日韓相互理解は文化的相違の自覚的認識から

森下喜一(鳥取大学元教授)
Kiichi Morishita

<梗概>

 韓国の日常生活の中には伝統文化に基づく独特の習慣・慣例があるが,そこには日本との共通点と相違点がある。昨今のように日韓関係がよくない現状にあっては,互いの共通点をもって理解を深めようとすることよりも,相違点に対する自覚的認識が必要だ。それは日本人だけの問題ではなく,韓国人も同様で,日本人の習慣・考え方・文化的背景の違いを理解してもらうことが,今後の交流を進めていく上で大切だと思う。相互に違いを認識しそれをわきまえていれば,感情的に反応することが避けられ,不用意な葛藤を未然に防ぐことが期待されるだろう。

はじめに

 日韓国交回復(1965年)以後,ソウル・オリンピック開催(1988年)を前後として韓国に対する関心が高まった時期があった。当時は日本に対する反日感情がないわけではなかったが,現在とは違って比較的良好な関係にあった。その後,2000年代初めの「冬ソナ」をきっかけとして韓流ブームが起き,韓国に対する親近感が国民レベルで急速に広まっていった。ところが,最近,韓国では竹島問題・靖国神社・慰安婦問題等を取り上げ,反日運動が活発になっているし,日本でも反韓の動きが出てきて,日韓関係は以前より冷え込んでいる。
 このような状況になると,互いの共通点を見つめることよりも,むしろ日韓の文化的な違い,相違点に目を向けそれを認識することの方が重要だと思う。日韓両国人とも,顔かたちや文化的様相は一見すると非常に似ているように見えるので,思考やその過程がつい同じであるかのように錯覚してしまう。
 そこで,生活文化の違い,考えの違いを認識すれば,それによって生じる言動もおのずから理解できるだろうし,このことが付き合いや交流をする上で重要なポイントとなる。
 例えば,日本人はにこにこして(人に)やさしい笑顔で接するが,何を考えているのか分からない,仮面を被っているように見えるといぶかる韓国人は少なくない。そして「日本人はなぜはっきり言わないのか」ともどかしさを感じている。今の安倍首相のように,日本人のイメージとは対照的に,具体的に強く主張し,てきぱきと対応・措置を取ると,まるで鬼のような恐ろしい人間のように思えるようだ。しかし,日本人の立場からすると,それにもちゃんとした理由があるわけだ。
 ここ十数年の間に中国が著しい経済成長を遂げ,日本を追い抜き世界第二の経済大国になったために,韓国はこれまでの反日思想も加わり,また経済的利益も少ない日本には重点を置かず,一気に中国になびいていった。その結果,経済的に落ち込んでいる日本に対し過去の「恨」が一気に噴出した。「恨」が爆発すると,言わなくてもいいことまで取り挙げて主張し始める。これからもいろいろな問題が次々と起こる可能性は十分にある。戦時中の日本企業の賠償責任を韓国の裁判所が認めたことが新聞等で報じられたが,これなどは氷山の一角に過ぎない。
ここでは,文化面から見た日韓の主な相違点をいくつか挙げて具体的に説明してみたい。

