新防衛態勢の課題―情報収集能力強化とマルチ同盟の意義

前川 清 (元防衛研究所副所長)西川吉光(東洋大学教授)

<梗概>

 安倍政権は,近年大きく変化している東アジア地域の国際環境に対応する防衛態勢を整えるために,2015年9月に安全保障関連法案を成立させたが,これで完成というわけではない。戦後の日本は,戦前への過剰反応や軍事アレルギーもあって軍事問題を正面から扱うことをタブー視する風潮が強く,それがいまだ人々の潜在意識を支配している。真の平和国家を築いていくために,今後取り組むべき安全保障上の課題は何か。防衛力整備の在り方や自衛隊の組織編成,自衛官の教育・訓練,インテリジェンス,さらには国際安全保障体制などを中心テーマに話し合った。

国際環境の変化と防衛態勢の整備

前川清

 今度の安全保障関連法案成立(2015年9月)を振り返ってみると,その議論の過程でも指摘されていたが,日本をめぐる東アジア地域の国際環境の変化がある。例えば,中国の膨張主義とそれに伴う南シナ海への積極的進出,北朝鮮の核の脅威などとともに,米国の相対的な国力の低下,関与政策の弱まりなどである。
 オバマ政権はアジアへの回帰,すなわちリバランス政策を打ち出しながらも,実際には中東問題に足をとられ,なかなかアジア情勢に対応できない現実がある。また中東情勢には,ロシアの積極関与,イラン問題,IS(「イスラーム国」)の台頭など対処すべき課題が山積している。さらに南シナ海情勢の不安定化や,脅威の高まりなど,国際環境の変化に見合った安全保障態勢を整備することは日本にとって安保法制の整備を含め喫緊の課題である。
 ここで防衛環境と態勢整備の関係について,先の大戦の反省を踏まえてリスク・マネジメントの視点から見ておきたい。
 2015年8月に発表されたいわゆる「安倍談話」では,その前半において国際情勢の推移を述べながら,日本が大陸に深入りしていった原因などについて言及したが,この問題はこれとも関連する内容である。
 リスク・マネジメントの世界にはムリ・ムダ・ムラを戒めた「三ムの原則」というものがある。「ムリ」(無理)とは目標に比べて手段が不十分で小さすぎる場合に発生するメカニズムで,ムリが過ぎると,実行組織に独走や下剋上の動きをもたらし,それが正当化されやすい。軍や警察において,とくにそうである。それだけに安全保障政策においては,脅威に対応する適切な「目標」の設定と的確な安全保障関連法制を含む「手段」の整備が大切である。
 「ムダ」は逆に目標に比べて手段が大きすぎる場合,すなわち,手段に比べて任務・目標が小さすぎると無駄が発生する。また「ムラ」とは場当たり的で目標と手段の関係に一貫性がないところから生じるものである。
 戦前,軍が政治・外交に深く関与するようになった背景には,情勢の変化に対応する「リスク・マネジメントの原則」の的確な適用の不備・誤断があった。満洲事変では,当初数万の兵力(関東軍)で以って数十万の中国軍から「満洲の居留民(邦人)や利権の安全を保護せよ」との無理な任務が,現地関東軍の独走をもたらし,その独走や満洲進出の範囲をめぐる与野党の政権を争う政治的角逐が,政治の軍事に対する制御機能を低下させ,軍部の政治介入を招く大きな原因になったわけである。
 こうした歴史の反省を鑑みたときに,いまの日本を取り巻く東アジア地域の脅威が大きく変化する中で,それらの脅威に対応可能な防衛力・安全保障力を整備することは重要なことである。しかし,今回のソフト・パワーとして安全保障関連法案の整備とともに,ハード・パワーとしての軍事力の十分な強化が大切なことは言うまでもない。
 ついでながら,リスク・マネジメントとともに大切なものに,「5Pの原則」というのがある。まず哲学(Philosophy),ついで基本方針(Policy),それを具体化するプラン(Plan)とプログラム(Program),そしてプロジェクト(Project)の5Pで,何ごとも大事をなすには,この5つのPをそれぞれに明確化しておくことが大切である。
 ところで,安倍政権が「積極的平和主義」という理念を打ち出したのはよかった。「積極的平和主義」は英語で,普通Proactive Contribution to Peace (Based on the Principle of International Cooperation)といい,別にPositive Pacifismという表現もある。しかし,「国際貢献」という概念について言えば,「貢献」(Contribution)というのは,何か他人事のようなニュアンスがあるのでよくない。国際的関与(Participation)であるべきだ。

