アジア太平洋経済圏の形成と日本

蛯名保彦(新潟経営大学前学長)

<梗概>

 TPP 論議が活発化し重要な政治課題になっている昨今だが,その前提には急速に進む東アジア地域の経済統合の動きがある。この地域の経済統合のプロセスを見ると,地域統合の先端とされるEU とは違い,今なお冷戦体制が残存する中で局地的経済圏を中心に発展してきた特徴が見られる。それをビジネス経済圏の視点から分析しながら,アジア太平洋経済圏形成に向かう日本の課題を指摘する。

1.はじめに

  東アジアの地域統合を考えるときに,まずは現状がどう変化しているかを押さえておく必要がある。現局面での日本の国際的な「立ち位置」の変化で最も重要なものは,「アジアと日本」から「アジアの中の日本」へと日本のポジションが大きくシフトしていることである。その背景には,グローバリゼーションの進展に伴う世界の経済圏の再編という根本的変化がある。すなわち,経済成長力の源泉を含めたアジア太平洋への歴史的なパワーシフトであり,それに伴うアジア太平洋地域の再編成という動きである。
 本来ならば,「国際公共財」でもあるWTO によって担われなければならないはずの世界経済秩序が,いかに往時の面影を失っているとはいえ,米国という「スーパー・パワー」のイニシアチブによって依然として築かれようとしている。
 そして推進国が米国をはじめとするアジア太平洋地域諸国からなるという点で,よしんばその成功が不完全なものにとどまったとしても,世界経済の地政学的な変動につながりかねないということである。
 その根底にはグローバリゼーションの大波がある。グローバリゼーションは,単に市場化という経済上の変化だけではなく,社会的変化を伴うものである。社会的変化の中でも,とくに「分権」「分散」を伴った「ローカリゼーション」は,情報技術の飛躍的な革新と発展に支えられて,新しい公共政策の出現にもつながっている。
 このように,アジア太平洋地域協力問題は,「グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」の「せめぎあい」の真っ只中に置かれている。その意味で日本も重要な役割を担っており,その帰趨は文字通り日本の国益にも関わっていると言っても過言ではない。

2.アジア太平洋経済圏

 現在,世界の経済圏が大きく変動しており世界の経済圏再編が盛んに主唱されているが,東アジア地域を含むアジア太平洋地域に大きな関心が注がれることは,一昔前までは想像もできなかった。そして世界経済の変化の特徴の一つとして,先進国が先進国として世界に君臨するような時代は終わり,後発新興諸国が世界経済を牽引していることである。そしてそれら諸国間で主導権争いとも言える葛藤が生じている。この中で中国の台頭が大きな世界的イシューとなっている。
 現在進行中のアジア太平洋地域協力への戦略的アプローチの主なものとして,対アセアン・アプローチ,対RCEP アプローチ,対TPP アプローチの三つがある。
 * RCEP:アセアン10 カ国に,中国・日本・韓国・インド・オーストラリア・ニュージーランドの6 カ国を加えた東アジア地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnerships)を指す。
 その一つであるTPP が,(2015 年統合予定の)アセアンに続き,ようやく形成の可能性を強めてきたということは,注目に値する。TPP は,東アジアだけでは不十分だからアジア太平洋圏というさらに大きな範囲で経済圏を作ろうという構想だ。経済力からいうと,東アジア経済圏を超えるような力をもつ経済圏で,それを主導しているのが米国である。

