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放射線の健康・農業・環境への影響
山口彦之(東京大学名誉教授)
Hikoyuki Yamaguchi
はじめに
東日本大震災に被災した福島第一原子力発電所の被害が報道されるとまもなく,「放射線の量や単位の意味がちっとも分からなく,そのために示される数値の重要性が分からなくて困る」といった戸惑いを聞くことが多く,したがって世間の不安は収まるどころか,ますます増大していったといわれる。国は,大量の財的・人的資源を投入して,必要以上に放射線を怖がる人たちの数を少なくしようとその啓発に努めてきたが,その効果をあげることは失敗したように思われる。
本稿では,放射線の量や単位,数値の意味するところと,マスコミ報道に現われた線量値の意味するもの,さらに健康,農業と環境に対する放射線事故の影響について明らかにされていることを簡略に紹介したい。
1.放射線・放射能とその性質
自然界の放射線
自然界にも,地球外から降ってくる宇宙線,ラジウムやウランなどの自然放射性物質から出る放射線などの自然放射線が存在している。自然放射性物質は,空気,水,大地,建築材料あるいは人間のからだを含めて広く生物体のなかに分布する。こうして人類は遠い昔から放射線のある環境のなかで生存して発展して進化してきた。人類が自然放射線の存在に気づかなかったのは,放射線が目に見えなく,耳に聞こえなく,触れてもわからなく,匂いもしなく,五感に訴えないためである。
ラジオアイソトープと放射能
原子核の種類は,陽子の個数と中性子の個数の組み合わせによって決まる。陽子の個数は同じでも中性子の個数が異なる原子どうしは,質量は違うが化学的性質は同じであり,すなわち同じ元素に属する。このような原子どうしは,兄弟のようなもので,「アイソトープ」とよばれる。
アイソトープの中には,外から処理を加えられなくても,その原子核が不安定なので安定になろうと放射線を出して,他の種類の原子核に変わる,放射性のものがある。これをラジオアイソトープと呼び,原子核が放射線を出して他の種類の原子核に変わる性質を「放射能」といい,その現象を「壊変」とか「崩壊」という。崩壊のときにアルファ線,ベータ線,ガンマ線などの放射線が出る。放射能という言葉は,この性質の大きさを表わすのにも使用される。その単位は,1秒あたりの崩壊数で,これをベクレル(Bq)という。
ラジオアイソトープ原子の集団では,崩壊が起こるから,時間の経過とともに,その原子の数が減っていく。原子数が最初の半分になるまでの時間を「半減期」という。放射能は原子数に比例するから,原子数の半減期と放射能の半減期と同じである。半減期はラジオアイソトープに固有のもので,外界の影響を受けることがない。1MBq=1メガベクレルのラジオアイソトープは,1半減期後には1/2MBq,2半減期後には1/4MBq,3半減期後には1/8MBqになる。
アルファ線は,原子核から飛び出した高速のヘリウム原子核である。したがって,アルファ線が放出されると,もとの原子核よりも陽子,中性子がそれぞれ2個ずつ減少した原子核が残る。このような崩壊形式を「アルファ崩壊」という。また原子核内で1個の中性子が陽子に変化して高速の電子が飛び出す崩壊形式がある。この高速電子がベータ線である。原子核からベータ線が放出されると,その原子核では陽子が1個多くなり中性子が1個少なくなる。このような崩壊形式を「ベータ崩壊」という。
崩壊といっても,原子核が崩れることはなくて,原子核が別の種類の原子核に転換するという意味である。崩壊が起こったあとの原子核は不安定な状態にあることが多く,通常はごく短時間のうちに余分なエネルギーを電磁波,すなわち放射線の形で放出して安定状態に落ち着く。このように,原子核から放出される電磁波をガンマ線とよんでいる。ガンマ線が放出されても,原子核の種類は変わらないので,ガンマ崩壊という言葉は使用されない。
放射線と放射能は,よく似た言葉だが,意味は異なる。放射線は光線の仲間にたとえられ,放射能は光線を出す能力あるいは性質にたとえられる。
原子炉
