人を誤らせる思考枠

渡辺久義(京都大学名誉教授)

 

  パラダイム・シフトとかパラダイム・チェインジというと,前の考え方を否定して新しいものに取って代わるかのように考えられるが,今「インテリジェント・デザイン」運動などを通 じて起こっていることは,そうでなく,いわば物の見方の深化,あるいは新しく統合された物の見方である。深化は進化につながる。その関係は,人間の中にサルは含まれるが,サルの中に人間は含まれないようなものである。小さな電灯をその上からより大きな電灯が照らすようなものだとも言える。
 ただ旧来の唯物論的パラダイムの中に閉じこもる人には,それが見えないから,ただやたらに噛みつき怒鳴り,軽蔑するだけということになる。これに対してID派は泰然として余裕がある。これは新旧パラダイムの関係構図のせいであって,ID派学者が学力人格ともよりすぐれているというわけではなかろう。誰も,オックスフォードの有名なダーウィニスト教授のIQが低いなどとは考えない。ただ不幸にもそのように見えてしまうのである。
 最近,ID派を代表する人物の書いた本(Stephen Meyer, Signature in the Cell)がベストセラーになり,英「タイムズ文芸付録」のブックス・オブ・ザ・イヤーにも選ばれるということがあった。これに対し,反対派の著名な学者が,読まずに書評をするという信じられないことが起こっている(その応酬がインターネット上で逐一報告されている)。これは乱暴とか非常識というより,そもそも読む気にならない,あるいはまともに読めないのであり,だから読まないのであろう。これも知能の問題でなくパラダイムの問題である。これは自分を,かりに唯物論信者の立場に立たせてみればよく理解できる。唯物論というものが,いかに聡明な人間を愚か者にしてしまう罪深い思考枠であるかがわかるであろう。
 唯物論者は,ちょうど統合的に進化した宗教を「カルト」と呼ぶように,この新しいパラダイムの支持者をきまってcreationist(創造論者)と呼んで息の根を止めようとする。しかし我々のこの世界は(西田幾多郎の言い方を真似れば)創造されたものでなければならない。論理的にも,あらゆる証拠に照らしても,創造でなければならないのである。

(「世界平和研究」2010年5月号より)