火と水の鎮魂譜―原始的霊性との共鳴と照応―

土肥貞之(宗教学者/般若游神会先達)
Sadayuki Doi

 

<梗概>
 宇宙の創生とそれに続く人類史の中で,人類は火を熾りなす技術を発見したが,火は聖性と魔性のアンビバレンスをもつ。そして火と水は,地球に生きる人にとって密接な関係をもつ。すなわち,水は不思議な生き物を淡々と育み,火は驚きと試練と希望を与えてきた。日本の霊性の土台をなした修験道,山伏の生き方を見ると,その捨身修行の面目は五感の清冽さと魂の黎明を求めて心身脱落の錬行に挑むことであるが,その修行過程において火と水の確保は食料調達とともに必須条件であった。これからの人類も,火と水と連携・調和を保ってこそ永遠の繁栄を確実なものとすることができるに違いない。

1.スピリチュアル時代とは?

宇宙史・人類史における火の発見
 推定46億年前,太陽系の創生期では,原始地球は超高温の一種のマグマ球のようなものであったと考えられる。それが徐々に冷やされ,やがて水の発生によって海ができる。その水は地球の大気圏の最下層の対流圏から生じたという説がある一方,宇宙空間における惑星同士の軌道共鳴によって飛来した多数の彗星に水が含まれていたのが原因ではないかという説が有力である。約40億年前の地球は全面海であったと考えられるが,後の火山活動によって陸地ができたのである。およそ38億年前あたりにバクテリアのような単細胞生物が海で生まれたと考えられる。後々,海綿のような多細胞生物が生まれるまでは数十億年もの長い時間を要したといわれる。約6億年以上前,地球の火山期が中断され氷河期に移ると,全球凍結(スノーボール)という全面氷に覆われた状態がおよそ数百万年の間続いたとされる。そして火山活動が再び活発になることによって氷が溶けはじめると全球凍結を脱することができたのである。全球凍結の極限状況を生きのびた微生物たちがいた。「サバイバル・バクテリアン」とでも名付けたくなるような彼等は,やがて海が復活した地球環境で多細胞生物へと進化していくのである。水と生命との不可分な関係は既に宇宙論の定説となっているが,木星の衛星であるエウロパや土星の衛星であるエンケラドゥスには水や氷が存在することが指摘されている。また,火星にもかつて多量の水が存在していたことがわかり,太古の火星には川や湖,そして海があった可能性も指摘されている。そして目下火星探査機キュリオシティ(好奇心)が地球外生物の痕跡を捜索中である。このように地球史では火と水の相剋と呼応のドラマが繰り広げられてきたのである。
 他方,約20〜30億年前にストロマトライトという原始生命体が出現したとされる。この生物は光合成によって地球に酸素をもたらすことになった(誕生したばかりの地球に酸素はほとんどなかった)。そして悠久の生命連鎖の果てに約150〜200万年前,人類が出現したのである。地上に具象としての「炎」が発生するきっかけができたのは約4億年前のことであるとされる。それは地表における植物や樹木の発生と深く関係している。これらが太陽光と水との光合成によって更なる量の酸素をもたらすことになった。樹木という燃やされる物体としての依因が整えられたところで,雷による火花が能因となることによって炎が山火事という形で発現したのである(雷による火花が雲の中の氷粒同士の衝突と摩擦によって起こされるという事実は,水と火との奇なる関係を示して興味深い)。およそ150万年前,人類は森の生活を捨てて草原に出てまもなく火を熾りなす技術を発見したといわれる。つまり,それは火の力を人類が手に入れ,火の効用をコントロールすることによって生活に大きな変化をもたらし,他の動物よりも精神的優位を確立する原因ともなったと考えられる。火はぬくもりと光とやすらぎを与えてくれた。やがて火の聖なる光を信仰の対象とするような宗教(紀元前6世紀頃・ペルシャのゾロアスター教)も起こるのである。ゾロアスター教はユダヤ教・キリスト教・イスラームそして仏教などにも影響を与えたといわれる。また,火の力を応用することによって原始的産業(鉱物の利用など)を興すことに与った人類は,その延長線上に華やかな文化文明の園を築きあげることにもなったのである。

