を 大きく開けて溶存酸素を取り入れ泳ぎ廻っている。 泳ぎ続けないと死ぬといわれている。だから,養殖 池は広大で美しい。鹿児島県のマグロ養殖池が,図 2.3 に示されるように,ダイナミックで美しい。やは り生成,生産の場には,「美」があるのである。こ れなど長崎・鹿児島の文化がポップカルチャーとい う形で目に見える「形」で表現されたよい例であろう。

(3)生命システムに準じた分散形エネルギー・
  食糧生産社会(自給自足・もったいない社会)
生体の作動に準じた分散形エネルギー社会は, 当然,ネットワーク形の「共存社会」となり,なん でも中央で制御しようとする中央集権体制とはなじ まない。蟻の群行動でもよく理解できるように,一 匹には高い知性はないが,群としては,巣づくり, 食物貯蔵,ごみ捨てや,死んだ仲間の墓地づくりな ど,極めて複雑な共同作業をする。このような自己 行動の秩序性を「創発」と呼び,創発的民主主義 または,なめらかな民主主義という。中央から命令 されたり,トランプのババを引いたら終わりの社会 では,誰も,特に「若者」は,日本でリスクを取ら なくなる。
(2013 年4 月17 日)

注1 新宮清志・大久保伸晃・佐久田昌昭「軟着底式構造物の応答に関する基礎研究」『海岸工学論文集』第40 巻,1993 年。このほか,国府田誠・佐久田昌昭共作で数多くの“軟着底式海洋構造物の構造力学的特性”に関する解説・研究レポートが存在する。但し,これらは主としては日本大学理工学部内の研究発表会での発表資料であり,公開されていないのが惜しまれる(1980 〜90 年)。

◆日本企業衰退の原因
 日本は敗戦を「終戦」と言い換えるなどして,「変 わり身の速さ」と「変わりたくない」の二面性を保持 している。その意識を許し,支える米国には,徹底 して「従属」してきた。憲法を批判する勢力が,憲 法を「押しつけた」米国と協調する。敗戦を否認す るために「従属」を選ぶ思考態度を,白井聡は「永 続敗戦」と呼んだ。これが「戦後の日本の核心」で ある。
 米国が枯れないのは,インターネット,バイオ, スマートフォン,今度はシェールガスと社会構造を ガラリと変えて雇用を創出していく「産業の種」が, シリコンバレーを始めとする研究機関を中核に活性化しているからである。
 日本の政治官僚共同体は米国の真似ばかりしてい
るが,不成功例ばかり真似している。特にひどいのは, 「貧困率(平均給与の1/2 以下の層の全体に対する割 合)」まで米国に追従することはないのである。1970 〜 1980 年当時の日本の貧困率は,世界でもトップク ラス7.3%だったものが,2010 年代には15.7%となり, 米国に次いでワースト2 位になっている。
 日本の企業は,あまりにも「コスト低減」ばかりを 意識し,「何を生み出すか」をおろそかにしてきた。 新規のユーザーが喜ぶ商品の事業化より,利潤を見 積もりやすい「改良型」や「従来機種の延長」に投 資を増やすことで成長を担ってきた。
 新しいものへの研究開発への投資もそのために 生かせず,安易な「人件費の低減」に依存した事業 構造となり,経済デフレの現象が定着したのが,こ の20 年であった。特に電機産業部門では,これま での業績低下は,円高のみでなく,むしろ「設計・ 発想力」の衰退がその主たる原因である。円安に なっても,企業の海外進出で輸出部門のGDP に対 する割合が1 〜 2 割では,好転しない。ビジネスモ デルの見直しや,業界再編などの抜本的な改革が必 要となる。
 一方,産業よりも金融を重視する金融資本主義的 な動きが強まり,企業体は短期利益を追い求め,人 材を使い捨て,非正規社員制度に走り,技術開発 や人材育成に金を廻さなくなった。従業員の給与も 下降し続け,200 兆円以上の保有金は,その自信の なさの証拠である。二千万人に膨らんだ非正規雇用。 人材をやせ細らせて企業が栄えるというのはあり得 ない。これが海外一流企業に追い抜かれた原因で ある。経済通産省は,世論に押されて「規制緩和と 自由化」を進め,新自由主義の手先となって働いた。
 政治官僚共同体と国民は,戦後「技術立国」の 旗印の下,世界の驚異的な復興を成し遂げた。そ の時の「感性」を思い出していただきたい。

◆「もったいない社会」−食品ロスを食糧生産に変える
 農林水産省の食糧産業局の発表によると,輸入 を含めた国内の生産食糧9,000 万トンのうち,食品 廃棄物は,年間で,1,900 万トンにも及ぶが,この うち可食分と考えられるのは,500 〜 900 万トンで, おそらく900 万トンに近い方の量だとされている。
 一方,日本の米の生産量は,850 万トン/ 年であ る。つまり,これに匹敵する量が,9,000 万トンの 中から未だ食べられる状態で捨てられているのであ る。もみ殻やフスマなど食用に適さない廃棄物は飼 料などに再利用されているが,食べられるにも拘わ らず廃棄される食糧損失は,大半が焼却されている 非合理性。
 例えば,調味料の賞味期限が1 年でも,その4 ヵ 月手前で,「販売期限」のルールで棚から全部なく なるというのである。本当に涙が出るような「話」だ。 これは,商品の製造日から賞味期限までの期間を, 次の三部門に分け,
 ? メーカーや卸が小売店頭に販売する期間
 ? 小売店が消費者に販売する期間
 ? 消費者が家庭で消費する期間
この[1/3 ルール] に従って,多くのメーカで賞味 期限前の商品が「納品期限切れ」「販売期限切れ」 として返品,廃棄されている。昔から流通業界に存 在する慣習だったらしい。これを見直すために,遅 まきながら農水省も「食品ロス軽減」対策を進めているようであるが,有田俊雄は,この数年間,世界 の動きに合わせて「モッタイナイ!! まだ食べられる 食品ロスを減らすパッケージの役割」を業界に提唱 してきた世界のオピニオン・リーダーである。
 TPP(多国間貿易自由化協定)を始め,コメ生産 に関する農政事業にも,大きく影響するものであり, 兎に角,日本の凋落の要素の一つは,「使い捨て経 済」と,こういった些細とみられがちな極めて「重 要なこと」をキチンと実行してこなかったことにある。 このようなこと(節電も同じ)がキチンと実施される と,いま日本の問題点は,7 〜 8 割方,解決される のではないか。大量生産と「使い捨て経済」で富を 独占する「中心」と,収奪される「周辺」。昔の「一億 総中流層」が国家として望ましいのである。
 日本人の精神的象徴である“不二山”は,バベル の塔のように「高ぶらない」,「傲慢(ごうまん)」でもない。た だ「神々しい」だけだ。

