「米中貿易戦争」に思う

長田達治 ((一社)日本外交協会常務理事)

 私の勤務する団体事務所は東京タワーの真ん前にある。ひっきりなしに大型バスが来る。スマホや日本製の高級カメラで写真を撮っている観光客の半分以上は中国人だろう。近くのコンビニの店員もほとんど中国人。何年か前,銀座のデパートに銀聯カードが入ってニュースになったが,今はアリペイで支払いができる店が増えている。中国人観光客を対象としたインバウンド政策は安倍政権の成長戦略の柱の一つだ。

米中による新旧覇権国家の争い

 米中貿易戦争が加熱している。今年3月に米国が中国などの鉄鋼,アルミに輸入制限を発動する関税措置を取った。これは世界の国々を対象にしたものだったが,7月に知的財産権侵害を理由に中国に340億ドルの追加関税を発動したのは中国狙い撃ちだった。中国はただちに同額の報復措置をとった。米中貿易戦争の勃発だ。なぜ今貿易戦争なのか。トランプ米大統領が11月6日の中間選挙対策として,熱烈な支持層である貧困白人労働者向けに「米国に仕事を戻す」とアピールするためだけなのか。私には米中による新旧覇権国家の争いの一環と見える。
 この貿易戦争,実は5月19日の米中通商協議で「貿易戦争回避」で一旦は決着したのに,米通商代表部(USTR)が6月15日に中国の知的財産侵害に対する制裁として500億ドル相当の中国製品に25%の関税を上乗せする制裁関税発動を発表するちゃぶ台返しをしたのだ。USTRのライトハイザー代表,国家通商会議(NTC)のナバロ委員長ら対中強硬派が,2015年に中国が出した国家戦略「中国製造2025」(2025年に製造業強国となるために補助金や税制優遇策などを駆使して国を挙げて国産ブランドを育成する)を危険視,軍事転用可能な先端技術の中国流出を食い止めるなどとして動き始めたのだ。
 2008年8月の北京五輪で自信をつけた中国は9月のリーマン・ショック後の11月に胡錦濤国家主席が4兆元(当時の為替レートで57兆円)規模の景気対策を打ち出し世界を同時不況の淵から救った。自信をつけた中国では,米中世界支配,アジアの盟主などの言葉が飛び交うようになった。大国主義的で目に余る振る舞いが増えた。習近平国家主席は今年6月の中央外事工作会議で「中国主導の国際秩序を作る」覇権主義をはっきり打ち出し,鄧小平の「覇権を求めない」外交路線を打ち捨てた。
 改革開放後,世界貿易機関(WTO)加盟で「世界の工場」になり毎年2桁の成長を続け,今では中産階級(ミドルクラス)が約4億人,GDPは2010年に日本を抜いて世界2位となった中国の習近平政権は,次の三つの国家目標を打ち出している。
①2021年7月の中国共産党創建100周年までにあらゆる意味で日本を追い越しアジアでナンバーワンとなる。
②2035年までにユーラシア大陸でナンバーワンになる。
③2049年10月1日の建国100年までに米国を追い越して世界でナンバーワンの国になる。

AI・ビッグデータを駆使する中国の戦略

 中国は最高の技術水準を持つ多国籍企業の製品を委託生産するうちにその先端技術を自分のものとした。米国,欧州などに大量の留学生を出し,先端技術を習得させ,帰国させた。「中国製造2025」以前から中国の科学技術立国志向は明らかだった。
 問題は中国がいまだに共産党1党支配の国であり,民間の先端技術が簡単に軍事転用できることだ。特にサイバー,宇宙分野での研究の進展はめざましく,米国は中国の軍事研究での急追に焦りを見せ,昨年暮れに発表された米国の「国家安全保障戦略」にはロシア,中国との競争という世界観が色濃く反映された。中国も米国内の中国不信という風向きの変化を読み,日本への接近を試みている。また中国企業は今,日本進出ラッシュに湧いている。食物,各種インフラ経費,土地,人件費などがほぼ北京の2割安で買える(そのかわり給与も2割方安い)。日本は中国人にとって居心地がいい場所だそうだ。
 中国ではスマホ決済が一般化し,北京など大都市では現金を持ち歩かない人が増えている。また,国家をあげて電気自動車に取り組み,世界一を目指している。AIとビッグデータについてはすでに米国と並び世界一を争う技術を持っているそうだ(近藤大介著『二〇二五年,日中企業格差』PHP新書)。キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏は「AIとビッグデータは伝統的地政学を変える。日本ではAIを軍事利用するという発想が全くないが,世界的に見ればAI兵器は核兵器に代わる大量破壊兵器。核兵器より使いやすく,抑止論に変化が生じる」と話している。米国の危機感はこの辺にありそうだ。人口14億人の個人データを吸い上げてビッグデータ化して,それを最先端のAIで分析,加工すれば,考えもつかない恐ろしい新兵器ができるかもしれない。
 米中貿易戦争は1980,90年代の日米貿易戦争とは根っこの部分で大きく異なるらしい。私のような地政学の素養に乏しい人間にはなかなか理解しがたい話ではあるが……。
(2018年10月9日)
(『世界平和研究』No.219,2018年秋季号)