撤退の風景の中で―クマ出没に思う

田口洋美 (東北芸術工科大学教授)

 春先から夏にかけて,ツキノワグマやヒグマなどのクマ類の出没や人身事故のニュースが頻繁に世間を騒がせた。もっともこれは今も継続している。というのはクマ類に関する問題は,12月クマ類が冬眠のために越冬穴に入るまでは予断を許さない状況がつづくことになるからである。
 今回,人々の関心を引いたのは,5月下旬に連続して起きた秋田県鹿角市でのネマガリダケ採取中の人身事故であった。「人喰いグマ」ということばが巷に闊歩し,ヒグマだけではなくツキノワグマも人を喰うのだと今更ながらに報じられた。しかし,猟師の間ではツキノワグマが人を捕食することは以前から知られていた。ただ,それを公にしてこなかった経緯がある。古くは近世の『弘前藩庁御国日記』などに領内でむら人が連続してツキノワグマに襲われ捕食されていたことが記録されている。

 一例を挙げると,元禄11(1698)年6月11日の条に「(弘前藩領)深浦にて薪取に山へ行った者(50余歳)が帰らないので,家族で探しに行くと,クマに喰殺されていた。しかも,その場からクマは逃げずに怒って立ち上がるので,いったん戻り,翌朝40人で屍体を引き取ってきた。腹と頭は喰い破られていた。大勢でわめいて追い払ったが,クマは2,30間の所から離れようとしなかった」とある。
 無論,時代状況や環境の差異もあるが,現象としてこのような事故が318年前にも起きていたのである。『弘前藩庁御国日記』に記載されたなかで元禄8年〜享保5年(1695-1720)までの25年間の人身被害を見てみると,死傷者39名(死亡16名・行方不明1名・半死半生1名・重軽傷21名)におよんでいる。被害の多くは,5月から7月のフキ・糧草・青物などの山菜採り,薪取や「シナ(マダ・ウマダ)剥ぎ」といった山中での作業時期に集中しており,遭遇事故の状況は現代と大きく変わらない。ただ,むら人による山野の利用頻度は現代とは比較にならないほど高かったと想定できる。また,ツキノワグマが人を捕食するという点であるが,そのような個体が歴史的にも時々出る傾向にある,ということはいえるがツキノワグマのすべてが人を襲い捕食すると言うことはいえない。

 人とクマ類の遭遇事故には年間二つのピーク期がある。先に記した春から初夏にかけて里山から奥山で起こる春期と晩夏から晩秋にかけて耕地や集落の周辺,都市周辺などでも起こる秋期である。春期は山で,秋期は里でということになる。後者は明らかに越冬を前にした食物が主要因と見られ,前者は人間の活動とクマ類の活動の同調性に要因がある。雪が消えゆく山野に人々は山菜やタケノコを求めて踏み込んでゆく。同時期,クマ類は越冬から目覚めて,食料を確保すると共にテリトリーを取り合い,6月後半から8月上旬にかけて迎えることになる交尾期へ向けて,クマ同士が縄張りの確保をめぐって間合いを計り合うようになる。つまり春期はクマ同士の競合と交尾期との連動の中で興奮しやすい状態にある,ということが重要である。
 クマ類と人間の軋轢という問題は,単純な構造ではない。それは関係のあり方が具体的なかたちとなって現れる一コマなのである。近世の社会が,そのせめぎ合いの時期を乗り越え山奥へとクマたちを追い上げることに成功した。しかし,その歴史を忘れ自然から人々が撤退する時代を迎えた今日,新たな試練がやってきたと言うことになる。今,現代社会を生きる私たちも自然と人間の関係,野生動物との間合い,関わり方が問われている。しかもそれは歴史的時間の蓄積の中でかたちづくられてきた関係なのであり,この撤退の時代にどのような関係の再構築が可能なのか,それが試されている。
(初出:『世界平和研究』2016年秋季号,No.211)