3.暗黙知(身体知)の世界を獲得する方法はあるのか

 人間は,言葉では説明できないが,やらせるとで きる能力を持っている。マジックのようなピアノ上の 指の動き,伝統芸能や工芸の技能,神技のような 身体体操の「美」などの身体の能力のみではなく, 自転車の乗り方,囲碁や将棋や発明・発見の能力な ど,脳の情報処理系に関するものもある。
 言葉で記述されたルールや原理ではなく,「身体 で覚えた」暗黙知の世界である。「勘(かん)」とか「直感」 もここからきている。私はこれを「身体知」と呼ん でいるが,実生活の意思決定や行為が,こうした脳 の物言わぬ適応的な働きに支えられている。人間 は誕生以来の記憶をおそらくずっと潜在レベルで持 ち続けながら,普段は一部だけを思い出して使って いる。つまり,自己の脳内の記憶を連想的に探索し, 無意識下で関連情報を想起しながら思考したり,意 思決定をしているのに相違ない。意識の表層にあるのは氷山の一角に過ぎない。

3.1 現場の潮流に逆らったFiasco(大失敗)の例証

 身体は感覚から入っていく世界で自然に属するが, 心は自然ではなく意識だ。頭の中の概念の世界であ る。大多数の生き物は,この感覚(感性)の世界 で生きているが,これは本人又はそれ自身の理解・ 知識を超えて正解を出す。大多数の生物が意識な ど持たずに生き続けているということは,これを証 明しているのではないか。昆虫の世界のあの多様性 とその生体数量を見るとき,容易に想像がつく。人 間が頭で考えることは,大抵「ロク」なことはない。 この身体知は,無意識的,論理知でねじ曲げない 限り,本質的に誤ることはないのではないか。この ように推察できるような実例は,歴史上の大失敗例 として数多く存在することを示そう。
 米国のケネディ政権時代に,いわゆる“アメリカ の神童”を集めて政策決定集団を組織し,ベトナ ム戦争の成否や見込を討議した。ところが誰一人と して長年にわたるベトナム戦争の「泥沼化」を予測 する「人物」は居なかったのである。
 さらにイラク戦争も同じようなFiasco(大失敗) と大新聞が報じたことは衆知の通りである。ありも しない想定,つまり原爆製造の情報操作,フセイ ン大統領さえ倒せばこの戦争は直ぐ片づくという見 込み,感性のなさ。これにいち早く追従する国(日本) の頭の弱さ。人間は頭で考えることはこんなもので, 「感性」の欠乏であり,現場の自然的な潮流に逆ら ったからである。日本にも似たような例がある。天 下の秀才を集めた「数理士」の集団が,増える基金 を5.5%で複利運営すれば,30 年後には「ゆたか な老後」が待っている,という年金設計の大誤算。 問題は見込み利率の5.5%であるが,高齢少子化は まだしも,ゼロ金利は人災ではないか。
 この三者の大失敗の共通点は,論理及びデータ の偏重主義と体験に基づく情動的知能・感性(身体知)の欠落である。この場合,神の視点を想像す ればおよそその方向性は誤らない筈である。
 物質,自然は,観測とは無関係にそこに存在して いる。量子力学の立場を認めると,世界の根本は 無秩序な「確率」に支配されることになる。アイン シュタインは,ここのところで象徴的な言葉を使った。 「神はサイコロを振らない」。京都大学渡辺久義の表 現を借りれば,「これは,おみくじを引いて事をきめ るというのではない。神の創造の立場にたつ,芸術 家の『感性』が必要だということである」。

3.2 半導体機器開発の最前線

 前述のような意思決定の知らせとなる情報の処理 を受け持つコンピュータ,およびその指令塔である ソフトウェアの開発は極めて重要である。ここでは その最先端の基本半導体素子および最先端コンピュ ータ機器の開発状況を概観しよう。

