アジア・ピボット(回帰)は「張子の虎」か

海外特派員報告

 建国以来,これまでの米大統領は大西洋を挟むヨーロッパを中心に世界を見据えてきたが,21世紀に入り,オバマ米大統領は就任後,初の「太平洋大統領」を宣言,太平洋を挟むアジアを見据えた大統領としての姿勢を明らかにしてきた。
 アジア太平洋地域は経済的にも政治的にも明らかに比重が増しており,今後ますます米国の中心的な活動舞台になる。世界中で米国の増大する権益の中心はアジアにあるという発想である。そのために米国は,日本を中心とした同盟国との関係を一層強化することが当然のこととされてきた。
 オバマ大統領は任期の終盤に入った。15年1月からは新議会が始まった。米国のアジア・シフトは,隣国中国の蛮行に手を焼く日本はもとよりアジアの米同盟国にとって,この上ない潮流として好感を持って迎え入れられているが,実際は十分には進んでいない。残された向こう2年間,アジア・シフトがより実質的な形となって現れることを強く望みたい。
 中国の台頭は,世界史における現代の世界情勢で最も重要といっても過言ではない現象であり,とりわけ軍事面において中国は海軍力を増強し,西太平洋地域における米国の主要な潜在的脅威になりつつある。このため,従来からのアジア太平洋地域への取り組み,関与をさらに一層強化する必要に迫られている。
 オバマ大統領は,就任後初の来日となった6年前の2009年11月に東京で行った演説で, アメリカが「太平洋国家」としてアジア太平洋地域に対して,強いコミットメントを維持していくことを強調した。
 第1期政権においてオバマ大統領は,米国がイラク,アフガニスタンへの軍事介入を終結させ,アジア太平洋地域に軸足を移すという大きな方向性を打ち出した。国防予算の削減の中で,米国はアジア太平洋地域における米軍のプレゼンスは維持し,展開部隊の規模は縮小しても,ハイテク化などにより能力強化を図る考えが打ち出された。
 2014年に入り,同地域への関与の片鱗がどれほど示されてきたと言えるであろうか。 2014年の一般教書演説では,対イラン,イラク政策など中東問題への関心を示したものの,アジア太平洋地域への重視はさらりと述べただけであった。日本への言及の有無はさておき,台頭する中国への対応はなかった。教書では「今年は行動の年」にしたいと述べていたにもかかわらず,オバマ・ホワイトハウス・サイドの掛け声倒れに終わった1年であった言っても過言ではない。
 オバマ大統領は同演説で,スローガンとして掲げてきたアジア太平洋重視の方針を確認したが,具体的な内容については言及しなかった。アジア・ピボット(回帰)政策の大きな誘因の一つは,台頭する中国を意識してのことだった。にもかかわらず,同政策への不明確さ,政策の具体性が欠如していた。アジア太平洋を重視するというリバランス(軍事力の再編)が具体的に何を意味するのか,米国がアジアでどんな役割を果たす考えなのかを明確に示さなかった。
 一方米国務省,国防省サイドからは,中国による東シナ海での防空識別圏(ADIZ)設定は挑発的行動であり,米国はADIZ設定を認めない,尖閣諸島は日本の施政権下にある,南沙群島に対する中国の主張は国際法違反であるなど明快な発言が続いた。敢えて言えば,オバマ・ホワイトハウス・サイドとの考え,思惑とは違った発言でもあった。
 米国防総省は昨年3月,安全保障戦略の指針となる「4年ごとの国防計画見直し」(QDR)を発表した。QDRはアジア太平洋地域に戦略の重心を移す「リバランス」の継続を表明,同地域の平和と安定が米国の「中心的な国益になりつつある」として,軍事的バランスを強化する方針を示した。中国の海洋進出を念頭に置いたからに他ならない。
 オバマ米政権で2回目となるQDRは,今後20年を視野に米国防戦略,米軍兵力や装備の構成をどうしていくかなどについてまとめた文書であり,併せて国防予算の削減,軍の規模を抑制せざるを得ない中,軍事力行使の必要性に慎重さを示しつつも,台頭する中国の海洋進出を念頭に置いて,今後もアジア太平洋地域を重視していく方針を掲げた文書となった。
 昨年6月には米国防総省は,中国の2013年の軍事力や軍事行動に関する年次報告書を発表した。同報告書は国防権限法に基づき,議会に毎年提出することが義務付けられている。報告書は,中国が軍事費を急速に拡大させており,それだけ近隣諸国への影響力が強まり,ひいては世界規模で米国に対峙するという認識が基調になっている。
