宗教の復権と異宗教コミュニケーション

永田正治(歴史研究家)

<梗概>
 過激な行動が歴史転換の先駆けになることがある。ボストン茶会事件が米国独立戦争の契機となり,日本では黒船来航後の尊王攘夷運動が,後の王政復古,明治維新につながった。9.11同時多発テロは恐るべき暴挙だが,宗教が国際政治を根底から揺り動かした事件であった。その衝撃のなかで,宗教が復権したことは,今日の「イスラーム国」拡大までの中東の激動を見れば明らかである。宗教者はこの混乱収拾に責任がある。宗教は平和をもたらす力を持つが,それができないのは一致,協力が成されないからである。宗教融和が切実に求められる時代に,宗教復権の意味と異宗教コミュニケーションという新しい発想に立つ宗教交流の可能性を論じた。

宗教の復権

 東西冷戦終焉後の10年は,21世紀に何が世界を動かすものになるか模索する過渡期であった。世紀が開けてすぐに,世界情勢を一変させる事件が勃発する。2001年9月11日,米国の中枢部を襲った同時多発テロである。
 テロの衝撃は宗教を突出させた。宗教は長く,政教分離の原則で役割を制限され,この事件が起きるまで,誰も宗教が世界を動かすとは思わなかった。同時多発テロは,宗教勢力により,覇権国家米国の国際ビジネスの中心,すなわち世界経済を象徴するワールド・トレードセンタービルが崩壊した事件である。これは世界を動かす力の変化を告げるものであった。
 テロの10年前,このような時代を予想する研究があった。『神の復讐−世界の再征服に乗り出すキリスト教徒,ユダヤ教徒,イスラーム教徒』(日本語訳版は『宗教の復讐』)というショッキングな題名の本がフランスで出版され,世界的に注目されたのである。ジル・ケペルという政治学者の著であるが,1970年代中ごろから,アブラハムに根を持つこれら三つの一神教に,強力な復興運動が起こり,影響力を増していると論じた。そのような状況の最初の表れが1991年の湾岸戦争であり,2001年,9.11テロで一挙に表面化したのである。事件は20年以上かけて醸成された宗教内部の変化の結実であり,単なる突発事ではない。
 中野毅は『宗教の復権』で,「そしていまや政治的対立や民族紛争の表舞台で宗教が再び中心的役割を演じ始めたかのようである。これは公的領域や国際政治における宗教的要素の復活であり,〈宗教の復権〉である」と指摘した。
 9.11テロは,数百年,動きを抑えてきた宗教を表舞台に躍り出させ,国際政治を動かし,歴史をつくる力をもつ存在として浮かび上がらせた。宗教本来の使命である平和を創出する行動で復権を果たすのでなく,恐るべきテロという最悪の事件により宗教は復権したのである。

宗教がカギを握る世界

 9.11後の世界はアフガニスタン紛争,イラク戦争,そして「イスラーム国」の勢力拡大など,宗教が深く関係する事件が続いている。イスラーム過激派はイスラーム信仰を極度に先鋭化させ,米国も戦いの精神的バックボーンをキリスト教から得た。双方が神を高くかかげたのである。この15年,世界を動かした主役は明らかに宗教であった。
 このような時代を背景に,「サトウマサル現象」が続いている。元外務省主任分析官の佐藤優は,「知の巨人」と称され,世界のあり方を的確に分析する作家として注目されている。プロテスタント信者である氏は,宗教やイデオロギーの役割を重視する。
 『人間の叡智』では,「日本が元気に立ち直るためには,日本人一人ひとりが言葉の使い方を変えて,国民を統合する物語をつくりだすしかないのです。目に見えないものに想いをはせる。それが叡智に近づく唯一の道だと思うのです」と,「目に見えないもの」,すなわち宗教,思想,歴史観などで国民統合の物語をつくる必要を主張した。ながく経済や政治,あるいは思想などで世界を語る論者が歓迎されたが,現在は宗教をメインに据え語る論者が活躍する時代になったのである。
 一方,池上彰の『宗教がわかれば世界が見える』,橋爪大三郎の『世界は宗教で動いてる』という本が多くの人に読まれている。日本の出版史上,こんなタイトルの書籍が登場したことはなかった。また,以前の宗教ブームは宗教そのものを紹介するものであったが,「宗教で世界を読み解く」という内容が増えた。テレビも宗教を扱うものが増え,宗教者が頻繁に登場するようになったのである。
 宗教が世界を動かす重要因子になり,宗教が分からなければ把握できない世界に変じた。今や,宗教が世界を解明するカギなのである。