自然界でもっとも重い元素のウランには,いくつかのアイソトープがある。そのうち,主要なアイソトープのウラン-238はやや放射性の強い核種だが,いわゆる核連鎖反応を持続させることができない。それに対して,核連鎖反応を持続させうる,自然界で発見できた原子はウラン-235だけであった。天然に蓄積するウランには,ウラン-238の140個につきウラン-235は1個しかない。中性子がウラン-235の原子核に衝突するとき,ウラン-235は分裂する。その結果,ウラン-235の砕片はしばしば不安定になりがちな,もっと小さい核をもつ,新しい元素を形成する。これらを「核分裂生成物」あるいは「放射性核種」という。さらに,いくつかの中性子が放出される。これらが非常に近接していると,ウラン-235の新しい原子を1個以上分裂させる。臨界質量の純粋なウラン-235があると,連鎖反応がきわめて速いので瞬時に爆発が起こる。しかし,ウラン-235原子が分離され,中性子の速度が減速材によって制御されると,連鎖反応をゆるやかにおこなわせるように調節でき,この核分裂の巨大なエネルギーを利用するのが原子炉である。1キログラムのウラン-235を核分裂させると,3500トンの石炭に相当する熱エネルギーが発生するけれども,それと同時に,かなりの放射性の毒性が強い,しばしば揮発性の高い核分裂する放射性核種が非常に大量に生成される。そのために,ウラン-235の核分裂過程では,放射性の高い物質がたくさん燃料棒に蓄積されることになる。
ウラン-235とウラン-238が混合した状態で,中性子がウラン-238の原子核に衝突すると,中性子のいくつかはそれらを新しい元素のプルトニウム-239に転換する。初期の原子炉は,安定したウラン-238と核分裂性のウラン-235の混合体からなる天然ウランを利用し,プルトニウム生産のために設計された。それは,核分裂するプルトニウムがウランよりも爆弾製造に適していたからである。原子炉を発電施設に利用する原理は,どの火力発電システムでも応用されているものである。今日の原子炉では,特別の濃縮工場で生産された濃縮ウランが使用されている。原子炉が生成する熱によって,水から蒸気がつくられ,蒸気の力でタービン発電機を回転させて電気を発生する。
稼働中のすべての原子力発電所では,おびただしい核分裂生成物や放射性核種が蓄積される。それらの中には,非常に高温のものもあれば,揮発性の強いものもある。短寿命や長寿命のものがあるけれども,いずれにしても,崩壊してしまうまでは,アルファ線,ベータ線,ガンマ線を放出する。そのために,原子力発電所はその他の発電システムと比べると,危険性がはるかに高い。原子力発電所に装荷されているウラン燃料は新しければ新しいほど,取扱いやすい。しかし新しいラジオアイソトープが形成され,燃料内に蓄積されていくにつれて,原子炉の危険性は増していく。したがって,安全系統が原子炉の設計上でもっとも重要な位置を占めている。究極的な事故,炉心のメルトダウンは炉心を貫流する水が突然なくなることから発生し,燃料棒から熱を排除できなくなる。それをひき起こす可能性は,主循環パイプの破断と原子力発電所の所内電力が喪失するような電気系統の故障である。それは,安全装置の大部分が電力の供給を当てにしているからだ。
放射線と物質との相互作用
放射線の正体は,高速度で走る粒子または波長のごく短い電磁波で,1個1個が大きなエネルギーをもっている。放射線が物質中を通過するときには電離などによって物質に何らかの変化を与え,一方,物質は放射線に働きかけて,そのエネルギーや進行方向などを変える。この現象を放射線と物質との相互作用と呼ぶ。相互作用の起こり方は,きわめて多彩で,放射線の種類とエネルギー,および物質の種類によって違う。放射線と物質との相互作用の機構について十分に理解することができてはじめて,放射線の測定,放射線の利用,さらに放射線の防護を的確におこなうことができる。
放射線の種類とエネルギーによって異なるが,いずれも大なり小なり物質を透過することができる。ガンマ線は,電磁波で質量も電気ももたないから,物質との相互作用の程度が弱くて物質中を通過するときになかなかエネルギーを失わないので透過力が大きい。一方,ベータ線は,アルミニウム板やプラスチック板ならば数ミリないし1センチ位の厚さがあれば,完全に停止させることができる。アルファ線は,物質との相互作用が強く,物質の中を通過している間に急速にエネルギーを失っていくから,透過力はきわめて小さい。薄い紙1枚で完全に停止させることができる。中性子と物質との相互作用は,アルファ線やベータ線の場合とかなり違っている。中性子は,その速度によって物質との相互作用が大きく異なる。中性子は電気をもたないので,原子核に接近しやすく,とくに遅い中性子は原子核に吸収されやすい。中性子が原子核に捕獲されると,その原子核は同じ元素のアイソトープになり,生成したアイソトープは放射性であることが多い。
