米国外交の特質からみた日米関係の展望
―鳩山政権の正体を質す

Japan-US Relations Seen from America's Diplomatic Behaviors:
What is the Hatoyama Government up to?

井上茂信(外交評論家)
Shigenobu Inoue

 昨年誕生した鳩山政権は,外交・安保問題をめぐり対米関係でさまざまな摩擦を引き起こし,将来に向けて不安を醸し出している。そこで今後の日米関係を考える上で,米外交の特質を知ることが重要だ。米外交の特質をいくつかのキーワードで表現すれば,?コミットメント,?レリジオポリティックス,?大きな政府か小さな政府かの三つを挙げることができる。ここではそれらについて説明した上で,現在,日本が直面 する安全保障問題について日米関係の視点から述べたい。

1.米国外交の特質

(1)コミットメント
 戦後の米国の世界戦略の一つにハートランド理論といわれるものがある。それはユーラシア大陸の中心に巨大な国家が出現すると,それが磁石のような作用を及ぼし,周辺諸国は引き寄せられて衛星国化するという考えである。冷戦時代で言えば,ユーラシアの西側には英国,西ドイツ(当時)などが,東側には韓国,日本などがあり,それらが旧ソ連の“磁力”によって引き寄せられてしまうので,それを阻止するのが米国の基本的戦略であった。そのために米国は,ハートランドの磁石に対抗する「もう一つの磁石」と自国を位 置づけ,巨大な軍事力を大西洋・太平洋の両側に前方展開した。それが欧州でのNATO体制であり,東アジアでの日米安保条約・米韓軍事同盟(米韓相互防衛条約)等で,それらがハートランドの旧ソ連の周辺国を引き止める方策であった。そしてそれらの国々に対して旧ソ連からの攻撃があった場合には,米国に対する攻撃とみなすとする防衛誓約(コミットメント)を抑止力理論の基礎に据えた。
 日米安保条約もその論理に従って,日本が共産主義国から攻撃を受けた場合には米国が報復措置を取るという誓約が抑止力となっている。抑止力の中心は,まさに米国が日本を守るという約束の信頼性,コミットメント(防衛誓約)の重みにある。従って,米国はコミットメントを非常に重視している。