聖性と魔性を兼備する「火」
 ところで,あるテレビ番組を見て感じたことがある。それは日本で光や照明を専門とする某研究者がパプアニューギニアの僻村を訪れて見聞・体験した一件をめぐるドキュメンタリーであった。彼は,その村に数日滞在する中で,電気も水道もない村の住民達と共に一日がかりでヤシの実から数週間分の灯油を作る。そのヤシ油を使って,村人が作った粗末なランプ(空瓶を無造作に工作したもの)の灯火の下で,部族の長老と対話をする。彼は問う,「皆さんにとって明かりや灯火とはどのような意味を持つのですか?」と。長老は答えて「それは,明かりが点っているということは,そこに人が住み,家族が生活を営んでいるということです」と。これを聞いた日本人研究者は,「あぁ,まったくその通りですね」と合意し,感激のあまり落涙したのである。その場面を見ていた私も,「やっぱりなぁー」と客観的に感動してしまった次第である。あり余る照明や光に囲まれながら不自由のない日々を過ごしている都市文明人の一員である彼は,いつのまにか明かりや光に対する根源的にして聖なる原始感性というものを麻痺させ,どこかに置き忘れてきてしまっていたのであろう。それは,不必要な便利さ(unnecessary convenience)という一種の近代文明病に浸りきっている我々にもいえることではないだろうか。
 明かりと力をもたらす火は,人間にとって希望を暗示する聖なる対象であるとともに人間の自覚的知性を象徴するグレート・アイテムのひとつである。例えばヒンドゥー教徒は調理した食物を,真っ先に台所に祀ってある火の神アグニに捧げる。我が国のアイヌの人々も水の神(ワッカウシカムイ)や食糧をもたらす山や森の神の化身としての熊(キムンカムイ)以上に,家族の営みを見守る炉の神(アペフチカムイ―火の婆さんの意)を敬うと聞いた。また,奄美大島などの「火中出産」という習俗に見られたように,出産の際に火を焚いて部屋を熱くする訳は,神聖な火の力によって穢れを浄化しようとする習慣から由来している。また,富士浅間神社の秋祭りである「吉田の火祭り」は祭神である女神が炎に包まれながら出産した神話に由来している。これはあたかも密教における護摩修法が煩悩を意味する小木を浄化の力を持つ炎(知恵の象徴)によって焼盡させようとする動機と軌を一にするものである。
 衆知のように,今夏のロンドン・オリンピックの開会式における聖火のセレモニーは出場単位205個の火が周りから徐々に中央に集まってひとつの大火に統合された。閉会式では中央の炎がゆっくりと周囲に散らばりながら205個の火に分かれて消えていった。背後には不死鳥フェニックスが姿を現すというメッセージもあった。これをテレビで見た私は,まず,仏教の華厳思想における「一即多,多即一」の哲理を想起するとともに,世界平和構築への悲願(各民族・国家が協調し,異なる文化・文明が弁証法的に統合されることによって科学的真理と宗教的霊性そして哲学的叡智や芸術的美意識などが調和し共鳴しあう高次の地球・人道文明を建設しよう…)を受け止めざるを得なかった。しかしそれは,決して多様性抹消による原理主義的且つ全体主義的な平面的統一であってはならない。諸単位間相互の個性の相違や価値観の多様性の自覚と是認を媒介とした立体的統合であるべきである。
 確かに現状には厳しいものがあることは誰もが感じている。例えば不慮の火災や人間性の不条理が引き起こす戦火(人間の近代科学知と暴力性と憎悪心が相乗されて立ちのぼる業火)などが幾多の惨劇と荒廃をもたらすことも皆が知っている事柄である。やはり人類は戦火という業火を永久に廃止すべく「霊性的成長」を遂げない限り,真のファイヤー・コントローラーとなることはできないだろう。その意味で火とは聖性と魔性のアンビバレンスを秘めた両刃の剣でもある。