国力に比して少ない防衛駐在官

西川吉光

 第2次安倍政権の発足以来,ここ数年の間に,国家安全保障戦略の策定や国家安全保障会議の創設(2013年),特定秘密保護法の制定(2013年),防衛装備移転三原則の策定(2014年),ガイドラインの改定(2015年)等々わが国の安全保障政策に関わる重要な改革が意欲的に為されてきた。それらに加えて,今般の安全保障関連法制の整備によって,限定的ではあるが集団的自衛権の行使が可能になった。PKOや邦人救出などのミッションも,従来の制約が見直され,日本の安全保障態勢もかなり改善が図られ,他国並の水準に近づいてきたと思う。しかし,自衛隊の任務や行動領域の拡大に伴って,新たな装備品の整備など防衛力整備上の課題も生まれてくる。自衛隊員の訓練の容量も見直す必要があろう。
 さらに,インテリジェンス分野の取り組みについてはまだ十分とは言えず,安全保障体制の改革取り組みにおいて,未だ残された大きな課題といえる。わが国の安全保障体制の在り方についての米国有識者の提言として,「アーミテージ報告」がある。今ではすっかり有名になったが,この「アーミテージ報告」はこれまで2000年,2007年,2012年の3回にわたり発表されている。今回の安全保障関連法案も「アーミテージ報告」で指摘された改善すべき事項に対するいわば回答になっているとの指摘もある。
 「アーミテージ報告」の2000年版では,インテリジェンス,情報分野が取り上げられており,例えば情報保全については機密保護法を制定すべきであると謳われていた。これについては,特定秘密保護法が制定されたことで,提言が実現に至っている。このほか,2000年版ではインテリジェンス能力の改善,日米の情報に関する戦略的な防衛協力についても提言がなされていたが,これはいまだ実現には至っていない。「アーミテージ報告」の指摘を待つまでもなく,情報活動は国家のまさに「耳」となるもので,極めて重要な分野であり,安保政策に積極的に取り組んできた安倍政権に,是非その強化に向けて取り組みを進めてもらいたい。
 それに関して前川先生には,外務省への出向勤務やエジプトでの初代防衛駐在官勤務のご経験も含めて,現在の日本の情報活動に関して欠けている活動,機能について伺いたい。具体的には防衛駐在官(注1)の現状だ。アルジェリア人質事件(2013年1月)をきっかけに改善が図られたと聞いているが,防衛駐在官の抱える問題についても言及してもらえればと思う。

前川

 (日本人人質を含む)アルジェリア人質事件のときテレビ局の取材を受けた。日本は全般的に防衛駐在官が少ないこと,その能力向上の問題点などを指摘した。事件当時,アルジェリアに防衛駐在官は配置されていなかった(かつては,フランスの駐在官がアルジェリアを兼務していた)。そのアルジェリア事件を契機として,アフリカ地域への防衛駐在官の人員が大きく増えるとともに,他の地域についてもスクラップ・アンド・ビルド(派遣先の振り替え)によって防衛駐在官の配置数の変更などの措置が講じられた。

西川

 2015年8月の時点で,40大使館及び2代表部に59名の防衛駐在官が派遣されている。この数字を日本の国力や活動と対比したときにどう見るか。派遣されている人数も派遣国の数もはあまりに少ないと感じる。

