韓国は今こそ過去と決別する勇気を持とう

 韓国と日本が外交関係を結んで,今年(2015年)で50年になる。釜山と対馬は50キロほどしか離れていない。日韓両国が国交を回復してから毎年1キロずつ近づいていったとしたら,今年は両国民が互いに手を取り合い,肩を並べて国交回復50周年を祝う宴の場が,ソウルと東京で開かれていたに違いない。しかし現実は全く違っていた。祝いの場どころか,呪詛の儀礼「クッ」をしないだけでも幸いだ。
日韓両首脳がそれぞれ自国で開かれた50周年祝賀行事に出席して,和解のメッセージを述べた。朴槿恵大統領は,「歴史問題という重い荷を下ろそう」と言い,安倍首相は「次の半世紀に向かって関係を発展させよう」と述べたが,「べき論」だけを述べたに過ぎず,われわれの心に響くことはなかった。50年前,「新しい隣国」として仲良くしていこうと固く指切りして誓ったのではあったが,互いに向き合う時より背を向ける時の方が多かった「遠い隣国関係」だった。
 歴史は「過去と現在の対話」と言われる。韓日の未来は過去と現在の絶えざる対話にかかっている。両国が共に経験した不幸な過去は否定され,ともに分かち合うべき現実はねじまげられており,仲のよい友と共に開くべき未来は朦朧としている。国交回復50周年を迎えて,対蹠点に立つ歴史認識の間隙を狭めようと,時遅しと東奔西走しているものの,それすらも核心部分を避けてほのめかすような言説が乱舞している。過去の過ちを認めず,反省せず,謝罪しない日本の責任は大きい。右傾化と軍事大国化にまい進する安倍政権は,過去と現在の対話において不通であり,断絶しているように思われる。
 そのような中でも,歴史認識の不感症をなじる日本の良心と知性は,日本社会の光だ。有名作家・村上春樹は,「相手が“それほど謝罪するならば分かった。もういい”と言うまで謝罪するしかない」と言った。和田春樹・東京大学名誉教授をはじめとする知識人の発した集団声明は「侵略と植民地支配が,中国・韓国などアジア近隣諸国の人々に損害と苦痛を与えたことを再確認し,反省と謝罪の心をもう一度表明しなければならない」と要求している。未来を明るくする過去と現在の疎通であり,交流といえよう。
 しかし両国の対立と葛藤の責任を日本にだけ押し付けることはできない。日本を非難する前に,われわれには過ちがなかったのか,日本にやられた過去を言い訳にしてわれわれが先に日本を押いやったのかどうか,今こそ振り返ってみるときを迎えた。日本は報復と怨みの対象ではなく,和解と克服の対象だと認識すれば,われわれがまず日本をかき抱くべきではないか。「歴史を忘れた民族に未来はない」という。しかし,過去にとらわれ,そこから決別できない民族にも未来はない。過去を忘れないことも重要だが,過去を「養分」として現在を努力し未来を約束する輝く歴史を作っていくことの方がもっと価値あることではないか。
 チベットのある老僧ゲシェ・ルンドップはイスラエル・ヘブライ大学において開かれたホロコースト記念式で,「二度と起こしてはならない」「絶対に忘れない」というスローガンを叫ぶユダヤ人たちに対して控えめに訴えた。「誤まった歴史を記憶して二度とそのようなことが起こらないようにするという意志は理解できる。しかしある段階になったならば,われわれは過去を忘れなければならない。過去を忘れ去ったあとの空白に,新しい可能性の芽が芽生え始めるからだ。今こそ過去を忘れるべきときが訪れたと思う」と。老僧の苦言にもかかわらず,ユダヤ人は600万人の犠牲を出した辛い歴史を繰り返してはいけないという覚悟を固めに固めてパレスチナ人との共存を拒否している。
 過去を葬り去り,加害者を許すことは,たやすいことではない。しかし加害者を許すことは,加害者ではなく被害者だけにできることだ。われわれがまず日本に対して心の門を開き,手を差し伸べることができれば,日本人は自ら恥ずかしがって自然と悔いの心を表するかもしれない。チベットの老僧がこのたびわれわれの前に立って再度「過去と決別し,その空白に新しい可能性の芽を芽生えさせなさい」と語った。われわれは老僧にどのように答えるべきか。われわれの心中に残る傷を抱きつつも未来に向かっていくためには,喜んで過去に決別する勇気を準備すべきときがやってきたのではないかと思う。
(2015年6月23日,韓国『世界日報』コラム:キム・ギホン論説委員)