大学の教育研究に欠かせない宗教への考え方

谷口 博(北海道大学名誉教授)


<梗概>

 昭和28年に大学を卒業し造船所の設計技師として働いたが,当時の労働組合は共産党系で宗教はアヘンであると唱えており,職場では宗教を抹殺する毎日を過ごしていた。その後,北海道大学に戻って教育研究に従事したが,昭和40年代の大学紛争に遭遇して,再び共産党系の被害を受けることになる。しかし,松下正寿先生が会長(当時)を務めていた平和教授アカデミーに入会する機会があり,所属する研究室で受け入れた留学生の帰依している宗教に接して,大学教育研究に欠かせない宗教への考え方の大切さを知った。幸い,筆者は祖父母との縁で幼い頃から仏教に帰依していたので,さまざまな機会を通して宗教の重要性を再認識させて頂き,留学生の帰依している宗教にも対応することができた。

1.はじめに

 昭和28年に北海道大学を卒業して,10年間を造船所設計技師として働いたが,クローズドショップのため課長以上を除いて,強制的に労働組合へ加入させられたのである。その労働組合が所属していた全造船労働組合は,全官公労働組合と共に最強の組織力を誇り共産党を支援していたので,非合法の組合運動にも逆らえなかった。従って,宗教はアヘンであると唱える共産党系の運動に巻き込まれ,職場では宗教を抹殺するような日常だったかもしれない。
 その後,国立大学工学系の倍増計画により北海道大学に助教授として戻ることになったが,昭和40年代の大学紛争に遭遇して,再び共産党系の被害を受ける日々を送るようになる。その頃,北海道大学の出身で筑波大学教授の福田信之先生にお会いして,松下正寿先生が会長である世界平和教授アカデミーを紹介され入会することになった。何故ならば,その組織は「科学と宗教の融和・宗教間の壁撤廃」をモットーに掲げており,「共産主義に対抗する人々」の集まりだったからである。
 大学紛争中に,北海道大学にも留学生が入学するようになり,筆者の所属する研究室に受け入れたイランの留学生がイスラーム信者であったことから,宗教音痴では大学教育とくに卒業論文の指導ができないと悟った。しかし,幸い世界平和教授アカデミーの会員として,キリスト教・イスラーム・仏教・ヒンズー教・神道の方々との交流が可能であり,必要に応じて宗教の教えを受けることができた。
その後,中国・韓国・インドネシア・エジプトの留学生を所属する研究室の大学院博士課程に受け入れることになったが,三年間は毎日顔を合わせて博士論文の指導が必要であることから,キリスト教・イスラーム・仏教などの信者である学生との交流が続くことになる。さらに,イスラーム信者には所属する研究室内に礼拝コーナーを設置する必要があるなど,日本人の学生では考えられない配慮が望まれた。
 一方,科学と宗教の融和を考えてみると,キリスト教・イスラーム・仏教・ヒンズー教・神道の布教に際して,キリスト・ムハンマド・釈迦などによる奇跡が伝承されており,その後も各宗教の教祖による奇跡が知られてはいるが,現在のような科学技術の時代には相応しくない事柄と思われている。果たしてそうであろうか,自然科学の立場では目に見え再現できる現象の解明が主であるとしても,再現できない奇跡のような超現象を除外して良いのであろうか,ここで疑問を呈しておきたい。

