欧州共同体形成とユーロトンネル建設の意義

Euro Tunnel and Formation of the European Union

申章_(韓国・崇實大学教授)
Jang-Churl Shin

 

 ヨーロッパ諸国は,世界で最も早く政治・経済的統合関係を成し遂げ,名実共に地域共同体として浮上している。欧州連合(EU)構成国27カ国は,東北アジア3カ国よりも長期間にわたる歴史的相互関係と政治的対立の過程を体験したし,宗教および民族間の葛藤なども激しかった。
 特に,ヨーロッパの島国であるイギリスと大陸国家であるフランスは,「100年戦争」に見るように深刻な対立関係と競争意識による根深い愛憎関係にあったが,両国は1993年のEU統合において主導的な役割を果 たした。また,英・仏両国は,1994年にユーロトンネルを開通 させ,ドーバー海峡を海底トンネルで結ぶことで地理的な断絶性を克服し,両国間の相互善隣友好と信頼関係を構築することにより,ヨーロッパ地域の政治・経済的統合関係の構築に大きく寄与した事実は,現在の韓国と日本の海底トンネル建設議論に示唆する点が多いといえよう。
 そこでここでは,イギリスとフランスが長い歴史的葛藤と対立関係を清算し,ヨーロッパ統合の象徴になったユーロトンネル建設の事例を考察し,現在,東北アジア3カ国が直面 している特殊な状況を克服し,地理的近接性を確保する最も効果 的な解決手段である日韓間の海底トンネル建設の妥当性を考える。

1.ユーロトンネルの建設背景および過程
 ユーロトンネルの正式名称はチャネル・トンネル(Channel Tunnel)であり,ドーバー海峡の最も狭い部分であるイギリス側のチェリントン(フォークストン附近)とフランス側のコックニュー(カレー附近)を結んでいる。このトンネルは 1986年 5月にイギリスとフランスの (Calais)の両側から同時に掘削工事に着工し,1990年 12月に海底工事が完了,1994年 5月 6日に正式に開通した。
 ところで,このトンネル建設計画はナポレオン時代にまで遡るが,その構想が具体的な形で現れたのは19世紀序盤からであった。すなわち,1802年にフランスの鉱山エンジニアだったアルベールにより初めて考案され,その翌年にはイギリスのヘンリーによりアイディアが提案された。
 その後,当時のイギリスの鉄道・運河土木技師として著名だったジョン・ホークショーが,サウスイースタン鉄道会社とロスチャイルド家の支援を受け,1865年に海底地質調査に着手し,技術的に海底トンネルの掘削が可能だということを立証した。その結果 ,1882年に海底掘削坑を施工する作業が着手された。しかしその翌年1883年に,英国議会が国内の保安を理由に掘削作業に反対する立場を議決し,一方的に工事が中断された。
 その後1916,1924,1930年に,この計画が再検討されたが,実際に着工にまで至らなかった。そのような状況の中で,1957年7月にイギリスとフランス両国間に,いわゆる¢チャネル・トンネル研究班(Channel Tunnel Study Group)£が構成され,地質・土木技術,そして経済的波及効果 などを網羅した提案書が1960年に完成した。それを契機にイギリスとフランス両国政府が1966年にトンネル掘削作業の再開に合意し,本格的にプロジェクトが推進されるようになった。
 1973には,当時のヒース英首相と,ポンピドゥー仏大統領は,イギリスのヨーロッパ単一市場参加の象徴としてユーロトンネルの建設を決定し,精密な基礎調査と共に民間に海底トンネル建設を委任する措置を行ない,サービストンネルの掘削に着手した。しかし,そのプロジェクトは1975年1月に新しく政権を取ったイギリスの労働党政府の誕生という政治的環境変化とオイルショックの影響による財源圧迫により一方的に中断された。すなわち,1974年の総選挙で与党保守党が敗北し,ヨーロッパ統合に消極的でユーロトンネル建設に懐疑的だった労働党政府が執権し,莫大な規模の工事費用調達に難色を示し,国際慣例を無視してまでも一方的に放棄を宣言したのである。
 このように一時,イギリス政府により放棄されたユーロトンネルは,1980年代に入って再び論議された。すなわち,放棄宣言4年後の1979年に,英国鉄道公社(BR)とフランス鉄道公社(SNCF)は,共同で鉄道専用トンネルを提案すると同時に両国政府は関心を持つようになり,特に1984年には当時の英国のサッチャー首相は閣僚の反対にもかかわらず,純粋な民間による海底トンネル建設を強力に支持するなど,政治的リーダーシップを発揮した。
 1986年1月には,当時両国の頂上だったイギリスのサッチャー首相とフランスのフランソワ・ミッテラン大統領は,民間投資によって工事を進行することを正式に合意し,ユーロトンネル(Eurotunnel)社が発注処に選ばれたことを公布した。まもなく同年2月には,両国の外務省はケントベリーにて批准に公式署名した。
 これで工事中断後,およそ100年余り経った1986年1月20日に,ユーロトンネル社は両国政府から事業認可を受け,その年5月にユーロトンネルは工事に着手できたのである。1987年12月15日には,イギリス側で,1988年2月28日にはフランス側で各々,掘削作業が始まり,1990年に12月に歴史的な海底工事を完工し,1994年5月6日を期して歴史的な開通 式を行った。
 このように,ユーロトンネルは19世紀初めにナポレオン一世の時に提案され,開通 に至るまで,およそ200年という歳月を要した。しかし,このトンネルは建設期間中に頻繁な設計変更と工期延長,物価上昇などにともなう工事費と負債の負担が加重し,そして開通 直後である 1996年11月にはトンネル内での車両火災が発生して1997年5月に全面 復旧するなどの迂余曲折があった。