放射線に関する単位
物質や人間のからだに対する放射線の影響を評価するのに,照射線量,吸収線量,実効線量という3種類の線量が定義され,その大きさを表すにはその単位を添えなければならない。照射線量は,ガンマ線あるいはX線が空気にあたる場合に限られて使用され,ある場所のガンマ線あるいはX線による照射の強さの程度が空気の電離の程度で評価される。照射線量の単位として昔から使用されているのはレントゲン(R)であり,1Rは1キログラムの空気中に電離によって発生する正,負どちらかの電気量をすべて合計して2.58×10-4クーロンになる線量である。吸収線量は,放射線が物質と相互作用をおこなった結果としてその物質の単位質量あたりに吸収されたエネルギーである。吸収線量は放射線の種類,物質の種類に関係なく使用され,その単位としてグレイ(Gy)が用いられる。1Gyは,1キログラムの物質中に1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収線量である。
放射線が人間のからだに当たったときに,同一の吸収線量であっても,放射線の種類やエネルギーが異なると,それらの影響の程度が違う。条件が違う放射線照射[被曝]によってからだに与えられたリスク(危険が顕在化する可能性)を同一の‘ものさし’で計算して,放射線防護の目的で比較したり,加え合わせたりするのに,実効線量というものが考えられた。したがって,実効線量は放射線防護の目的だけに使用される。実効線量と吸収線量との関係は,実効線量=吸収線量×放射線加重係数×修正係数によって表わされる。放射線加重係数は,放射線の種類とエネルギーによって影響の程度が違うことを考慮するための係数である。 修正係数は,照射[被曝]条件による違いを考慮するための係数だが,現在のところは,1という数値をとることになっている。吸収線量の単位にグレイをとったときの実効線量の単位をシーベルト(Sv)という。
2.人体および健康への影響
放射線の人体影響
人間のからだに対する放射線の影響は,被曝した本人に出現するものと,被曝者の子孫に現われるものの二つに大きく分けられる。前者を身体的影響,後者を遺伝的影響という。身体的影響は,被曝してから影響が現われるまでの期間によって,被曝後に比較的短期間のうちに現われるものを急性影響といい,これに対して,被曝後長い期間を経過したのち現われるものが晩発影響で,影響が現われるまでの期間を潜伏期という。
同じ線量の放射線を被曝しても,1回に受けたときと,少しずつ何回にも分けて受けたときでは,影響の程度が異なる。これは,人間のからだには回復作用が働くためである。一時的に大きな線量の放射線を被曝したときの急性影響は,放射線を被曝した部位および線量によって症状が違って現われる。ここではガンマ線を一時的に全身に被曝した場合に現われる急性障害について,症状の現われ方には個人差があるけれども,代表的な例を示す。
○250ミリグレイ以下の線量では臨床症状はほとんど認められない。
○500ミリグレイの被曝では白血球数が一時的に減少し,回復する。
○1500ミリグレイ以上の被曝では放射線宿酔の症状が現われる。
被曝後30日以内に半数の人たちが死亡する線量はほぼ4グレイ,100%の人が死亡する線量は7グレイであると考えられている。
晩発影響の代表的なものとして,ガン,白内障などがあげられる。発ガンの潜伏期間は,被曝した器官,組織の種類,被曝したときの年齢,被曝線量によって違うけれども,数年から数十年である。原子爆弾による放射線(原爆放射線)被曝者のなかには,被曝後にガンで死亡する人が放射線を浴びなかった人よりも多い傾向が認められている。
放射線被曝による影響と同様な症状は,放射線以外の原因によっても起こることがある。そのために,ガンや白内障などは,放射線被曝によって発病したのか,他の原因によって発症したのかを区別することが難しい。放射線による遺伝的影響の発生は,人間では確認されていない。
放射性物質を体内に取り込み,その結果として体内からの放射線によって被曝するのが内部被曝である。体外にある放射性物質からの放射線による被曝と違い,内部被曝では放射性物質の摂取に始まり,物理的に減衰するか生物学的に排泄されるかして,体内から消失するまで継続する被曝であるという特性がある。しかし放射線がエネルギーを人体の臓器や組織に与え,その量が大きいときには障害をもたらすことになるという意味では,放射線の発生源が体外にあろうと体内にあろうと違わない。ただし臓器や組織に与える放射線のエネルギーが同じでも,放射線の種類(線質)によって健康影響が違うので放射線加重係数を用いて補正し,さらに臓器や組織によって放射線感受性が違うので組織加重係数を用いると,Svという実効線量が表わされる。いうまでもなく,内部被曝線量と外部被曝線量は,同じ実効線量であれば加えることができる。