2.仏教系浄土真宗香古寺の栗浄敬先生との出会い

 筆者が幼少の頃,父方と母方の祖父母が熱心な浄土真宗大谷派(何時の間にか真宗大谷派となる)の信者であり,時々連れられて近隣の寺参りをしていた。3〜4才の頃には,家族とともに正信偈・和賛・お文を朝夕唱えているうち暗誦できるようになり,平仮名も同時に覚えてしまった。また,母方の祖父母が四国の浄土真宗香古寺の教祖である栗浄敬先生と懇意であり,栗先生が全国各地の信者を訪ね布教をしておられたので,母方の祖父母自宅にも招いて布教の会を開くことがあった。その布教の会では,浄土真宗の教えを説いた後に信者の希望に応じ手を頭に触れて信仰心を確かめ,ある境地に達していれば「一生末代大丈夫」と唱えて「おかげ」を授けていた。
 教祖としての栗浄敬先生の布教に際しては,読経と念仏斉唱の後に黒板を用いての講義があり,浄土真宗の他力と他の仏教宗派の自力との違い,親鸞聖人から伝承された系図の説明,栗先生が出家するに至った経緯(若い頃は株の売買で巨万の富を得たが,ご子息が病気で亡くなる時に「さようなら」と云って別れを告げたので,何故かと浄土真宗の信者となり得度して,浄土真宗香古寺の教祖になられた)を語った後に,昭和10年代の戦時体制を批判して敗戦を予言するなど,小学生の私にも分かる内容であった。しかし,当時の憲兵による戦時体制の厳しい監視状況にも係わらず,軍部への批判を大胆にしていながら,元寇に際しての日蓮上人のような受難にも会わず,何事もなく布教できたのは奇跡であったと言えよう。
 敗戦後に発足した和光同塵会は,栗先生が新しい浄土真宗香古寺の布教組織として考えられた集まりで,教祖として四国の香古寺を起点とし全国各地の和光同塵会支部を毎年巡回しておられたが,北海道にもお出でになり筆者は北海道大学の学生時代にお会いしている。その機会に,幼い頃に授けられたと知らされている「おかげ」を,再び授けて頂き今日に至っている。
 その功徳であろうか,筆者が勤務した企業にて肺結核による数ヶ月の療養生活を過ごし,運悪く通勤途上で車の下敷となる交通事故などに会い,その後に勤務した北海道大学・北海学園大の定年後に,身体障害者となる帯状疱疹での右足首麻痺の後遺症が残り,脊椎狭窄による歩行障害などの治療を受けてはいるが,夫婦揃って米寿を過ぎた現在まで長寿を保つことができた。また,茨城の企業で定年を迎える長男家族や北海道大学の教授である次男家族も含めて,一同お蔭様で何事もなく暮らしている。

3.仏教系生振観音堂の中田佐次郎先生との出会い

 振り返ってみると,筆者の幼い頃は父の肺結核が完治しておらず,母も妹の産後の肥立ちが悪かったので,小学校入学直前の筆者と小学校2年の兄を父方の祖父母宅に残し,父母は幼児の妹を連れて北海道の札幌近郊にある生振観音堂に参詣して,健康を取り戻すため半年間も我が家を留守にしている。その観音堂に,生き仏と崇められている教祖の中田伊佐次郎先生が居られたので,全国各地から不治の病(肺結核,脊髄カリエス,手足の麻痺などで,当時の医療では全快が困難)に苦しむ人々が参詣しており,境内にある宿舎に泊まり生振観音堂の信仰にすがる生活を送っていた。
 全国から参詣のため集まった人々は,宿舎にて浄土真宗の正信偈・ご詠歌・お文・念仏を朝夕唱える日々を過ごして信仰を深めているが,中田先生の説教を聞いた後に呼ばれたならば,先生が手を体に触れて信仰心を確かめ,ある境地に達していれば「一生末代大丈夫」と唱えて「おかげ」を授けていた。筆者も小学生の夏休みに「おかげ」を授けて頂いたが,不思議なことに生振観音堂に参詣して中田先生の「おかげ」を授けて頂くことにより,多数の人々は不治の病が完治している。その功徳の証拠として,不要になったコルセットや手足の補助具が奉納されており,現在でも観音堂の境内にて拝見することができる。
 筆者の父は肺結核が完治して92才まで,母はその後二人の弟を授かり90才まで,夫婦揃って長寿を保つことができた。とくに,父は生振観音堂に参詣して「おかげ」を授けて頂いた後に,浄土真宗香古寺の栗淨敬先生から教えを受け,生前法名を授かり僧侶の資格を頂戴している。筆者の父母は,病勝ちの身から健康を取り戻したので,不思議な生振観音堂の中田先生の「おかげ」と浄土真宗香古寺の栗先生の「おかげ」の功徳を信じて,一生を過ごすことができたと思っている。従って,現代のような科学技術が万能の時代でも,その当時は不治とされていた父母の病が治り,敗戦後の困難な時代を生き延びた事例を知るならば,教祖による奇跡の功徳によると言っても過言ではないであろう。