2.ユーロトンネルと主な経営実態

(1)ユーロトンネルの主要財源
 ユーロトンネルの総延長は50.45km(海底部分の長さは38kmで世界最長)で,日本の青函トンネルに続く世界第2の長い海底トンネルである。
 ユーロトンネルは,2本の鉄道トンネルと1本のサービストンネルで構成されている。すなわち,2本のトンネル(直径 7.6m)には,乗客専用の高速鉄道であるユーロスター,貨物列車,そして自動車を積むカートレインの3種類が15分間隔で通 過する一本の鉄路が設置されており,サービストンネル(直径4.8m)は,非常時の待避および安全,サービス確保のための通 路として活用されている。また,これら3つのトンネルは,375m間隔で連結通 路が設置されていて,有事のとき,この通路を利用してお互いに行き来できるよう設計されている。
 このトンネルの最大水深は60mで,平均水深が45mの海底に位 置しており,海底空間での高圧と予期できない地質上の問題を解決するために,TBM(Tunnel Boring Machine)を使用して掘削した。すなわち,シールド(Shild)という最新のトンネル掘削機を英国で5機,フランスで6機,総11機を投入し,1987年6月に掘削工事を始め,一日で最高75.5mの掘削速度を記録するなど工事期間の短縮に拍車をかけ,1990年12月に海底工事を完工し,1994年5月に開通 した。
 このトンネルは,現在,英国側のフォークストン附近とフランス側のカレー附近を連結しており,TGVの超特急列車のユーロスター(Euro-star)が英国のロンドンとフランスのパリ,英国のロンドンとベルギーのブリュッセルの区間を運行している。
 しかし,英国のロンドンとフランスのパリを2時間30分でつなぐこの鉄道専用のトンネルは, 2015年には飽和状態に達するはずとの展望が提起されている。最近,収益の概念とは別 途に自動車専用の第2ユーロトンネル建設計画が検討されている。

(2)ユーロトンネルの事業主体および営業状況
 ユーロトンネル建設事業の施行主体は,民間投資者で構成された純粋な民間会社であるユーロトンネル(Eurotunnel)社で,この会社は英国側とフランス側の民資参入者により構成された英・仏合弁法人である。ユーロトンネル社は,英仏両国の政府から建設工事竣工後の運営,維持管理に達するまで一切の権限を,着工時点である1987年から55年間委任され,BOT(Build Operate and Transfer)方式で管理した後,2042年に両国政府に所有権を譲り渡すことになる。
 1984年に英国のサッチャー首相は,ユーロトンネルを建設するにあたり100%民間資本で推進するという条件で事業を承認し,150億ドルに達する莫大な工事費は英国とフランス政府からの一切の資金支援や支給保証なしでプロジェクト・フィナンシング(Project Financing)を通し,株式公募と銀行融資により調達した。1986年10月以後,数回にわたる有償増資および対外起債を通 して建設資金を用意し,全世界200余行の銀行が国際シンジケートを組織し,88億9千万ポンドを調達した。このうち日本の38の銀行が約23%の資金を投資した。この工事は国家間の超大型インフラ建設を純粋な民間資本がリードした代表的な投資事例として評価を受けている。
 しかし,1994年にトンネルが開通して以後,当初の予想とは異なり,深刻な経営難から破産の危機に直面 するなど,経営の困難を経験した。当時の報道によれば,建設工事関連の債務金額が約 750億フランで,1年間の支払利子額だけで60億フランであった。弱り目にたたり目で1996年11月18日にはトンネル内部で,トラックとトレーラを運搬する車両で火災が発生し,乗客と貨物の量 が激減する事態になったりもした。
 しかしその間,ユーロトンネル社の一貫した構造調整により,乗客と貨物量 が延びて1997年から営業利益において黒字を出している。2006年初期にあげた総収入は1億3150万ポンド(韓貨2,205億ウォン)だった。しかし建設費用が当初の予想をはるかにオーバーした150億ドルが必要になったことで債務の利払い負担が加重し,累積債務が増えて経営に大きい負担になっている。にも拘らず,商用運転を開始し15年目になる2009年現在,設立以降はじめで4千万ユーロの当期収益をあげ,株当たり4セントの配当を承認するなど,営業実績が徐々に改善されている。

