東アジアの平和実現と日韓トンネル構想の意義―国際政治の観点から

Japan-Korea Tunnel Project Contributing to Peace in East Asia: Perspectives from International Politics

金成浩(琉球大学教授)
Sung-ho Kim

 

 <要旨>
 国際政治を見る伝統的な視点には,勢力均衡論に基づく現実主義(リアリズム),相互依存関係の深化を図りつつ平和を達成しようという国際協調主義(リベラリズム)がある。近年,人々の間の共通意識(間主観性)変革によって厳しい現実からも真の平和理想実現に向かえるという含意を持つ社会構成主義(コンストラクティビズム)の考え方が出てきた。この見方に立てば,国際ハイウェイ構想及び日韓トンネル構想は,人々の意識を変えながら,冷戦構造の残る東アジア地域に真の平和を実現するために,重要な役割を果たすものとして期待される。

国際政治学における平和概念
 国際政治学における平和構築の枠組みについて述べたい。時間の都合で詳しい検討はできないが,大まかに3つに分けて,その概略を説明してみる。

(1)現実主義(リアリズム)
 平和を考える前提として,国内社会と国際社会の政治的しくみには根本的な違いがあることを理解しておく必要がある。国内社会においては,国家機関に警察など不正を取り締まる機構があり,国内秩序維持が可能だが,国際社会には国民国家の上位機構がなく,対等な国民国家が並存する一種の無政府状態(アナーキー)である。国連は上位機構に準ずるものではあるが,国民国家における政府のような秩序維持機構ではない。ましてや世界政府はまだほど遠い現状である。ゆえに,国際社会において,ある国家が国内で少数民族の弾圧などの不正行為を行なっても,理論的にはそれを制御する立場の国際機構はないことになる。
 それではこのような無政府状態の国際社会において,どのようにすれば平和が達成できるのか。リアリズムでは,各国家が同盟などにより勢力均衡(Balance of Power)を図り,戦争を抑止する以外に平和を達成する手段がないと考える。簡単に例えれば,A国が100の力(パワー)を持っていれば,B国はそれに対抗するために100,あるいはそれ以上の力を備えるか,別の国と同盟を結んで100に相当する力を蓄えバランスを取ることによって対抗する。これがバランス・オブ・パワーの基本的な考え方である。
 マスコミなどで国際情勢を分析する識者は,だいたいリアリズム的思考から分析していることが多い。例えば,北朝鮮が核開発・核実験をした場合に,その動機は何かと問うと次のような答えが返ってくる。米国をはじめとする周辺国の勢力と力のバランスを図るために,北朝鮮は核という戦略で対抗しているのだと。
 しかし,リアリズムに対しては,主に次のような批判がある。
 まず,勢力均衡策だけをやっていては,完全な(恒久)平和の実現はできないという批判である。勢力均衡が崩れた場合,一歩間違うと戦争に突入してしまう可能性があるからだ。
 もう一つは,「安全保障のジレンマ」である。先の例で言えば,B国がA国の軍事力に対抗して軍事力増強を図った場合に,B国がいくら「防衛目的だ」と主張しても,周辺国や国際社会の目にはB国の軍事力増強は「脅威」と映る。そうすると周辺国も軍事力増強を図るようになる。そのまま進めば,双方の軍拡がとめどもなく繰り広げられることになる。まさに,冷戦時代の米ソの軍拡はこういう文脈で繰り広げられた。

