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教育再生への提言
(2008年2月)
1.教育再生は、人間形成のための人格教育の充実を目的とすべきである
(1) 文科省は「ゆとり教育」を見直すことによって、国語や算数、英語を強化しようとしているが、道徳教育は避けているように見える。しかし、今強化すべきなのは、学力強化以上に人間形成のための人格教育である。
(2) 教育の営みは、何を教えていてもすべて根本は「人間教育」である。どのような教科を教えていても、その基本に人格教育がなければならない。道徳は、道徳教科書で教えるにとどまらず、日常の生活やすべての教科指導の中で教えるべきものである。
2.文科省は道徳を教科化すべきである
(1) 戦後教育基本法が制定され、全て個人主義となった。その行き過ぎへの反省から教育基本法が改正され、今後は道徳教育をしっかりやろうとなった。それにも関わらず、文科省は道徳の教科化には及び腰であり、責任を果
たしているとはいえない。
(2) 道徳の教科化に関しては、良心に関わる内容について、国家教育権がどこまで及ぶかと いう問題がある。最高裁判所は、かつて家永裁判で国家の教育権を一応認めたが、それは全て国が決めるわけにはいかないという中途半端な判決であった。しかし、「人を殺してはいけない」「偽装して商品を売ってはいけない」などといった、ごく当たり前で、どの国どの時代であろうと当然認められる普遍的規範の教育は、国家の意思で特別
な教育をするということにはならない。
(3) 道徳教育はしっかりとした価値観に基づかなければならない。すべての文明の価値観に共通
する「メタ価値」が基礎となってこそ、道徳教育教材や道徳教育もできる。
3.偉人伝・エピソード・逸話等を含んだ人生の指針となる教材が必要である
(1) アメリカでは、一九九〇年代初めから国家政策として教育改革を始め、その時に人格教育が公教育でスタートした。その頃、アメリカ人の大人であれば、ぜひ子供たちに伝えたいという偉人伝やエピソードをまとめた本がベストセラーになり、それがアメリカ教育改革にかなりの影響を与えた。日本でも昔からの良い話や偉人のエピソードなどをまとめた本、あるいは 内村鑑三の「代表的日本人」の現在版のようなものがあれば、大きな起爆剤になる。
(2) 人生をどう生きればよいのかについて、今の子供たちはほとんど学んでいない。非常に平易に書かれた偉人伝を集大成したものやエピソード集、このようなことをしていた企業はこのようになったという具体例を掘り出した教材が必要である。
(3) 今は、皆でやる「プロジェクトX」の時代であり、それには優れたリーダーが必要となる。リーダーになりたいと若者が思うような教育をすべきである。
4.文科省は良い道徳教材を広く公募せよ
(1) 文科省は優れた教材を広く募集すべきである。良い教材とともに道徳教育のできる教師が必要となるが、教材が良ければ、教師は教えながら自分自身を教育していくことも出来る。良い教材があれば教科化しやすくなる。
(2) 教員一人一人に、人格教育に携わっているとの自覚を持たせるような教科書、読本が必要である。小中学校という義務教育に問題提起する意味で、副読本を作るなど、教育現場からそのような機運が沸き起こってくることも重要である。
(3) 良い教材を作成し、その良さを訴えることによって、文科省も認め、教科化しよう、検定をしようという方向に持っていく国民運動が必要である。
5.「ゆとり教育」の是非について実証的研究が必要である
(1) かつての教育は必ずしも詰め込みではなく、各自が自分で勉強し成長した。「ゆとり 教育」の本来の趣旨も、生徒はゆとりを活かして自ら勉強し成長する、先生は授業を工夫し教えるということだったと思われる。しかし、「ゆとり」さえ与えられればいいと誤解され、現場の先生もついていけなかったため「ゆとり教育」はうまくいかなかった。
(2) 「ゆとり教育」の是非については、それを改善することによって学力が上がるのかどうかなどを含めて、もっと実証的に研究する必要がある。
(3) 小学校では教師を二人制にして、落ちこぼれを作らないようにする必要がある。そのためには、退職した団塊世代の教師を活用することも一つの方法である。
6.能力ある指導者は「公共財」との視点に立ち、指導者の養成に力を入れよ
(1) 優れた指導者は「公共財」であり、指導者が優れていれば、国民全体の利益になる。能力ある人物を指導者として育成することが、社会全体にとってどれだけ重要かという意識が、今の日本には欠けている。指揮官が悪ければ、戦場であれば部隊は全滅する。実際、日本ではこれまで指導者の養成をしてこなかったため、経済も政治もどんどんレベルが低下している。
(2) 社会は、優れたリーダーズと優れたフォロアーズから成っている。これは差別
ではなく役割分担である。日本ではこれまで護送船団方式をとり、一番遅い船に合わせて進んできたために、高等教育は国際社会での競争力が全くない。日本ほど勉強しない大学生は世界のどこにもいない。表現力もコミュニケーション能力にも乏しいため、国際社会における日本の発言力きわめて制限され、国益も損なっている。
(3) 自由・平等・博愛を謳ったフランスでさえ、すさまじいエリート教育を行っている。アメリカ、イギリスも同様である。指導者を養成するには、「ノブレス・オブリージ」を教えなければならない。それだけの待遇を受けるからには、国民全体に対する責任があるという、本当の意味での責任・義務、使命感を持った指導者を養成しなければならない。
(2008年2月23日 PWPA理事会企画会議)
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