4.キリスト教系世界平和統一家庭連合の文鮮明先生との出会い

 あるとき韓国において世界平和統一家庭連合の創始者である文鮮明先生にお会いしたことがあるが,米国での布教に際してレーガン大統領選挙の結果を予言して,選挙日の新聞に朝刊記事として掲載し当選を誘導する結果になったと伺っている。その後,共産主義と民主主義との冷戦の最中に,共産主義の敗北時期を予言してソ連の辿った軌跡を的中させておられる。これらの例は,人々の病を治すのではなく,国々の運命を左右する働き掛けであり,他の教祖とは違う奇跡かもしれないと言えよう。
 大学紛争が終わって北海道大学の教育研究は正常に戻ったが,所属する研究室には共産党系の助手が勤務していたので,多くの学生が大学院博士課程への入学を嫌う雰囲気になり,筆者も助教授から教授への昇格が共産党系の教授に阻まれる状況であった。しかし,文先生の提唱する勝共連合の運動あるいは世界平和教授アカデミーの共産主義への対抗の成果か,運良く所属する研究室の助手が別の研究室に移り,筆者の教授への昇格も学外の先輩方の支援によって実現した。何れも,文先生との出会いが端緒となっていることから,今でも不思議に思っている事例なのである。
 その頃,文鮮明先生が提唱された「国際ハイウエイ構想」を伺ったが,その一環としての日韓トンネルの試掘が始まっていることを知り,興味を持ったことを覚えている。何故ならば,北海道における最大の海難事故であった洞爺丸沈没を契機として,青函トンネルが開通しているが,その工事中に筆者が掘削現場を見学しているからである。多くの経緯があって,各都道府県に日韓トンネル推進会議が設立されているが,文先生とのご縁によって筆者が北海道地区の会長を引き受け,お手伝いをすることになり現在に至っている。
 文鮮明先生とは韓国で何回かお会いしたことがあるが,一度だけ握手をして頂き恐縮したことを覚えている。その折は,日本からのお土産を贈呈する役であったが,日本語が達者であることに驚くとともに,その時の暖かい手の温りを忘れることができない。筆者がお会いできた三人の教祖とも言える方々については,現在すでに亡くなられておられるが,過去の教祖と同様に後世に伝承される奇跡を行った人物として,多くの人々の記憶に残るのではないかと思っている。

5.教育研究に欠かせない宗教

 ご承知かと思うが,留学生を所属する研究室に受け入れると何等かの宗教に帰依していることが多い。また,共産主義体制である中国の留学生でも,最近は宗教が解禁されて仏教などに帰依していることもあり,宗教音痴では留学生の教育研究に支障があると思わなければならない。また,イスラームに帰依している留学生は,宗教戒律による食事制限,毎日の礼拝場所の用意,ラマダンへの対応がある。一方,ヒンズー教に帰依している留学生は,菜食主義あるいは非菜食主義に別れており,宗教戒律での食事制限があることを知っておきたい。
 従って,所属する研究室の大学院博士課程に留学生を受け入れると,三年間は毎日顔を合わせて博士論文の指導をすることになり,帰依している宗教への対応に留意しておく必要がある。さらに,留学生の宗教が互いに異なる場合もあるので,研究室のコンパでの飲食には宗教戒律への配慮が大切である。勿論,「一事が万事であり」多くの宗教を全て理解できなくとも,ある宗教に帰依していれば共通する考え方を理解できるので,宗教信者としての立場を尊重して留学生と対話すれば良いと思う。
 筆者の所属する研究室では,イスラームに帰依している留学生を二人受け入れたことがあり,一人は敬虔なイスラーム信者であって,研究室内に設けた専用コーナーでメッカの方向に毎日礼拝し,宗教戒律による食事制限や断食も行っていた。しかし,もう一人は自国を出ると神様は見ていないから,礼拝・食事制限・断食など行う必要がないと称して,普通の学生生活を送っていたことを覚えている。一方,キリスト教に帰依している留学生の場合は,とくに問題はないので日本人の学生と同じ取り扱いであった。
 このように,大学の教育研究に欠かせない宗教への考え方を理解しておくならば,大学院博士課程に留学生を受け入れて研究室で毎日顔を合わせることになっても,さらに留学生の宗教が互いに異なっていても,教育研究の目的さえ見失わなければ可なのである。筆者の拙い経験ではあるが,大学院博士課程に受け入れた留学生の全員が規定の三年間で博士学位を取得しているので,日本人の博士課程学生も発奮してか全員が規定の三年間で博士学位を取得するようになった。
 我が国の大学院大学の責務として,世界に開かれた教育研究を目指すべきと言われて久しいが,必ずしも全ての教授が毎年一人を所属する研究室の大学院博士課程に受け入れるとの規定を守っておらず,さらに外国人留学生の受け入れにも消極的な教授が多いようである。何故ならば,日本人の学生を大学院博士課程に受け入れても,博士学位を取得後の進路がきまらずオーバードクターとして,所属する研究室に抱え込む恐れがあるからであろう。しかし,筆者の所属する研究室の大学院博士課程の学生は,博士学位を取得後の進路が全て在学中に決まっており,留学生についても同様の状況であったので,教育研究テーマの選定を誤らなければ良いと考えた次第である。