人と密接に関係を持つ火と水
 塵(岩石や氷,有機物など)やガス(水素やヘリウムなど)からなる分子雲が凝縮されて形造られたばかりの地球は,勿論水や生命とは無縁の熱い球であった。もしこれを遠くから眺めることができたとしたら,赤黒か朱色の玉であったろう。その後,水の出現と海の形成が起こるが,原始の海には鉄分が多量に溶けこんでいたので,やはりこれを外から見たならば緑の球体であったろう。後々,海の成分が変化することによって前世紀ガガーリン飛行士が見たような青い地球となったのである。
 今日,地球の全質量を100とすると,そのうちの0.1%が水量であるが,水の様態を分析すると,海水が97.5%に対し淡水が2.5%でしかない。さらにこの淡水のうち氷河となっているのが2.49%で川や湖あるいは地下水などがたったの0.01%でしかない。したがって人間や動物が利用できる淡水は極くわずかな量でしかないのである。水なくして人類をはじめ動植物は生命を維持することはできない。近未来に迫る人口爆発と食糧危機,化石燃料の枯渇と水不足は大きな難題である。殊に人類をめぐる生活用水や飲料水の確保と公正な分配が人類社会の明暗を別つと言っても過言ではない。現在,8~9億人に安全な水が不足していると言われる。水をめぐって争うか,あるいは助け合うかが,宇宙船地球号の興廃にかかわるひとつの鍵になるであろう。
 雨水・天水の利用といっても限りがあることだし,期待される解決策のひとつとしてはナノテクノロジーの進歩による海水から淡水への大量転換システムを確立することなどがある。このように水は恵みのシンボルであり生命の揺り籠である。ゆえに生きとし生けるものにとって「いつくしみ(慈)」の水であり「あわれみ(悲)」の水である。それはあたかも火が知性や文化の象徴であることと対をなしつつ呼応する間柄に置かれているということができよう(しかし,その水も諸々の水害や大津波のように手に負えない魔物となって我々に襲いかかってくる場合のあることは火が持つ魔力と同様である)。
 「火」と「水」という存在は「人」と密接な関係を築いてきたし,これから先もその連携と調和を保っていくことになろう。筆者は若き日,はからずも修験道との縁をいただいたことで,奇しくも自らの内に眠る原始的感性というものに気づかされた。その「水と火の験」をめぐる消息を『日本的霊性との邂逅記』として,昨秋まとめてみた次第である。春秋ひと廻りした今日,その姉妹編の意味も込めて多少観点を移しながら修験道と宇宙論との対話の中で新たに火と水の生態を素描してみたいと思う。地球という宇宙における奇跡の星で,火と水と人類は妙なる共鳴の波動と佳趣なる照応の光芒を放ち続けてきた。もし小論がその風光と響音を微沫なりとも著し明かすことができたならば幸いである。 「自然は我々が考えている以上に奇妙なものだ。いやそれどころではない,

とても考え及ばないほど奇妙なのだ」。
(英国の生物学者 ジョン・B.S. ホールデン,1892-1964)