(1) 第5 世代のコンピュータ開発の大誤算とその 後の開発状況
 メディア環境の変貌について述べると,人工知能 すなわち「人間に代わって高速度で思考する機械」 がいまや面目を一新し,なによりもまず「相互通信 機器」又は,「膨大な人々の考えを瞬時に把握でき る機械」に遷移している。
 高価な注文生産の代わりに,安価な大量生産が 主流となり,ハードウェアはなるべく簡単にして基本 機能だけを揃え,多様な人間との接点操作(ヒュー マン・インターフェイス)をソフトウェアが分担する 様式となった。
 人工知能を目指した「第5 世代のコンピュータ」 には,500 億円の開発費がつぎ込まれた日本の大 プロジェクトであったが,結局,失敗に終わった。
 欧米から輸入した基本技術を前提とし,ひたすら その限界に専心するという日本流のやり方が,最早, 通用しなことに気が付かなかったことが原因だと言 われている。「機械の知」から「生命の知」への転換, 価値観はむしろ逆に「万物にはみな生命が宿る」と する日本古来の考え方が余程,適切だったのにと西 垣通が示唆するのは,注目に値する。
 今では,前述のコンパクト・ソフトウエア形(タイ プ?)の応用が進み,「検索エンジン」とソーシャ ルネット・メディアの進展と共に,低コストで直接民 主制が達成できるという楽観的な議論さえ横行して いる。つまり生産者と消費者を直接結びつける,い わゆる流通危機の「中抜き理論」の政治版である。 大多数の中間層である「みんなの意見」は正解を出すといった「集合知」礼賛の声も,同じ潮流の中に ある。しかし各層の格差が広がり,中間層が平坦化 して所得低層になだれ込んでいる現状では,その 声も空しく響く。
 国家と個人の間に地域という中間集団を再編成 し,市民の活動の集合である市場に経験,技能, 組織能力や制度的記憶を取り入れる。その源流を 「豊かな人間関係」を示す社会関係資本(Social Capital)に求める。それはつまり「中抜き理論」 のその中にこそ発展性のある群集性(創発)が潜ん でいることに他ならない。かくて,「人間集団の感 性的な深層から活性化し,集団知としてまとめ上げ ていく」次世代のコンピュータの出現が今や熱望さ れている。これが鈴木健のいう「なめらかな民主主 義」の社会と,私の言う「生命システムに準じた分 散形」の社会と表現は違うものの「考えを共有」し ていることがわかる。

(2)次世代半導体(高温・2 万ボルトに耐える半導体―節電の新たな切り札
 半導体には,LSI(大規模集積回路)やメモリー のように記憶や思考のための「頭脳」になる部位, 及びPower 半導体(SiC)のように「筋肉」に例えら れるものがある。最近,電流を直流から交流に変え る,周波数を変える,電圧を変えるといったような 超高性能のPower 半導体(SiC),シリコンカーバイ トが開発されたのでその応用例をみてみよう。電力 の発電・送電分離計画に大きな影響を与える技術だ からである。
 欧米各国やスウェーデンのように,発電と送電を 分離し,送電線を解放して,熱供給と発電を同時に 行うコジェネレーションや,分散形の小規模発電メ ーカーの参入を「制度設計」することが進んでいる。 これに対し原発を進め,地域で電力販売を独占す る体制を守るために,電力業界は東電を中心に「一 枚岩」と言われる20 世紀型の体制を続けてきた。 かくて「現場主義」から監督官庁や政治向けの経営となり,今日の技術的堕落を生むに至った。巨大原 発の生命線である「稼働率」が大震災3.11 の以前 から低下し,国際競争力が無くなっていることがこ れを如実に示している。原子力は,実力値で評価 すれば投資効率が極めて低いのである。
 だが希望がある。21700 ボルト世界最高圧SiC 半 導体の開発(木本暢・京都大学教授)である。SiC の炭素は,原子が小さく結晶構造が強く結びついて いて硬いダイアモンドになる。超高温にも強く,ガ スタービン耐熱材としても使用されうる。Si は液状 に溶かしてきれいな結晶を作ることができるが,SiC は熱をかけ続けると液体にはならず,直接気化して しまう。そのため密閉して気体の状態で結晶をつく る「温度調節」が難しい。
 半導体メモリーやTV 画像材料など,日本のメー カーが高品質の扉を開いたが,後発の工業国に市場 を奪われ続けてきた。しかし,このSiC は,その 製法の「難しさ」が簡単に真似されないノウ・ハウ になっている。
 高圧送電(電力損失を減らすため1500 ボルトに してある)を家庭用の100V に変えるのにシリコン (Si ケイ素)が主に使われているが,高圧に耐え られないので,3 〜 4 段階に分けて電圧を下げて いる。この際に30%程度の電力が熱として失われ る。また熱が出るので,冷却装置が必要となる。電 柱に乗っているバケツのような「柱変圧器」がそれ である。SiC 変圧素子なら一段階ですみ,損失はわ ずか1 〜 2%になる。
 このPower 半導体は,電圧変換のみならず,電 流を直流/交流変換さらに周波数変換も効率的に 行うことができる。
 ? 高圧送電の電圧(1500V)を家庭用(100V)に 下げる。
 ? 東日本(50 サイクル),西日本(60 サイクル) のため,大震災では電力を融通することができない。 周波数変換を行うと,大規模装置で10%の電力が 失われる。その総量は,全国で年間800 億KW 時つまり出力100 万KW の原子力発電所10 基が1 年間 休まずに送電を続ける電力量に相当する。何という 不条理。
 これをSiC 周波数変換器を使うと,損失10%が1 〜 2%になるから驚きである。
 ? 太陽電池で発電した直流を交流にして使うと き,変換効率は96%程度であるが,これを98%に 上げられる。
 ? インバータへの応用:電気自動車,電車,モー ター,エアコン,・・・など電流を短期間にON/OFF し,その時間間隙を調整することによって,モータ ーの回転速度を変えることができる。風力発電の回 転数制御にも適用できる。
 東京メトロが銀座線に導入した車輛に三菱電機 のSiC インバータが使用されている。
 ブレーキをかける際に,車輪の回転力で発電して ほかの電車の動力源に利用できる「回生ブレーキ」 という発明がある。シリコンのインバータでは,大 きな電流に耐えられないため,回転数が遅くなった 時しか使えなかったが,大電流,高温に耐えられる SiC によって,高速でも使用可能となった。そのた め全体の消費電力が38.6%減ったと言われている。
 問題はコストであるが,SiC は,シリコン(Si)の 数倍になる。しかし量産効果が期待でき,2 倍以下 になることが期待されている。