他人に気配りする日本人と身内に気配りする韓国人
 日本人は他人に重点を置いて生活するが,韓国人は身内に重点を置いて生活する。もちろん,一人一人を見れば,そうでない場合もあるだろうが,全体的な傾向を見るとそのように言えると思う。
 日本では,親が子どもに「人に見られるよ」「人に笑われるよ」などと注意をうながしてしつけをするように,他人の目をいつも気にしている。身内よりも他人に目を向けて生活している。
ところが,韓国の場合は未知の他人はどうでもいい。大事なのは,血筋を同じくする身内,親族をはじめ,特に親しい人たちとの結びつきも大切にする。それ以外の人間は,総て他人であって,彼らに対する対応・待遇は冷ややかである。韓国語では,本来血族関係にある人たちを「ウリ」といい,そうでない関係の人たち(他人)を「ナム」という。
 韓国人は日常生活で「ウリ」という言葉をしょっちゅう使う。このウリは「わたし・わたしたち」の意であるとはいうものの,上記のような言外の意味を含んでいる。韓国人自身もウリの本当の意味を理解している人は意外に少ないように思われる。
 狭義の「ウリ」は,血筋の通った人たちの間で使われるもので,例えば,金氏ならば何百年遡っても,同系の人たちはみな金氏のウリ族なのである。それを文字に記したものが「族譜(チョッポ)」という家系図である。
 親族に対する呼称をみると,ウリ・アボジ(私[たち]のお父さん),ウリ・オンマ(私[たち]のお母さん),ウリ・ハルモニ(私[たち]のおばあさん)などと言う。さらに血のつながりがなくても,普段親しく付き合い,飲食したりするような関係にある人(身内に準ずる関係)もウリの範疇に含まれる。親しい友だちならばウリを用いて「ウリ・チング」という。これに近い日本語は,「うちのお父さん」などというときの「うち」の用法に似ているが,日本語ではどんなに親しい友だちであっても「うちの友だち」とは言わない。
 「ウリ」の用法をより拡大すれば,韓国は血のつながった人たちで構成された国であるというので,自国を「ウリ・ナラ」という。韓国ではいくつかの異なった系統のウリが集まって国家を形成しているので,「ウリ国家」(ウリ・ナラ)というのだ。このウリという言葉には,同族間の団結の意がある。このような韓国は「ウリ族」の集まりなのである。
 また,モノの名前にもウリがつく。例えば,「ウリ米」「ウリ薬局」「ウリ銀行」などである。韓国人に「これらの“ウリ”とはどういう意味か」と聞いても,明確な答は返ってこない。「固有名詞として考えてください」という返答もある。ウリには「みんなのもの」という意味が含まれている。韓国人とは,同族間・親しい仲間同士で互いに情報を交換し合い,「結束」を固くする民族で,このような人たちの食べ物・銀行・薬局という意を含ませているのだろう。


2.横社会の日本と縦社会の韓国

(1)「長幼の序」に基づく人間関係
 韓国は,朝鮮王朝以来の儒教社会の特徴が現代においても色濃く現れている。年齢・性別・階級など各階層において上下関係が,今なお存在している。
 朝鮮王朝時代には,両班の人たちは官吏登用のための資格試験「科挙」を受ける資格があり合格すると,彼らが国を治める高級官僚層(士大夫)を形成した。その下に,中人,常人,賤民などの階層があり,その区分は厳然としていた。そして儒教には元来「長幼の序」という考え方があって,年長者は威厳と威力を持ち,彼らに従い,彼らを敬う習慣があった。このように韓国を支える人間社会は,儒教によって縦社会(上下社会)を重視するようになった。
 しかし,横の関係はきわめて希薄だ。例えば,韓国における横の関係としては,「契」(ケー)がある。釣り仲間やゴルフ仲間の集まりのようなものである。これは縦の関係ではなく,趣味仲間の集まりである。この集まりは年齢や階級には無関係なので参加してもしなくても構わない。拘束力のない自由な関係を基本とする集まりである。高層アパートの同じエレベータを利用する人同士で「契」を作る場合もある。
 儒教社会では,上下(縦)の関係が基本となるので,身分や地位に「差」が生じるのは必然的なことである。韓国社会では儒教によって「階級」制,「身分」制に重点を置いたため,社会的に地位の高い者は,それを誇張し,自慢するようになった。
 他国との関係においても同様である。韓国の人が日本に対して,「あなた方(日本人)は,韓国人の弟のようなものでしょう」という言葉をよく耳にする。なぜそういうのか。歴史的に仏教をはじめ多くの文物を日本に伝えたのは韓国だから,それをもって「兄弟」だと見ている。このような見方はまさに,序列関係の思考パターンなのだ。序列(上下)をはっきりさせることによって,「俺(兄)の言うことを聞け」という考えが無意識のうちにはたらくのである。これは韓国人同士においても鮮明に現れる。
 年齢差は,1歳でも上ならば優位に立ち,その差は歴然としている。韓国人同士のケンカの場面で,最後に「お前は(俺より)年下だろう!」と言って終わることがしばしば見受けられる。
 また,韓国では年齢差・身分差による敬意表現,これらの「差」は韓国における敬語を著しく発達させることになった。同じ敬語と言っても日本の敬語とはだいぶ違う。韓国語では,年上の人であれば両親でも兄弟でも尊敬語を使う。だが,これに比べてへりくだった表現,つまり謙遜語は少ない。もともと自尊心の強い韓国人に,自分自身を卑下させる謙遜語は不適切だったのだろう。韓国人は,喧嘩になっても互いに主張し合い,譲り合うことはない。負けて自分が下の立場になること,自尊心が傷つくことを極端に嫌うからだ。