2.修験道における火と水の位置と実相

兼武の宗教者=山伏
 修験道においては,その形成途上,験の修得を目指して様々な宗派の宗教者が自由に交流していた。密教僧,神官,陰陽師,浄土系の聖などが修験道という世界を霊性的坩堝として随意に出入りしていたのである。こうした流動的な形態から徐々に綜合を遂げた修験道が固有の教団性を強める形でその輪郭をはっきりさせてくるようになるのは室町時代以降のことである。修験道というものの内実が元来このように混然として多様性を帯びた宗教形態であったことから,修験者あるいは山伏なる者達が単なる仏教者でもなければ神道者でもない様々な要素の混交した得体の知れない様相を現してくるのも無理からぬことであった。こうした不思議な宗教者は貴族,武家社会から庶民層までにわたって深く根をおろし,我が国の民衆生活を指導するとともに社会全体にわたって多大な影響を与えてきたのである。山伏は宗教呪術者であったばかりでなく情報の運搬者であり,芸能の導入伝達者であり,さらに村医者でもあり村人の良きカウンセラーであった。それゆえに彼等は人々から奇異の目で見られていながらも他面ではその特殊な能力ゆえに畏敬され頼られていたのであった。したがって我が国の文化の基層と表層の双方に深くかかわるものとして,日本民族的存在ともいうべき山伏の衣装・風体は,その心性の実質とともに全く他に類を見ない独自の外観を呈していると云わねばならない。
 ところで初期の山伏の装束は浄衣としての白衣姿で,額に兜巾をつけ,脚には脛衣を巻き藁履を履いた極めて質素な姿であった。これはまた山を登るのに最も適した装いでもあった。しかし鎌倉時代あたりになると,白衣に代わって篠懸の衣(柿の衣)をまとい,この上に悪鬼調伏のための結袈裟をかけるという形態になってくる。この結袈裟は九条の衣を畳み刺して作ったものであり,九界の凡聖を結び合わせるものであるゆえ,これを身につければ凡聖不二の極位に存し,仏果を根本から受けることができるとされた。そして額につけた兜巾は大日如来の五智の宝冠,あるいは胎蔵界の蓮華をあらわし,仏性と慈愛心とを象徴するものであると説明されたのである。この姿に,仏具などを納めた笈という箱を背負い,錫杖,法螺貝,最多角の数珠などを身に携え,場合によっては帯刀を許されたのが山伏の貌であった。そして彼等はこれを「不動の形体」と称したのであった。勿論,仏門に仕える者ならば武器を手にすることは許されぬはずである。しかし山伏は山間という難所を跋渉していく身であるだけに途中何時いかなる処で野獣や賊党に危害を被るやもしれない立場にある。ゆえに,その非常事態に対処するためにも特別に帯刀を許されたのであった。
 かくして山伏は長い間,兼武の宗教者として公認されてきたのであった。そして彼等は時代によっては軍事面にも大きな影響力を有することにもなり,様々な兵戦にかかわる山伏や武将の密偵となる者も出てくるのである。ゆえに耶蘇会士のビレラ・ジランが知己に送った手紙には「山伏は即ち山武士である」という説明があったように,外国人の目から見たならば山伏とは山間を跋渉する武人と映ったのであろう。また特殊な例としては忍者化していった山伏もいたのである。それはさて置き,彼等の背負う笈の中には,だいたい,鈴・独鈷・花瓶・火舎・閼伽坏(水入れ)などの品々が納められ,あるいは不動明王の小像やお札などが蔵されていたらしい。必要とあればこれらの仏具を取り出して簡単な加持祈祷を行うのであった。そしてこの笈は母胎や宇宙を象徴し,錫杖は罪障の消滅,法螺貝は釈尊や大日如来の説法,最多角数珠は煩悩を転じて菩提とすることをそれぞれ象徴しているとされたのである。