 中国の軍事費については,かねてから強調されているように「透明性が欠けている」との批判を繰り返しているが,2013年の国防費は公表額1195億ドルより2割増の1450億ドル(約15兆円)を超えると推定している。報告書はとりわけ,中国人民解放軍が台湾海峡有事に加え東シナ海や南シナ海での潜在的有事に備え,軍備の近代化を進めていると指摘,東・南シナ海に対する軍事力と演習強化への脅威認識を示した。
 報告書は中国が「東シナ海と南シナ海に対して近年,一段と対決姿勢が鮮明になってきた」と指摘,中国の強硬姿勢を批判した。報告書は中国の軍事政策が台湾海峡有事に備える点は変わりなく,台湾に対し高度な軍事行動を起こす能力を一段と高めたとしながらも,「人民解放軍は東・南シナ海での潜在的有事への備えに重点を置きつつある」と分析している。東・南シナ海での有事対応という文言が初めて,加えられた。
 現に南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島で,中国は複数の浅瀬の埋め立てを加速化させている。イギリスの軍事専門の研究機関は昨年11月末,長さ3キロの人工島に,滑走路や港湾施設の整備を進めているという分析結果を明らかにした。中国としては南沙諸島で初めてとなる滑走路の建設である。中国は南シナ海のほぼ全域を領海と法律で定めている。
 経済力をつけ,国力の増大に自信を持って「中華民族の偉大なる復興」を目指す中国が,南シナ海の領有権問題で既成事実を積み重ねている姿勢に対し,フィリピンをはじめ東南アジアでは2000年代初頭にあった「将来は経済大国・中国とともに」といったユーフォリアが冷え込み,軍事大国・中国への警戒感が一層強まっている。米比新軍事協定締結がきっかけとなり,東南アジア諸国がこの種の協定になびく可能性を指摘することは重要である。
 他方東シナ海の沖縄県・尖閣諸島の約300キロ北西にある浙江省・南麂(なんき)列島では,中国軍による超高速インターネット通信網の敷設,最新鋭のレーダー設置,ヘリポートの離着陸場が確認されている。軍用機の滑走路建設計画も浮上しているという。
 今や中国は西太平洋で米国の軍事力に挑戦している。台湾や南シナ海,尖閣を含む東シナ海問題全てこのことと関連している。
 米議会の独立機関「米中経済・安全保障調査委員会」は昨年11月,アジア太平洋地域のパワーバランスが中国に傾きつつあることを指摘した。中国が挑発的な行為をとる傾向が強まり,それが尖閣諸島や南シナ海の島々をめぐって,日本,東南アジアの対立を深めると指摘している。
 米中経済・安全保障調査委員会は2000年に設置された超党派機関で,議会に対し政策上の勧告をすることを目的とする。同報告書は中国の核戦力について,今後3年から5年で大幅に拡大すると予測し,米国の抑止力の低下で,特に日本の安全保障に影響を与える可能性があるという見方を示している。また,中国が今年,超音速ミサイルの実験を初めて行うなど軍の近代化が急速に進み,アジア太平洋地域のパワーバランスが中国側に傾きつつあると,強い警戒感を示した。
 オバマ政権になり過去6年間,米国の世界への影響力と実効性が低下しているという全体的な印象は否めない。オバマ大統領は昨年12月19日,ホワイトハウスで年末最後の記者会見を行い,6年間の治世を総括し,「米国は今や世界をリードしている」と明言したが,アジア太平洋地域に軸足を移すという言葉の片鱗すらなかった。アジアに関しては中国と温室効果ガス削減で合意した事実,北朝鮮のサイバー攻撃への対策を考えるという点が触れられただけだった。
 オバマ政権になり過去6年間,米国の世界への影響力と実効性が低下しているという全体的な印象は否めない。AEI(アメリカン・エンタプライズ研究所)のマイケル・オースリン日本部長は,昨年2月3日付け「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙掲載の「死に向かうオバマのアジア・ピボット」で,オバマ大統領のアジア・ピボット政策は,レトリックに富むだけであり,張子の虎とみられるようになると,厳しい指摘をしている。向こう2年間,アジア・ピボット政策も米政権がホワイトハウス,議会が一体となって明確な対中外交の基本方針を示し,積極的に対応しない限り,ますます中国の横暴を許してしまうことになる。
(2015年1月1日)(『世界平和研究』2015年冬季号,No.204より)