宗教は文明の核心

 サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』において,世界を宗教文明圏の葛藤構造で説明し,注目された。今日の世界を捉えるには,「文明」に焦点を合わせなければならない。ところが日本では文明を物質的側面から捉える。
 文明とは物質的なものではない。文明論の多くは精神性を重視するのである。福沢諭吉は,「文明論とは人の精神発達の議論なり。其趣意は一人の精神発達を論ずるに非ず,天下衆人の精神発達を一体に集めて,其一体の発達を論じるものなり」(『文明論之概略』)と,文明は人間精神の発達と断じている。いうまでもなく,人々の精神発達には宗教が主要な役割を担った。
 森本哲郎は世界の文明を,人々が信仰する神のあり方で,多神教の「多」,一神教の「一」,中国陰陽の「二」,インドの「ゼロ」,三位神を信じるキリスト教の「三」,日本の「よろず」の文明に分け,「神々の数が文明の性格をきめる」(『そして文明は歩む』)と,宗教信仰中心の文明論を展開したのである。
 文明は,「精神・宗教」と「物質・科学」の両側面から捉えることができるが,その核心はどこまでも精神であり宗教である。私たちは従来の文明観の変革が迫られている。物質中心の文明理解では21世紀の動きを正しく見極めることはできない。
 宗教は平和的なものである反面,厄介なものでもある。同じ民族,それどころか家族,親族間でさえ,宗教が異なれば強い葛藤が生まれかねない。宗教テロの最悪のシナリオは核を使用したテロである。それほど宗教は重い。これは宗教が引き起こす「文明の危機」と言え,文明の核心である宗教は人類の生存問題を左右する影響力を持つのである。

宗教復権の歴史的意義

 16世紀から17世紀,ヨーロッパで宗教戦争が行なわれ,1648年にウェストファリア条約を締結し,宗教が歴史をつくる時代は終わった。その後,世俗政治体制の下でヨーロッパの拡大が進み,世界のほとんどを植民地にした。
 国際紛争の主要な原因は,ヨーロッパ列強が,民族,宗教の違いを無視して国境線を引いたことである。また,世界は貧富の差が拡大している。イスラーム圏も経済が立ち遅れ,ヨーロッパのイスラーム教徒は経済的に苦しく,未来に希望を持てない青年は民主主義や自由よりテロを選択する。また,利己主義や拝金主義など,人々の価値観は混乱し,今日の世界は精神も社会も病んでいる。
 一連のテロは,宗教が破壊的方法で世俗主義とそのシステムに挑戦しているのである。テロは断固として反対しなければならないが,その主張には一理がある。
 テロの根を断つためには,宗教者が協力して世界の問題を解決しなければならない。今日の深刻な矛盾は,国益や集団の利益をはかる権力政治的発想では解決できない。神仏を信じ人類的視野と利他心をもつ宗教の役割が期待される。
 350年ほど前,宗教戦争を収拾した世俗権力によって宗教の時代は終止符を打たれた。現在も,宗教の戦争を宗教者自身の手で解決できなければ,再び宗教の時代は終わる。宗教が真の復権を果たすには「宗教による平和」を主導するしかない。