(2)レリジオポリティックス
 外交・安全保障についての基本的考え方にはいくつかある。第一が念仏平和論とでもいうべきものである。これは「平和,平和」と祈ってさえいれば平和がひとりでに実現すると信ずるもので,日本人独特の平和論だ。ここには抑止論の観念はない。かつての社会党や今の社民党の平和論がこれで,現鳩山首相の友愛外交も,「誠意を持って接すれば相手(敵国)は決して攻めてくることはない」というもので,これと通 ずる側面がある。
 第二は,ジオポリティックス(地政学)である。国と国の関係は,地政学的,物理的な力関係によって決まり,その国の政権がどのような価値観を持っているかは関係ないという考え方である。キッシンジャー外交に見られるような,没価値論的外交戦略である。
 キッシンジャーはユダヤ系の人物で,コミットメント理論には横を向き,そろばん勘定と合従連衡策を主義としていた。その結果 ,彼はベトナム戦争からの撤退を進めた。その時英国の「エコノミスト」誌は,「NATOに対する米国の防衛誓約は信頼性があると信じてきたが,米国のコミットメントはこれで白紙になった。これからはいつ一方的に破棄されるかわからないから自主防衛をしなければならない」という主旨の社説を書いたのを記憶している。
 キッシンジャーは,米国と同盟関係にあった台湾との関係を切り捨てて,米国と中国(中共)との関係回復に努力した。大陸中国が国際政治上実力をもっているので,たとえそれが悪なる力だとしても重視するのが「現実外交」という考え方であった。この理論に基づけば,有用性がなくなれば,同盟関係もいつ切り捨てられるか分からないということになる。
 没価値論的ジオポリティックス外交の弱点は,共産主義などイデオロギーに基づく勢力には力だけでは対抗できないことである。共産主義の強みは,力以上に思想・哲学にあることを知らなければならない。共産主義理論の核心にある唯物弁証法は,米国や日本の学界・政界・言論界に深く浸透しており,いくら軍事力で対抗しようとしても,その国は(共産主義思想とその勢力によって)内部から崩壊させられていくことになる。
 第三はイデオ・ポリティックスである。外交関係は,物理的力関係だけで考えてはだめで,イデオロギー(哲学・思想)を重視すべきだという考え方である。共産主義思想に対しては自由の思想で対応していくという発想だ。トルーマン大統領は,米ソ対立をイデオロギーによる対立とみなし「冷戦」と名づけた。
 さらに進化したのがレリジオポリティックス(religio-oriented politics)である。これを発揮したのがロナルド・レーガン大統領であった。レーガンの登場によって米国の外交は大きく変化した。彼は共産主義や自由主義の本質を捉えて,それをもとに外交政策を立てたのである。共産主義の本質は唯物弁証法であり,すべての関係をモノを土台として考える。唯物論における善悪の基準は人間中心の相対的なもので,人民の最大多数の最大幸福を目指す。
 価値の根拠を人間を超えた存在に置かなければ,すべての価値基準は共産主義に役立つか,どうかの相対的なものになってしまう。ドストエフスキーが看破したように,絶対価値の基準となる神なき世界では人間は何をしても許される。人間が善悪の基準を決める神になってしまうからだ。『罪と罰』のラスコーリニコフは,最大多数の最大幸福のために老婆を殺すことを正当化した。この価値基準が共産政権による大量 虐殺の正当化となる。さらに大きな政府によってトップダウン方式で上から国民を管理する社会を築いた。