(2)厳しい学歴社会
 韓国は他国に類のないほど学歴偏重社会である。その淵源は,両班制度にある。両班社会では勉強しないと高い地位につけないという通念が形成され,それが現代社会にまで及んでいる。子どもをできるだけ優秀な小・中・高・大(特に一流大学)に進学させようと親は異常なほどに熱心である。
 私がある韓国人の知人に,「息子さんは大手の会社に就職して将来が楽しみですね」とほめたことがあった。すると知人は,「うちの子はソウル大学を出ていないんです。地方の国立大学出身なんです」という返事が返ってきた。つまり学歴至上主義の韓国では,学歴如何によって会社内の出世(地位)が決定してしまうのだ。日本でも学歴重視の風潮はあるが,韓国ほど極端ではない。日本では出身大学がどこかよりも,現在の仕事の業績や人物評価によって地位を決めるのが普通である。
 出身大学がソウル大学と地方大学となると,業績の内容はさておきソウル大学の学者の成果を高く評価する傾向が見られるという。最近では,米国の有名大学に留学して博士号を取ると,経歴に箔がつくので,多くの学生が留学を希望する。

(3)女性に対する冷たい態度
 韓国社会には,さまざまな「ウリ族」の会(集まり)があるが,私も一度友人に招かれてその会に出席したことがあった。「私は日本人で他人(ナム)だから遠慮したい」と断ったら,「日本にはない韓国社会独特の寄り合いで,参考になるから出てみたら?」と言われて参加した。今では宴会場を利用することが多いが,以前はほとんどウリ族メンバーの家で,持ち回りで集会を開いた。ウリの結束は非常に固いので,遠方からでも万障繰り合わせてやってくる。その結び付きは強いもので,カネがなくて来られないという人には,ウリ仲間がお金を出し合って助け合う。相互扶助的なはたらきを兼ねた会でもある。
 ウリ族の会合では,男女別々の座席に座って飲食を始める。会合は順番制になっている。家庭で行なうときには,その家の主婦が料理を準備する。男たちは飲食が出て来るまで飲酒しながら世間話に花を咲かせる。「男女一緒の席が楽しくていいじゃないですか?」と言ってみたが,「昔からそうだからダメだ」というのだ。
 男女が席を同じくしないのは,儒教の教えからきている。現代的な道徳観念からすると,男女差別に近いものだ。
 女性が自転車に乗っている姿を見かけることはほとんどない。これは女性の行動範囲が広くなり,女性の顔が広くなることを恐れたからである。これまた儒教的な発想である。また,会社の社長や大学教授など社会的地位が高いとされる人も同様で,自転車には決して乗って通勤するようなことはない。いくら自宅から職場が近くても,歩いたり自転車で行くものではないと思っているし,世間の人たちもそう思っている。大学教授が自転車で大学に行くと「何で先生が自転車に乗って来るのですか?」と学生に言われる。つまり,地位が高い人は車に乗り,自転車に乗るのはおかしいという観念が広く行き渡っている。すべて平等という観念はなく,地位の高い人はそれらしく,地位の低い人はそれらしい行動をするのが当たり前と考えている。
 そういう観念からの出た韓国人の行動を見たときに,多くの日本人は理解に苦しむ。韓国人も日本人の文化の違いによって,行動や習慣を理解できない面が少なくない。それどころか,文化の違いを嘲笑したり,さげすむこともある。