「イスラーム国」の憎悪に対抗できるもの

 以上,論じてきたように,宗教は「眠れる獅子」であったが,覚醒し,何かを成そうとしている。
 この動きはダイナミックである。「イスラーム国」指導者バグダーディーは,イスラーム帝国の伝統的支配者カリフになったことを宣言し,過激勢力に世界各地で容赦ない無差別テロ決行を命じ,すでに20を越えるイスラーム過激集団が忠誠を誓った。
 この破壊的動きに対して,宗教は平和創出の行動で対抗しなければならない。だが宗教は一致しているであろうか。すでに50年以上,宗教の対話,交流は行われている。宗教連合体が交流を推進し,バチカンが中心となり平和のための超宗教的協議も成されている。
 しかし平和実現には不充分である。多くの教団がこれらの動きに参加しておらず,宗教交流も一般信者にまで行き渡っていない。残念ながら,人々が宗教界の現実を見れば,一致していると思わず,むしろ分裂していると感じるであろう。そのため宗教に期待を持たないのである。
 ではいったい,イスラーム過激派の行動を支えるものは何であろうか。「イスラーム国」の占領地では他宗教者を殺害し,貴重な宗教文化遺産を次々と破壊している。このテロを支えるものは,構成員一人一人の異宗教と異文化に対する強い憎しみである。その憎しみが自爆テロや少数グループによるテロになり連鎖,拡大する。脅威の実態は「個」の強い信念と行動なのである。
 それを克服できるものも,宗教者の「個」の発揮である。すなわち宗教者一人一人の異宗教と異文化に対する深い愛と寛容の精神,それに裏付けられた行動である。今や,宗教の平和への行動は,教団ではなく宗教者一人一人に問われているのである。
 宗教は指導層と信者によって構成されるが,指導層も信者である。信者は「個」であると共に「全体」なのである。今日までこの「信者」の宗教対話,交流は顧みられなかった。宗教を構成する最も巨大な存在が見過ごされてきたのである。
 真の宗教融和を実現するためには,異宗教信者間の葛藤を克服し,互いに異宗教を尊重し賛美し合って交流する運動が必要である。とうてい実現不可能な,夢のような話と思うかもしれないが,決して不可能ではない。宗教者は他者を尊重する精神を強く持つからである。この心を異宗教との関係に転換すればいいのである。

善意の拡大と異宗教コミュニケーション

 「異宗教の隣人」と融和を目指すのが異宗教コミュニケーションである。異宗教コミュニケーションのアイディアとそれに臨む心を示すよい物語がある。2000年,「ペイ・フォワード〈可能の王国〉」という映画が米国でつくられた。ラスベガスに,アルコール依存症の母と11歳のトレバー少年が二人で暮らしている。社会科の授業で教師が,「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら,何をする?」という課題を生徒に与えた。トレバーは「自分が受けた善意を三人の人に施す」,ペイ・フォワードというアイディアを発表する。トレバーはこのアイディアを試みるが,なかなかうまく行かない。失敗だと思われたが,色々な人がペイ・フォワードを実践し始め大きな運動に発展するというストーリーである。
 スケールが大きく,前向きで横の連帯を形成しやすい米国ならではの映画である。そこには少しの発想転換で善意が拡大される優れたアイディアを見ることができる。異宗教コミュニケーションは宗教者の気づきから始まる。自分の手で世界を変え,平和をつくり出したいと願う宗教者が善意をもって「異宗教の隣人」とコミュニケーションを行うものである。
 一方,テロリストの世界を変えるアイディアはテロである。彼らは自分の行動が多くの同志に連鎖し,遂には,世界を変えられると確信している。だから命を投げ出せるのである。平和を望む宗教者も利他愛と融和心の連鎖が必要である。そして宗教者の中に,一万人に一組の自覚した融和的宗教交流が行われれば大きな変化になり,千人に一組が行われれば宗教の大変革になる。
 これにより宗教交流は,今までになかった広がりをもつ。宗教者が教団の枠を越え,他宗教への寛容さをもち交流を行えば,宗教間の対話,協力は画期的拡大を遂げられる。これは宗教交流の一般化,大衆化とも言える。宗教者一人一人の行動と努力により,真の宗教融和が実現するのである。
 また,今日まで行って来た教団による宗教交流,協力を支えるものであり,教団の公的宗教交流と信者の私的交流が一つとなり,宗教が総体を挙げた宗教融和のための交流になる。それが実現すれば,人々は宗教がひとつになったと認識し,宗教者に平和創出者として望みを託すようになる。