被曝線量による放射線影響の現われ方
放射線の影響は,被曝線量とその影響の現われ方との関係によって確率的影響と確定的影響の二つに分けられる。急性影響および晩発影響のうち,白内障などはしきい値(閾値)があり,被曝線量がしきい値をこえると,線量が大きくなるにつれて影響の程度(重症度)が重くなり,発生の確率も増大する。このような影響を確定的影響という。これに対して,遺伝的影響および身体的影響のうちの白血病,ガンは被曝線量が大きくなるにつれて影響の発生確率が次第に大きくなり,しきい値がないと考えられている。現われた影響の程度(重症度)は被曝線量に関係しない。このような影響を確率的影響という。
放射線防護と健康影響評価
放射線防護の基準である実効線量限度は,国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づいて決められている。これらの勧告は国際的に権威あるものとして認められ,わが国の法律もこの勧告を取り入れて作成されている。ICRP勧告では,放射線防護の目的は,確定的な有害影響を防止し,また確率的影響を容認できると思われるレベルまで制限することにおくべきであるとしている。
ICRP1990年勧告による職業被曝の線量限度は,1年あたり50ミリシーベルトおよび5年あたり100ミリシーベルトで,内部被曝にかかわる年摂取限度は1年あたり20ミリシーベルトに換算して求められている。(東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所の事故発生後,早々に作業員の緊急時被曝線量の年間限度値が100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに上げられたが,250ミリシーベルトは「ただちに健康被害は出ない」という上限値である。この態度はご都合主義で,作業員に個人差があることを考えれば,法律を順守すべきだ)。また公衆被曝について,線量限度は1年あたり1ミリシーベルトである。
放射性物質を含む食品を食べたときの影響は,ベクレルからミリシーベルトに換算され,その計算は放射性物質の種類,飲食,吸入などの体内摂取法で異なる係数を掛けて,暫定基準値(1キログラムあたりのベクレル)が求められる。
内部被曝線量を計算するときには,放射性物質が分布する臓器(線源臓器)とそこからの放射線を受ける臓器(標的臓器)に分けて考える。口から,あるいは吸入によって摂取された放射性物質は,吸収されて血流とともに全身に分布し,次第に親和性のある臓器に沈着する。時間が経過するとともに,新陳代謝によって体外に排泄され,それと同時に放射能が減衰する。代謝による放射性物質の排泄速度は生物学的半減期で示され,放射能減衰は物理的半減期で示され,両者があいまって体内量が低下する速度をあらわすものは実効半減期という。線量計算を単純化して述べると,すべての線源臓器からの放射線によって各標的臓器が受けるエネルギーを計算し,それに放射線加重係数と組織加重係数による加重をおこなうと実効線量が得られる。
物質別にlBqを口から,あるいは吸入によって吸収したときのSvを線量係数(単位:Sv/Bq)といい,国際放射線防護委員会(ICRP)は生物学的半減期などを検討し,体格や臓器重量などを含む標準人を規格した上で線量係数を算出している。このICRPの線量係数は国際的に広く用いられている。それによってBqとSvが結びつけられ,摂取する食品中の放射性物質量がわかれば,線量係数を用いて線量が容易に計算できる。
1986年にチェルノブイリ原子力発電所事故も契機になってICRPは一般公衆の内部被曝線量を計算するために線量係数の検討を開始し,90年代に3カ月齢新生児,1歳乳児,5歳,10歳,15歳小児,および成人の線量係数を公表した。乳児や幼児は新陳代謝が速やかで元素の生物学的半減期が一般的に短く,総じて若年ほど線量係数が高い傾向にある。
食品の健康影響評価とリスク管理