6.まとめ

 筆者は,企業での勤務の後に大学で教育研究に従事していたが,浄土真宗香古寺・生振観音堂・世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会)の教祖と崇められている方々にお会いし,宗教の布教に際しての奇跡とも言える事例について伺った経緯がある。また,インドの国際会議に出席した際には,敬虔なヒンズー教の信者である大学教授と懇意になり,ヒンズー教の寺院を案内して頂いたが,仏教はヒンズー教から分かれた新興宗教であると聞かされ,有史以前からの歴史を垣間見ることができた。その折,素足で屋外参道を歩くことになり,その教授から筆者は欧米の教授と違うと言われて,一層の親しみを持って頂いたことを覚えている。
 一方,ソ連の時代にモスクワの学会幹部を筆者宅に招待する機会があり,四畳半の茶室に案内したところ,片隅にある仏壇を見て自分の実家にもロシア正教のキャビネットがあると告げられた。ただし,共産党は宗教を禁じているので,内緒の礼拝であるからモスクワの家内には教えられないと,述懐していたことが忘れられない。その後,ソ連は解体されてロシア正教の信者として礼拝できるようになったと思うが,厳しい共産党の弾圧にも関わらず宗教が絶滅されなかった例なのであろう。
 筆者は,文化大革命が終わった直後から,中国の留学生を所属する研究室に受け入れていたので,共産主義体制が続いている間に中国各地を訪問する機会があった。その当時の宗教施設に興味があったので,各地の寺院を訪問することにしたが,文化大革命により多くの寺院が破壊あるいは改造されていても,岳飛の廟だけは誰も手が付けられず,不思議なことに無傷で残ったと聞いている。しかし,中国では個人の墓地は相当数が破壊されたようで,丘に登る石段などに墓石が使用されており,足で踏むことに抵抗感を覚えたのである。
 やがて,中国も自由経済を認める政治体制に代わり,宗教がようやく解禁されるようになった頃,再び中国を訪問することにした。その際,筆者の所属する研究室の留学生であった友人に連れられて,帰依している仏教寺院に参詣した後に,先祖のお骨を納めた個人墓地を案内して頂いたが,意外なことに筆者の家族の墓地と全く同じ形式であり,嘗て日本が中国から学んだ宗教関連の軌跡かもしれないと思っている。
 多くの方々がご存じのことを述べさせて頂いたが,自然科学を学び大学での教育研究に従事した立場から,宗教とは無縁で過ごすことのできない事例を挙げることで,科学と宗教の融和を図ることの重要性を訴えることにした。機会があれば,何らかの宗教行事に参加することで,その重要性を認識して頂ければと考えている。浅学菲才のため,誤解を招く内容が含まれているとしても,ご容赦くだされば幸いである。
(2018年8月19日)
プロフィール たにぐち・ひろし
1930年東京都生まれ。53年旧制北海道大学卒業,73年工学博士(北海道大学),三菱日本重工横浜造船所設計技師,北海道大学助教授・教授,北海学園大学教授,米国ミシガン大学・カリフォルニア大学訪問教授,韓国全北大学訪問教授など歴任。現在,北海道大学名誉教授,中国浙江大学名誉教授。米国機械学会FACT賞,北海道科学技術賞・功労賞,叙勲・瑞宝中綬章など受賞。主な著書「エネルギー・環境への考え方」「例題で学ぶ品質管理」「熱と流れのコンピュータアナリシス」ほか。