3.アジア経済圏形成の特徴

 ここでアジア太平洋地域の中核をなすアジア経済圏についてより詳しく見てみる。

(1)局地的経済圏
 アジアにおける経済圏の形成は二つの特徴を有する。一つは,「局地的経済圏」(一種の経済特区構想)を出発にしていること,そして局地的経済圏融合の結果,ボーダーレスな経済圏が誕生したということである。
 この概念の出発は,シンガポールのリー・クアンユー初代首相(Lee Kuan-yew,李光耀,1923- )の考え方を鄧小平が取り入れたものだった。1980 年代に経済改革を進めようとしていた鄧小平は,あるときリー・クアンユーに会い彼から次のようなことを言われたという。すなわち,「大きな中国全体を均等に発展させるのは困難だ。シンガポールの成功に学び,局地的な経済圏を作って進めるのがよい」と。この点を指摘する人は少ないが,鄧小平の経済理論の出発点は「シンガポール・モデル」だった。鄧小平も最初はその考え方がよく理解できなかったようだ。下手をすれば中国全体を混乱に陥れかねないからだ。しかしこの考えは可能性があると,政治家の直感として理解し取り掛かり始めた。そこで「経済特区」を設けて実験をして,中国の将来の経済発展モデルを立てようとした。鄧小平の経済発展理論の根幹には,リー・クアンユーの理論がビルドインされていることは否定できないと思う。
 局地的経済圏を中国に導入した最初の地域は深圳だった。特区が設定される前の深圳は,人口2 ~ 3 万人の一寒村に過ぎなかった。そこに目を付けたのが,リー・クアンユーなのか鄧小平なのかは定かではないが,いずれにしても彼らは同じ中国人だから発想は似ており,現実には鄧小平がリードして深圳の特区構想を進めた。
 その後の展開はどうだったか。シンガポールは中国のコンサルタントのような形で経済発展をし,深圳は「香港化」していった。鄧小平は香港をモデルとして深圳を国際都市にしていこうとした。
 さらに広東省は歴史的に見ても優れた官僚機構を持っていたので,深圳は一寒村から一気に広東省に結びついた。当時,広東省は中国南部の開発の拠点区域になっていたから,中国全体の開発をリードする力を持ち始めていた。そうしたプロセスを経て,局地的経済圏が成功したのだった。
 当時,深圳や広東省を訪ねたとき,「経済特区構想の種はリー・クアンユーにあったのではないか」といろいろな人に尋ねてみたが明確な返事を得ることはできなかった。ただ「偉大な鄧小平のリーダーシップのおかげだ。シンガポールの模倣だとは言わないでくれ」と言っていた。
 その後,中国・復旦大学の研究者とこの問題についてフォローアップしてみたが,鄧小平の構想どおりに進み最終的には広東省がリーダーシップを取ったことがわかった。かくしてこの経済特区構想が中国の経済発展の出発点になった。

 (2)ビジネス・ネットワークの多重層的発展
 もう一つは,ビジネス・ネットワークの多重層的な発展を特質として有していることだ。ビジネス・ネットワークとは,冷戦下のビジネス・ネットワークであり,アジア特有のものである。アジアにおいては,冷戦の間隙を縫って相互依存関係を維持発展させることが求められたために,特異な国際分業のネットワークが張られてきた。その特異性を最初に指摘したのが,米カリフォルニア大学のR.A.スカラピーノ教授(Robert A. Scalapino,1919-2011 年)である。
 スカラピーノ教授は,次のような趣旨のことを述べた。
 ―冷戦下での最大の犠牲者はアジアだ。今なお冷戦構造が残っている。ところが,よくみると,これらの諸国の間では世界でも最も忠実に国際分業をやっている。なぜそれが可能だったのか。それは地域対地域(ローカル対ローカル)の貿易を中心として相互依存関係が密になり,国家間貿易を上回る規模(量)と質で貿易が進行していったからだ。その結果,中央政府が取り扱う貿易よりも地域間貿易の方がウェイトが高いという経済構造が冷戦体制下で進展したのである。
 例えば,中ソ国境貿易は最初,中国の東北3 省(黒龍江省,吉林省,遼寧省)とハバロフスク,ウラジオストック,沿海地方などの間で貿易が進められた。北朝鮮に対する経済支援は,体制が違うのに韓国から行われた。
 またアセアンは,もともと反共軍事同盟である東南アジア条約機構(SEATO)からスタートした組織で,ベトナム戦争中の1967 年,(共産国・北ベトナムに始まる)東南アジア諸国の赤化を恐れた米国が支援してできた。つまり対ベトナム戦略の一環から生まれたのだった。しかしその後ベトナムは,「軍事同盟は断るが,加盟させて欲しい」と申し出てきた。それに対してアセアンはベトナムの加盟を認めた(1995 年)。これによってアセアンは,東南アジアの「地域共同体」へと変質していく。
 このようにアジアにおいては,「冷戦を利用して」経済が発展した。冷戦を理由に国際分業が進まなかったというのは事実に反する。その根幹には「地域間交易」があった。地域主導の実績によって今日の発展するアジアがあると思う。

4.東アジア経済圏の重層構造

 冷戦構造を長く引きずってきた北東アジア諸国,更にアジア諸国は,地域レベルないしは地方レベルからお互いの協力を積み上げていく以外に協力の成果を挙げる方途がなかった。それが地方経済圏の発想であった。ゆえに東アジアにおける経済圏とは,地方経済圏の融合・発展の結果もたらされたものに他ならないのである。