大気中に排出された放射性物質は,大気や水を介して農・水・畜産物に移行する。大気中の放射性物質は移動中に減衰するか,比較的短期間に地表面に沈着する。その後,地表面汚染のものは長い時間をかけて減衰する。農作物,とくに葉菜などの表面に付着したものは一部が植物体内の他部位に転流・蓄積するほか,体内汚染が根を介しておこなわれる。魚介類は海水から放射性物質を選択して取り込む傾向があり,生体成分として蓄積する。それぞれの物質によって移行経路は異なるが,このとき重視されるのは食物連鎖の介在である。
ICRPはセシウム-137,セシウム-134およびヨウ素-131を重視し,食品衛生学上もっとも注目されている。セシウム-137とストロンチウム-90はともに半減期が約30年と長く,セシウム-137は生理学的にカリウムに似た性質をもち,消化管から吸収されやすく軟部組織中に一様に蓄積され,またストロチウム-90はカルシウムと似た代謝を示して骨組織の発育旺盛な幼年期に選択的に蓄積する。ヨウ素-131は,半減期が8日と短いが,甲状腺への選択的取り込みが注目される。人体にとって危険度の高いストロンチウム-90,セシウム-137,ヨウ素-131は,欧米人ではおもに乳製品から摂取されるが,日本人ではおもに野菜(葉菜,根菜)類から摂取される。
日本の食品中の放射能濃度の暫定規制値は,原子力安全委員会が1998年に決めた「防災指針における飲食物摂取制限指標」であり,その指標というのは飲食物中の放射性物質が健康に悪影響を及ぼすか否かを示す基準ではなく,緊急事態における防護対策の目安にすぎなかった。その指標の数値は,ヨウ素-131に対する飲料水,葉菜,牛乳中の濃度で示されたが,その後,国際機関にならって半減期の長い放射性セシウムの年あたり摂取限度を5ミリシーベルトとし,このときに骨に沈着しやすい,危険な放射性ストロンチウムがセシウム降下物中に約10%含まれると仮定した。
厚生労働省は,2011年4月1日,食品安全委員会が緊急的,早期の暫定基準の算出根拠となる放射性ヨウ素とセシウムに係わる数値を「安全」と評価したことを受けて,暫定基準の維持を決めた。参考のために,日本,EU(欧州連合),米国の指標値をしめす。
(表挿入)
放射性セシウムの摂取制限値は,日本とEUで大きな差がある。1986年4月にチェルノブイリ原子力発電所の第4原子炉が炉心崩壊の大事故を起こし,北半球全土に大量の放射性物質を降下させ,とくにセシウム-137は半減期が30年と長いために,土壌汚染の指標として使用された。牛乳やコムギが汚染された西欧では,厳しくし過ぎると食品流通が逼迫することを考慮して,放射性セシウムの規制値を策定したといわれている。
放射線防護と対策の基礎
放射線の防護を計画したり,実行したりするにあたっては,体外にある放射線源による外部被曝と,体内に取り込まれた放射性物質(ラジオアイソトープ)による内部被曝の二つに分けて考えることが大切である。
外部被曝に対する防護対策を立てる際の着眼点は,遮蔽,距離,および時間の3項目である。遮蔽の対策は,放射線の種類とエネルギーによって異なり,遮蔽は原則としてできるだけ線源の近くでおこなう方が容易であり,経済的である。被曝線量率は線源からの距離の2乗に反比例するので,線源からできるだけ離れて作業することが大切である。被曝時間を短くすることによって被曝線量を減少させることができる。時間の短縮は,遮蔽と距離について最善の対策がなされたうえで考慮すべきである。
内部被曝では,一般に吸入による取込みがもっとも重要とされている。放射性物質がからだに付着しないようにするには,必要に応じて専用の衣服,帽子,はきもの,手袋を用い,場合によって特別の防塵マスク,防塵服などを着用しなければならない。
低レベル放射線の健康影響
放射線が人間のからだにどんな影響を及ぼすか。原子爆弾の被害を受けた広島・長崎の被爆者たちの健康調査によって多くのことがわかっている。この健康調査からえられた貴重なデータは,世界における放射線防護対策の基礎になっている。
1947年に米国は原爆傷害調査委員会(ABCC)を設け,被爆者の健康調査を着手し,1975年からは日米共同運営の「放射線影響研究所(放影研)」が引き継いだ。被爆者9万4,000人とそうでない2万7,000人を生涯にわたって追跡調査し,それらのうちの約2万人は2年に1度の健康診断や生活習慣調査を続けている。広島・長崎の被爆者について,放射線被曝線量を推定して健康影響との関係を調べたところ,次のことがわかってきた。