4.東西冷戦・ベルリンの壁が崩壊したのは何故か

 コンピュータ・グラフィック(CG)による小阪淳の “振幅”という画像(図4.1)がある。『朝日新聞』の 論壇時評(高橘源一郎)の「ひとりでぶつかってみる」 においては,現代社会のイメージした芸術作品にス ポット・ライトを当て,5 〜 6 名の論壇委員の「意見」 を集約している。個人が「ひとりで」学習して「自立」 することは可能だが,勇気が要ると訴えている。
 個人はみな,このように知性に豊み,優しく,思 いやりに満ちているのに,何故,民族や国の間で不如意な敵対関係や「壁」が生じるのか。

4.1 多様な視点からの解釈を

 動物学者山極寿一は,『毎日新聞』の「時代の風」 で次のように述べている。
 人間が過去の怨恨を忘れず敵を認知し続け,それ を世代間で継承し,果てしない戦いの心を抱くのは, それが言葉としての物語が語り継がれるからである。
 人間は,話を造らずにはいられない性質を持って いる。我々は世間を直接見ているのではなく,言葉 によってつくられた物語の中で,自然や人間を見ているのである。言葉を持たないゴリラには善も悪もな い。“自分たちの危害を加えるものには猛然と戦い を挑むが,平和に接するものは暖かく迎え入れる心 を持っている”。過去に敵対した記憶は残るがそれ を盾にいつまでも拒絶し続けることはない。これこそ 昔の日本人のほとんどが保持した「観念」ではなか ったか。曽野綾子は,最近の霞が関の人間には「勇 気」がないと言っている。男が女に勇気がないなん て言われては,この国も終わりだという感が深い。
 限りある資源,つまり食と性に関する同種間の葛藤をめぐって,類人猿たちは,いかに相手と共存 するかを模索し,状況に応じてさまざまな社会規制を作って対応してきたのである。人間は決して最善 の方法で自然と接してきたのではなく,また,人類 同士で接したわけではないのである。言葉や物語 を超越したゴリラの生活行動のように,物語を作り 手の側から読むのではなく,多様な側面や観点に 立って判断行動すべきことを教えている。
 ニューギニア,アフリカ,南米に散在する「伝統的 社会」の中には,これを裏付けるような社会がある。 『昨日までの社会』(上・下)によると「伝統的社会」 は,子供の養育には,親以外の人々が関与し,子育 ての責任を社会で広く分担している。問題に対する 巧みな解決策を持っているのである。その叡智に学 ぶべきである。これこそ文明の源流であり,新しい 世界観を確立する方法論が見つかるのではないか。

4.2 有限性の壁を乗り越える情報的価値

 類人猿たちが言語を超越して「生存の壁」を乗り 越えているのに,人間が有限性のある壁を乗り越え られない理由はない。
 中東戦争のような怨みの連鎖に陥っている昨今, 軍事力で決着をつけることは,ベトナム戦争,イラ ク戦争でもわかるように解決には至らない。第三次 世界戦争と言われる東西両陣営(米ソ)の冷戦の終 焉のあり様は,実に興味のある物語でもある。これ も米国の軍事力で勝ったのではない。東ドイツの民 衆が「ベルリンの壁」を破った以降,東欧で連鎖的 な反応が生じて,東側政権が次々に倒れ,ついにソ ビエト連邦自身も民衆が,古い共産党の支配を打ち 破ったのである。
 ベルリンの壁を打ち破った東ドイツの人々は,つ いに西ドイツと合併し,あこがれのショーウィンドウ のあるところへ行ってみた。しかし,それは全部ショ ーウィンドウの向こう側にあるだけで金がないと買え なかった。それでも,以前よりはずっと魅力があった のである。西側は,本質的に武力で勝ち取ったので はなく, 「情報の質と量」および消費の水準,つまり自由な豊富な社会という魅力で勝ったのである。塚
原卜伝流に言えば「無手勝流」で勝利したのである。
 小阪淳という芸術家の眼(図4.1,2)は,これを 本能的に視ている。言語を超越した類人猿の目のよ うに!! 群立するバベルの塔と意味の解らない文字 の羅列は,「有限性の壁を乗り越える情報の価値」 を象徴しているのである。また現代社会や文明を批 評的にとらえ,原発事故とバベルの塔伝説を重ねて 想起させる図像に,解読不明な特殊文字を二重写 しにした映像は,現代日本のコミュニケーション状 況を暗示したものと話題を呼んだ。
 芸術家の眼は,読者の多様な解釈を刺激し,そ の感動や悲しみを再生することができる。科学技術 にはこのような力はない。だから人間は芸術を視る のである。

