平和への道行き―魂の教育による人間性の回復―

川上与志夫(帝塚山学院大学名誉教授)

 現代は神話となった「科学の力」への全幅的依存から離れ,1+1=2という固定的思考から脱却することが求められている。四捨五入を導入すれば,1+1は1でもあり,2でもあり,3でもある。3つあるリンゴを2人で分ければ1つ半ずつになるが,これではあまりに世知辛い。優しい子ならば1つずつにして,残りの1つを1人暮らしのおばあさんのところへ持っていく。
 この世界には,科学では捉えられない物事がいろいろある。科学にこだわっていると,問題の壁は破れない。安全性と使用後の核燃料処理が曖昧のまま発進した,今回の原発事故がそのよい例だ。科学至上主義の傲慢さから離脱し,見えない力にすがって,優しい和(輪)の社会を生み出すのが急務。これを可能にするのが「魂の教育」である。
 本当の教育は「この子は手に負えない」と見限るところから始まる。現実には,手に負えない子は放り出される。医者が「もう手遅れだ。どうしようもない」とさじを投げたところに,神さまの力強い登場がある。たとえ唯物主義に毒された人でも,切羽つまったどん底で,Something Greatに寄りすがる。人間が肉と霊からできている証拠である。
 魂の教育とは,深い教養を培うことである。教養とは,大局的立場に立って倫理的に判断を下す能力のこと。大局的とは,偏見をなくし,自他を公平にとらえる姿勢であり,倫理的とは,自他の差別をなくして一体化し,相手の立場になって言動することである。文明社会の指導者は大局観と倫理性を失い,自らの言動に責任をもとうとしない。Something Greatへの畏敬の念が欠如している証拠である。現代の破滅への道はここに由来する。
 アメリカ・インディアンの社会に,サンダンスという苛酷な儀式がある。男たちが自らの体を傷つけ,鷲の羽で作った笛を吹きながら,4日間断食して踊りまくる。この凄惨な儀式の意味は,他者の苦しみを一身に受け,自らの苦しみを通して大霊の助けを求め,すべてのために身を捧げることにある。参列者は,大霊とすべてのいのちの連帯を実感する。
 魂の教育とは,言い換えれば,神聖なるものを中心に,教える者と学ぶ者とが一体化することである。相手を大事に思うところには,暴言も暴力もいじめも闘争もありえない。
「神聖への畏敬心」を養い,わが身を律し,その言動に心を込め,言動の結果に責任をもつ。これが人間性回復への正道であり,世界平和への道を開拓することに連なる。
 大切なのは抽象論ではなく,具体的実践である。各自には,失敗・成功の具体例を精査することが求められる。自分自身を見直し,自他を鍛える「魂の教育」にいそしみ,平和の礎を築きたいものである。

(初出,「世界平和研究」2013年春季号,2013年5月1日)