 一方,レーガン大統領は,1981年1月20日の大統領就任演説で「米国民は,この最後の,そして偉大な自由の要塞を保持するため,必要とされる何事をもなす能力を,過去にも持ってきたし,現在も持っている。(中略)われわれは自由を得ていない人々にとって,再び自由の手本,希望の灯台となるだろう」と述べた。さらに,82年6月の英国下院演説では,「自由は幸福な少数者の特権ではなく,全人類の奪い難い普遍的な権利である」と述べ,「自由の大義は神の大義」とも表現した(82年7月30日)。「マルクス・レーニン主義を墓に埋める決定的な道は,爆弾やロケットではなく,思想や価値観である」と考えたのである。

(3)米国建国精神と信教の自由の重み
 米国政治にレリジオポリティックスが出てきた背景は何か。それは米国建国の歴史まで遡る。米国は,17世紀に英国で迫害されたピューリタンたちが信教の自由を求めて大西洋を渡り建国した移民の国である。それゆえ信教の自由は,米国建国精神の基礎を形成している。建国当時の米国は多数の宗派(denominations)が存在し,それらが共存していた。特定の宗派が多数の市民の信仰を支配するというしくみではなかった。そのため政治権力は,国民団結ための各宗派に対する平等な扱いを要請された。それを表現したのが米国憲法修正第1条(国教の禁止)であった。
 ジョージ・ワシントン米国初代大統領(1732-99年)は,第1回就任演説で次のように述べた。「この最初の公務執行に当たって,宇宙を支配し,諸国民の集いを主宰し,神慮の助けによって一切の欠点を償うことのできる全能の神に対して,神の命じた使命を実現できるように熱烈に願いたい。米国の民主制度は神により米国民に任された実験だ」。
 第3代大統領のトーマス・ジェファーソン(1743-1826年)が起草した独立宣言の前文には,「すべての人間は平等に創造され,創造主から一定の奪いがたい天賦の権利を与えられている。それは生命,自由,幸福の追求である。もし自由が神から与えられた賜物の基盤が除去されたならば,果 たしてわが国の自由は確固たるものであろうか」と述べられている。つまり米国の建国は信仰と不可分なのである。
 第16代エイブラハム・リンカーン大統領(1809-65年)はゲチスバーグ演説で,「この国家をして神のもとに,新しく自由の誕生をなさしめるため,そして,人民による,人民のための,人民の政府を,地上から絶滅させないために,われわれはこの戦争を戦ったのである」と述べ,「神のもと」ということに言及している。
 このような米国の建国以来の伝統的精神を最も受け継いでいるのがロナルド・レーガン大統領(1911-2004年)であった。レーガン大統領は,「自由の大義は,神の大義」であるとし,テキサス演説では,「政治とモラルは不可分である。モラルの基礎は宗教である。宗教と政治は,必要あって関連している。われわれは宗教を道案内として必要としている。われわれは不完全であるからだ。神なしに道徳は生まれない。神なしに良心を誘発するものはないからだ。神なしにわれわれは物質主義の泥沼に落ち込んでしまう。神なしに社会はすさんでしまう。神なしに民主主義は永続しない」と述べた。
 どのような宗教でも,その基本にあるのは人間を超えた存在であり,そのような存在への信仰を土台として,国民の団結をなし,さらには外交の基礎としたのがレーガン大統領だった。