5.「原発の安全神話」と「バベルの塔の生物の多様性」神話

 「バベルの塔」と「富士山(又は不二山とも書く)」は, 余程,芸術家の創作意欲をかきたてるもののようだ。 今の中年の人達は,少年の頃,横山光輝の原作 アニメ「バビル2 世」を見たであろう。超能力の少 年が悪に立ち向かう主題歌と共に砂嵐の中から姿を 現すバベルの塔の映像が脳裏に焼きついている。
 「同じ言葉を話していた人間が,天まで届く塔を 建設して神の意に反した」という旧約聖書「創世記」 の話は,知っている人が多いであろう。そんな企て ができぬよう言葉を多様化して分散させてしまおう, との神の意志だとすれば,まさに生物の多様性の 神話である。全世界が英語だけになっては味気な い。一部の言語学者の間で「新バベルの塔」という 表現がなされ,米国覇権や英語の国際語化の流れ に対抗しようとしているのは正論である。
 日本人が「外国語」が下手なのは「言うべき言葉」 がないからである,と白井聡は言う。まさに,同感 である。「国家にとって言語とは何か」を深く考えることなく,グローバル化時代には,英語だ,グロー バル人材だと飛びつく。敗戦の事実さえなかったこ とにしているこの国には「思考の基盤」がないので ある。
 原発事故でも,政・官・財・産・学が一体となって 築き上げた安全神話が崩壊したのだから,まさに, 恥辱の体験である。二年以上経ち,又ぞろ「仕方が ない」で万事やり過ごそうとする。「恥の中に生き続 けることを断固拒否すべきである」,日本人の心は「恥 の文化」ではなかったのか。ドイツを覗いて見るが いい。

5.1 巨大システムと経済性および安全性

 一般に巨大システムは,部品点数が増え,運転 制御が複雑になるから,故障の確率が増加し,「稼 働率」が減少する。百万KW クラスの原子力プラン トが,一日停止するとその損失は1 億円を超えると いわれている。分散形エネルギー・システムの方が, 運転操作も簡単で,要素部位も少なくなるから,稼 働率は高く,又,故障しても修理再生がたやすい。 いわゆる生体システムの運動に準じた活動になり, 自然環境とも「なじみ」がよい。
 東日本大震災は,想定外の天災が原因だと経済 人は云うが,そうではない。近代技術が生み出した 巨大システムそのものが,人間が制御できない結果 を生み出している。組織化された無責任なシステム が,出来上がってしまっている。こんな限界のない リスクの象徴は,原子力だけではない。グローバル 化した金融大変動や,地球の温暖化,デジタル巨 大技術も同じ性質を有している。
 経済を優先するために,政治や管理をおろそか にしてきたのである。
 利潤拡大を行動原理とする資本主義にとって,最 大の危機が到来している。
 1974 年をピークに先進国の利潤は下降をたどり, 過剰債務に基づく回復力は鈍化し,バブル生成と崩壊が数年ごとに繰り返されている。これは近代成 長メカニズムが崩壊し,右肩上がりの経済成長構造 が平坦化したにもかかわらず,多くの人々が「成長」 を切望しているからである。
 地球に余裕がある間は,国内で利潤が上がらな くなると,土地獲得,金山,銀山の発見,さらに合 併戦争を繰り返して,近代資本主義の始めは,こう いった“錬金術”に依存した。
 現代では,銀山を探さなくても,“ 金融工学”で「金」 を収集してしまう。サブプライム層という「周辺」に 略奪的な貸しつけをして,金融市場を拡散していく のである。
 原子力は,先進国の成長(交易条件)を劣化させ る原油高を打破するために導入され,40 年の減価 償却を終えると,0.5 円/KW の超低コストになる筈で あった。また,高速増殖炉には,無限のエネルギ ーを期待した。
 金融化に傾斜したのも,原子力に依存したのも, その動機は同じところから発したわけだから,結果 も当然同じになる。グローバル化とは,富を独占す る「中心」と,収奪される「周辺」のアンバランスを 隠す「概念」といってよい。
 ここで「原子力の安全神話」とその対極にある「バ ベルの塔と生物の多様性」神話が二重写しになる。 神はすべてをお見通しなのである。
 地球上にあるもので,永遠なるものは一つもない。 形あるものは必ず滅する。人は生きて,そしていつ か死ぬ。古来から大災害に遭遇してきた,火山・地 震列島に住む日本人は,この「無常感」を受け入れ てきた。鴨長明の「方丈記」にあるように,大災害 にあっては,無常感に涙しつつも頑張るという伝統 があった。日本古来の文化がグローバル化の中でど う変わっていくのか。これまでは,土着と外来の文 化の二重構造の調和に努力してきた。戦後,市場主 義,新自由主義という米欧の価値観に自己を売り渡 し,一元論になっている。発展の余地のある「多様 性」を受け入れ,そして日本流に適応していく,日本人の精神構造を取り戻そう。これが,神々しい日 本の象徴である「富士山」と「バベルの塔」の神話 の教訓である。この多様性の中にこそ,すべての可 能性があるのである。

5.2 生命の永遠性 ― 単一環境と多様性の環境

 「生命」の永遠性を維持するには,定期的に全く 同じものを部分的にでも作り替えていく方式がある。 生命システムは,自分とそっくりの子供を定期的に 作って,永遠に「自己の形」を留めようとする。生 殖細胞により遺伝子の情報を再生産し,体細胞の 形態を永遠に伝承しようとし,自己は土や空に還っ ていく。生命システムは35 億年もかけてこの方式 を創造したのである。これ程,確かなものはない。
 その生育環境を考えてみよう。水田は,稲の生 育に最も適するように,雑草を取り除き,害虫を駆 除し,時期がくれば水張りして,最適環境を作り出 す。いわば生産に適した「単一環境」である。日照 りや嵐が到来すると全滅になる。これを放置してお くとどうなるだろう。雑草が生え,草木が生い茂り その落葉や実が養分となって,微生物や菌糸類が 繁殖する。この雑多性・多様性の世界が特徴であ り,その混合によって新しい「種」が生まれる。如 何なる災害が来ようともどの種かは生き残るだろう。 すると,再度豊かな生命の保存と種の伝承を確実 にし,あらゆる危険,災害からリスクを分散させる 分散形システムということができる。巨大化,大量 生産型ではなく,分散形で,各要素との相関にお いて需要側と供給側のパターンに調和がとれ,同 調してムダのないシステムということができる。この 調和のとれた仕組みを組織するのが,情報制御系 であり,おだやかで,安全性に富み,環境保存あ るいは省資源と両立して,生態系に優しい生命世界 を構築することができる。