平和こそ真理

 そのために宗教者に何が求められるであろうか。「人工知能の父」と言われるマービン・ミンスキーは「ほとんどのコミュニケーションには,新しい情報はほんのわずかしか入っていない。たいていの人は,情報を伝えるためにではなく,自分が安全な人間であることを示すために会話をしている」(『知の逆転』)と言っている。
 意外な内容に思えるが,コミュニケーションの本質を突いた言葉である。私たちのコミュニケーションは情報を交換する以上に,お互いが安心できる,平和な関係をつくることを目指している。すなわちミンスキーは,人間コミュニケーションの目的は「平和」であると言っているのである。
 異宗教コミュニケーションも同じである。異宗教者の関係は,往々にして互いの違いに目を向け出口のない教義論争に陥ることが多い。あるいは,摩擦を嫌い,宗教について極力避ける。せっかく宗教者が触れ合っても,多くの場合,融和的な宗教交流は行われていない。
 お互いが自分を「安全な人間」,すなわち相手の宗教を軽蔑したり,教義を批判したりせず,善なる友人として尊重することが肝要である。すなわち,宗教が信じる神・仏は「名は異なるが同じ存在」という認識を持ち,自分が信じる宗教が大事なように,他宗教者の信仰も同様に尊重できるようになる宗教観の一大転換が求められる。
 すなわちそれは「教団の真理」より「平和」を優先させる態度である。教義論争は教団の教義を守る宣教師的使命感で行う。しかし,宣教の目的は地に平和をもたらすことであり,教義を守り平和が損なわれたら宗教本来の目的は達成できない。教義という信念を伝える情報より平和を優先することは,普遍的な人間コミュニケーションのあり方に合致する。すなわち,平和こそ真理なのである。
 世界の宗教者は宗教交流,協力のため新しい原則を確立する必要がある。それは「平和のため宗教者は他宗教を尊重し,融和的に交流する」というものである。これが宗教者の常識になれば宗教対立は克服できる。
 宗教者の究極の願いは,自分たちの努力により世界を平和なものに変え,そこの住むことである。歴史的に,それぞれの宗教文明圏のなかで宗教の力によって平和が達成された時代は多くあったが,宗教文明圏を越えて超宗教文明的に達成されたことはない。
 善意で異宗教者が交わるという小さな発想転換が,新しい宗教交流のスタートになり,大きな流れを形づくり,宗教が一致する道に向かう。21世紀,復権を成した宗教者は,熱い思いで開かれた宗教交流に臨み,平和的地球文明をつくる歴史的試みに挑戦すべきである。
(2015年9月13日)
*なお,「異宗教コミュニケーションのすすめ」でネット検索すると著者のど論文「異宗教コミュニケーションのすすめ−21世紀的宗教交流の提案」がヒットするので参照のこと。
<参考文献>
? ジル・ケペル『宗教の復讐』晶文社,1992年
? 中野毅『宗教の復権』東京堂出版,2002年
? 佐藤優『人間の叡智』文芸春秋,2012年
? 池上彰『宗教がわかれば世界が見える』文芸春秋,2011年
? 橋爪大三郎『世界は宗教で動いてる』光文社,2013年
? サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』集英社,1998年
? 福沢諭吉『文明論之概略』岩波書店,1931年
? 森本哲郎『そして文明は歩む』新潮社,1980年
? ジェームス・ワトソンほか吉成真由美『知の逆転』NHK出版,2012年
プロフィール ながた・まさはる
1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士課程卒業。啓明大学日本学博士課程卒業。慶州ソラボル大学にて勤務(1997-2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作は『北朝鮮関連日本書籍の分析』,『徳川綱吉の儒教政策』,「大王巌にこめられた文武王の思想」,「慶州観光案内の日本語教育」,「異宗教コミュニケーションのすすめ」など。