多民族共生社会の実現を目指して

山口彦之(東京大学名誉教授)

 2007年に国連総会で先住民族の権利宣言が採択され,日本でも08年に国会がアイヌを先住民族とする決議をした。これを受けて,政府は「アイヌ民族を先住民族と認識し総合的施策に取り組む」という官房長官談話を発表した。政府の有識者懇談会は09年,民族共生の象徴となる空間(象徴空間)の整備を提言した。最近になって,政府のアイヌ政策推進会議は先住民族アイヌの歴史・文化を学ぶ拠点として,2017年度に「民族共生の象徴空間」の着工を北海道白老町のポロト湖畔に決定した。
 考古学の証拠に拠れば,4万年ほど前の後期旧石器時代には現生人類が日本列島に居住していた。時代的背景から彼らは5万年ほど前に東南アジアに到達していた集団の末裔のうち,大陸を北上した集団の一部が朝鮮半島や琉球諸島を経由し,本土日本に到達したらしい。アイヌは,北海道をおもに,本州北端,サハリン南部,千島列島,カムチャッカ半島南部という広大な地域に住み,アイヌ語を共通の言語として用いていた。アイヌ語は日本語のほか,周辺地域のどの言語とも親戚関係が認められない孤立言語とされる。アイヌは日本列島の先住民である縄文人の特徴を色濃くとどめる人々といわれている。
 縄文時代以降,北海道では本州と異なる独自の文化が展開された。本州の弥生・古墳・飛鳥時代には北海道は縄文時代からの暮らしを受け継ぐ「続縄文時代」,奈良・平安時代には「さつ擦もん文時代」,鎌倉時代以降の江戸時代にかけては「アイヌ文化期」と時代区分される。
 20世紀後半から始まった分子生物学が発展してヒトのDNA配列(ゲノム)が解析され,世界各地に居住する集団がどのように成立したかがわかってきた。旧石器時代の日本列島は,北海道が海水面の低下によってサハリンを経由し,極東ロシアと地続きだった。日本列島に固有な遺伝子配列を持つ集団が二つ認められた。一つは,共通の祖先をもつ集団の分布が大陸南部,東南アジア島嶼部に集中することから,この集団も基本的にはこれらの地域で旧石器時代に誕生し,そこから北上して日本列島に到達したらしい。もう一つは,人口に占める頻度はごく低いが,ロシア・シベリアの南東端で,アムール川とウスリー川,そして日本海で挟まれた地方,沿海州の先住民集団のなかに高頻度に存在する集団である。
 先住民族アイヌの歴史や文化を学ぶ拠点施設の整備は,価値観・文化の多様性を「人類の共通財産」(国連宣言)として尊重する多民族共生社会を実現する第一歩になるだろう。
(『世界平和研究』2016年冬季号,No.208)