前川

 アルジェリア人質事件を教訓として日本政府は防衛駐在官を漸次増やしてきたが,アフリカの情報収集能力を強化するために2015年8月現在,7カ国(アルジェリア,エジプト,エチオピア,ケニア,ジブチ,ナイジェリア,南アフリカ,モロッコ)に防衛駐在官を派遣している。かつては私も駐在経験のあるエジプトだけだった。ただ,エジプトはアフリカ大陸の国とはいえ,文化圏でいえば中東の地域大国の一つだ。ちなみに中東地域では,トルコにも防衛駐在官が配置されている。それは冷戦時代にソ連の情報を収集する目的でトルコに配置したものだった。
 (大使に準ずる地位が与えられている)防衛駐在官は,大使と同様に「アグレマン」(注2)といって,駐在国政府の同意が必要とされている。普通の外交官は日本政府が派遣するといえば駐在国政府は拒絶することはないが,大使(公使を含む)と防衛駐在官は立場が違う。
 さらに,防衛駐在官が複数,しかも陸海空がそろっている国となるとさらに少ない。陸海空の駐在官全てそろっているのは,米国,ロシア,中国,韓国,インドだけで,米国だけは(カナダ兼轄を含めて)6名となっている。2名のところがオーストラリア,英国,ドイツ,フランスとなっているが,それ以外の国は1名だ。
 普通各国には武官団(武官のプロフェッショナルな集まり)という集まりがあって,そこに入って情報を集めることがよく行われている。武官個人の能力不足があるとしても,武官団の中に入っていれば,ある程度大使館を中心とする活動では入手しにくい情報も入ってくる。やはり武官団はすごい情報源だ。もちろんさらに高いレベルの情報となると,それだけでは不足であるが。
 情報の世界においても人間関係は重要で,人間的な結びつき(人脈)の中から重要な情報を得ることも少なくない。情報収集においては,専門を活かすことも大切だ。例えば,アルジェリアからヨーロッパに天然ガスを輸送するパイプライン計画があるとなれば,そうした技術の知識も要るだろう。いろいろな分野の人とのネットワークで必要である。ただ,情報収集には継続性も大事だが,今の人事制度はサイクルが短いのが課題だ。

防衛駐在官の抱える課題

西川

 防衛駐在官の活動に関して言えば,日本以外の主要国では,国家の中に占める軍隊の位置づけが明確であり,軍人のステイタスも高い。そうした国々での国家的な行事やレセプション,会合の中には,一般の文官(シビリアン)だけでは対応できない種類のものも多く,情報の交換においても同様だ。外国軍隊の軍事,戦術関係の情報を収集する際には,彼等のカウンターパートとなり得るのはやはりミリタリーである。そのため駐在武官として自衛官の幹部が在外公館に派遣されているわけだが,在外公館の勤務実態を見ると,駐在武官に限らず,日本の外交関係者がどれだけ重要な情報の収集活動に従事,専念できているのか問題があるように感じる。日本から訪れる要人のエスコートやアテンドの業務が非常に忙しく,相手国のカウンターパートと緊密な関係を構築し,日々情報の収集活動に取り組むことができているのか疑問である。公館全体がそのような雰囲気,環境にある中で,防衛駐在官だけが戦略・戦術情報を積極的に収集しようとしても,限界がある。
 さらに,重要な情報を入手し,それを東京に送っても,本省が迅速にそれを把握,解析し,日本の防衛政策に活かされる体制が整っていることが大切である。戦前においても,例えば太平洋戦争末期,ソ連の対日参戦の重大な情報を駐在武官が掴み,それを東京に送っても,結局はその情報が活かされずに終わった不幸な史例もある。現在の防衛駐在官も,同じようなジレンマや悩みを抱いているのではないか。

前川

 防衛駐在官が収集した情報は基本的に大使を通じてまず外務省に上げ,外務省経由で防衛庁(省)に送られている。しかし戦前の駐在武官は,陸軍省,正確に言えば参謀本部人事だったので,直接そこに(外交ルートとは別の暗号で)情報をあげていた。日清・日露戦争の勝利を経て,防衛武官が力を持つようになると,(軍部からの)予算が増やされると共に現地大使館外に武官室をもつようになった。そして武官室の職員の数も増え,大使館より多いところも出てきた。そうしたことが,軍部が外交に介入し二元外交になるきっかけとなったと考えられて,戦後はそれを教訓に情報の報告体制が外務省に一本化された。
 中曽根康弘・防衛庁長官時代(1970年1月~71年7月)にその報告体制が改められた。普通大使館からの報告は(外交官からのものも防衛駐在官からのものも)「大使」の名前で本省に報告されるわけだが,実際の起案者はそれぞれが作っている。外務省に報告された情報のうち,防衛情報は防衛庁に転伝されるのだが,外務省にとって都合の悪い情報はすぐに転伝されず,時期が遅れることもあった。省庁間の調整の問題だ。中曽根長官はそれを問題視して大使から本省にあげられた情報で,括弧して<防衛情報>としたものは,的確に防衛庁に転伝するように改めさせ現在に至っている。

西川

 明治新政府の成立から日清・日露戦争の頃までは,日本も情報の収集に相当力を入れていたと思う。しかしその後,「一等国」の座を手に入れたあたりから,軍部は暴走し始め,他面,情報,特に戦略情報の収集獲得を重視する姿勢が弱くなっていった感がするが,それはなぜか。

