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インド農業のバイテク革新
山口彦之(東京大学名誉教授)
Hikoyuki Yamaguchi
<梗概>
新興国の一つとして世界の政治・経済等の分野でその地位を高めているインドであるが,農業は産業全体の中で相対的に割合が低下しているとはいえ,依然国の基幹産業である。近年,バイオテクノロジーや品種改良などの科学技術の導入によって,とくにワタ生産における生産性の向上とともに収量増,農薬使用量の削減がもたらされ,その結果,農村経済の富裕化にも役立っている。
インドは農業国である。農業分野の成果が経済成長になお影響を及ぼし続けており,いまもインドの国家経済を駆動する基幹産業である。最近では,国家経済に占める農業のシェアは国内総生産(GDP)のほぼ四分の一から17.8%に低下してきた。とはいえ,農業に従事する労働力はごくわずかしか減少しなく,依然として人口の52%,すなわちインド人口の半数以上が農業を生活手段にしている(2009年経済調査)。インドは小規模の,資金に乏しい農業者(小農)の国で,大部分の農業者は不十分な支出をまかなうための収入を十分に稼いでいない。
2003年に実施された全国調査によると,農業で生活する家族のうち,農業に従事する家族は60.4%だった。60%の農業者は1ヘクタール以下の農地を所有し,4ヘクタール以上を所有する農業者はたった5%に過ぎなかった。これは,支出よりも多い収入を得ている農業者は5%,すなわち500万の農業者家族に過ぎないことを示している。インド農業者の平均収入は,1カ月50ドル,平均消費支出は70ドルだった(1ドル=40ルピーとして換算)。したがって,インドでは9000万の農業者家族のうち,ほぼ8500万,つまり約95%の農業者家族は,農地から十分な金銭が作れない,小規模の,資金の乏しい小農である。
作物生産の向上に寄与したバイオ技術
科学技術を応用した種子の改良によって,最近50年間にインドの作物生産性と生産量は飛躍的に向上した。品種改良と作物テクノロジーから生じた三つの重要な進展が,インドの作物生産の局面を変換し,安全保障,および貧困と飢餓の軽減に貢献した。
第一の主要な進展は,1960年代と70年代の有名な「緑の革命」であり,半矮生コムギと半矮生イネの多収品種によって食糧生産が未曾有に増加した。しかし,イネでもコムギでも生産力の向上には肥料,農薬,農業機械,灌漑設備,貯蔵倉庫などを必要とし,緑の革命は貧困の解決にはあまり結び付かなかった。
第二の進展は,規模や金額はそれほど大きくないけれども,1980年代と90年代に雑種種子の導入が進み,従来の自然受粉品種が何よりもまず上等な野菜や作物,たとえば,野菜のトウガラシ,ナス,オクラ,チリトウガラシ,キャベツ,作物のトウモロコシ,ソルガム(=モロコシ),トウジンビエ,ワタで,雑種と取り替えられた。農業者は毎年,雑種種子を購入しなければならなかったが,雑種強勢による増収は農業者に魅力的な励みとなり,長期にわたって持続的に生産性を高める重要なテクノロジー・プラットフォームを与えた。
第三の主要な進展は,2002年に幕を開けた。それは,インドで最初のトランスジェニック作物(遺伝子組み換えによって外来遺伝子を導入した作物,GM作物,いまではバイテク作物と呼ばれることが多い)が国に認定されて市場に出たことで,特別な意味がある。Bt雑種ワタに導入された昆虫抵抗性遺伝子は,土壌細菌バチルス・チューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis)のBt遺伝子である。この遺伝子産物は,Δ-エンドトキシン(Btタンパク質)といわれ,ワタアカミムシガなどのガや甲虫類の幼虫に強い殺虫作用がある。Δ-エンドトキシンは特異性が著しく,脊椎動物には毒性がない。インドが2002-09年にBt遺伝子の殺虫成分生産領域をワタ植物体に組み込んでおこなった圃場栽培試験は,ワタ収量とワタ生産を倍増し,インドを綿輸入国から輸出国に転換した。2009年,インドのワタ栽培総面積は960万ヘクタールとなり,その87%の畑に560万の小農がBtワタを栽培している。
