韓国社会の基本的人間関係「ウリ」

An Essential Human Bond in the Korean Society- “Uri”

森下喜一(鳥取大学元教授)
Kiichi Morishita

 

<梗概>
 東洋三国の中でも,もっとも儒教的な伝統が強く生きているとされる韓国においても,近代化の急激な進展によって近年家族をめぐる伝統が崩壊しつつある。しかし,韓国社会を構成する人間関係の基本である「ウリ」という意識は今なお健在である。日韓の市民的交流が活発化する中で,韓国の人々と長く友好的につきあっていくためにはそのような理解が不可欠である。

 崩壊する韓国の家族
 日本で数年前に流行り韓流ブームのさきがけともなった「冬のソナタ」というドラマがあったが,実は韓国でそれが放映されたときは日本ほどにヒットしなかったという。同じころ韓国でヒットしたドラマに「勝手にしやがれ」というのがあった。このドラマは韓国の家庭が崩壊する様子をドラマチックに描いたものでたいへんな人気を呼んだ。その背景にはかつて儒教的伝統がしっかりと生きていた韓国で,いまそうした伝統的家庭が大きく崩れつつあり,それを反映したリアル性が多くの国民の共感を得たのだろう。
 韓国の伝統的社会構造は,農村部だけではなく都市部でも三世代家族が普通であったが,現在はほとんど核家族化してしまった。農村部でも少子化が進んでいる上に,長男や次男が家を出てしまうと,農業を継ぐ人がいない。農村に残されたのは,日本と同じように,高齢者ばかりである。そして高齢者家族の配偶者が亡くなると残された一人暮らしの老人は,生きる自信と生きがいを無くして自殺したり,あるいは孤独死が増えている。老人ホームは日本ほど普及していないし,経済的な負担もあって,入居者は少ないのが現状だ。
 それではこのように核家族化が進行する中で,韓国の儒教道徳の中心である「孝」(情的関係を基盤とする親子の親密な関係)はどう変化したか。韓国では,いくら核家族化が進み親と子が別々に暮らしていても,親子相互の連絡や行き来は頻繁で,親子の関係は日本以上に密接である。ただし,親は子どもに行く末を期待し,子どもは親に孝行したいと望んでいる。それが思うように実現しないことも多いためにそのはざまで悩む人々が少なくない。
 子どもが自分に対して気にかけてくれていないと不安に思う老人の割合は,韓国が11.6%,日本が3.6%である(2008年度アンケート調査)。これは日韓で親子の密着性に濃淡の差があることを反映している。
 日韓共に老人だけの世帯が増える中で,そのような老人たちは趣味活動にどの程度関与しているかについて,韓国が9.9%,日本が37.3%のように数字に大きな差がある。また,老人たちのグループなど仲間との関与度をみると,韓国40%,日本10%と対照的な数字が出ている。つまり人との関わりを,韓国の老人の方がしっかりともっていることがわかる。
 韓国では儒教伝統が社会の基底にあるので,家を継ぐのは長男と決まっていた。ところが最近では農村部でも,長男や次男が家を出て跡を継がないケースが多くなったために,女性(娘)が跡をとる(婿養子を迎える)ことが,数年前から法律的にも許されるようになった。そうなると族譜に象徴されるような「血統」が変わってしまうことになりかねない。今から30年前の韓国では,人口の7割が農村部に住んでいたが,現在はその割合が僅か6.4%になってしまった。これは大きな変化である。
 そこで韓国では,政府や自治体がこうした問題に対していろいろな対応策を立てて取り組んでいる。例えば,一旦都市部に出てしまった長男や次男が戻ってきて農業を始める場合や,農村に定着して子どもを何人か生んだ場合には,地方自治体から「定着金」という名目の経済援助があり,農村の振興に力を入れている。また農村部にいる男性には嫁がなかなか来ないので,最近ではベトナムやフィリピンからお嫁さんを迎えている。