(1)内発的発展性(地政学的重層性)
 東アジアの場合,地政学的重層性が最も重要で,それぞれの地域における「内発的発展性」と密接な関係を有している。ここには「内延的重層性」が存在している。それを図解すると図2 のようになる。
*ドン経済圏=北緯23 度新経済帯
 アジア新興地域連合によって,中国とベトナムを中心として,更にミャンマーなど新興東南アジア諸国やインドをも巻き込んで一大経済圏に発展させようという構想である。こうした構想が動き出すということは,東アジア経済圏が東南アジアを通じてインドをも含む経済圏,「汎アジア経済圏」へと発展していく可能性を有するということを意味する。また「蓬莱経済圏」がこの「北緯23 度経済圏」と結びつくならば,それはアジア太平洋規模のメガ経済圏連合が誕生する,ということを意味する。

(2)同心円的重層性
 二つ目に東アジアが「カイト・フライイング・モデル」(Kite Flying Model=凧揚げ)における重心の役割を果たしているという点である。すなわち,東アジア経済圏を中心軸とする「同心円的重層性」の存在である。それは外延的な発展性であり,アジア太平洋における経済発展にかかわっている。(図4)

(3)ビジネス経済圏
 三つ目に指摘すべきは,地方経済圏を中心にその融合によって発展してきた東アジア経済圏の動因として,ビジネス経済圏がある。ビジネス経済圏とは,点と点を結ぶビジネス・ネットワークが,新たに面へと発展した結果生じた経済圏のことである。このことによって,国際分業の構造の変容と,導管(コンデュイット)の発展による経済圏の基盤形成がもたらされた。
 国際分業構造の変化は,企業の付加価値構造の変化に対応する。まず,付加価値を生み出す上での重要性が,従来のビジネス・プロセスの「製品」部門から,新たに「部品・素材」および「販売」部門にシフトしていることである。さらにこれまでの付加価値軸(価格・生産性・技術)に加えて,新たな付加価値軸として非価格競争力(品質・安全性など)および非商品性(感性・知性・文化性・社会性など)が登場してくる。
 こうした構造変化に伴い,企業経営のボーダレス化・グローバル化は,製造部門(低付加価値部門)から始まり,次に部品・部材部門(高付加価値部門=高機能部材部門),さらに販売部門へと波及していく。
 このような変化を遂げた現在の国際分業は,単なる比較生産費論ではなく,マトリックスによって複合的に見ていく必要がある。サプライチェーン・ネットワーク(供給連鎖管理)を背景に,知識集約工程の重要性が増しており,国際分業の中で高機能部材の重要性が高まっている。その結果,高機能部品・部材またはそれを専門的に扱うネットワーカー専門職,更には起業家育成などの必要性が一層増しているのである。
 このようなビジネス・ネットワークをより明確化するために,「導管(コンデュイット= conduit)論」概念を導入して説明する。
 そもそも「コンデュイット」とは何か。それはビジネス・ネットワークを「導管」に喩えたものだ。ビジネス・ネットワークの流れを上流から下流にかけて整理してみると,次の6 つのコンセプトからなる導管によって支えられていることが分かる。

Ⅰ:エネルギー・資源・食糧コンデュイット
Ⅱ:財のコンデュイット(輸送・運輸インフラを含む流通,国際物流および国内物流を伴った財の流れ)
Ⅲ:マンパワー・コンデュイット(労働・技術・ノウハウ・知識を含むヒトおよびその能力の流れ)
Ⅳ:環境コンデュイット(グリーン調達,リサイクルなど環境保全に関わる流れ)
Ⅴ:インフォメーション・コンデュイット(サービス・ソフトウェアを含む情報の流れ)
Ⅵ:マネー・コンデュイット(資本・資金・外国為替を含むカネの流れ)