5.3.「無常感」のデザイン

 このような考えは,「モノ」や「システム」の設計・ デザインにも適応することができる。人工システム により,全体系としての相関を無視して推進すること ではなく,分散形で生体になじみ易い技術を総合化 し,全体系との調和のとれた「洗練された総合シス テム」を構築することができる。

(1)明確な目的・意志をもったデザイン
 劇作家山崎正和は,日本の歴史的な視座と文明 論の観点より,東日本大震災の復興を見ている。
 江戸には木場という木材を大量に貯木していた。 大火は起きるもの,家は焼けるものという前提のも とに,江戸を運営・デザインしていたのである。大 震災は防げないが,焼けたら立て直す,これは積極 的な「無常感」の具現である。この伝統が現在にも 息づいている。すなわち, 「木」と「紙」と珪素類(土) で住宅を再現し,自然に「あらがう」ことなく,壊 れたら手軽に創り直す。つまり,「simple is best」 の設計思想である。
 文明や科学は進めば進むほど,逆に無常感をふく らませることがある。例えば,地震学はある意味で はとても困った学問である。地震予知を正確にするほど,人は不安を抱いてしまう。しかし,科学だか らウソは言えない。その結果,「首都圏に4 年以内 70%の可能性で直下型地震が起こる」という予測が 出て,人々を無常感,不安感を抱かせることになる。
 だからと言って,江戸の人々の文化活動は,萎縮 していないし,政治に指導力を求めつつも,社会を 軍隊組織のようにしようと考えるバカな人もいない。 日本人は,これからも震災を予想した「無常感」を 抱きながらも,地道にひとつ,ひとつ解決し,前進 して行くであろう。

(2)新しい日本のデザインと「かたち」―欧米の対応策との比較
 明治維新の戦没者は10 万人足らず,7 万人とも言 われている。米国の南北戦争の戦死者は70 万人, ロシア革命,中国革命,フランス革命では何百万人 を数える。これらに比べると明治革命の犠牲者数 は,極めて少ない。どうしてか? 日本人というのは, ある段階にくると,非常に「あっさり,シンプル」に なるようである。東日本大震災当時の,東北の人々 のあの忍耐強い,ある秩序の定着した行動は,こ のような「無常感」が昇華し,「シンプル性」と共に 一つの「かたち」をなしたものに違いない。
 『なめらかな民主主義とその敵』の章(鈴木健の 本のタイトル)で,複雑適応系からみた環境を中心 とした新しい産業の育成について述べたが,ここで は,ユーロ消滅への危機の岐路に立つメルケルと, 2008 年リーマン・ショック以後の米国の危機に焦点 を当て,日本の停滞20 年に対する対応について考 えてみよう。
 ユーロ危機を国家債務危機ととらえた経済学者 は,「資本主義の擁護者となって貧者に新自由主義 を強いるもの」と社会学者ウルリッヒ・ベルクは指 摘している。じつは債務の危機ではなく,「欧州の 危機であって,欧州が排他主義や暴力に回帰せず に根本的な遷移や挑戦的なパラダイムシフトに解答 を見出せる」かどうかが問題の核心だという。
 現在の欧州は,マキャベリが体験した15-16 世紀 以上の危機に直面しているのであり,ドイツ首相メ ルケルを「メルキャベリ」と呼び,「懐柔戦略として の躊躇」的な手法をたたえているが,「ドイツによる ヨーロッパ」が全面的になると,限界に近づくと危 惧し,それを避けるため「公平」「均衡」など四つ の原則を提唱する。
 現在の危機に対処するためには,国民的世界観
を変え,“ルールを守る小政治”から, “ルールを変え る大政治”へ転換する必要がある。“慣れ親しんだ ルーティーン慣例を粉々にする例外の事態”と通常 の事態が区別できない,「リスク社会」において,「秩 序」を何よりも重視するシュミットは,国家を成り立 たせしめる根本的な法秩序よりも,深い本質的な秩 序の「層」があると考える。したがって,その秩序 を裏づける,何らかの究極の「実在」を中心とする 世界観を問題とするのだ。EU を動かすのは,まさに 「このこと」ではないのか。
 例外的状況が相次いで出現し始めている21 世紀 にこそ,シュミットが生涯を通して考え抜いた,究 極の実在に迫ろうとする哲学的思考が「不可欠」な のに,安易に「決断」を口にする政治家が多いと, 水野和夫はその解説で主張する。
 危機の最中に,ドイツは意図せずにヨーロッパの 中心に躍り出た。カエサル,ナポレオン,ヒトラー らが強大な軍事を以ってしてもなし得なかったこと を,メルキャベリが“壮大な社会実験”として実施 しているのである。
 ひるがえって,日本の20 年間の停滞期の対応は どうだろうか。
 政治官僚共同体ともども,市場への流通の金の量 (マネタリーベース)を「2 倍,2 倍」と乱呼して問題の 本質から目をそらしている。この20 年に首相が15 名 も変わったというのは,まさに驚きである。ベースマ ネーを増やしたくらいでインフレ期待が高まるくらい なら,誰も苦労しない。通常の経済では想定してい ないデフレに陥った現実こそ,資本主義の近代化やその本質を考える絶好の機会なのに,欧米に比較し ていかに「頭が弱いか」が推察がつく。成長戦略は 出たが,従来型の域を出ていない。第一,日本が 成長できない基本的な問題分析が欠けている。
 米国の対応をみてみると,二つの幸運な経済現象 に恵まれている。一つは,オイル・シェールの発見 に基づく新エネルギー産業の創生と,今一つは「所 有経済」から「共有経済」への転換。つまり,モノ を所有する価値観から,モノを共有,利用する価値 観への文化的なシフトである。米経済復活の切り札 とされる「シェールガス革命」の追い風を受けること で,景気全体の後押し効果も期待できよう。
 この国は,かつては,「アメリカン・ドリーム」に 代表されるように,手に入れたものが多ければ多い ほどよいという,「モノを所有すること」に重きを置 く文化であった。ところが,状況が一変して,オン ラインでもオフラインでも,あらゆる人があらゆる 「モノ」を「共有」しているように見える。
 その大きな理由の一つは,インターネットである。 以前なら個人的な情報と考えたようなものを,現在 ではSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の サイトで共有してしまう。共有することが,社会的に 受け入れられるようになったのである。自動車はい うに及ばず,ネクタイや子どもの玩具にまでレンタル 制が普及している。
 この共有型経済が台頭したもう一つの理由は,経 済の後退である。若者や多くの人が車を購入するの を断念して,カー・シェアリング(車の相乗り)やク ラブのサービスを利用しているのに気づく。
 また,株価暴落後に差し押さえが数多く発生して いる市場で,投資家が住宅を買い上げる余裕はない ものの,自分のライフスタイルは手放したくない。か つての住宅ローンの所有者の間では,質の高い賃貸 住宅の需要が高く,このことが建設会社や,学区, 民間事業全体に大きな影響を与えている。かつて, 住宅の所有に充てられていたお金を,今ではあらゆ る業界が取り込むことができる状態となっている。
 その様式には,よい面ばかりではないが,不況 の時期でも,何でも「金」の増収につないでしまう 米国式の市場主義の「すさまじさ」に驚くばかりで ある。
 「シェールガス革命」の景気駆動と相俟って,米 国は景気回復を早めていくであろう。一方,日本は とみると,何故,こうした近代化の勝利の副作用と もいうべき「グローバルなリスク」の設計考慮に至ら ないのか。経済学には「検証」が存在しないのであ る。この点を解明しない限り,日本は一周遅れのか つてのトップランナーに成り下がるだろう。要するに, 複雑適応系の行動原理に対する考察が不足してい る。客観的にみて,“ユーロ圏の立て直しに比べると, 日本の復活などたやすいものだ”とみられる。