ガンの統計では,被曝していない人よりも明らかに多いのは,200ミリシーベルトを超える放射線を受けた場合だけで,通常,30歳から70歳までにガンになる人は30%だが,30歳で200ミリシーベルトを被曝すると33%に上がり,つまり3%だけ加算される。また日本人が生涯で白血病になるのは1,000人のうち7人だが,平均200ミリシーベルトの放射線を被曝した人たちでは1,000人のうち10人に上がった。
胎児への影響は,妊娠何週目に被曝したかで大きく差があり,妊娠8〜15週で200ミリシーベルトを超えて被曝した場合には,放射線量の増加とともに知的障害児が生まれる率が増えた。16〜25週では500ミリシーベルトを超えてから影響が認められ,0〜7週,26週以降では影響が認められなくなった。また被爆した親から生まれた「被爆二世」について遺伝的影響はみられないと結論されている。
原子爆弾の投下による傷害は一時的に放射線を浴びた急性影響であり,事故などによる比較的低いレベルの放射線を長期間受ける場合の健康被害については分かっていないことも多い。米国保健物理学会は,2004年に,「放射線によるリスクの検定を年間50ミリシーベルト以下の領域でおこなうことに反対する。50ミリシーベルト以下のリスクは検定不能であるほど小さいか,または存在しない」という声明を出している。これが妥当であることを示す調査結果がいくつか報告されているので,次に紹介する。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故では,旧ソ連政府などは半減期が30年と長いセシウム-137を土壌汚染の指標として使い,その値が1平方メートルあたり3万7,000ベクレル以上の地域を「汚染地域」,55万5,00Oベクレル以上の地域を「強制移住地域」とした。国際原子力機関(IAEA)の報告によれば,汚染区域は約145,000平方キロメートルで,その地域の住民数は約600万人であった。強制移住地域も,約10,000平方キロメートルを超えて,約27万人が移住対象となった。この汚染地域は,風向などの気象条件によって原子力発電所から同心円状ではなくて斑模様を描いて広がり,飛び地として分散した地域もある。
汚染地域に住み続けた人が1986〜2005年に被曝した放射線量の平均積算値は10〜20ミリシーベルトで,強制移住地域に住み続けた人の積算値は50ミリシーベルトを超えた。放射線による影響として確実に認められた病気は約4,000人の小児甲状腺ガンだけで,小児甲状腺ガンによって死んだ人は,20年目で9〜15人で,その死亡率は0.5%以下だった。そのほかに白血病も含めてセシウム137の影響によって増加した疾患は確認されていない。対策を要する大きな影響は精神的なストレス,すなわち心的外傷後ストレス傷害(PTSD)である。
また年間50ミリシーベルト以下であれば,健康に影響がないとする疫学的報告が数多く得られている。例えば,中国の高自然放射線地区(広東省陽江県)住民の健康調査では,330ミリシーベルト(60年間)のガン死の相対比が0.95,米国の原子力船修理・造船工の調査では,35ミリシーベルト(10数年間)のガン死の相対比が0.85,英国の放射線科医の調査では,100ミリシーベルト(20年間)のガン死の相対比が0.71,ヨーロッパの航空機パイロットの調査では,20ミリシーベルト(約10年)のガン死の相対比が0.68などである。
3.環境・農業への影響
放射能汚染の環境への影響
チェルノブイル原発事故では,2回にわたる爆発によって,大きな粒子や炉心の破片が吹き飛ばされた。重量の大きい粒子は原子炉の周辺,軽いものはさらに遠くの場所に沈着した。きわめて小さい粒子はエーロゾル[煙霧質]を形成して何日間も空中に漂った。これらの粒子が空高く昇っていったのは,原子炉の熱によることが大きかったけれども,さらに多くの粒子が高熱で,しかも高温の空気を発生する純粋の放射性アイソトープから構成されていたからである。このようなホット・パーティクル(hot-particle)は,顕微鏡でしかみえないが,降雨によって地上に落下した。放射能の崩壊によって放射線レベルが低下するとともに,それらは空中にとどまる力が次第になくなり,放射性のチリとして落下していく。
地理上,チェルノブイリの放射性降下物によってもっともひどくやられた地域は,ボレーシエ(ロシア語で森林地の意味)として知られ,西欧では「プリピャチ沼沢地」として紹介されている。ボレーシエは,ヨーロッパ最大の沼沢地で,その大部分は水浸しの樹木によって占められている。このような生態系は,放射性セシウムを保存する力が強い。その理由は,放射性セシウムが植物体内に速やかに浸透するからである。