拡大成長するワタ栽培
インドはワタを広く栽培しており,過去には600万のワタ栽培農業者がいた。2009年に,インドのワタ栽培面積は,960万ヘクタールと推定され,これは2008年の940万ヘクタールよりもぼぼ3%増,2008年と2009年に630万の農業者によって栽培された。この増加は,2008年に比して2009年にワタ栽培面積が世界的に減少していることと対照的である。
インドのワタ栽培面積はワタの世界栽培面積の25%であるのに,過去にはインドのワタ収量が世界で最低だったので,世界生産量のたった12%しか生産するに過ぎなかった。最近8年間にわたってBtワタが出現したことは,2001年のヘクタール当たり308キログラムから2009年の568キログラム/ヘクタールまで収量がほぼ倍増したことと一致する(ジェイムズ,2009年)。
インドのワタは,おおよそ65%が乾燥地,35%が灌漑地で生産される。100%灌漑されている北部地帯を除けば,中部と南部のワタ栽培地帯は大部分降雨に頼っている。
雑種ワタの占める割合は,ここ数年にわたって増加し,その傾向は2002年の高収量性Btワタ雑種の導入によって加速され,2009年には960万ヘクタールのワタ総面積のうち,雑種は90%を占め,自然受粉品種は10%に過ぎない。
ワタはインドの主要な換金作物で,GDPの4%を占める繊維産業に繊維として,その75%に利用されている。ワタは,インドでそれを作物として栽培する農業者および加工から貿易まで綿産業に関係する労働者を含めて,推定6000万人の生活に影響を及ぼしている。
栽培ワタは,Gossypium arboreum (キダチ綿),Gossypium herbaceum(アジア綿), Gossypium barbadense(エジプト綿), Gossypium hirsutum(アメリカ陸地綿)の4種に分類される。インドは,それらの栽培種ワタをすべて栽培している唯一の国である。インドで生産される雑種ワタの90%以上はアメリカ陸地綿で,現在のBtワタ雑種もすべてこの栽培種に属している。
ワタの主要な害虫に抵抗性を与えるBtワタは,2002年に雑種としてインドに初めて採用された。2002年に最初公式に許可されたBtワタ雑種を約5万ヘクタール栽培したのは,54000人の農業者だった。2003年に栽培面積は約10万ヘクタールに倍増し,2004年には4倍になって50万ヘクタールに達し,2005年には130万ヘクタールまでに上昇し続けた。2006年にはBtワタ面積が3倍とまたまた増加して380万ヘクタールとなった。
2006年は,ワタ栽培面積において初めて,中国の350万ヘクタールを超えた記念すべき年となった。2007年になっても,インドのワタ栽培は成長し続け,その面積は380万ヘクタールから620万ヘクタールまで記録的に増加し,その結果,世界のどの国と比べても最大のBtワタ栽培面積を誇れることとなった。2008年にBtワタ栽培面積の記録は,2007年の620万ヘクタールから,さらに760万ヘクタールまで再び上昇した。2009年に,インドのワタ推定栽培面積960万ヘクタールのうち,87%すなわち840万ヘクタールはBtワタ雑種だった。8年という短期間にもかかわらず,2002年から09年までに栽培面積は前代未聞の168倍に増加した。2009年にインドで栽培された雑種Btワタの840万ヘクタールのうち,35%は灌漑され,65%は雨水に依存した。過去8年にわたって,インドは多様なBtワタ遺伝子と遺伝子型の展開を図り,それらをいろいろな農業生態学的地帯に適応させた。その結果,資金に乏しい小規模のワタ農業者にも公平かつ確実にBt雑種ワタの恩恵が配分されるようになった。
バイテク導入による農村経済の発展
伝統的にインドでは,ワタはどのような他の作物よりも大量の殺虫剤を消費し,すべての作物の全農薬市場でかなりの割合を占めた。たとえば,1998年にワタ殺虫剤は全作物の総殺虫剤市場の42%だった。Btワタ導入以後の2006年には,ワタは総殺虫剤市場の28%だけを消費するようになった。インドでワタの総栽培面積は実際に1998年の870万ヘクタールから2006年の920万ヘクタールに僅かに増加したのに,農薬使用量は1998年と2006年の間に低下していた。インドでは2002年にBtワタが採用されたために,ワタアカミムシガ防除の殺虫剤使用が相当に減少し,2006年にはその減少額は約8000万ドルと見積もられた(ジェイムズ,2009年)。最近,インドの農業者は複数(たいてい二つ)Bt遺伝子雑種を採用する傾向にあり,農薬の使用量はさらに減るだろう。