 「束」のくくり方によって,ビジネス・ネットワークは,大別すればグローバル・ネットワーク,ナショナル・ネットワーク,ローカル・ネットワークの三つに区分される。しかしこの段階では,あくまでも点と点を結ぶ「線」に過ぎない。ところがその「線」をさらにオーバーラップさせていくと(重層化),線は面に否応なく変質する。われわれはそれを「ビジネス経済圏」と呼んでいる。その結果,それぞれのレベルでの「ビジネス経済圏」が構成されることになる。つまり「ビジネス・ネットワーク」は,あくまでも線の段階にとどまっているが,コンデュイットを通じて,それは面へと発展していく。
 このようにして「ビジネス・ネットワーク」は「ビジネス経済圏」へと不可避的に発展していくのである。こうした多重層的な特質を有する「アジア経済圏」上で,包括的な「アジア太平洋経済圏」が誕生しつつあると,認識しておくべであろう。
 現在,東アジアにおいて熾烈な競争を繰り広げている高度部品・素材市場獲得をめぐる競争(高機能部材市場獲得をめぐる競争)を単に,サプライチェーンをめぐる競争としてではなく,むしろグローバルなネットワーク間競争,つまりグローバル・ネットワークの奪い合いだとみなすのは,以上の文脈においてである。サプライチェーンを単なる物流ネットワークの一つに過ぎないと捉えていると,問題の本質を見誤るのである。こうしたグローバル・ネットワーク間競争下の産業・地域構造再編成問題を避けては通ることができない。
 地方経済圏の融合・発展とアジア経済圏形成問題は,非常に興味深いシナリオを示唆している。その一つが,沖縄・台湾を中心とする「蓬莱経済圏」,とくに台湾の興味ある二面性である。台湾は,一面では地方の限界を超えたFTA 対象国として扱われながら,多面では沖縄という地域の経済自立性において重要な役割を潜在的に有している。
 蓬莱経済圏は,北東アジアの「財のコンデュイット」としてすでに重要な役割を担っているが,そうした役割はアジア全体に広がり,かつ多層化する可能性を伏在させている。蓬莱経済圏は,一方で環黄海経済圏,環日本海・東海経済圏,さらには北方経済圏にもコンデュイットを通じて連動しており,他方では海峡経済圏,華南経済圏,さらにはバーツ・ドン経済圏にも繋がっている。したがって,こうした蓬莱経済圏の二重性は,北東アジアの経済圏だけではなく東アジア経済圏,さらには汎アジア経済圏というように,ほぼアジア全域にわたって,次世代経済圏について重要な実証実験の場を提供してくれている。

最後に

 近年の東アジア諸国の歴史問題をめぐる葛藤は,経済統合においても日本にとっては特別の意味がある。「北東アジア経済圏」を戦略として日本が位置づけた場合,国家戦略という言葉に一定の留保が必要だろう。それは「北東アジア経済圏」は,歴史的なアナロジーをたどると「大東亜共栄圏」と重なり合うところがあるからだ。
 アジアにおいては経済に加えて,人種・伝統・文化,つまり社会という面では,今日の日本が地域統合に果たす役割はそれなりに重視されてはいるが,ひとたび「歴史」認識領域に足を踏み入れると,一転して日本が今なお「負」の烙印から免れてはいない,ということを思い知らされるのである。とくに北東アジアの多くの人々にはそのように受け取られている現実を忘れてはならない。
 日本がアジア,とくに北東アジア,における地域統合に対して積極的な役割を果たす上で,こうした「負」の問題に対してどのように取り組み,かつ解決していくのか,ということが古くて,かつ新しい課題として登場してくる。
 日本にとって求められる問題解決のカギは「ソフト・パワー」路線,つまり比喩的に言えば「柔軟な国家」と「賢明な政策」の組み合わせにあると考えるべきだろう。そこで基本的姿勢としては,アジア太平洋経済圏ならびに東アジア経済圏の発展の要であるアセアン諸国からの要請があれば関わっていく,でしゃばらずに控えめな態度で取り組む方が,むしろ日本の潜在的な強みを発揮できるのではないだろうか。
(2014 年4 月15 日)

■えびな・やすひこ
大阪府出身。1963 年早稲田大学大学院経営学研究科修士課程修了。その後、平和経済計画会議専務理事等を経て,新潟経営大学教授。同大学経営情報学部長,新潟経営大学長を歴任。経済学博士。専攻は,国際経済,アジア経済。主な著書に,『環日本海経済圏と環境共生』『アジアの経済と社会―「ソーシャル・アジア」を求めて』『地域経済の空洞化と東アジア-アジアとの共生のために』『環日本海地域の経済と社会―持続的発展をめざして』『環日本海経済圏―冷戦時代の東北アジア協力をめざして』『東北アジア地域協力と日本―冷戦終焉と経済発展をめざして』『内需拡大をどのようにして実現するのか』『日中韓「自由貿易協定」構想』『日本経済の潜在成長力と「東アジア経済圏」の形成』他多数。