(2)国際協調主義(リベラリズム)
 「リベラリズム」という言葉は,さまざまに解釈される多義語であるが,国際政治学の分野では「国際協調主義」と訳されることがある。
 国際協調主義では,リアリスト(現実主義者)が主張するほど国家は自己中心的ではなく,むしろ理性的側面もあり,アナーキーである国際社会でも国家の自己中心的行動を抑制することが可能だと考える。その方法はどのようなものか。
 まず,相互依存関係の深化である。すなわち,人的交流,文化交流,経済的交流などを積み上げる努力をしていくと,最終的に政治的相互依存関係が深まり,例えば,EUのような連合体を形成するようになる。
 歴史的に多くの戦争を経験してきたヨーロッパでも,統合が進んだ現在,EU内の国家間戦争は想像すら難しい。このように相互依存関係の深化をはかれば平和が達成されるとする考えが,これである。
 もう一つは,国際レジームを張り巡らせることによって平和を達成する方法である。国際レジームとは条約や規範などであるが,国家をこれによって縛ることで,平和秩序に組み込み平和を実現していくという考え方である。
 例えば,NPT(核拡散防止条約)や六カ国協議の枠組みをつくって,そこに北朝鮮なども加入させて核問題を平和的に解決していこうとする。もっとも,脱退しても罰則がないために容易に脱退できるわけだが,実際には国際社会の目を全く気にしないで行動できる国はほとんどなく,条約への加盟,脱退について当事国もかなり意識せざるをえなくなる。
 レジームの強制力は低いとはいえ,レジームを幾重にも張り巡らせていくことによって,あたかも蜘蛛の巣に引っかかった虫のように,国家の自己中心的行動を抑制することが可能であるという見方である。
 ただこれに対しても,リアリズムからの批判がある。
 本当に相互依存で平和が達成できるのかという疑問である。相互依存が深まると却って摩擦が増大しはしないのか? 例えば,相互依存関係が深まり共同体が形成され,他国から労働者や移民が増えて,自国民の労働力市場が奪われることになれば,人種・民族問題が起こる可能性がある。却って社会内葛藤や国同士の対立が深まりかねない。リベラリズムの考え方は,現実から目をそむけた理想主義的過ぎはしないのかという批判である。

(3)社会構成主義(コンストラクティビズム)
 これは国際政治学における比較的新しい考え方である。
古代ギリシア時代の歴史家トゥキディデス(前460-前395年)は『戦史』という本を著し,その中で,アテネとスパルタの戦争は,バランス・オブ・パワーが崩れたことにより発生した脅威認識が主な原因であったと述べた。その指摘にも表れているように,すでにこの時代からバランス・オブ・パワーの変化は,戦争を誘発してきたのである。バランス・オブ・パワーの発想から抜け出せない人類の歴史が,いわば「戦争の歴史」であったのも当然かもしれない。
 こういった「戦争の歴史」を克服することは可能なのか。ヒントになるのは,社会構成主義(constructivism)の視点である。難しい概念だが,簡単に説明すると,人々の間にある事柄が「間主観的」(intersubjective)に認識されると,それが「事実」となるという考え方である。「間主観性」とは,複数の主観の間で共通に成り立つことで,事物などの客観性を基礎づけるものとされている。
具体的な例を挙げて説明してみよう。
 1960〜80年代ごろまでは,「北朝鮮が脅威だ」ということは,日本国民の間で共通に認識されていなかった。ところが,拉致問題が世上の関心事になって以降,北朝鮮の脅威は広く認識されるようになった。つまり,人々の間に共通の意識が「間主観的」に共有されると,それが人々の間で客観的「事実」と受け止められるのである。80年代の北朝鮮は,現実的には脅威であったと思うが,日本国民の間にその認識は共有されなかったので,その脅威は「事実」とはならなかった。しかし2000年代に入ってからは,マスコミ報道などを通じて多くの国民に北朝鮮問題が認識され,「北朝鮮は脅威」という見方が「事実」に変わっていった。言葉を換えれば,人々の思いが「事実」を形成するとも言える。 
 バランス・オブ・パワーの観点で世界を見るから,バランス・オブ・パワーで世界が動くのであって,逆に相互依存という間主観性を持てば,世界は相互依存化していく。結局,人間の意識が問題であるという。「勢力均衡による平和」か,「相互依存による平和」かは,人々の間に共有される「間主観性」次第となる。
 社会構成主義をヒントに考えれば,人間の意識を変えていけば,リアリズムから批判された理想主義的な相互依存による平和の可能性も見えてくる。