前川

 フランスの作家・政治家アンドレ・マルロー(1901-76年)は,「西洋が数百年かけてやった近代化を日本は50~60年でやった」とし,それに成功した要因として,軍事主導で近代化を進めたことを指摘した。事実,明治以降の近代化においてはインフラ整備を含めてあらゆる分野において軍が主導することでいち早く近代化を進めることができたのはよかったのだが,その後,軍は暴走してしまい戦争を招いてしまった。
日本は戦前への反動のためか,戦後は軍事軽視の外交を展開してきた。戦前は軍事過剰重視であり,戦後は軍事軽視というわけだ。さらに軍事・防衛は米国に過剰依存するという体制を敷いた。それは吉田茂首相の功罪とも関係してくるだろう。
 外務省関係の方々と交わって感じることは,大方の人は軍事抜きの話をすることが多い。政治,経済,文化の話は多いが,軍事問題はほとんど話題に上らない。ここ何年か,外交官の回顧録をたくさん読んでいるが,そこには外交官から見た軍の無謀さ,高圧的な姿勢への反発がうかがえる。軍事軽視の外交の傾向が強くなった。
ところで,情報には大きく二つの種類がある。一つは,国策あるいは防衛政策決定のための情報。これは大方針を決定するための高度な情報であるから,これを判断して収集するには高度な総合的能力とセンスが求められる。英国のように世界支配を経験した国は,情報担当にとくに優秀な人材を配置している。もう一つは,決定された国策あるいは防衛政策を効果的かつ安全に計画し実行するための情報だ。この二つの情報の地位・役割の本質的違いを認識しておくことが大切だ。

西川

 日本の情報収集活動に対する現在の中央組織の在り方についてはどうか。

前川

 外交と軍事が密接に連携しなかったことが,戦前日本の大きな欠点であり反省すべきことだ。外務省と陸軍省・海軍省の密接な連携・調整がうまくいかなかった。
 現在のしくみの中でいうと,下部構造では,制服組(三佐クラス)から外務省に十数人出向しており比較的いい関係を築いている。一方,上部構造の局長クラスでの,外務省と防衛省のハイレベル間の協力・交流は十分とはいえない。

「マルチ同盟」の意義

前川

 同盟問題について言えば,次のようなことが言える。同盟には「二国間同盟」と「マルチの同盟」があるが,今後は日本も「マルチの同盟」に目を向ける必要があるだろう。マルチの同盟の行き着く先は集団安全保障の概念であり,国連だ。
 集団的自衛権行使と集団安全保障という概念の区別はなかなか容易ではない。できれば集団安全保障体制に入って,多国籍軍への協力という考え方がよろしいのではないか。そうでないと,日米同盟のような二国関係では力の強い方に取り込まれてしまう危険性がある。軍事以外でも力のある相手との交渉に当たっては,マルチの関係にして集団交渉で臨んだ方が効果的だ。当面はやむを得ないが,日米関係の将来はそういう方向にもっていったほうがいいと思う。
 戦後の日本は軍事力の保有が禁止され,その代わり米国が肩代わりする安全保障体制が築かれた。しかし朝鮮戦争をきっかけに自衛隊が創設されたが,その後の経過を見ると,米国への過剰依存の防衛体制を続けてきた。それはある面,米国にとって都合いい政策でもあった。過剰依存体質であれば,(日本が)自主防衛,自主外交,自主独立する心配は少ない。その結果日本は,軍事費負担が減って経済発展に専念することができた。

西川

 「マルチ」の同盟相手として相応しい国はどこか。オーストラリア,韓国,フィリピン,台湾,ロシア,インド・・・。

前川

 マルチの相手は,経済,文化,軍事など分野によって若干違ってくるだろう。当面は,韓国・オーストラリア・フィリピンとの同盟が望ましい。ただし,マルチの同盟の欠点は,最終的に責任を持つところが不明になってしまうことだ。誰かがやってくれるだろうということで穴(空白)が生じてしまうこともあり得る。二国関係であればそういうことはない。軍事同盟の場合,日本,米国,韓国は同盟を結び結束を強化する必要があるだろうし,そこにオーストラリア,フィリピン,インドも含めていいだろう。
 今度の法整備でよかったことは,法制化によって軍事訓練が公然とできるようになったことだ。そして軍事訓練は力であり(戦力化),それには抑止効果もある。いくらいい兵器を持っても,それを使いこなすのはマンパワーだ(兵器の戦力化)。