破壊された原子炉とその周辺からの残骸撤去は,いうまでもなく,非常に危険な作業であった。場所によっては放射能汚染があまりにもひどく,放射線の許容線量の範囲内で作業できる時間はほんのわずかにすぎなかった。そのために,チェルノブイリ事故以前に設計・開発されて試運転を実施した無線制御ブルドーザーの利用が決定された。最終的には,しかしながら,除去作業は人力で実施しなくてはならなかった。結局,汚染除去のもっとも効果的な手法は,時間の経過を待つことだった。大部分の放射性核種,とくに放射性ヨウ素(半減期は8日)は寿命が短く,最終的には人間の助けがなくても消滅していった。寿命の長い放射性核種(おもにセシウム-137,ストロンチウム-90とプルトニウム)が半径30キロメートル圏にかなりの量あったために,汚染除去,住民の帰宅,そして農地の復旧が実行不可能となっていた。表土が削り取られ,放射性廃棄物として処理されたが,その量はわずかに50万立方メートル分にすぎなかった。つまり,ほんの約1000ヘクタールが積極的に汚染除去されただけである。もしも30キロメートル圏内を適切に復旧するということになると,ほぼ6億トンの表土を除去しなければならない。ついに,1988年になって,チェルノブイリ原発から半径10キロメートル以内の地域は,自然環境に対する放射線影響を科学的に研究するための「生態学研究用保留地」に指定された。
チェルノブイリ原発事故1週間後の政府布告によって,半径30キロメートル以内は「避難区域」に指定された。この時点では,避難地域を半径30キロメートルに設定したことは(面積約3000平方キロメートル),安全の観点から十分に余裕のある広さで,この地域以外の住民が危険にさらされることがないと考えられていた。農民は春の農作業に励んでいた。この地方は,その大部分が白ロシア共和国に含まれ,酪農地帯である。この地域の放射性核種は大部分がホット・パーティクルからなるチリだった。フイルム状化学剤や水によってチリを固定しようと手を尽くしたが,風食作用による二次汚染は避けられなかった。それから1カ月後になると,30キロメートル圏の北と北西の両方向に当たる地域と以遠の地域が,降雨によって放射能汚染が許容度を大いに超えて,蓄積線量が到底黙認できなくなることがわかり,住民を避難させないで,町村の汚染を除去することが試みられた。チェルノブイリから北方80キロメートルにある人口7000人の町では,陸軍特殊化学部隊が道路,庭園,それらの周辺地域から表土と植物を深さ10cmまで掘り起こし,地中に埋没するために持ち去った。道路は,「洗浄可能な」アスファルトで舗装された。古い木造家屋や納屋は解体された。それにもかかわらず,この町の周辺では,相変わらず農作業が実施されていた。したがって,家畜には何の処置もとられなかったことになる。チェルノブイリ周辺の住民が事故後最初の間に体内に摂取された放射性ヨウ素は,現地生産の乳牛のミルク,酪農製品,野菜が消費されたからであり,その唯一の理由はそれ以外に何ひとつ食べるものが生産できなかったからだった。
チェルノブイリ事故から14年後の放射性セシウム-137の値は,士壌ではほとんど変わらなかったけれども,洗浄された道路上では激減した。
放射能汚染の農業への影響
チェルノブイリ事故による経済的損失をもろに受けたのは農業だった。1986年5月2日,チェルノブイリを中心とする30キロメートル圏が設定され,この地域では農作業がすべて中止になり,避難命令を受けた農民は家畜とともに避難するように指示された。大部分の避難民は,ウクライナか白ロシアで,30キロメートル圏に近い村に再定住させられた。避難農民は,自宅で飼っていたペットは置き去りにしたけれども,牛,豚,羊,馬は連れて避難できた。したがって,30キロメートル圏内にあった畑,牧草地,菜園,果樹園はもちろん放棄しなければならなかったことになる。
30キロメートル圏外やその周辺地域では,農民は春の耕作,播種を例年どおり実施するように指示された。そして牧草地でも作業が進められていた。しかし6月になると,30キロメートル圏外の地表面で汚染が正確に測定されるようになった。これらの測定値に基づいて予想される放射線量が算定され,チェルノブイリ原発の西,北,北西の方向にそれぞれ80キロメートルも離れた113の村から住民を避難させることが決まった。これによって,総農地面積で合計10〜15万ヘクタールの農地が放棄された。多くの場合,これらの村落の住民は避難直前まで農作業に従事していた。これらの地域は大部分が酪農地帯であり,牧草地が農地の50%を占めていた。1987年に作成されたIAEAへの旧ソ連報告書によれば,セシウム-137濃度が平方メートルあたり150万ベクレルを超える農地で農作業が禁止されたと述べられている。