3.婉曲表現と情の表現法

 日本人はものごとを表現するときに,はっきり言わない。要求を断る場合でも,明言を避けるので,相手は断られたのか,そうでないのか分からない。でも日本人であれば,その場の言葉づかいや態度や雰囲気でイエスかノーかを判断することができる。韓国人からすると,その言葉からはイエスかノーか分からず,何を言いたいのかも分からない。
 その背景には,日本と韓国の地政学的な立場の違いが大きく左右していると思われる。つまり島国と,大陸につらなる半島国の違いである。島国は四面を海に囲まれているので,島から容易に出ることができなかったために,鳥籠の中にいるが如く生活せざるを得なかった。しかも日本はもともと農業国であり,住み着いた土地を離れることはほとんどなかった。そして村落共同体で生活しているので,相互扶助と「和」の精神を必要とする。そのような環境の中で一旦ケンカでもすれば,お互いに久しく肩身の狭い思いをしながら生きていかなければならない。そこで心の中では不愉快に思っていてもできるだけ言葉には表さず,柔らかい婉曲な表現で角が立たないようにしようという意識が働く。一方,広い大陸にあっては,広範囲の移動が可能であるから,どんな外敵が現れるか分からないし,見知らぬ人の出入りも激しい。そこで,明言を避けるようなことはせず,はっきりと自己主張することが必要になる。
 文化の違いの良し悪しとは関係なく,基本的には互いの違いを知ってそれを理解し合うことだ。日本人同士なら曖昧な表現でも事の成り行きで理解し合える。韓国人も日本人も文化の違いからくる言葉と心の動き(心性)を理解して,対応することが必要であろう。
 食生活・習慣に関する違いもある。日本では茶碗を持たずにご飯を食べると「犬猫の食べ方」だと嫌われ,茶碗を持って食べるのが礼儀とされる。ところが,韓国はその逆だ。韓国には,酒やタバコを飲む場合も,目上の人や親の顔を避けて飲む習慣がある。このような身近なことも含めて,生活習慣の違いを知っておくことが,円滑な人間関係を築く基礎になると思う。
 韓国人にとって,“情”はウリ族間あるいは親しい友人・知人の間だけで交わされるもので,ナムに対してはない。むしろ“非情”である。ウリ族の中でも親子の情は,並々でない深いものがある。大人になっても母親の膝枕で寝る男性をよく見かける。母親は母親で,子どもが成人になってもかわいいので顔をさすったりする。このような親子のねちねちした情関係は,日本人からするとなかなか理解しがたいものだ。
 韓国の儒教倫理の中で,最も重要視されているのは「孝」で,思いやりの心である。これに対して,日本は「忠」を重んじた。韓国人は,親の病状が重篤になれば,いくら重要な会議に臨んでいても,いくら重要な任務にあっても,また自分がその主催者であっても,その場を離れ親元に飛んでいく。そのような行動をとることが情があると称賛される。「忠」を重んじてきた日本ではそういうわけにはいかない。


4.ハングル教育の危険

 最近の日韓関係を見ると,韓国人の意識として「日本が好きでない」が90%,「経済的交流は継続すべき」が45%だが,日本では「経済的交流を継続すべき」が80%を占めるという。日本人の方が割合に冷静に見ているように思える。韓国にとって日本は「ナム」の関係にあるので,おおむね「ウリ」にまとまっている韓国は,日本に対して冷徹な態度を示すことになる。そして不都合なことが生じれば,これまでの歴史や文化的つながりを忘れて簡単にその関係を断つ可能性を秘めている。
 ところで,韓国人が自国の歴史を勉強しようとするときに,その史料のほとんどが漢文で書かれているのに,現代韓国人は漢字(漢文)をほとんど読めないし,理解できない。専ら専門家の解説に頼らざるを得なくなっている。大学の先生や研究者でも漢字の分からない人が少なくない。専門家が漢文で書かれた歴史をハングルに翻訳していくわけだが,漢字の分かる僅かな専門家の解釈によって,多くの人が歴史や文化を学ぶことになるので,歴史学や歴史解釈に偏りがあった場合,間違った理解や解釈が生じることになり多くの危険性をはらんでいる。一つの偏った歴史観で日本を見る傾向がますます強くなる。韓国人の日本に対する歴史問題への反応が,ほとんど同じ主張を繰り返している背景には,そのようなことがうかがえる。
(2013年7月18日)
(『世界平和研究』No.199,2013年11月1日号より)