陸軍幼年学校の功罪

前川

 「兵器栄えて兵員衰える」といわれるが,日本の現在の防衛態勢を見ると,兵器は最先端になったが,それを使いこなす人間の面でいい人材が(自衛隊に)集まっていない。戦前は,軍が政治に介入して力を持ちすぎたのだが,その背景には軍に優秀な人材が入りすぎたことがある。省庁であれ,企業であれ,ある集団に優秀な(頭のいい)者が入りすぎると,国を誤る歴史的傾向が見られる。
 明治時代,海軍兵学校,陸軍士官学校でも初期のころ優秀な人材はあまり入らなかった。とくに都市部の中・上流階級の子弟はそうであった。農村部子弟の場合,それらの学校は学費が有利だったこともあり,貧しい家庭から優秀な人材が入っていた。しかし都市部で陸士・海兵に優秀な人材が入るようになるのは,皇室・華族の子弟が多く入るようになった影響が大きい。

西川

 冷戦後におけるソニーもその典型であろう。戦後,創建されたばかりの町工場のときは,盛田昭夫や井深大らがそれこそストーブを囲みながら,自由闊達に議論して何を作ろかとアイディアを出し合って,それが世界のソニーへと急成長していったが,受験偏差値の高い一流大学卒業者が数多く採用される頃になると,どの部門も秀才揃いで,皆がそれぞれに自分の所属部署の開発商品の素晴らしさをアピールするものだから,会社としての開発の優先順位,プライオリティがつけ難くなってしまう。会社の戦略や全体方針が曖昧で総花的になりやすい。また,売れ筋製品担当の部署にエリートが集中しているものだから,その商品が既にピークを過ぎ,あるいは既に時代遅れになっても,主流の部署が車内で絶大な力を持つため他の部署が扱う商品に開発の主力を切り替えることが出来なくなってしまう。出世街道を外れたくないエリートは,皆,今売れている商品担当部署への配置を希望し,傍流のようなセクションで新規の事業に乗り出そうとはしなくなる。エリートとは冒険やチャンレンジを恐れ,安全パイしか振らないものだ。優秀な人材が増えれば増えるほど,活力や政策決定の迅速性,柔軟性が失われてしまい,結果的にその会社は衰退に向かうものだ。
 ところで,太平洋戦争開戦時,省部の枢要なポストに就いていた中堅層の幕僚の多くは,大正時代に士官学校や兵学校の教育を受けた人たちだった。大正デモクラシーの時代は最も軍の評判が悪い頃で,軍学校の人気も低落していた。市民の目が冷たく,制服を着て市電に乗るのが恥ずかしかったとの回想もある。それゆえ優秀な学生の多くは,当時,数が増え出した旧制高校をめざし,成績が次位か,家庭が貧しい地方の学生がもっぱら士官学校や兵学校に入ったという。恐慌を経て,昭和前半の軍部優位の時代になると,成績トップでは無かった層の人たちが日本を引っ張って戦争に導いたと言うのが通説だが・・・。

前川

 それも一理あるだろう。もうひとつは,同じ士官学校でも,陸軍幼年学校出身と旧制中学校出身とがいて,最初は陸軍幼年学校出身の比率が高かったが,後には旧制中学校出身者が多くなった。とくに陸軍幼年学校は競争率も高いので非常に優秀だった。とくに参謀本部の中の作戦班は陸軍幼年学校出身者が多かった。

西川

 旧制中学校出身者(例:今村均,栗林忠道等)と陸軍幼年学校出身者(例:東条英機)とを比べると,後者はがりがりの勉強組で視野狭窄の人物が多かったとよく批判される。一方,前者はジェネラリストで幅広い教養があったから,上に行くほど光ってくる傾向が見られたともいわれるが。

前川

 そのような考え方もあって,終戦の年まで海軍は幼年学校を作らなかった。陸軍と海軍の本質的な違いもあるが,陸軍でも全般的に見ると,旧制中学校出身者の将校や将軍には視野の広い柔軟な者が多い。
 しかし,実は陸軍幼年学校出身者には天皇への忠誠心・服従心が非常に強かった。終戦に際して昭和天皇がご聖断を下したわけだが,国内外の部隊を聖断に従わせるように組織として動いたのは,実は陸軍幼年学校出身の「皇道派」(注3)の将校や将軍たちだった。そういう人たちが終戦のときのご聖断を支えた(反乱を抑えた)という皮肉な事実がある。