6.むすび

 長崎は,「原爆の街」また「26 聖人の殉教の地」 でもある。昔は,高度情報集積都市でもあったの である。長崎は「祈り」の街である。このように感 じる人は,私一人ではあるまい。決して,「懐古趣味」 「全盛時代への回帰」を言っているのではない。そ の体験的学習から「新しいもの」が生まれ,復興が 出来ると言っているのである。
 地球の「できごと」は,既成の理屈だとか,モラル では想定も説明もできないことが多い。そういう想定外のできごとに適切,機敏に対応することは, 中央集権型政治では出来ない相談である。複雑化 する世界(地球)の中で,唯一生き残る方法は,意 思決定の権限を分散することである。生命システム が採用している現場主義である。
 もともと官僚というものは,前例のないことはやら ないから,「発想力」つまり「感性力」が育たないし, 本質的に「創造」はできない。既存平面で効率的 なものを探すことは得意であるが,別の平面,階層 の高い平面のことは,想像がつかない。したがって, 大きな改革をやるためには,政治といっしょになってやらねばならない。「政治官僚共有体」となって「一 人前」の仕事ができる。国民は,まずここのところ をよく理解しておかねばならない。国民の判断が, 「ポ ピュリズム」に流れてしまうことなく,厳しい前提を 受け入れる思考態度が肝要である。

(1)今問われているのは,国家と同じく,「企業とは 何か」である。「社会資本」の事業展開の中,グロ ーバルに企業は非競争分野(食品ロス,リサイクル, 看護・介護・健康医療,再生医療,ロボット,バ イオガス化発電,新エネルギー,水耕栽培,土地 の要らない農業,環境機器など)に課題を見つけ, 一致してその課題解決に取り組む。食品,飲料,日 用品,医薬品などの消費向けの製品メーカー,小売 業,包装メーカーおよび流通など,事業展開への新 「発想」が活かされるはずである。

(2)人類の年間エネルギー使用量は,熱量で換算 すると,植物(葉緑素)が年間に生成するエネルギ ーの十分の一に過ぎない。中央集権,巨大技術を 超えた生体システムに準じた分散形エネルギー社会 を創造しよう。大平内閣が構想したといわれる「住 まいと職場を接近させ水脈沿いに3 〜 4 万の分散 形田園都市」は,「環境調和形」であり,日本の将 来を見据えている。この大きな地産地消のエネルギ ー・食糧・循環ネットワーク形社会を創生しよう。
 生体は本質的に生命の保存と,種の伝承を確実 にし,あらゆる危険,災害からのリスクを分散させ るシステムから成立しているからである。国家として の目標は,「女性の尊重と活用による少子高齢化策」 である。

(3)ソ連崩壊を予測したエマニエル・トッドは,ま だ世界で「共同体意識」が残っているのは,日本と ドイツだけだと言っている。米国を真似るなら,「米 国の良い点」だけを真似ること。この当たり前のこと を実施するだけで,70 〜 80%が達成できる。しかし,これからの日本は,「日本の美点」を活かした国づ くり「制度設計」に遷移すべきである。
 手本とすべき国は,まずドイツ,最もバランスの 取れた国である。あの無手勝流で勝ち取った「東西 ドイツ統一」の実力と実績を見てみるが良い。「女性 の尊重と活用による少子高齢化策」についてはフラ ンス。「人間の生き方」に関しては,北欧諸国である。 これからの若者の留学先は,ヨーロッパに行きなさ い。ヨーロッパには,すべての国の「モデル化」さ れた姿があるからである。でも,どう転がっていくか, これからの日本は面白くなりますよ!!