起死回生を賭した他界遍歴
 山伏の独特の装束と教義に加えて,いまひとつ奇態なのは,その髪型であった。勿論,剃髪した者もいたが,中世の山伏の多くは切下げ髪であった。それは他の仏僧との違いを表示するとともに,日常生活においても並みの社会人ではないことを暗示するものであった。このような切下げ髪は江戸時代にも医者や易者などに見られたように,それぞれの道を通じて民衆に対しそれ相応の指導力を持ち得る者であることを示唆した訳である。
 以上見てきたことから既に彷彿としてくる如く,山伏というものは,その内面的な気質に鑑みても,風体を一見してみても,不思議な「まれびと」なのであった。こうした異形の法師は,山中に魂の幽明界を尋ね,法爾常恒(自然の諸現象)を経文として拝読しつつ様々な験力を修し,どこからともなく来りどこへともなく去って行くのであった(修験者は時宗の回向聖などと共に,各地の関所通過や渡船などに際して賃銭を免除されるという社会的特典が与えられていたので全国各地を遊行するのに有利でもあった)。
 ところがこうした神出鬼没のつわもの山伏も,のちのち時代が下り江戸時代の最盛期ともなると,大阪や江戸の町衆などが山伏への依存度を弱めていった傾向と相俟って,修行の途中で身をもち崩した俗山伏も出てくるようになった。厳しい山岳修行への気力も失ったこうした零落山伏は,その日暮らしの糊口を凌がんがために門付けをすることで,法螺貝と錫杖を鳴らしつつ祭文語りを行ったのである。祭文語りとは,山伏祭文(教典)に義理人情話を掛け合わせたものであったが,これがやがて浪花節へと変化していくのである。こうした山伏崩れの中には,自らは峰入りをしなくとも護摩修法の跡の灰を集めては,それを霊験あらたかな灰であると説いて押し売りして歩く者達も出てきた。後世,巷でゆすりたかりや追い剥ぎなどをするゴロツキ者のことを「ゴマノハイ」と呼ぶようになった経緯もこうした処にある。
 ところで修験道における峰入りの期間はさまざまであり,短いもので4〜5日のものからあるが,大峰山の奥駈け修行のように1~2週間かけて山脈をひたすら歩み続けるものがあった。これを「禅定」とも言うが,道元禅師が「行住坐臥は四枚の般若なり」と述べたように,坐禅もあれば歩行禅も臥禅も仁王禅もあり,総て般若波羅密多の仏祖不伝の妙道にほかならないからである。山伏精神の心要は向上向下の一念(菩提心)にある。こうした不抜の道心と誓願力に支えられて荒行(難行苦行)に耐えていくのである。峰入りに際しては事前に50日から100日もの期間精進をしなければならなかった。これは山岳という聖域に接する前に物忌潔斎を長期間行うことで心身の準備を万全にする必要があったからである。
 他方,中世紀の大和金峰山や東北の羽黒山などのように冬の数カ月間,山中の岩窟などに籠るという籠山修行もあった。古代以来多くの修験者達を集めた霊山・神山には修行窟の跡があるといわれる。ことに原始修験道における修行内容は,滝や池の近くの窟に長期間籠って簡単な陀羅尼(経文)を唱えつつ岩盤などに彫り込んだ本尊や祭祀した穀霊と一体となるべく祈念し続けたものと考えられる。こうした長期間の籠山修行に際して何よりも配慮しなければならぬことは,山中での修行生活を平常に維持することであった。そのために必要欠くべからざることは,水を汲み薪を採ることであった。なぜなら,火と水の確保は食糧の調達(設食)とともに山岳修行における必須条件であるからである。
 平安時代初期(797年)に成った『続日本紀』には,修験道の開祖に仮託された役小角が鬼神 (山の民)を使役して水を汲み焚木をとらしめたという記述のあることや,室町時代末期に出た『役君形生記』には,役小角の修行が採薬・汲水・拾薪・設食の四つのものであったと記されている。また,初期大乗仏典である『法華経』では既に,水を汲み焚木を採ることが仏道修行者に課せられた苦行のひとつであると説かれているのである。「提婆達多品第十二」の初めには大乗の妙法蓮華経を持つ阿私仙人と檀王との求道物語について,「王,仙の言を聞きて,歓喜踊躍し,即ち仙人に随いて,所須を供給し果を採りて水を汲み,薪を拾い食を設け,乃至身を以って牀座を作ししに身心倦きこと無かりき」と述べられている。このように仏道にも原始修験道にも等しく大切な修行であるとされた汲水と拾薪の行は,後々修験道が組織化された時には,十界修行における閼伽(浄水)及び小木(護摩木)という形で儀礼化されて後世まで踏襲されていくことになるのである。そしてこの閼伽(第五人間行)と小木(第八縁覚行)は,峰入修行中における最も重要な修法とされたのであった。即ち火と水は修験道における根源的要素をなし,これらは生活のための火と水であるのみならず,実存の光焔であり慈恵の聖水でもあったのである。
 修験道はこのように初期の籠山行型から徐々に奥駈けや回峰行のような移動型へと変化していくわけであるが,総じて山臥山伏の捨身修行の面目は五感の清冽さと魂の黎明を求めて心身脱落の錬行に挑むことである。それは起死回生を賭した他界遍歴であり,死と再生をモチーフとした神秘的旅行でもあったのである。

