22世紀の夢を語る
―日本再生と真の平和世界実現への青写真

佐久田昌昭(日本大学名誉教授)
Masaaki Sakuta

 

<梗概>
 昨今の日本や世界情勢を見ると混沌としており,明るい未来を展望するのが困難だ。それは従来のパラダイムの枠に固まっているためで,ここで大胆なパラダイム・シフトをして将来を見通せば,希望の未来像が見えてくる。ここでは22世紀という先の世界を見つめながら,コンセッションによる混血民族を基盤とする国づくりの構想を提示してみたい。

1.議会制民主主義の制度的限界

 昨今の世の中の情勢を見ていると,果たして将来本当に平和世界実現の見込みがあるのかと考えてしまう。現実だけを見れば,お先真っ暗だ。それが世界の現状である。IT技術の高度な発達によってあらゆる(真偽混合)情報があふれる時代となり,将来のビジョンはある面ですべて明らかになっていると思う。しかし問題は,それを知っていても実行できないところにある。皆分かっているのに,何もしない。それが日本,世界の現実であり,“ひずみ”である。
 前回の論文(「科学技術創造立国日本の新パラダイム――減衰曲線理論(Logistic Curve:ロジスティック曲線)による日本再生への提言」『世界平和研究』2013年春季号)でも述べたように,あらゆる存在は「盛者必滅」のことわり(理)を逃れることはできない。すなわち,成長曲線(Sカーブ)に従って,成長期,収穫期,そして急速に短時間に消滅する衰退期(Attenuation Curve:減衰曲線)という流れをたどるわけだが,現在の日本が衰退期にあることは明らかだ。
 想定したくないことだが,近い将来日本でもこのような動きが起きないとも限らない。今までの国家形態,社会形態がにっちもさっちも行かなくなった場合に,なんとかしなければという切迫した精神状況に至ると,左と右に分かれて収拾がつかなくなる可能性がある。今後,日本では左翼や右翼といった(極端な)やり方はもはや成立しないだろうが,かといって積極的な改革も進めることができず足踏み状態である。これは議会制民主主義の宿命的限界ともいえるもので,早晩行き詰るのは当然だろう。
 そこでパラダイム・シフト(Paradigm Shift)が必要になるわけだが,これからのパラダイム・シフトは,従来のように頭で考え議論して,議会制民主主義制度の下に実行するのでは所詮無理な話である。なぜなら,民主選挙を通じて成立した議会制度を中心に真の改革をやろうとしても,数学的・機能的に,結局は「中庸」的な政策に落ち着いてしまうからである。これまで何回も選挙をして右や左にふれたように見えても結局は同じことで,中庸の政治に収斂するのが議会制民主主義の正当な正体・本性なのである。
 「中庸の政治」とは,表現を変えれば,「現状維持の政治」であり,本質的に「改革」「革命」ができない政治制度である。善悪の判断を離れて,これは議会制民主主義に内在する制度的限界なのである。もちろん,ドラスティックな革命ができないしくみが議会制民主主義の特徴でもあるわけで,人類は過去の失敗に学びそれを悟って(この制度を)最終的に選択したのだった。
 しかし,こうした政治を永年続けていくと,ある一定の年月を経てから減衰曲線に従って日本の国力はすとんと落ちていくだろう。そうなったとき近代国家の形態を失うことになる。すると近代国家の要件である,国土・国民・財産などの保全ができなくなる(この傾向ga
部分的に顕在化してきたのは周知のことである)。
その一方で,現在の世界には,民族資本主義,国家資本主義を標榜する国が台頭しつつある。ロシア,中国などはその典型だ。そういう体制でないと,生き残れないという側面が現代世界にはある。エネルギー資源の確保という国家存亡の基本データでも明らかであろう。