(4)大きな政府と小さな政府
もう一つの特質は,大きな政府と小さな政府という発想だ。大きな政府は,権限を政府に集中させて上から国民を救うという発想であり,それを推し進めると一党独裁制社会につらなる。小さな政府は,政府の役割を外交などの必要最小限に限定し,基本的に国民の自由に任せるというものだ。
 米国では1930年代の大恐慌時代に多くの人が失業し,失業率が35%にも及んだ。そのとき多くの国民を救おうと考えたのがルーズベルト大統領であった。不況の時期には,政府が大きくなって事業を興し国民に物を分配する政策が必要だと考え,テネシー渓谷開発など多くの政府主導の公共事業を起こした。一般 的には,その事業が成功して失業問題など不況を克服したと言われているが,実は,そうではなかった。米国が1930年代の大恐慌から逃れることができた唯一の原因は,第二次世界大戦への突入により軍需産業が復興して多くの失業者を吸収したことであった。ルーズベルトの大計画はそれほど効果 がなかったという。現在の米国・民主党は基本的に大きな政府,共和党は小さな政府を基礎においている。

2.オバマ政権の特質

 戦後の米外交は,ハートランド理論を中心に展開されてきたが,ソ連崩壊後,ソ連に代わってユーラシア大陸でのハートランドの中心勢力に位 置付けられたのが中国である。中国という磁石の影響は,西側には余り及ばないが,極東の韓国,日本などはその影響圏内にあるので,抑止力として日米安保条約や米韓軍事同盟が重視される。
 ここで問題なのは,中国の不透明性である。中国は空母建造,ミサイル開発,サイバー攻撃,宇宙戦略など相当なスピードで軍事力増強を進めており,米国の大きな脅威になっている。それゆえ,日米同盟は中国の軍事力増強とその意図の不透明性が続く限り有効である。
 ところでブッシュ前大統領は,レーガン大統領の後継者を自称していたように信仰厚き大統領の一人であった。一方,オバマ大統領はハワイ生まれで,イデオロギーや宗教的信念が薄い。彼の演説を見ても「神」「宗教」という言葉がほとんど出てこない。彼は,キッシンジャーに近いゲオポリティックス型の政治家だと思う。有用性・実用性がなくなれば,あっさりと同盟国をも切り捨てるタイプなので,日米同盟も切り捨てられる可能性がある。その意味で米国の伝統精神とは異質の人物だ。これまでの彼の主張を見ても,その時その場にあわせて核廃絶,イスラームへの憧憬,中国との友好を唱えるなど,相手に合わせて調子のいいことを言う傾向がみられる。
 米国の外交政策は(ジオポリティックスのような立場に戻ると),もし相手国が米国軍の駐留を望まない場合は,無理に駐留することはなく撤退することもありえる。例えば,フィリピン駐留米軍はフィリピン国内の基地不要論の高まりによって撤退してしまった(1992年11月)。
 最近になってオバマ政権は,対中政策で右旋回の姿勢を示しているようだが,彼の政治姿勢・基本的考え方が変わったわけではなく,今秋の中間選挙を意識して人権重視の保守派に迎合してのことだ。現在,失業率が10%を超え,中国の元安による輸出攻勢で米中貿易摩擦や,人権問題が浮上しており,保守派によるティーパーティ運動での批判などの高まりに直面 しオバマ政権の支持率が低下している。同政権はここでうまくやって挽回しようとしているにすぎない。
 もちろん米国の政権内でも国務省と国防総省(ペンタゴン)とでは対外政策に温度差がみられる。ペンタゴンは,あらゆる脅威を想定して準備をしている。中国の軍事増強をみながら,旧ソ連に代わって米国を打ち倒す実力を備えている国として,中国を米国の潜在脅威の一つととらえている。
 ところが,国務省は外交担当だからどうしても仲良くしようという発想が強い。米国では国務省のことをfoggy bottomと呼んでいる。もともと国務省があったところは沼地でそれを埋め立ててつくったので,霧が発生しやすかった。それをもじって国務省の性格を曖昧模糊と表現したわけだ。
 近年中国は米国議会や政権に対して資金提供をも含めてさかんにロビー活動を展開して影響力を強めている。オバマ政権の外交人脈の多くは中国専門家で,知日派は少ない。中国の台頭から米大学では日本より中国研究を専攻する者が増えていて,このままではますます知日派からも日本はそっぽを向かれ,日米関係は根底から揺らいでいくことになるだろう。