3.まとめ

 今日の宇宙論によると,宇宙は約137億年前大爆発によって誕生し,時間も空間もその時より始まったとされている。そして宇宙における地球誕生のドラマは太陽に続いて約46億年前に遡ると考えられている。地表では盛んにマグマが噴出し,超高温の熱の球であったが,後々,対流圏に発生した雨雲より水がもたらされるのである。そして多量の水は海を形成する。こうした天地創造の大活劇が悠久に亘って繰り広げられた末,約20〜30億年前,忽然として原始生命の出現を見るのである。この原始生命は長い間進化と自然淘汰を繰り返したあげく遂にその延長線上に人類の祖先を送り出したのであった。そして類人猿から人類へと歩を進める期間において,彼等と火との出会いとその利用が以後人類社会に重大な役割を果たしたことは既に述べた通りである。火との邂逅は彼等に恐怖心と同時に原始的な畏敬の念(ヌミノーゼ)を覚えさせたであろう。実に原始的な宗教心の契機がそこにあったのではないだろうか。火の洗礼によって彼等はホモサピエンスへと脱皮し更にその使用によってホモファーベル(作る人)への道を拓くことになったのである。その長い道程において彼等はやがて農耕を知り文字を発明することによって文化を築く手懸りを得たわけであるが,それは今からたかだか7〜8千年前のことに過ぎない。
 ここで仮に,地球の出現という宇宙内の事件から今日までの時間を一年間になぞらえてみれば,人類の歴史はたかだか新年を迎える前の2〜3時間のドラマであり,更にその文化・文明史といえばわずか1分にもならないことになるのである。それゆえに筆者や読者の一生はおよそ1秒にも満たない瞬時の事柄ということになる。それはあたかも往く年と来る年の狭間に漏らす吐息の如きものかもしれない。要するに地球史における人の寿命は夜空を走る流星の光芒のように短い。地球という奇跡の星がもたらす一刹那の実存という瑞光こそは各人の寿命である。存在の暗さの中から光り渡る実存の放光とは,宇宙論的時空に生じる祈りである。元来,「実存」とは非本来的われが本来的自己を開示することの意である。更に,迷蒙と欺瞞と汚穢に満ちた格子なき牢獄に囚われ燻っている頽落態としてのわれと汝が,明哲にして玄徳なるわれ等へと止揚されることである[実存の交わり]。存在のゆらぎと響きに切なる願いが呼応的に合一した時,人間実存があらわとなるのである。それは原始宗教,多神教,一神教などの類型的障壁を乗り越えることを可能とさせる根源的にして且つ統合的な理念にほかならない。
 そして相対と有限に宿命付けられていながらもかえってそれが故に「実存の放光」を以って宇宙と人生の絶対と永遠を捉えようと試みるのが人間という不可思議な生き物なのである。その人間という生き物は自らの内奥に正反・虚実こもごもの混沌を抱え込んでいる。美徳に目醒める者もあれば悪徳に溺れる者もある。そしてまたある者は美醜と喜憂そして幽明が複雑に入り組んだ不安と錯綜の迷宮を彷徨するのである。水はその「不思議な生き物」を淡々と育み,火は彼等に驚きと試練と希望を与えてきたという言い方もできるかもしれない。思えば太陽系の星々も我々人類も遥か昔の原子雲を始源の産褥として誕生した年の離れた性分を異にする兄弟である。それだけにどれほど厳しく不快な現実が行く
手を遮ろうとも地球の自然の摂理と人間の創造的知性が感応道交しつつ明るい未来を切り拓いていく必要があるのではないだろうか。確かに長く辛い闘いになるかもしれない。しかし,我々が真実を見い出し,互いに信頼し合い,共存していく道を選びとるために覚悟しなければならないことだと思う。
 この小論を終えるにあたり,青年期,山修海験に身を投じた先達空海が残した二つのメッセージに心耳を傾け,我々の新たなる向上の一拶としたい。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し」  『秘蔵宝鑰』
「虚空尽き衆生尽き涅槃尽きなば,我が願ひも尽きむ」  『性霊集』
(2012年9月15日)
(2012年11月1日『世界平和研究』2012年秋季号より)