バブル崩壊から20年―失ったものと得たもの

山口彦之(東京大学名誉教授)

 日本は1985年に結ばれたプラザ合意の影響をまともに受けることになった。円高不況で日本銀行は金融緩和を行い,お金が溢れて土地や株に向い,バルブが生じた。しかし株価は最高値をつけたあと,1991年ごろから商業地の地価が下がり出し,1990年代半ばごろからバブル崩壊が始まった。その悪影響は大手金融機関に波及し,1997年に山一證券と北海道拓殖銀行が破綻した。それが日本経済全体の問題になったのは,地価が15年も連続して下がったことに原因がある。
 日本の金融システムは,土地本位制として成り立っていたから,地価の下落は根本的な大変動であった。この15〜30年の間に起こった最大の変化は土地本位金融制度の崩壊であったのにそれに気づかず,対策が後手に回り,ディスクロージャー(情報公開)の遅れが問題を大きくした。1980年代に成熟する日本にふさわしい社会・経済システムに移行しなければならなかったのに,100年続いたシステムを変えていくことができなかった。
 1990年前後に冷戦が終わり,グローバル資本主義が世界中に展開されるようになった。冷戦時代にそのメリットを最も享受したのは日本といわれていたが,冷戦の終結でそのメリットも失われた。日本経済に,安価で勤勉な労働力が日本以外の国からも供給されるようになり,日本自身の経済価値が摩損してこれまでの比較優位が失われてしまった。
 さらに2000年代に入ると,総人口の減少,高齢化に伴う生産年齢人口の減少という人口動態が強く意識されるようになった。1995年に日経連(日本経営者団体連盟)が働く人の意識の変化,産業構造の変化に柔軟に対応するために,社員を長期雇用の正社員,短期契約の非正規社員,専門知識を持った社員の3グループに分類した。日経連は,働き方の多様化を期待したが,全労働者に占める非正規社員の比率は増える一方で,2016年には37.5%に達した。成果主義による人事評価も導入されたが,実際の狙いは総人件費の抑制で,多くの正社員から不評を買った。
 バブル崩壊の影響で働く側の意識も変わってきた。就職に苦労した1970年代生まれの世代の若者は,転職しても通用する市場価値のある個人になろうとする傾向がある。一部は働き方を前向きに変えたけれども,その他の大勢にとってはむしろリスク回避の志向を強めており,大部分が保守化している。
 20年で失ったものは多いが,得たものもある。バブルのころと比べると日本人は精神的にも成長したと見られるようになった。こうした落ち着きを感じるために,インバウンドが増えているのだろう。
(『世界平和研究』No.216,2018年冬季号)