2.革命的なパラダイム・シフトとは

 それではこのような内在的限界を突破し改革していくために,どのような具体的方策が考えられるか。
 これまでのやり方を繰り返していては,既述のように最終的に万策尽きて衰亡の道に向わざるを得ない。そこでいまこそパラダイム・シフトをすべきだ。別の言葉で言えば,「物差し」を替えていくのである。しがらみによってがんじがらめになった現在の日本を変えることは容易なことではない。そこで日本そのもの(国土)を移し変えるという発想をしてみるのである。
 聖書を見ると今から三千数百年前にモーゼを中心とした一大部族がエジプトを脱出したことが記録されているが,それを思い起こしてみたい。エジプトに入っていたイスラエル民族はその民族の<重み>が増え広がるようになると,エジプト王から圧迫を受けるようになった。そこでモーゼが大脱走(脱出)を決意し,イスラエル民族はシナイ半島の方に向けて出発した。そして最終的に理想の国を創ろうとした。そのプロセスからはさまざまな教訓を後世のわれわれは読み取ることができる。
 この故事をベースにして考えて,私は将来の「新しい国家」の創造ということを構想してみたのである。今の日本を見れば,所謂正論を基礎にして議論すると,どこにも希望がない。とすればイスラエル民族のように,大脱走を試みて新しい新天地(国)を創ることも一つの青写真ではないかと考えた。これは日本民族が生き残るための大胆なパラダイム・シフトである。
 国家形態が目の前で消滅していくのを黙ってみていてよいものか。日本民族の特性を失うのは,人類にとってもマイナスだ。日本民族の特性をどう維持していくのか。そこで新しい国土に,新しい国家を創るのである。新しい国とは,日本民族を含む多種多様な新しい混血民族の国家である。あまりにも飛躍した終着点に驚きの声の「大合唱」が聞こえてくるが,国土,国民の財産の保全を行なうためにも,新しい国家を創らざるを得ない。しかし,そのような考えは,今の議会制民主主義の延長線上からのパラダイム・シフト以外は全く考えられないことで,これ以外は実行不可能なことのようにも思える。
 まず国土をどこに見出すのか。近代以前であれば,戦争を起こして領土(国土)を拡大することはできたが,現代社会においてそれは不可能なことだ。
 そこで一例としての青写真を示したいと思う。戦前,日本は満洲国を創ろうとした。その理想は「五族協和」だったが,それは将来の次世代は5族が混血して仲良く暮らそうという趣旨であり,自給自足の経済を目指したのであった。これはある意味で,当時としては進歩的過ぎた新国家構想だった。自給自足経済で成立する満洲国を日本が創ったことに対して,資本主義国家の雄である英米は市場・門戸自由開放を国策として主張する当時としては,許せないとの思いをもち,先の戦争につながったプロセスがあった(市場獲得・資源独占の戦いであった)。
 しかし,満洲国は1945年8月の日本の敗戦によってなくなってしまった。満洲国は,混血国家を国是とする壮大な実験国家だった。5族が協調する理想の国を創ろうとした夢は,最終的には,大東亜戦争の終結とともになくなってしまったのである。
 私は,小さな例としてでも,アジアの一角にそうした理想を掲げた国を創って実証して見せれば,みんなが納得するに違いないと思う。これについては戦勝国,敗戦国の区分なく感情論を抜きにして反対する国家はあるまい。皆高い授業料(損傷)を払ったのだから。その教訓の効果ある現代であるゆえに,実験国家として具現化することを提案したいのである。
 私の結論は,イスラエル,トルコ,日本が協力すればそれが可能だと考える。イスラーム圏の代表をトルコとし,純粋キリスト教の国家をイスラエル(イスラエルを原始キリスト教の代表と考える)とし,日本は仏教・神道(原始仏教,神道)等もろもろの宗教の代表として考え,この3カ国が協力して進めるのである。
 そしてその理想国の場所は,東南アジアのイスラーム圏が考えられる。東南アジアの島,あるいは大陸の一角に話し合いによって租界(コンセッション)を設定するのである。混血民族を是認して自給自足経済体制の満洲国を創ったように,3カ国が協力して租界を設け,そこに理想の国のモデルを始めるのである。コンセッションのモデルは小さなものでいい。小さな島,大陸の一角でいいから,話し合いで租界を設定させてもらう。3カ国が中心になって入るが,現地の先住民と交流しながら宗教も民族も雑多な形で進める。宗教のバリアーはできるだけ低くする。コロニー(Colony)ならぬコンセッション(Concession)の実験国家を創れれば,議論のレベルを超えて実体として世人に見せることができる。
 まずエネルギー・プラントとして小型原発を持ち込み海岸部にはめ込む。その周辺地域に第1次産業を展開し,更にその周辺に第2次産業,第3次産業を展開する。現代のテクノロジーによれば,エネルギー・プラントさえあれば何でもできる。このようなコンセッションを広げて行くのだが,そのときに重要なことは異質なものを排除せずにいっしょになってボーダーラインをなくしながら展開することである。植民地時代のコンセッションは,ボーダーラインを設け,彼此を区別した。
 新しいコンセッションは,かつての満洲国スタートのときと同じく「地域内経済」(アウタルキー経済)で生きていくという基本概念をおく。そしてその国には(借地代金として)税金を納める。そして3カ国の人はコンセッションに移り住んだ後は,現地の人々と交わり混血していく。譬えてみれば,シンガポールのような都市国家があちこちにできるようなものである。
 今なぜ世界はぎすぎすしているのか。国民,国土,財産をめぐってもめて,戦争・紛争が起こるわけだ。それを解消しようとするのがこのコンセッションの考え方だ。これは現在猛威(?)を振るっている民族資本主義・国家資本主義の思想と仲良く同居しても一向に構わないし,お互い協調し得るのである。
 これによってしか21世紀後半以降の平和は保てない。今誰に聞いても,21世紀がバラ色だと見通す人は一人もいない。もう絶望的だ。日本は米国の1州になるのか,中国の1省になるのかという選択を迫られている。現代はいくら大国といえども,戦争を仕掛けるわけにはいかないが,(力によって)脅された方が言うことを聞くという原理原則が生きているパワーの世界である。
 文師は混血について,すなわち国際結婚について非常に先見の明があった。とくに日本人と韓国人の国際結婚について公式には発表されなかったが,強力に推進した。合同結婚式にその一部を見るのが筆者の考察である。純血主義の強い韓国の伝統の中で,混血の価値・意義をしっかり主張した稀有な人物と思う。遺伝学的に言っても混血種の方が優秀なのは当然の理である。
 米国は,白人,黒人,スパニッシュなどがそれぞれ膨張するだけだったら「合衆国」理想は自滅するしかない。そこに混血の力があれば,発展していく可能性を持つ。中国は,漢民族を中心に少数民族を同化していくことによって拡大してきた。純血種だけを残そうとすれば,戦争と殺戮にならざるをえない。
 政治制度としての議会制民主主義は,他の政治形態に対し,多くの利点を持ち,人間性の尺度として高いことは事実だが,その制度的限界があることも明白だ。混血人種が主体となるコンセッションによって,人類の新しい国のモデルが見えてくる。これがパラダイム・シフトである。多くの読者諸賢の御批判を期待したい。
(2014年9月25日)
(『世界平和研究』No.203,2014年11月1日秋季号)