3.鳩山政権の正体

 昨年12月小沢幹事長が国会議員をたくさん引き連れて「中国詣で」をした。このことが象徴するように,鳩山政権は中国を脅威と見ておらず,自ら進んで中国という磁石に吸い寄せられている状況だ。イデオロギー的に中立なので抑止力としての日米同盟の価値を認めておらず,日米中の等距離外交を考えている。それゆえ普天間基地問題も,フィリピンの例と同じように米軍の駐留をこれ以上望まないような発想に立っており,米軍基地の海外移設案も出ている。米国としては日米同盟の価値を認めてはいるものの,日本側の認識が鳩山政権になって自民党時代から大きく変わってしまったとみている。
 その背景には,鳩山由紀夫首相には代々受け継がれてきた「反米・嫌米」の血が流れていることがあると思われる。
 戦後の吉田茂首相は徹底的な自由主義者であった。彼は米国留学を経験しており,東條首相にも反対した。彼が政治的に選択したのは,日本が「自由主義国家の一員として生きる道」であった。それゆえ対日講和条約を締結し,日米安保条約を結んだ。
 ところが,鳩山首相の祖父・鳩山一郎はそれとは逆の道を進んだ。彼は吉田茂を「米国一辺倒だ」と批判して総理になった人物だ。鳩山一郎は戦前文部大臣をやっていた。京都大学の滝川事件(1933年)では,彼が文部大臣として滝川教授を追放処分にした。
 戦後鳩山一郎は,自由党をつくってその総裁となったが,滝川事件への関与もあって公職を追放された。そのため彼は米占領軍を非常に恨んでいた。公職追放以来,鳩山家の血には反米感情が流れているのではないか。政界復帰後,鳩山一郎は民主党をつくり総理になって日米関係の見直しを訴えた。彼が進めたことは,駐留米軍の経費の一部を負担する防衛分担金の削減要求など,日米安保体制から日本を離脱させることであった。さらに日本の安保体制は,米国とではなくソ連との講和条約によって進めようと考えた。鳩山首相の「常時駐留なき日米安保」は彼の祖父の考えを受け継いだものであり,鳩山首相は祖父の旧ソ連の代わりに中国にのめり込んでいこうとしている。
 鳩山政権が「命を大事にする」といいながらも,国民の生命を守る防衛に関しては深く考えておらず,矛盾していると日本の防衛関係者は憂慮の念をもってみている。同盟関係の核心は,相互信用(credibility)にあるのに,鳩山首相は何度も米国の信頼を裏切るような行為を行なったために,米国の対日信用度が急落してしまった。そうなると米国内から「日本は守るに価する国なのか?」という疑念も出てきかねない。
 日米同盟は,米国は日本に対する防衛義務を果たすが,日本は米国を防衛する義務の代わりに基地を提供するという片務的な関係の上に築かれている。ところが,現在では基地の提供をも嫌がっているわけで,このまま米国が日本に対する防衛義務を履行してくれるかどうか,憂慮されるところだ。
 鳩山政権の決定的な致命傷は,外交・安全保障におけるイデオロギーの価値を理解していない点だ。中国は人命を軽視する国であり,かつて毛沢東は,唯物論に基づいて「たとえ核戦争で3億の人民が死んでも後に7億人が残っている」と豪語したほどだ。そのような国と日本が運命共同体になれるのか。鳩山首相が唱える東アジア共同体は基本的に価値観を中心とした運命共同体でなければ真の繁栄をもたらさない。基本となるイデオロギーの共有を無視した場合には,共同体など成立し得ない。表面 上の共通点だけを見て共同体構想を考えては,大きな落とし穴にはまってしまう。中国の衛星国になるという落し穴だ。
 危機の原因は日本の知識人のイデオロギー欠如に起因するものだし,その背後には,宗教や自由の価値に対する彼らの哲学的視点の欠如がある。精神の自由は人間の魂の自由でもあるが,そこに踏み込んだ議論が全くない。日本社会一般 には家族倫理はあっても個人としての良心の自由や神への観念が非常に薄い。フランクルの『夜と霧』(1956年)に「私はアウシュビッツの中ですべての肉体的な自由を奪われたが,しかし私には精神の自由があった。なぜなら彼らは人を愛するという私の自由だけは奪うことができなかった」という主旨の感動的な文章がある。そのような精神の自由の価値に対する強烈な渇望が,西欧社会の基盤にある。しかし日本人にはそうした面 が非常に乏しい。それは唯物論的・社会主義的風潮が強いからだと思う。

