イスラーム原理主義による支配は独裁体制から民主体制への移行が可能か?

 今日までイスラーム原理主義による統治システムは,一般に暴力と独裁を意味するとされたが,将来これが妥当な政治体制に進化することが可能だろうか。別な表現で言えば,ホメイニーとウサーマ・ビン・ラーディンの残酷さは「過去の姿」であり,エルドアンとモルシーの専制体制が「現在の姿」とすれば,将来のイスラーム原理主義による統治形態は,民主的で人道主義的なものに変わり得るだろうか。なぜならイスラーム原理主義は,イスラームの支配者であるカリフの統治による,一貫してイスラーム法(シャリア)のグローバルな適用を追求する人たちだからだ。
 イスラーム主義は,(9.11以降)過去13年間に顕著な進化を遂げてきた。直近のことで言えば2001年ごろイスラーム教徒は,犯罪者,テロリスト,革命分子と同意語だった。このような観点に立って筆者は,2001年9月1日(米国同時多発テロ事件)の3日後に,多数のイスラーム原理主義者は「外面的には平和的に見えるが,すべて潜在的な殺人者とみなすべきだ」と書いた。
 イスラーム原理主義者たちが,権力にいたる手段として銃口よりも投票箱をより効率的な手段だという事実を発見したこの時代には,このような言葉は古めかしく聞こえる。イスラーム国(ISIS),ボコ・ハラム(注:ナイジェリアのサラフィー・ジハード主義組織)のような集団が実行するテロと脅迫が依然として広く行使されていることは明らかだ。しかしイスラームの改革が部分的に進行中だ。
 現在の最先端のイシューは,政府形態に関すものである。すなわち,イスラーム原理主義者たちは,単にテロから政治に移行するだけではなく,独裁体制から民主体制に進歩することができるだろうか。表面的な生来の自己優越主義,好戦性,不道徳,女性嫌悪,反ユダヤ主義を除去することができるだろうか。変化を暗示する事例のなかには次のようなものが含まれる。
 トルコにおいては,少数の核心的イスラーム原理主義者たちは,進化し強圧的な独裁から遠ざかっているようだ。その注目すべき人物としては,とくにトルコで最も影響力のあるイスラーム団体(注:イスラーム道徳をベースとする市民運動)の指導者であるフェトフッラー・ギュレンと第11代トルコ大統領アブドゥラー・ギュルがいる。

 ファシズムや共産主義と同じように,イスラーム主義は本性的に独裁的であると十数年にわたって私は議論してきた。なぜならその三つの理念すべてが,急進的な理想主義思考方式,国家礼賛,世界的覇権の追求を共有するからである。
 共産主義は,二つの進化可能な路線を提示する。1968年の「プラハの春」のとき,アレクサンデル・ドゥプチェク・チェコスロバキア共産党第一書記は,「人間の顔をした社会主義」の建設を追求した。これは多党制政治と豊かな生活物資,言論と結社の自由をもつ共産主義秩序を意味する。中国共産党は,急進的で反マルクス的な資本家が急成長するように監督してきた。
 基本的に反近代的,権威主義的なイスラーム主義の本質を知り筆者は,このような理念から文明化され,価値のある何かが出現することについて,高度の懐疑を抱くようになった。最近のいくつかの肯定的な事態の展開は,単純に戦術的で一時的な可能性が極めて高い。しかし筆者は,イスラーム主義が進化して多少改善される可能性をもはや拒否することはない。
(Daniel Pipes米中東フォーラム代表,「ワシントンタイムズ」コラムより,2014年6月)