(4)学問の遷移(人間の考え方としての遷移)
 京都大学伊東光晴によれば,「ノーベル経済学賞 は,シカゴ学派と数学応用に偏している」。自然科 学部門は,正当な基準で選ばれているようだが,そ の他の部門は,「神の視点からみた社会(地球)に 貢献する知」の視点が欠落している。ポピュリズム を実体とする一般国民に誤った思考を植え付ける罪 は,マスメディアと共に大きい。「工学」の「工」の 字は,天を支えている「かたち」を意味する。部分 機能の徹底ではなく普遍的なものへの追求でなけ ればならない。
 環境を劣化して,その補完にカネを使う。そのた めに健康を害してまたカネを使う。自然や資源の減 少や劣化を促進する生産活動が,富を減少させるも のではなく,むしろ所得を生み出すものとして,国 民評価所得は上昇する経済計算になっている。つま り“GDP”は増加するのである。
 これでは,とにかく何でもかんでもカネを浪費す れば,GDP は増えることになる。マスメディアもこれ で「実力」を評価することなく,経済学者も何の疑 問もなく「評価基準」としているのは,全く,天の意, 「生命システム」や日本の伝統(不二山に象徴され るもの)に反する。工学における「効率的な設計美」 にも反している。まずGDP 評価を捨てることである。 そうしたら,“暮らし”も楽になるだろう。
 「人は合理的に振舞えば,量子論(確率論)で人 の行動,カネの流れを類推することができる」とす る現在の経済理論は,現実と一致しない。そもそも, 地球社会に対する「前提」から誤っていることが多 い。経済学には,「複雑適応系の考え方」を適用し たらどうだろう? あるいは全部置き換えて考え直し たらどうだろう。数学を経済学に適用する如き従来 の延長技術(例 金融工学)では無駄である。想像 は「創造」に通じる。

(5)最後に,21 世紀形の「知」といわれる,ダニエル・ コーエンや水野和夫の言葉を引用して終わりとしよ う。「サイバーワールドの時代になって,人類は事後 に自らの過ちを正すことはもはや許されない。これ は,人類史上始めてのことで,人類は18 世紀以降 米欧が辿ってきた道程を精神的には逆方向に進行 していくべきことを結論している。すなわち,世界 は無限だという考え方から閉じているという方向に である」。
 今の日本は,この方向とはまったく正反対につき 進んでいる。

(2013 年7 月1 日受稿,9 月27 日受理)

プロフィール かわぐち・かつゆき
東京大学大学院工学系研究科機械工学修士課程修 了。その後,三菱重工(株)(回転機械,ガスタービン, 原子力,海洋の総合開発)に入社。フランス政府 技術研究員(ガスタービン)を経て,1988 年長崎 大学教授(ガスタービン,生物機械工学),97 年長 崎総合科学大学大学院教授(環境計画),現在, 世界NGO 平和大使(環境計画,感性の表現の研究) 協議会議長。工学博士。主な著書・論文に,『地 球環境システム設計論』『波動ポンプ』『波動ポン プによる環境制御』『人間の内面的な感性の表現の 研究』,「集中化から分散化へ,量の生産から質の 生産へ― 脳の情報処理よりみた次期社会の総合シ ステム―」(?) (?) (?)など。

<参考引用文献>
1)川口勝之『人間の内面的な感性の表現の研究―脳 の情報処理よりみた次期社会の総合システム』改 訂増補版,創造デザイン学会,2010
2)川口勝之「集中から分散化へ,量の生産から質の 生産へ(?) (?) (?)―脳の情報処理よりみた次期 社会の総合システム」,『世界平和研究』2009 年 春季号No.181,2010 年秋季号No.187,2011 年冬 季号No.188,世界平和教授アカデミー
3)川口勝之「東日本大震災と原子力発電及びこれか らの日本のエネルギーシステムー脳の情報処理よ りみた次期社会の総合システム」『世界平和研究』 2011 年夏季号,世界平和教授アカデミー
4)ジャレド・ダイアモンド,倉骨彰訳『昨日までの 世界(上・下)』日本経済新聞出版社,2012
5)鈴木健『なめらかな社会とその敵』勁草書房,2013
6)濱田武士『漁業と震災』みすず書房,2013
7)アンドリュ・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー,須川 綾子訳『レジリエンス復元力』,ダイアモンド社, 2012
8)西垣通『集合知とは何か』中公新書,2013
9)白井聡『永続的敗戦論―戦後日本の核心』太田出 版,2013
10)有田俊雄「3・11 を経たニッポンの食品包装」,『食 品包装』3 月号,日報ビジネス,2013
11)水野和夫『世界経済の大潮流』太田出版,2012
12)小野善康『成熟社会の経済学』岩波新書,2012
13)ウルリッヒ・ベック,島村賢一訳『ユーロの消 滅?ドイツ化するヨーロッパへの警告』岩波書店, 2012
14)仲正昌樹 『カール・シュミット入門講義』 作品社, 水野和夫書評,2012
15)ダニエル・コーエン,林昌宏訳『経済と人類の1 万年史から21 世紀を考える』作品社,2013
16)磯野文斉「長崎古版画」,永見徳太郎編『長崎八景』 夏汀堂,1929