3.EU出帆とユーロトンネル建設
 イギリスとフランスを連結するユーロトンネル建設の過程でも,歴史性は重要な変数として作用した。大陸からの侵略を心配したイギリスは,早くから海底トンネル建設を反対した。中世末期に両国が繰り広げた「100年戦争」の過去の歴史の沈殿物も肯定的な議論を妨害する要素になった。このような英仏間の長い間の葛藤と対立関係を克服できたのは,20世紀末にEU(ヨーロッパ連合)と共同体的なてこ入れと,英仏両国の政治指導者がとった未来指向的な態度が大きな力になった。
 特に,1994年にユーロトンネルが開通し,英国とフランスが陸上交通 手段で連結された過程は実にドラマチックであったし,これは両国が200年以上夢みてきた未来の実現そのものであった。
 すなわち,従来は37kmの海峡を旅客船を利用して渡るのに約1時間30分かかったが,高速鉄道であるユーロスターでは最大20分台で通 過することで,移動時間はもちろん安全性,便宜性,快適性などに画期的な変化をもたらした。
 ところが先に言及した通り,ユーロトンネル建設においてフランスがより積極的だった。1980年代中盤にイギリスのサッチャー首相は政治的判断により事業を承認し,物理的統合を通 してイギリスがヨーロッパの一員に編入した。当時のヨーロッパ共同体市場(EC)がヨーロッパ統合によりヨーロッパ連合(EU)に変貌する過程で成就された20世紀末の最大の建設プロジェクトであった。
 特にユーロトンネル建設を推進するにあたっては,技術および資金面 での障害よりは政治・社会的共感の形成に,より多くの困難があり期間も必要だった。ユーロトンネルはヨーロッパの政治・経済的統合を実現するために1993年11月に発効したマーストリヒト条約によってヨーロッパ12カ国が参加したEUのスタートに合わせ推進されたもので,1994年5月に歴史的なヨーロッパ共同体の開始を記念する象徴物として開通 した。
 しかし,ユーロトンネルは開通してから10年過ぎた今日において,初期建設費用の利払いによる困難に直面 している。それにも拘わらず,ユーロトンネルは開通以後2005年まで,何と1億7千8百万人内外がトンネルを利用してイギリスとヨーロッパ大陸を往来したと集計されている。また英仏間の旅客運送の約35%,車両輸送は40%の占有率を記録し,2005年の統計資料によれば,一日に平均約2万6千人余りがユーロトンネルを利用し,商品輸送は平均約4万7千トン余りに達すること集計されている。特に,2006年の一年間,高速鉄道であるユーロスターを利用してユーロトンネルを通 過した乗客は約 786万人で前年度に比べて約5%増加したと報告されている。
 このような内容を土台に,ユーロトンネルは陸上交通手段が,高速鉄道の通 過で英仏間の地理的断絶性を克服し,人的・物的な移動が画期的に増加させたことが分かる。それだけでなく,ユーロトンネルは,英仏とEU国家相互間の政治的同質性と経済的な相互依存性を深め,域内国家間の友好交流増進に寄与し,さらにはEUの地理・経済的統合関係と名実共の地域共同体形成に大きく貢献しているといえる。

(2009年12月5日〜7日,日本で開催された「第21回統一思想国際シンポジウム」において発表された論文を整理して掲載)

(「世界平和研究」2010年5月春季号より)