現代は宗教関連情報が重要

前川

 いずれにしても,戦後は戦前の反動で軍事に関することはすべて貶められて考えられるようになってしまった。重要なことは戦前への過剰反応,「軍事アレルギー」をどう緩和するか。もうひとつは,戦前の軍部が大陸に進出していった直接の大義名分の大きな一つが,「居留民(邦人)保護」だった。邦人保護のために周辺を占領しながら戦線が拡大していった。そのような過ちをしないためにどうするか。
 今後の課題としては,日米安保体制をどうしていくか。米国は力のある大国だから重要であるし,中国の台頭という国際環境の中で,日米二国関係(日米同盟)を重視し基本に据えることはその通りではあるが,将来的にそのままでいいのかと思う。米国に防衛を大きく依存することで経済発展できたのはよかったのだが,今となってはそろそろ限界だと思う。長い目で見ると,とくに軍事面で米国に抱き込まれてしまうことを憂慮する。欧州での経験から見るとそうである。
 例えば,最近の防衛関係のキーワードを見てもみな米軍の計画用語を日本語に置き換えてそのまま使っているのが散見される。人間関係もそうだが,大きな相手とは「間」をおいてやることも必要である。大国が衰退するときには,中小国はそれに巻き込まれかねないからである。

西川

 米国の国力が衰退のフェーズにあるときに,米国べったりではなく,もちろん一体化を進めながらもその中に自主性ももつ。両方を立てていかないと,吸い込まれてしまいかねない。政治家,有識者の中には日米の関係が近ければ近いほどそれを以て良しと発言する人もいるが,特に軍事分野のように両国の力にあまりにも差がある場合,弱者が強者に近づきすぎることは,自国の国益にとって必ずしもいい結果が出るとは限らない。むしろ両国にとって不幸になることもある。ある程度自立性を保ちつつ緊密な同盟関係を維持した方が,長い目で見れば日米関係の発展やさらには米国にとっても良い果実が得られるのではなかろうか。米国とは異なる視点,異なる情報を提供できる国になることが,米国の利益に繋がり,日米の信頼関係を高めることにもなろう。

前川

 戦前・戦後の教訓を汲んで情報について考えてみるときに,第一に(人事面,予算面で)もっと情報を重視すべきだということ,第二に,軍事情報と外交情報を密接に連携する必要があるということだ。そうでないと日本のこれからの安全保障体制は脆弱な基盤の上に立つことになりかねない。情報収集に関して,重点をどのような分野について,どのような方法でやるのかということも大切だ。
 ひとつにはその国の歴史について知らないといけない。軍には陸海空とあるが,陸海空の統合がしっかりしている国とそうでない国がある。その国の軍隊が陸海空のどこが力を持って動いているかを見るのも一つのポイントだ。例えば,1979年のイラン革命のとき,イラン軍の中でホメイニー師側に先についたのは技術集団性の強い空軍と海軍だった。とくに空軍は歴史が浅いために,プロレタリアート出身者が多く,王侯貴族は陸軍に多かったからだ。
 もうひとつは,現代は宗教に関連する情報の収集が重要になってきている。中東で言えば,シーア派,スンニ派の情報であり,それと政治権力との関係を知ることが大切だ。とくに宗教関連の情報について日本人の感性は弱く,その知識も乏しいので,今後力を入れる分野だと思う。
(2015年11月10日,文責編集部)(『世界平和研究』2016年冬季号,No.208)

• 防衛駐在官 
防衛省から外務省に出向した自衛官で,外務事務官として諸外国にある日本大使館など在外公館に駐在し,防衛に関する事務に従事する者をいう。自衛官の制服を着てその階級を呼称として任務に当る。英語ではdefense attacheという。主な業務は軍事情報の収集であり,各国の軍・国防当局や他国の駐在武官から,軍同士の関係でしか入手できないさまざまな情報を入手する。近年は,各国との防衛協力は装備協力も含めて,質・量共に拡大を続けており,これらに関する調整業務も担っている。(防衛省HPより一部引用)
• アグレマン
ある国が外交使節団の長 (大使または公使) を他の国に派遣しようとする際にその個人について,事前に派遣される国 (接受国) の同意を得ること。もともとは「同意」を表わすフランス語agrément。(ブリタニカ国際大百科事典HPより一部引用)
注3 皇道派
皇道派(こうどうは)は,大日本帝国陸軍内にかつて存在した派閥。北一輝らの影響を受けて,天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し,対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。なお,2.26事件の後,皇道派の将軍や将校は危険視され不遇な配置に置かれた者が多かった。(ウィキペディアHPより一部引用)