10年間に韓国人ムスリムが32%増加

 韓国イスラーム中央会によれば,2001年時点で,韓国人のムスリム(イスラーム信者)は約34,000人で,全体(外国人を含む)で13〜14万人が韓国内に居住していると推定されている。最近では,韓国人ムスリムが45,000人に達しているとも言われ,この十年あまりで30%を超える増加率を示している。
 イスラーム宣教の中心はモスクである。1976年に韓国中央モスクが建設されたが,当時一種の「中東ブーム」によって韓国人の関心を呼び起こし,中東地域への企業進出とあわせ一般の人々への道しるべとしての役割を果たし,韓国人ムスリムの増加を引き起こしたのであった。現在,ソウルの梨泰院にある中央モスクを訪ねるか,連絡先を教えれば,「人生の目的は何か」という冊子を無料で送ってくれる。
 国内のイスラーム宣教は,「ダアワ(da-wa)」を通して活発に行なわれている。「ダアワ」(注:ダアワとは,導きを受ける人々の環境や理解の違いを考慮し,ふさわしい方法をもって,言と動,その両方によって,人々に,イスラームへの招待を伝えることや,イスラーム教育へと人々を招くこと)とは,人々をアッラーのみ旨に服従させるための努力だとされ,キリスト教の宣教と似た意味を持つ。海外派兵の軍人を対象にしたアラビア語教育を通したイスラーム入信の例もある。例えば,2008年のイラク・ザイトゥーン部隊の5人がイスラームに改宗し,イスラーム講座を開いてイスラームに対する理解を広め偏見をなくすことに活用している。
 このほかにも,2007年韓国最初のイスラーム書籍センターが開店し,2006年には韓国イスラーム宣教50周年記念として「中東イスラーム文化風物大典」がソウル市内で開催された。
 さらに,イスラームに好意的な学者や専門家による多様な研究と出版が活発化して,イスラームのネガティブなイメージ改善に寄与しているようだ。
 30年余りにわたり中東地域とイスラームを研究してきたイ・ヒス漢陽大学教授は,最近『イスラームと韓国文化』というを出版し,韓半島とイスラーム文化圏との交流の歴史を検討し,新たな視座を紹介している。同教授のポイントは次の通りである。
 同教授は,処容(注参照)と処容歌に関する独特な見解を提示する。処容歌において,妻を犯した「疫神」は当時流行していた「天然痘」であり,世界最高水準であったイスラーム医学の技術を処容が新羅に伝えこれによって病気を撃退したというのである。
 処容歌の叙事詩の構造が,ペルシアの口伝叙事「クシナ」と類似している点,「夜ごと遊び歩く」という句は,夜の文化であるイスラーム・オリエント情緒にぴったり合っているなどの点を根拠としてあげている。
 また慶州・掛陵にある文人の石像は,中央アジア・ウィグル人の姿を見せているのに対して,武人石像は,ペルシア系ムスリム軍人の姿を帯びている。古墳から出土したいくつかの土偶や埴輪の姿からもペルシア系やウィグル系の西域人の雰囲気が感取される。
 同教授は,韓半島とイスラームとの間の交流は高麗時代を経て,世界観の焦点が中国中心になった朝鮮王朝時代初期まで継続したと見る。そして「イスラーム対する偏見と固定観念を捨てて,新しい歴史的事実と史料の発掘・再解釈を通じて,中東と西アジアを協力的パートナーとしてもう一度見ることが期待される」と述べた。

(『汎宗教新聞』2012年4月16日付より)

注「処容」:統一新羅憲康王(在位875〜886)時代の人物に処容がいた。彼は妻を侵そうとしていた疫神(伝染病を移す神)の前で、自分が作った歌(処容歌)を歌いながら踊り鬼を追い払った。その後人々は、処容の顔を描いて門に貼り付け鬼を追い払うようになった。この伝統を受け継いだものが処容舞で、仮面と衣装、音楽、踊りがひとつになった水準の高い舞踊芸術である。