2.日韓関係の現状と展望
 では,前述の理論を前提に,具体的な話を考えてみたい。まず日韓関係の現状と展望についてである。
 今の大学生は「韓流ブーム」の世代なので,昔の日韓関係を知らない。例えば,1980年代に韓国のタクシーの中で日本語を話したら,その車から降ろされたという自分の体験を今の大学生に話しても,あまり信じてもらえない。それぐらい日韓関係は変わってきた。
 2002年にワールド・カップが日韓共催で行なわれたが,そのときは相互にサポーターが応援しあうなど良い雰囲気が醸成された。また日本で「冬のソナタ」以降,韓流ブームがおこり国民に広く韓国文化が受け入れられるようになった。最近では,多くのKポップスターが日本人ファンを魅了している。
 私の勤務する琉球大学には観光産業科学部があるが,昨年,韓国人学生(韓国の高校を卒業して琉球大学を直接受験した新入生)が,まだ数人であるが一年生として入学している。今後,この数は増えていくものと思われる。このような国境を超えた動きが日韓関係に現れてきた。これらは,いわば正のベクトルである。
 一方,日韓関係には,負のベクトルもある。
 竹島(独島)領有権問題,歴史認識問題(従軍慰安婦,教科書記述問題)など,日韓関係の「トゲ」としていまだ刺さったままの課題がいくつか残っている。
 現在の日韓関係は,正と負のベクトルがちょうど拮抗しあう状況の中にあるといえるが,今後どちらの方向に引っ張られていくのだろうか。社会構成主義の考え方に立てば,人々の「間主観性」次第という結論になる。人々の正のベクトルの意識を形成できるのか,あるいは負のベクトルの意識を形成するか,現時点はこのせめぎあいの中にある。

3.東アジア共同体と日韓トンネル
 欧州ではEUという共同体が出来上がっているが,東アジア地域は,南北朝鮮の対立,中国・台湾問題,島の領有をめぐる紛争など,依然として冷戦時代の残滓が残ったままである。
 今の日本の民主党政権は,リベラリズムの方向に舵を切りたいのだが,現実にはリアリズムで考え対処しなければならない課題が山積しているために,どうすべきか明確な方針を示すことができないままに迷走しているようだ。鳩山前首相は,東アジア共同体構想を打ち上げ,沖縄基地問題に対しても理想を掲げたが,厳しい現実にぶつかって退陣せざるを得なくなった。
リアリズムが依然まだ支配的な東アジア地域であるが,社会構成主義の考え方に見るように,人々の「間主観性」次第で現実の国際関係も変わっていく。つまり,リアリズムの世界から,理想主義的な方向に引っ張っていくことが可能であろう。もちろん,現実は現実問題としてしっかりと対応しなければならないため,リアリズム的手法を否定する必要はない。しかし,かといってそれだけでは真の平和実現の道は見えてこない。
日韓トンネルを含む国際ハイウェイ構想は,このような袋小路にあるように見える東アジアの国際関係,正と負のベクトルがせめぎ合う日韓関係に,抜本的な変化を及ぼす可能性がある。日韓トンネル構想を包含する国際ハイウェイ構想は,まさに,ここに意義があると考える。
「国際ハイウェイ・プロジェクト−日韓トンネル構想」のパンフレットには,次のように記されている。

「日韓トンネル構想や国際ハイウェイ構想の影響は,アジア全域に波及しアジア発展の大きな牽引力になるはずだ。こうした自由往来が実現した結果,文化や経済の交流が頻繁になり,国家間の経済格差やイデオロギーの対立が解消の方向に向かうだろう」

 もしこれらのインフラができれば,人間の「間主観性」が変わらざるを得なくなるからである。冷戦思考やバランス・オブ・パワー的発想を超えることができる可能性がある。
 前節で述べたように,韓流ドラマを見る日本人は確実に韓国を見る視点が変わってきている。その上に,日韓トンネル構想や国際ハイウェイ構想が実現されれば,日本,韓国,および東アジア全体の人々の「間主観性」が大きく変化することが期待される。そうすることによって,リアリズムで対処しながらも,リベラリズムの目指す理想に向かって,東アジア共同体へと連なる道が明確になっていくに違いない。
 日韓トンネルや国際ハイウェイは,その牽引車という重要な役割を果たしてくれるものと期待されるのである。

(2011年3月12日,東京で開催された「日韓トンネル推進懇談会」における発題内容を整理して「世界平和研究」No.189,2011年5月春季号に掲載)