 現代に生きる伝統的人間関係「ウリ」
 韓国では秋夕(チュソク,日本のお盆に相当)や旧正月などの名節には国を挙げて何百万人という人々が田舎(故郷)に向って大移動する。この国の人々は,伝統的に先祖を大切にしてきたので,故郷から離れて暮らしていても,名節になると必ず故郷を訪問して先祖の墓参りをする。このような精神は現在でもしっかりと生きている。
 韓国も日本に続いて高齢社会が急速に進行し,核家族化という社会的な現象面では似た様相を呈しているが,家族関係をめぐる精神構造の内実はだいぶ違っている。韓国では家族が別れて暮らすようになっても,伝統的な家族の紐帯が非常に強く結ばれており,相互の交流はすこぶる濃密に行なわれている。
 このような血族を中心とする人々のつながりの輪を韓国語で「ウリ」と呼んでいる。ただ最近では,血族を核にしながらも,その垣根が低くなって密接な関係を持つ仲の良い人々の集まり(かたまり)をも指すようになってきた。その関係性は,日本の親しい友達や親戚の関係とは比較にならないほど親密度が濃い。極端に表現すると,「ウリ」仲間は特殊な関係にある同族と同じで,何につけ互いに物理的・精神的な支えとなり,離れられない関係になる。
 例えば,ある「ウリ」仲間の数人が集まって,同じ仲間を呼び寄せようと連絡を入れれば,その人はよほどの事情がない限りその要請に応じ,万障繰り合わせて駆けつける。「ウリ」ということばには,これほど強い絆と情実性を含んでいる。日本人も韓国のあるウリに入ると,韓国に行った場合には,そのウリの人たちが直ちに駆けつけて歓待してくれる。ところが,韓国の人が日本人を尋ねてきて,同様の歓迎をしてくれると期待しても,日本にはそのような「ウリ」がないので行き違いが生ずることになる。
 ウリの枠から外れた人を「ナム」(他人)と呼ぶ。在日韓国人も,韓国人からすればあくまでも「ナム」となる。そのため在日の人が韓国に行っても,ナムとみなされ歓待されることはない。在日韓国人が韓国で事業をやってもなかなか協力を得られず成功できないのには,このような背景がある。
 韓国の財閥(会社組織)もウリの拡大形であり,それらはほとんど血族を中心とするウリで組織されていることが多い。その財閥が政治家に賄賂をやって,政治家がウリに引き込まれてしまうこともある。そのような社会なので,政権が交代するたびに前政権の権力者が逮捕され,その都度大きな社会問題として取り上げられる。これはウリによって起こるいわば必然的現象といえる。
 ウリの関係の人には非常に気を使う反面,ナムの関係にある人には全く気を使わず気楽な関係をもつ。韓国に行くと街の中で人々がよく怒鳴りあう場面を見かけるが,それはナムの関係ならば気楽にものを言うことができる表れである。また韓国人が「ウリ・ナラ」といった場合は,外国である日本は「ナム」の関係になるので,極端な話,日本に対してものを何でも気楽に言うことができるということだ。日本人は,「他人に笑われる」などというように他人(ナム)を気にする民族だ。ところが,このような「ウリ」と「ナム」の文化的構造について,意外にも韓国人自身もあまり気づいて(自覚して)いないことが多い。日韓が真の友好関係を築く上では,ともにその国の文化や社会が築かれる基底となるもの(ウリとナムのような)を理解しながら付き合っていくことが重要だと思う。
 韓国でも日本と同様に,形式上は家族崩壊が進んでいるとはいえ,上述のような儒教を基盤とする人間関係,精神構造は全く変わっていない。一方,日本は形式上も,精神構造的にも家庭崩壊が進んでいるということになる。

 夫婦別姓について
 中国や韓国は,儒教思想を基盤として宗族(血統)を中心とする父系社会を作ってきた。つまり家の血筋は男性が継いでいくという社会であった。そのため男性を尊び,女性を卑しむ(男尊女卑)思想が広く行きわたるようになった。女性は結婚しても,「夫婦有別」という考え方があったため,男の子を産むことがもっとも重要なつとめだった。したがって夫と同じ姓になることは到底不可能なことであった。
 日本も形式上は父系社会であったが,古くは地方によって母系社会であったから,男性にこだわらず,女性が婿を迎えることも普通に行なわれた。これは韓国のように徹底した儒教教育が行なわれなかったことによるものであろう。
 世論調査の結果にも現れているが,男性の姓に変えた既婚女性から意見を聞いても大半の人たちはそのことに不都合を感じていない。それをある知識階級の一部の人たちが,法律で制度を変えていこうということには,無理がある。別姓を主張する人たちの多くは,自分の存在を認めてほしいという思いだけで,別姓から起こる夫婦・家族(親子)間の諸問題には触れていない。
 儒教はある面で女性を差別してきた側面があって,それゆえ男子と平等に扱ってもらえず,男性の言うままに従順的に行動してきたのである。このような観点から言えば,夫婦別姓は男女差別だともいえる。現在の制度でも,姓に関して柔軟な運用ができるので,それでも十分ではないかと思う。

(「世界平和研究」2010年夏季号No.186より)