チェルノブイリ原発事故によって生じた農業問題の解決をきわめて困難にしたおもな原因としては,旧ソ連農業が一般に欠陥だらけだったことがあげられる。農地を再生して,農業を牧畜生産よりもリスクの少ないものに転換するには,新たな投資と労働力が必要であると指摘された。
長中期の放射線防護指針
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故(原発事故)は,スリーマイル原発事故を超えて,チェルノブイリと同等の国際評価尺度(INES)でもっとも深刻な「レベル7」と評価された。この事故では,大量の放射性物質が大気や海へ放出され,残留放射能による長期の被曝に社会の関心が集まっている。政府は,福島原発周辺の放射線量などの分析結果から,周辺の半径20キロメートルの圏内を災害対策基本法に基づく「警戒区域」として屋外退避を指示し,さらに年間20ミリシーベルト以上に達すると予想される地域を「計画避難地域」とし,緊急時の公衆防護のために介入が要請されている。また20キロメートル圏外にも,累積放射線予測量の高い地域に避難地域の拡大を決めた。さらに「緊急事態で年間20〜100ミリシーベルトに放射線を浴びる場合には対策が必要である」というICRP1991年勧告に基づいて,原子力安全委員会は20ミリシーベルトを上回る地域の住民を避難すべきであるとの見解を政府に示している。IAEAが平成23年3月21日,原発事故などが起きた後に周辺に住む人の年間被曝限度を1〜20ミリシーベルトの範囲が妥当とする声明をしたのは,ICRP2007年勧告に基づく。この原発事故の影響が収まっても,放射能汚染はつづく可能性があることを指摘し,汚染地域の住民の移住について配慮するように求めている。それに伴って,今後は,飲食物制限指標の長期基準について設定を進める必要があろう。
4.おわりに
東日本大震災に被災した福島第一原発は,燃焼を止めた核燃料の余熱による温度上昇の抑制に失敗し,施設・敷地の内外に余儀なく放射線と放射性物質を放出し,その程度は人によって大きく違うけれども,多くの人間に対して放射線の被曝量を増やすという結果を招いた。しかし,線量は影響そのものではなく影響発現の可能性の大きさを表わすものである。
放射線の人体影響の評価には,内部被曝でも,外部被曝と同じように,リスク,つまり危険が顕在化する可能性が線量を使用して求められる。そのときに使う線量は,体内への放射性物質取り込みによりその後長期にわたって受ける線量で,これを預託線量といい,実際に被曝する線量の多くは将来のものとなることが,外部被曝の線量との根本的な違いである。内部被曝にともなう被曝線量の管理が預託線量を当該年度に受けたものとして処理されている習慣は,弊害をもたらす可能性があることを指摘しておきたい。
平常,線量計をもたない一般市民は自分が受けた線量がわからないので,安全だと実感してもらうには,どの程度の線量を受けたか,あるいは受ける可能性があるかを正確に伝えたうえで,その線量の放射線が人体にどんな影響を与えるか,わかりやすく説明することが重要である。
安全とは何か,その重要性が集団の価値判断の習慣となり,それを規範として組織全体の行動様式がとられることを切望する。
<参考文献>
○近藤宗平「放射線は年間50mSv以下なら浴びても安全」,FB News,No.401,2010
○Z.A.メドヴェジェフ『チェルノブイリの遺産』,みすず書房,1992
○長瀧重信「放射線の人体に対する影響」,Isotope News No.663,2009
○日本保健物理学会・日本アイソトープ協会編『新・放射線の人体への影響』,丸善,2001
○滝澤行雄「福島原発事故に伴う食品の放射能汚染とその健康影響評価」,『放射線生物研究』,第46巻第2号,pp108-117,2011
(2011年3月11日の東日本大震災に伴い,東京電力福島第一原子力発電所で過酷事故(いわゆる原発事故)が起こり,4月13日,酒田市が県・市・農協職員などの人たちを対象に開催した「放射線についての基礎知識」学習会の講演原稿に加筆したものである。)
(「世界平和研究」2011年秋季号,No.191より)
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