4.日本外交の課題と今後の安全保障政策

 これからの安全保障政策を考える上で重要な点は,日本周辺の脅威をどう認識するかである。「脅威」とは,武力(物理的力)と意図から構成される。例えば,中国の軍事力増強は明らかな事実であるが,中国の意図をどうみるか。意図は国の為政者次第で一遍に変わることもありえるから,相手の武力が脅威的である限り抑止力が必要だ。
 ところが,日本の社会主義勢力は,共産主義陣営に対して甘い考えを持ち「社会主義は善玉 ・平和勢力,米国は悪玉・戦争勢力」という図式を頑なに主張してきた。それを主導したのが「日本版四人組」といわれる,社会党・共産党等の左翼政党,日教組・総評など労働組合,進歩的文化人と称する左翼系学者,左よりのマスコミである。戦前,戦中の右翼軍国主義の反動だ。
 さらに,その背景には,既に述べたように,日本人全体の中に自由の尊さ,価値を正しく認識できていないという問題がある。戦後,ハンガリー動乱(1956年)が起きたときに,自由を踏みにじったソ連陣営に対して強く非難した欧米のマスコミとは対照的に日本のマスコミはほとんど関心を示さなかった。日本の近代史をみると,戦前は右翼による国家統制(右翼全体主義)が社会を支配し,戦後は逆に左翼の国家統制(左翼全体主義)の思想が社会に浸透した。このように戦前も戦後も一貫して自由の伝統がない。全体主義的な体質なのだ。
 社民党など左派勢力を包含している現民主党政権は,社会主義的色彩 が強く中国への脅威の認識が非常に甘い。そのようなグループが鳩山政権を支える勢力を形成しているので,沖縄の普天間基地問題でも「米軍基地は戦争を招く雨傘だ」と高らかに主張している。
 西欧諸国は冷戦時代から旧ソ連の脅威にさらされた経験がある。オバマ政権がロシアとの関係改善を図るためにポーランドから米軍を撤退したことに対してポーランドは米国に裏切られたといって強く抗議した。彼らは駐留米軍によってロシアからの侵攻を阻止できると考えていたのだ。鳩山政権は米軍が駐留すれば却って中国から敵意を招き,攻撃を受けると考える。これを「安保雨傘論」といって,安保という雨傘を差すと却って嵐や雨を呼び込むという考え方だ。一方保守陣営の人は,雨が降るから雨傘が必要だと考えている。浴し理論であり,全く逆の発想だ。
 小沢幹事長は,日米同盟は第七艦隊があれば十分だといっているが,そうではない。米軍の核心は海兵隊だ。戦争などの緊急事態になったときには,陸軍,空軍,海軍,海兵隊から構成されている米軍の中で海兵隊が最強で機動力のある部隊で抑止力の中心となる。それを小沢幹事長は全く分かっていない。
 沖縄の米軍基地の価値についても認識が甘い。沖縄やグアムの米軍基地の海兵隊は,単に東アジア地域の防衛的役割を持つだけではなく,イラン,イラク,アフガニスタンなど中東地域への出動に際しての中継基地の役割も果 たしている。すなわち米国本土から中東地域に出動するよりも時間や労力でかなり節約でき効率性が高まり,それゆえ沖縄をはじめとする日本の米軍基地は,米国の中東地域の安全保障,また日本への油の輸送ルートであるシーレーンの防衛上も重要な役割を持っている。この意味でも,日米同盟が重要な役割を持つ。
 これからの日本の安全保障の選択肢には大きく三つあると思う。
 第一は,鳩山首相や小沢幹事長が選択しているもので,そのままいけば日本は中国の衛星国になりかねない。
 現在日本経済は,対米貿易よりも対中貿易の比重が大きくなったために,日本の経済界は,世界経済の牽引国中国に相当傾斜している。その財界からの資金もかなり小沢幹事長に流れているようで,小沢の中国傾斜の背景には,そうしたこともあるのだろう。
 だが,中国経済は非常に脆弱な面を持っている。現在中国は,元安で輸出を伸ばして外貨保有を増やし,貿易で稼いだお金で世界中の資産や資源を買いあさっている。しかし,中国の外貨で膨張したバブル経済は崩壊の可能性がある。中国内の格差問題も非常に深刻である。田舎から都市部に出てきた農民工の安い賃金で製造業を伸ばして海外に輸出して稼いでいる。しかし低賃金で働かされている農民工たちに不満が鬱積している状態だ。一方,日本以上に金持ちになった都市部の富裕層たちは,欲望を膨らませており,彼らが中国共産党の統制下にいつまでとどまることができるかの懸念もある。このように中国は,非常に不安定な状態にある。今後は新興市場として有望なインドなどにも日本は提携先を拡大していく努力が必要だろう。
 第二の選択肢は,米国も中国も信用できないから日本も核武装をして独立独歩の道を行くという道だ。現在日本の国防費はGDP1%程度だが,核武装していくとなると少なくとも5%くらいまで膨れ上がるので,経済的にやっていけるか疑問だ。
 第三の選択肢は,米国との関係修復を図り駐留米軍を再評価していくというもの。鳩山政権はしっぽに振り回されている犬のように,少数政党の社民党に振り回されている。鳩山政権の中の左派である社民党などを切り捨てる必要がある。鳩山首相が「命を大切にする」と言うのであれば,脅威を抑止し国民の命を実質的に守ってくれる米軍基地も重視し,日米同盟の価値を国民に向けて説得しなければならない。
 その意味で,ジオポリティックス型の外交関係で日本・米国が結びついていては,状況の変化次第で日米同盟が壊れてしまう可能性がある。それゆえ自由の価値といった精神的な価値を中心として日米の有志がまず連携していくことが重要だ。価値の根源は,哲学と宗教にあるのだが,その点で日本の思想界は深くない。自民党も大同小異だ。政権を奪回しうる野党として自民党が再生するには,深い宗教的精神に立脚した自由の哲学が必要である。

(「世界平和研究」2010年5月春季号より)