「ろうそく集会」のダブル・スタンダード

 韓国国民は,他国民とは違う熱情を持つ。コチュジャン(からしみそ)を食べれば,またたく間に熱さが込み上げてくるように,何かことが起きればぱーと燃え上がる感情的特性がある。火がつけば命を賭けて叫び,デモもする。おそらくわれわれ韓国民は天地神明(神)を最も敏感に感得し表現する民族なのかもしれない。

 歴史を振りかえってみれば,この国が危機に直面 したときは,さまざまな救国の集まりや自発的な義兵が各地に起こり,それが国家の安危の回復に大きな手助けとなった。現代史をみても,安重根義士,日本帝国主義に抵抗した3・1独立運動,政権の不正腐敗に抗議して立ち上がった4・19義挙などがある。最近では,2002年の韓日ワールドカップにおいてソウル支庁前広場をはじめ全国を赤一色で埋め尽くした「赤い悪魔」の街頭応援団の姿は,一種の「文化革命」として韓民族の潜在力を世界に見せたできごとであった。

 そして2年前には,狂牛病問題で全国が「ろうそく集会」で熱く燃えた。その主導者たちは,2002年の米装甲車事件(韓国少女が装甲車によって轢かれて死傷した)までも併せて,米国に対する敵対心を露骨に表した。狂牛病への恐れによって理性的判断が欠如したまま,未来を心配し興奮した青少年たちの街頭への繰り出しは,世界的な心配事にもなりながらも,新しい文化現象として注目されもした。しかし,これまでのところ狂牛病に対する心配したようなことは発生しておらず,黄牛を飼育する農家も技術力を蓄えて競争力を高めたのである。

 この春は,多くの犠牲を伴った天安艦事件によって全国が憂鬱な時を過ごした。この間,「ろうそく集会」の会員たちは沈黙を守っている。これまでの例からすれば,全国的規模で大々的な「ろうそく集会」が開かれてしかるべきであろう。しかし彼らは静かである。祖国のために命を落とした戦士たちのために,追慕の意味からしても,彼らの今回の行動は理解に苦しむものだ。

 いま韓国は国家の安保と将来のため勇気と知恵を集め対処すべき重大な時期にある。いまこそ「ろうそく集会」の熱気を燃やすべき時ではないのか。それは南北の緊張を激化させるのではなく,南北の同胞が同じ血をもった兄弟姉妹であるとの認識を共有し,さらには世界を平和と和解に向けて引っぱり,二度とこのような犠牲がないようにするためにである。

 かつて街頭で「ろうそく集会」をした人たちが,今回の犠牲者の冥福を祈り焼香を捧げたことを信じたい。もし彼らが,このような悲惨なことが二度と起こらないように祈り,そのための決意ができないとすれば,「ろうそく集会のアイロニー」という汚名から逃れることはできないに違いない。

(2010年5月4日付,韓国「世界日報」コラムより)