世界で最低水準にあったインドのワタ平均収量は,2002年のBtワタ導入によって,2001‐02年のヘクタール当たり308キログラムから2008-09年のヘクタール当たり526キログラムまで増加し,2009-10年にはヘクタール当たり568キログラムになると推定された。この結果,インドの綿生産は2001-02年の1580万梱から2007-08年の3150万梱までに増加して,Btワタが綿の生産性向上に大きく貢献していることは明白である。
綿の輸出は2001-02年の細々とした5万梱から2007-08年の880万梱に急激な増加を記録し,インドは綿の純輸入国から純輸出国に転換した。
過去8年にわたるBtワタの展開は,インドを世界的に綿輸出国ナンバー・ワン,ならびに世界第二位のワタ生産国にまで押し上げた。
綿生産ブームと並行して,インドのバイテク・種子産業もまた,インドの農業者がBtワタを高く評価して採用するので,その成長率が著しい。2008-09年に,インドのバイオテクノロジー産業はルピー換算で18%の成長があったといわれている(ジェイムズ,2009年)。2009年,インド遺伝子工学認可委員会は隣国パキスタンにBtワタ雑種種子の輸出を承認した。
スブラマニャンら(2009)は,半乾燥地の農村でBtワタの経済効果を調査した。それによると,Btテクノロジーは平均して収量を30-40%増加させ,殺虫剤の使用量をほぼ半減させて,こうしてヘクタール当たり特別に余分な収入として156ドルが生じた。
とくに,Btワタが重要なジェンダー(社会的・文化的役割としての性)と関連する農村の雇用機会創出に結び付いていた。労働所得合計は,女性が男性よりもBtワタからずっと多く稼いでいた。これは,ワタの収穫が大部分はその雇用機会と労働収入が著しく改善された短期女性労働者によって行なわれた事実に基づく。これに対して,害虫防除はしばしば男性家族員の責任で,それでBtテクノロジーはワタの生産で彼らの雇用機会を減らした。一般的に,節約された家族労働は別の農業活動や農業以外の活動に効果的に再雇用でき,それでとくに男性の場合に,全般的労働所得が増加したと,スブラマニャンらは結論した。
このようなBtワタ・テクノロジーの地方経済に及ぼした利点については,数多くの報告がある。所得分布の点から,貧困所得線以下を含めて,あらゆる種類の世帯が利益を得た。利益の60%はごく貧困と貧困な階層の手にわたった。Btワタはまたジェンダーと関連する新規雇用を創出し,短期女性農業労働者の収入は55%も増加した。これは,インドでおもに女性の仕事である綿摘みに雇用される特別労働によるものである。よく知られているように,女性の収入はとくに子どもの栄養と福利に明白な効果を与える。Btワタがインドで貧困減少に貢献していることは明らかであろう。
インドの農業者がBtワタから,大きなそして多様な農業経営上,経済上,福利上の恩恵を得ていることは,インドで認可されたBtワタの採用率が現在87%で最高に近づいていることからもわかるだろう。
560万の農業者によって先例のないBtワタの採用が行なわれているにもかかわらず,テクノロジーの信用を傷つける,あらゆる手段を用いて,インドでも反バイテク・グループがバイテクに対して依然として激しいキャンペーンを続けている。
これを執筆するにあたって,長年の友人クリーヴ・ジェイムズ博士の報告;James, Clive. 2009. Global Status of Commercialized Biotech /GM Crops: 2009. ISAAA: Ithaca, NYを参考にした。ここに記して謝意を表する。
(「世界平和研究」2010年夏季号No.186より)
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